第238話 嘘は嘘、相は相

 ルーシは何も言わなかった。何も言わず、なくなった自分の手先を見ていた。数秒すると、荒い切断面から黒い靄のようなものが溢れ出し、やがて五本の指から成る手を形成した。彼は再生した手を握り締めたり、また開いたりを繰り返す。


「君は、誰?」


 ルーシが赤い瞳をフィルに向ける。黄色い点灯と、赤い流線が溶け合って、橙色になってしまうことはなかった。


「同類さ」フィルは答える。「残念だったな。お前には、彼女を殺すことはできない」


 首を絞められていた割には、今は月夜は落ち着いていた。呼吸もさほど荒くない。何度か経験したから、もう慣れたということだろうか。しかし、人間は一度しか死ぬことができないから、きっと死に慣れることはない。


「立ち去れ」フィルがルーシに向かって告げる。「二度と月夜に近寄るな。彼女には、俺がついている。もう一人、彼女を守護する者がいる」


「君は、僕と同じなのに、なぜ、彼女を殺そうとしない?」


「それが俺の目的だからだ」


「目的とは? 誰に与えられた目的のこと?」


「彼女を守護するもう一人に」


 ルーシは暫くフィルを見つめていたが、やがて小さく首を捻った。


「よく、分からないけど、僕は、きっと彼女を殺す」ルーシは言った。「それが、僕の、いや、僕たちの目的だから」


 言い終わるとすぐに、ルーシは屋上の柵の上に飛び乗った。そのまま飛翔し、学校の敷地の外にある電柱の上まで移動する。電柱の上から住宅の屋根へと飛び移ると、やがて彼の姿は闇の中に消えて見えなくなった。


 月夜は、なんとなく力が抜けて、その場に腰を下ろす。


 先ほど地面に形成された黒い染みは、もう消えていた。ルーシの行動と呼応している。


 頭の上に載っていたフィルが、肩まで下りて月夜の頬を舐めた。


「何度言わせたら分かるんだ」フィルが言った。「あいつを傍に近づけるな」


「近づけたのではなく、近づいてきた」


「それを許していては、同じことだ」


 フィルを鞄の中に入れたのは、月夜自身だ。そんなことをしなくても、周辺にいれば問題ないという彼の提案を押し退けて、そうした。


 前方で硬質な接地音。


 フィルの背後へと目を向ける。


「遅れたか」


 学校の屋上に、見慣れない少女が立っていた。見慣れないというのは、服装に関してだけで、月夜は彼女を知っている。


 今日の彼女はドレスを着ていた。


 セミロングの髪に、金色のイヤリング。


 以前と少しだけ趣が変わっただろうか。


「奴は、どこへ言った?」そう言って、ルンルンが華麗に一回転した。

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