第233話 棘は棘、針は針

 空はどこまでも高い。


 最近、空ばかり意識しているな、と月夜は思う。正確には、空を意識してばかりいる、だが、前者の言い方でも通じてしまう。


 昇降口の前の階段に腰を下ろし、時々姿を現す希少な風に身体を預けて、上を向いていた。空は果てしなく続いているから、そこで、人間がちっぽけなことを知る。人間に関係するあらゆるものは有限だが、頭のすぐ上にある空は無限だ。顔を上げることで、いつでもそのギャップを知ることができる。人間は限りなく小さい。人間が地球を支配していると考えている人々もいるそうだが、空は地球の内に含まれないのだろうか。


 時刻は午後四時三十分。今日は、ほかの日に比べて、行われている部活動が少なかった。ときどきこういう日がある。理由は分からないが、考えればいくらでも想定することができる。その中で、自分が最も納得できる理由を採用するだけだ。そういう積み重ねが、人間の判断の基盤を作っていることは間違いない。


 門の前で車が停車する。門は今は閉じているから、校舎に車を入れるのであれば、運転手が車から降りて、自分で門を開けなければならない。


 月夜は階段から立ち上がり、少し駆け気味で門の前へと向かった。来訪する者があれば、そうしてもてなすのがこの学校の風習だからだ。誰かに教えられたわけではない。別に従わなくても良い。けれど、それが誰かの助けになるのであれば、あえて反発する理由もないだろう。そういう考えのもとに、月夜も一応その風習に従うことにしている。


 月夜が運転手の代わりに門を開けると、車内から男性が笑顔で小さく手を振った。手を振られたから、月夜も振り返したが、少しだけ奇妙な顔をされた。採用するジェスチャーとしては間違えていないはずだが、何かいけなかっただろうか、と自問する。


 車が完全に門を通り過ぎてから、またもとのように門を閉める。そうして、来た道を戻り、また同じように昇降口の階段に腰を下ろす。


 蝉の声は鳴り止まない。むしろ日に日に強くなっていくように思える。それでも、一ヶ月もすれば状況は変わっている。今鳴いている彼らは、そのときにはたぶん死んでいる。


 自分もどうなるか分からない。明日には生きていないかもしれない。しかし、そういう可能性をいちいち考慮していては、きっと生きていくことができない。だから、何か物事を判断するとき、大抵の場合、そうした考慮は成されていない。


 政治も、経済も、明日も人間が生きていることを前提に行われている。


 その前提を取り去れば、人間の生きる世界は変わるだろうか。


 前方で、先ほど通した車から男性が降りてきて、車のドアを閉めた。


 男性がこちらを振り返る。


 彼が今度は全身を使って大きく手を振ってきたから、立ち上がって、月夜もそれに応えた。

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