第234話 夜は夜、闇は闇

 頭の上で音がして、月夜は目を覚ました。


 いつの間にか眠ってしまっていたみたいだ。彼女も生き物には違いないから、眠ること自体は普通だが、突然眠りに落ちるのは普通ではない。それに、日中に眠くなることは、彼女にはあまり見られないことだ。そういう意味では、何らかの機能的な障害、あるいは外部の状況の変化があるといえるかもしれない。


 目の前に段々状の斜面。太陽が傾きかけている影響で、輪郭が白から黒へと転じている。


 顔を背後に回し、音がした方に視線を向ける。


 昇降口の入り口の壁面に、大きな時計が飾られていた。もちろん、ただ飾られているのではない。それは装置として今も立派に仕事をしている。時刻は午後六時を過ぎた頃だった。周囲はまだ明るい。夜と呼ぶには少し早いかもしれない。


 音の原因を探るために、立ち上がって階段を少し下りた。足もとがふらついて転びそうになり、傍にある鈍色の手摺りを掴んだ。


 昇降口の屋根の上に、少年が一人立っているのが見える。薄ぼんやりとした背景の中、それが少年だと分かったのは、その姿に見覚えがあったからだ。


 月夜の視線に気がつくと、少年はその場から華麗に飛び上がり、階段の手摺りの上に静かに着地した。物理的には抜群の安定感だが、彼が立っているとどうにも不安定に見える。


 ルーシが何も言わず、一度こくんと小さく頷いた。


 月夜も同じ仕草をする。


「君を探していた」ルーシは言った。


 月夜は首を傾げる。


「なぜ?」


「さあ、なぜだろう」ルーシも同様の挙動をする。「うーん、分からない」


「私を殺すためでは?」


「それは、僕の目的ではない」


「では、もう一人の貴方の目的?」


「そうかもしれない」


「なぜ?」


「何が?」


「もう一人の貴方が、私を殺そうとするのは」


「分からない」


 立ち上がったままでも良かったが、なんとなくで月夜は再び階段の上に座った。


「帰ってほしい」月夜は告げる。「あまり、傍にいてほしくない」


 ルーシからの返答はない。彼は上から月夜を見下ろしている。彼の方を見ていなかったが、茫洋とした視線を月夜は感じていた。


 帰ってほしいと言ったのは、本心からではなかった。自分でも上手く分析できないが、要するに、相手の出方を探るデコイのようなものといえる。


 ルーシは手摺りの上から飛び上がり、月夜の隣に着地する。


「なぜ、傍にいてほしくない?」ルーシが尋ねる。


「殺されたくない、と思うから」


「なぜ、殺されたくない?」


「きっと、私が生き物だから」

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