第229話 結い

 少年にお茶が入ったコップを渡すと、彼はそれをゆっくりと飲んだ。コップを飲んだのではない。手の動きが段階的で、あまり人間味を感じさせない。視線もどちらかといえば冷徹だから、月夜と気が合いそうだった。もちろん、彼女自身はそのようには認識していない。見た目から内面を推測することは、人間同士の関係において、つまり社会的な場においては、あまり良いこととはされていない。


 少年は、飲む行為を逆再生するように、コップを持つ手を下へと動かした。そのまま停止する。数秒の停滞ののち、コップをテーブルへと置き、そうして、顔を月夜へと向けた。


「何?」少年が問う。


「何が?」


「何でも」


 数秒間、少年と見つめ合う。しかし、何も起こらなかった。単なる沈黙が続く。特別な沈黙というのもあるが、それは、大抵の場合、一人のときに得られる。


「今日は、襲ってこないの?」月夜は尋ねた。これまでの文脈がなければ、妙な台詞として捉えられただろうと推測したが、その推測がはたらくこと自体、妙と呼ばざるをえなかった。


「襲う?」


「攻撃、と言い換えられるかもしれない」


「攻撃?」


 それまで床に直接座っていたが、月夜も少年の隣に腰を下ろした。その方がコミュニケーションを取りやすい、つまりは、場を共有しやすいと考えたからだ。


「貴方の目的は、私を殺すことでは?」


 その言葉を口にすることに、それなりの抵抗があった。今は周囲に誰もいない。昨日のように攻撃されたら、おそらく対抗できないだろう。


 月夜の言葉を受けて、少年はじっと彼女を見つめる。考えているのか、判断しているのか、何をしているのか掴めない表情だ。


「貴方は、物の怪では?」


 月夜がそう言うと、少年はコマ送りのように瞬きをし、それから一度頷いた。


「なるほど」彼は答える。「しかし、それは僕ではない」


「貴方ではない?」


「そう。僕ではない」


「貴方では?」


 少年は首を振る。驚くべきことに、その際、視線がまったくぶれなかった。目だけ顔から乖離して、宙に浮かんでいるような感じだ。


「もう一人の僕がやったんだろう」


 少年が月夜の手を握った。


 握られた、と月夜は感じる。


「傷つけた?」


 少年に問われ、どうだろう、と月夜は考える。


 二秒間の沈黙。


「そうかもしれない」彼女は答えた。

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