第196話 【 】

 目の前の皿を除け、月夜はルゥラの手を掴んだ。何の躊躇も悟られないように、素早く手を伸ばしたつもりだったが、相手にはこちらの動揺が伝わったかもしれない。


 月夜は赤い目を見つめる。


 相手もこちらを見ていた。


 掴んだ手に力を込める。


「ルゥラ、帰ろう」月夜は言った。「自分が何を求めているのか、よく、分からないけど、とりあえず、今は貴女に一緒にいてほしい、と思う」


 宙に舞う皿の破片が額に触れ、また皮膚が音を上げて焦げる。


 月夜を見つめたまま、ルゥラはずっと沈黙している。見つめていると、相手が誰か分からなくなることがある。距離感が曖昧になり、何を見ているのか分からなくなる。そして、自分が今どこにいるのかさえも。


 ずっと沈黙していたルゥラは、やがて空いている方の手で、自分の手を掴んでいる、月夜の手を掴んだ。


「私ハ、一緒ニハイラレナイ」彼女が重く淀んだ声で話す。


「どうして?」


 ルゥラの瞳の奥に何があるのか、月夜は見ようとする。自分の鋭い視線であれば、その奥底まで抉ることができるのではないか、という気がしてくる。


「どうして、一緒にはいられない?」月夜はもう一度尋ねる。


「ソウ、決メラレテイルカラ」


 決められているとは、どういう意味だろう、と月夜は考える。


「貴女が、決めればいいのでは?」


「私ハ、モウ、死ンデイルカラ」ルゥラが言った。「本当ハ、月夜ニ会ウコトサエモ、叶ワナカッタハズダカラ」


 ルゥラが月夜の腕を掴む力を強める。突然の痛みに月夜の内面は驚いたが、それを表に出さないように努力した。


 ルゥラは月夜の腕を引き剥がすと、その勢いのまま両手で月夜の首もとを掴んだ。


 全身の力が緩み、月夜は抱えていたフィルを離してしまう。


 落下しかけたフィルが飛び上がり、ルゥラの手に噛み付くが、彼女はまったく動じない。


「ゴメンネ、月夜」ルゥラが言った。「貴女ニ会エテ、嬉シカッタ」


 自分の首を締めるルゥラの腕を、月夜は掴もうとする。


 自然と、目もとに涙が浮かんでくる。


「ゴメンネ」


 もう一度、ルゥラの声。


 滲んだ目でその向こう側を垣間見たとき、ルゥラの赤い目からも、何かが滴っていることに気がついた。


 下方からフィルの声。


 彼には、どうにもできないらしい。


 低迷する判断力。


 死へと誘う、一本道。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る