第118話 食べるは下一線
玄関の前に散乱している皿を退かし、鍵を差してドアを開けた。一歩足を踏み入れれば、嗅覚は室内の匂いを感知する。入らなければ感知しない。入るという変化が嗅覚に意識を向けさせる(1)。
とりあえず、ルゥラはリビングのソファに寝かせることにした。布団に寝かせるのでも良かったが、風呂に入っていないし、起きるのをもう少し待っても良いのではないかと考えたからだ。
毛布を持ってこようと二階の自室に向かうと、勉強机の上にも皿が何枚か置かれていた。大量というほどではない。何らかの目的を持って置かれていると、ぎりぎり錯覚できるほどの枚数だ。
ソファで眠るルゥラに毛布をかけて、月夜はすぐ傍にあるテーブルに着いた。その上にもいくつも皿が並べられている。しかし、街中に散乱しているものとは異なり、それらにはきちんと料理が載せられていた。ラップがかけられていて、かつて水蒸気だったものが水滴となってその内側に張り付いている。
ラップを外し、月夜は料理を食べ始める。
「ルゥラが寝ているのに、いいのか?」
月夜の傍にやって来て、フィルが言った(2)。
「何が?」
「彼女が起きているときに食べた方がいいんじゃないか?」
「どうして?」
質問したが、フィルはその問いに答えられないみたいだった。
「まあ、いいか」やがてフィルは応えた。「お前の行動に対してどうこう言っても、見込みはないからな」
「何の見込み?」
「明日は晴れる、という見込み」
ルゥラはなかなか料理の腕があるようで、作られたものはどれも美味しかった。きんぴらゴボウやヒジキの煮物などのちょっとしたおかずのほかにも、豚肉の照り焼きやエビの卵綴じなど、明らかに月夜の家にもともとなかったであろう食材で作られたものもある。
月夜には料理の善し悪しなど分からない。食べたら必ず美味しく感じられる。
なんとなく、小夜のことが頭に浮かんだ。先ほど会ったことが引き金になった可能性が高いと自己分析したが、大した分析ではなかった(3)。
彼女はルゥラをどうするつもりだろう?
(1)要するに、感覚器官はギャップを認識するのが仕事だということだ。そのほかの視覚、聴覚、味覚、触覚についても、環境に変化がないときには意識されない。
(2)これ以前に彼がどこにいて何をしていたかということは、この場面からは分からない。様々な可能性が考えられる。ルゥラが作った料理に月夜はこのあと初めて手をつけるが、それ以前に彼が摘まみ食いをしている可能性もないとはいえない。
(3)前話参照。
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