第3話 カレーライスの場合
◇◇
「ああ、ダサいのって嫌い」
いつもの台詞を吐きながら歩いていた僕の頭上に、それはやってきた。
「カレーライス!!!」
皿に乗ったカレーライスが、頭に!
落ちてくる~?
「な、なな、なっ」
なんで。
確かに昼飯はまだだったが……
なにも上から来るこたぁないだろう。
しかもなんか穏やかなピアノ曲がどこからともなく奏でられているではないか。
このままでは直撃するカレーライスを前に(上に?)僕は頭を悩ませた。
いやさ雨や雪はわかる。
カレーライスが降ることが確率的に、ある?
降カレーライス確率とか天気予報で聞かないだろ?
は?
ってなるだろ?
わっつ、はぷんど、いんでぃすわーるど、だろ?あ、ちょっとちがった?
まあ、いい。
「なるほどな。こりゃ誰か僕を、試してるんだ」
ダサくないリアクションを誰かが求めているらしい。
やれやれ……あの三人の女どもを見失ったが、退屈しのぎの神は僕を見捨てなかった。
「dre dich!!」
僕は手を空に翳した。気がつくと手には杖が握られている。
思うが、この呼び出し、日本語にしてくれ。
しっくり手に馴染むのはナイフを模した杖。
カレーは食えそうにない。
「斬っ!」
欲望をおさえながら飛び上がり、振りかざすとカレーライスは霧のように散った。
「お前の呪いは見切った……福神漬けと、ラッシーを付けなかった敗北は大きいよ」
「……」
空を見上げても、モンスターではなくカレーライスとたたかったという、よくわからない虚無感はやばい。
まじやばい。
軽く自分に引くからね。
「フッ、怪物だった、か」
僕は欲深い。
カレーがあるなら福神漬けも当然のように所望する。
もし、あの隣に福神漬けかラッシーがあったなら。確実に惑わされていただろう。
「欲とリンクする寄生物か……敵もなかなか愉快なもんを送ってくる」
20191/130:15
........................
『私たち』が気がつくとあの空間に戻っていた。
「さっきのは……」
辺りを見渡す。
エチルが手にしている注射器からはまだピアノが聞こえていた。
私たちが見たのは、夢?
「スプーンが、全然曲がらねぇ」
気がついたからには突っ立っているわけにもいかない。
アリンが静かに口にする。
エチルはいつのまにか手にしていた角砂糖のようなものを、私たちの前に広げた。
「これ、使う?」
アリンが聞く。
エチルは使わないでしょと答える。
「それはなんなの?」
私は改めて聞いた。
前は聞けなかった。
「これは、仮寄生させて具現化するものよ。
普通の寄生生物ならこれで食いつく。だけど今使ってもたぶん効果が無いわ」
確かに寄生の仕方が特殊だ。
「おっしゃ、博士の家にいくぞ!!」
アリンが元気よく手を挙げた。私も「おー!」と応えた。
201911413:41
2019.1/2022:35
博士の家は山奥にあるらしい。 寄生体を注射器に入れたままでの移動となる。
大丈夫かな? 注射器にも液体が入ってるけど、これは『何』だろう。
二人に聞いてみたが、なんか曖昧に濁されているだけだった。
一度、普通空間に戻り、地面に着地すると、注射器を刺激しないようにと歩く。
ピアノ伴奏は、ずっと同じ曲。 「寄生体は、この曲に、何か思い入れがあるのかな」 私が言うと、アリンは確かにな……と呟いた。
みんなの声や音に寄生するわけじゃない。 それだけに、この個体の『意思』が此処に集まるような感覚があった。
それは少し悪寒さえ走る。 なぜなら、これは『わたしたち』かもしれないから。 私は改めて考える。
たしか、わんちゃんのとき思ったが、身体を借りさえすれは会話ができた。 3最から5歳程度の知能があるかもしれないそれが寄生した結果でもあって…… だけど、寄生を誘発『させる』わけではない。 目的が働いてない。
どういうことだ……?
結構高い場所までいくらしい。
木と木の間、細い石階段を私たちは慎重に上っていく。
息は少しずつあがるが、みんな静かだった。
私は、考えるのを止めない。
寄生体は、まるで餌をばらまいていたんだ……はっとして私は言う。
「もしかして、本体は、別に居るんじゃないかな」
お魚、天ぷら、おもち、きつねうどん……そんなのは私たちを釣る罠だ。
しばらく黙って先頭を歩いていたエチルが「私も同じこと考えてたよ」と言った。
――スキ、スキ、スキ、スキスキスキ!!
ラボの中。
「ロマンチストだ……」
博士は神妙な顔で呟いていた。
「やはり、やつが、再来しておるとしか、思えん」
かつて悪質な「恋病」をばらまき、世界を恐怖の渦に陥れた、寄生体のなかでもボスクラスの存在。それが、ロマンチスト。
「しかし――やつは、かつて葬られたはず」
事務机に置かれた古い見た目のパソコン内のデータベースからファイルを開く。
「寄生体 オータムクロッカス:
通称は『 エリー』
」
恋とは、寄生体ロマンチストが自我を破壊していく恐ろしい病気のことだが、その中でも際立ってエリーは悪質だった。
――スキスキスキスキスキスキ
博士の脳裏で、狂い行く人々が映し出され甲高い女の声が響いている。
――スキ、スキ、スキ、スキスキスキ!!
博士の妻は、かつてオータムクロッカス、エリーのあの声で自我が狂い亡くなっていった。
「ぐ……」
頭を抑える博士の手には、先ほど『解析』に使っていた試験管が握られている。
――アナタダケアナタダケアナタダケ!
――アイシテル!
――アイシテル!
――ウフフフフフフフー!!
海を渡ってどこかから来たのかはたまた宇宙から潜んでいたのか。現在もそれは謎のままだった。
――とある晴れた日。
雲ひとつない真っ青な空の日だ。
突然「ロマンチスト」と呼ばれるこの気味の悪いこの声が、
あちこちに振り撒かれ人々を洗脳した。
快・不快、好き・嫌い
「これがあらゆる生物を統べる上での基本要素だということを理解する知能があるのだろうか」
ぴんぽん、とインターホンが鳴った。モニターに、玄関先の三人の娘が映し出される。
「はーかーせー!」
アリンの声がした。
「おぉ、来たか。解析は今、だいぶん済んだところだちょん」
返事を返すと、エチルが、結果を聞いてきた。
その隣にいるのが、恐らく新たな仲間。だったか。期待を裏切らないキュートな子だ。
「まぁ上がるんだちょん。込み入った話になるだろうから」
壁につけていた玄関のロックのボタンを、ぽちっ、と押して解除する。
三人の娘は応接室、に案内された。
シンプルに洗練された、白を基調とした部屋。
床はつるりと輝きを放ち、ボタンがついた柱があちこちに立っている。シルバーの壁にもコードが埋められたりしているが、基本的には外観を損ねないようになっていた。
「――恋病を知っているかな?」
ロビーのガラステーブルに、お茶が三つ並ぶ。
赤いソファのうえに座る三人。博士はその前に立ち単刀直入に聞いた。
エチルが、もちろんですと返す。
「寄生体がかつて人々を混乱と恐怖に陥れた病のこと。執着、妬み、暴動を生む、争いの根元、暴力的な感情を高める病。
かかると頭がパーになって、
攻撃的になって、あらゆる他人を排除してでも他人に寄生するようになる」
「そう。
現代教育において人々はプラトニックな繋がりを重視し他人に対して恋病のようなものをもたないね。誰しもエリーの恐怖を味わいたくないのだから。
だからこそ恋は人類にあまりの気味の悪さだ」
「リセが、エリーってなんだという顔してるぜ」
アリンが言う。
「寄生体オータムクロッカスの、簡単な呼び名だよ。まさかきみは寄生体について何も知らないのかにゃ?」
リセと呼ばれた子は、目を丸くしていた。
「ううむ……恋事件の記憶を封じられているやもしれん。あれだけのことだったのだからな。
寄生体オータムクロッカスは、寄生対象に『恋』という状態を作り出そうとする。
現代では少し時代遅れだが、そう、他人を排除し自分だけを目に映すように信号を送りつけ、人々を攻撃的にするのだ。
食べ物や金が欲しい、子孫がほしいと操れるようになれば相手を乗っとり、自我を破壊し存在ごと食い潰してしまうのだちょん」
「なるほど、恋……そして、エリー、怖い、ですね」
「恋病は戦争の火種にもなりかねんもの。
だが、なぜか国はまだまだ取り締まらない。我々は我々で恋病を撒く、寄生体をどうにかするので手一杯なのだ。悩ましいちょん」
「ラブストーリーを擁護するやつは、既にロマンチストの手にかかっているのか?」
アリンが呟く。
「ロマンチスト?」
リセは聞き返した。
「寄生体のなかでもボスクラスのやつ。エリーもそう。あいつが現れるとラブストーリーを擁護するやつらが過激化してたらしいな」
博士は頷く。
「恐らくは、重度のものはな」
「気色悪い」
「アリンはラブストーリー嫌いだものね!」
エチルはくすくす笑った。
「あいつに、オータムクロッカスに、殺された、やつをさ、思い出しちまう……」
スキダヨ――――
ウフフフフフフ――――
「ラブストーリーなんか……
みんな、みんな燃やしてゴミ箱に捨てちまえばいいっ!」
「ラブストーリーを擁護するやつは、既にロマンチストの手にかかっているのか?」
アリンが呟く。
「ロマンチスト?」
リセは聞き返した。
「寄生体のなかでもボスクラスのやつ。エリーもそう。あいつが現れるとラブストーリーを擁護するやつらが過激化してたらしいな」
博士は頷く。
「恐らくは、重度のものはな」
「気色悪い」
「アリンはラブストーリー嫌いだものね!」
エチルはくすくす笑った。
「あいつに、オータムクロッカスに、殺された、やつをさ、思い出しちまう……」
スキダヨ――――
ウフフフフフフ――――
「ラブストーリーなんか……
みんな、みんな燃やしてゴミ箱に捨てちまえばいいっ!」
「……そう、ね」
エチルは少し含みを持たせるように呟いた。
「戦争は、ロマンチストがつれてくる――よく祖母が言ってた。
でも、ラブストーリーを持ち上げる人を殺したって、クロッカスは消えない。
彼らもただ、恋が病気だという認識すら持てない、憐れな人たちなの」
「病気なのに野放しだぞ!!」
アリンが強く言い放つ。
「おかしいだろ……みんな、みんなロマンチスト側なのか?」
「芸能人、政治家、総理大臣、 教員、自衛隊、作家……年輩者にロマンチストに成り果てた者が居ることは、確実」
エチルは切り捨てるように言う。リセは表情に戸惑いを浮かべていた。
「……」
スキスキスキスキスキ――!
アナタダケ、トクベツヨ!
アイシテル!!ウフフフフ!!
甲高い声が博士の脳裏にフラッシュバックする。
あらたに芸能人、政治家、総理大臣、 教員、自衛隊、作家……彼らがビルの液晶やテレビ、広告、ポスター、雑誌から『あの声』を送りエリーと同じことを叫ぶ様の幻覚がまとわりついてくる。
この街は。支配されている。
「博士」
博士が黙ったまま俯いて居たのでアリンが気にかける。
「なーに、妻を思い出しただけだちょん」
博士ははっとして三人に笑いかけた。
「ロマンチストの執拗な洗脳で、おかしくなってしまったんだ。妻は最後まで抵抗した」
――あなたの気持ちなど要らない!!
「寄生体が厄介なのは、自分を拒否した、として激昂させと増して暴力的になることだ。
彼ら特有の発信器をもっておってな、妻を毎日追い回した。
彼女はロマンチスト擁護派に怯えておったが……そのロマンチストは、上司にも寄生していた」
博士がちらりと見た頭上にある大きなモニタ、の横の壁には、妻だろうか、若い女性の写真が飾られている。
「ロマンチストの注目リストが更新されました」
画面が光り、ぴこん、と音をならした。
「お?」
アリンが少し反応する。
「イノウエが、また、反ロマンチストにちょっかいをかけておるようだ」
博士があきれた声。イノウエと言う人物は何者だろうかとリセとエチルは顔を見合わせた。
「あぁ、そうだそうだ、解析の結果だったな、まっててちょーん」
切り替えたように博士は部屋の奥へ一度戻り、また戻ってくる。
「ぜぇ、はぁ……心臓、どきどき、歳かにゃ」
三人が見守っているうちに、博士は少し離れた場所にあるデスクに座る。そこにはなんかよくわからないPC類が置いてあった。三人にも正直よくわからないが、メカ好きがどうにかイメージしてくれるだろう。
「カタカタカター、っと……ほい」
頭上にあるモニターに、分析結果が映し出される。
まず、水、タンパク質などの割合のグラフだった。
博士が解説を始める。
「まず、構造は、このよーに、寄生体の、よくある構造に近い」
3月10日23:08
「つまり、身体の作り自体は普通の寄生体と変わらないのだが。ならばきみたちも聞いた、あの曲をどこから出しているのか。恐らくだが、神経と結び付くように寄生する形体からしても……たとえば脳にある音楽領域へ彼らが干渉することが出来るのだと思う」
「しかし博士、みんなが同じ曲を聞くなんて可能か?」
アリンが訝しげに博士を見る。
「可能かなんてのは寄生体でもない私に、わかるはずないだろに。じゃが、言語領域の一つと捉えると、皆が大体似た聞こえかたをする。しかし仮に、言語や聴覚の領域にあの曲を流せるとしても……」
「あ、あの生物?たちって普通は、声帯はないってことですか」
リセがぽつりと声を挟んだ。
「私たち、わんちゃんの声を聞きました」
博士が、カッと目を見開く。
「ふーむ、なるほど!
確かに『乗っ取って』能力を得ている、だとすれば恐らく容易に声くらい出せるちょん、
知性の点に置いても、彼らが独自に思考するとは考えにくい。なにか本体を見なかったかにゃ?」
本体は別にいるという見解は皆一致したらしい。
「それが、私たちも、見ていなくて」
エチルが冷静に答える。
「でもさ、犬って、そもそも喋るか?」
アリンが呟く。
「仕組みは謎だけど肉体さえ乗っ取れればしゃべることができるのかも」
エチルもどうだろうねという風に話を合わせる。
九官鳥や鸚哥のように『音』を声にするのかもしれない。本体、と聞いて、皆はあの曲に何か思い入れがある『人間』がいるのだろうとイメージした。知性、そして、欲望。
背後にいるのが人間であることが、決まってしまうような気がしていたのだ。
だとして――かつて訪れた災厄ロマンチストの背後に在るのもまた、我々の同族、人間なのだろうか。
博士はなんだか息が詰まるような想いだった。
3月11日18:37
◇
あなたがすきー
だいすきなのー
外ではロマンチスト擁護派『ラブソング』団体による、ラブソングがかかった車が、あちこち奔走している。
山奥なのに、よく届くのだからどれだけ大音量なのかわかる。
「チッ。やかましい!」
博士は独り言を吐き捨てる。
日頃、ラブソングに苛立っているのだ。
アリンは、慣れているのか、この騒音に呆れた顔をしただけ。エチルはきょとんとしていた。私もよく聞いてたけれど、あまり気にしたことがなかった。
ヘイトでもないし、犯罪でもないというくらいで、市民はそんなものだ。
「……」
私は、なぜだか頭痛を覚えた。
「大丈夫?」
エチルが心配して聞いてくる。
「う、うん……」
みんな、なんの、話をしているというの。
どうして、私、あれ?
私……!
頭がずきずきと痛んで、両手で透明なヘルメットのように抑ええる。
「おい、リセの様子が変だ」
アリンが訝しげに私を見る。
そっと指を掴まれ、はなされる。
「熱っ!?」
「あらあら大変!」
エチルが何やら慌てて部屋の奥へ向かって走る。
起き上がろうとした身体は動かない。
暗闇の中で、バタン! と何かが打ち付けられた音。
それから、あがる悲鳴。
博士が何か言っていたが、私はぐらりと身体を傾け、意識を手放していた。
…
3月12日20:01
カチ、コチ、と時計の針の音がする中、博士と二人は倒れたリセを見守っていた。
簡易な医務室は、先ほど皆が、二人がかつて寝室にしていた部屋を片付けて生まれた。
「どうなんだ?」
博士は、今のところは死には至らんだろうが疲れが出たらしいと告げた。
「ただ……私が言うのもなんだが、冷静に聞いてほしい話がある」
エチルとアリンは少し表情を曇らせる。
「お前たちに寄生している生物が、与えたものは、抗体の他にあるな。エチルには空間やbrainwashを中心とした力、アリンには無限包帯や跳躍力、あのお嬢さんは……」
寝かせている少女を見ながら博士は言う。
「モノクルによる物質干渉や、高い精神感応力です」
エチルが答えた。
「あの、私、気にかかっていました、やっぱり」
「そうかもしれん。人の何かと、あれが結び付き力は目覚める」
「それ、人に寄生すれば私らと似た身体を得られるって意味だよな」
アリンも哀しそうに呟いた。
「――私も街の様子を確認していたが。
宿主を見つけないままに力だけが中途半端に働いていたと見ることもできる。
人に憑くのを、待っていたんじゃないだろうか。スイッチだけを作動させて、人をおびき寄せて、お前たちになろうとした。
そう考えると。お前たちの排除を目的にするやつが背後にいるかもしれん、ちょん」
2、3歳の知能といわれる寄生体。
それが、相手をおびき寄せることや、人の欲望を熟知すること、そして肉体を得ると力を得られる可能性を理解しているのか、それとも、そう考えると、じゃまな抗体を排除するための存在を誰かが産み出そうとしているのは想像しやすい。
3月13日23:56
「そう、ですね。可能性はあります」
エチルはそれだけ答えた。
「あたしたち、一応街を守ってんのになぁ、悲しいよ」
アリンが呟くとエチルも苦笑する。
「背後に誰が居たとしても、これじゃ街に友好的とは限らないわね」
『誰かたち』が『安定供給して予算に変えられるもの』を、周りよりももっていることは、富裕層の支持者が多いロマンチスト派が住む街の様子や、私立学園の設備を見ても薄々感じられるようになっており、意思による貧富の差がじわじわと生まれていた。
博士がロマンチスト擁護派を怪しむのは何ら不思議ではない。
「化け物め……今に見ていろ」
窓に映る街に向かい、博士は吐き捨てた。街を憎んでいるのだとアリンとエチルは理解してはいたが、少し不気味な気持ちにもなった。
外ではまだ『ラブソング』が聞こえているが……
エチルは、はたと気がついた。
「ねえ、なにか、また、聞こえない?」
アリンも耳をすませる。
かすかに、ピアノが……
「嘘だろ! だってさっきあたしたちが……」
『ラブソング』が止み、街に聞こえ出したのはまたあの曲だった。そうこうしているうちに、窓の外に、何かが通り過ぎた。
今のは――――
「か、カツ丼に、牛丼……」
博士に冷や汗が流れる。
「捕獲しきれていなかったんだわ」
エチルは青ざめながらアリンの腕を掴んだ。
「博士っ! 行ってくるから、あいつを頼んだ!」
アリンが叫び、二人は慌てて下へと向かう。空ではピアノ曲が悲しげに響いている。できる限り走っているが街まではなかなか距離がある。
「はぁ、包帯を使いたいけど……下手に飛んでここの木、曲げちまったら、林業のじっちゃんにおこられる」
0:28
寄生体が接触した関係の地域にしか、保険は降りないのだ。それに、エチルが大抵周りを眠らせるので彼女らがこんな活動をしているなどと、市民は知る由もない……
「早く、メシテロを止めないと!」
視界に映る丼をどうにか追っているうちに、二人はどうにか、街に近づいてきた。
近くに電柱があったので、アリンはすぐに包帯を巻き付けた。保険が降りる地域だ。
「少し、とーばーすーぜっ!」
と、包帯とともに、催眠を唱えているエチルを抱えて屋根等に飛び移って目標へと向かう。
そしてどうにか、カツ丼がまさに、地面に倒れた少年に降り注ごうとしている現場にたどり着いた。
3月15日1:26
しかし。
カツ丼は二人の目の前で霧散。瞬時にテレポートしたかのように消えていた。
「あれ……」
アリンがきょとんとし、エチルも辺りを見渡す。
「condolore!!」
背後からやかましい声がして二人はすぐにその場から飛び退く。
「逃げないでくれよ」
毛先がくるんとした長い前髪。変なマントみたいな服。
そして、ナイフみたいな杖を構えた少年が立っていた。
「ちょっと聞きたい。きみたちは空から降るカレーライスを知っているか」
「あたしたちも、それを探してたんだよ!」
「なぜ? あれらが奇生物と知っているだろう」
「!!」
エチルとアリンは固まる。
なぜ、そのことを。
市民は何も知らないはずだ。
それに。
「あぁ。街に特殊な催眠がかかっているようだが、僕は効かないよ」
「まさか、あなたも、抗体が」
エチルが恐る恐る聞くと、彼は 愉快そうに笑った。
「抗体? あぁ、寄生物か。似たようなもの…………かもね」
結構間を挟んで彼は答えきった。
「僕があれを相手にしていたとき、君たちも何か頭上を追いかけていたのを見かけてね。
何度か見失ったが、またあえてよかったよ。
なあ、なぜ、やつらを相手にする?」
「敵だから。あなたも寄生体を相手にしていたのね」
エチルが簡潔に答える。
「ああ。僕にも少々、思い出があってね。君たちもだね」
どうやら、彼が、あの生物を消してくれたらしい。
三人が手こずった相手に、一人で、どうやって……
「僕は欲を糧に市民を搾取するロマンチスト派に反対してる、
リアリストさ。
君たちは知らないが、伊達に鍛えていないわけじゃない。
単純な欲望で釣る子供騙しなど見切ってしまった。
そう、戦うのはカレーでもカツでも無い!寄生する敵だ」
3月21日 11:48 ETC
「あなたは、何を知ってるの」
エチルが慎重に彼を見つめる。目の前のリアリストは空を指差した。
「僕は、単に、あるリアリスト組織にいるだけだ。
かつてエリーの放ったトランス・コールは凄まじかっただろう」
「知ってる……」
悲しそうな声だった。アリンも悲しそうにしている。
「未だにロマンチスト擁護派たちをトランス状態にしている。なぜなら彼らは頭に寄生して意識から寄生しているからね。ああ、長いからETCでいいか。
トランスコールをする輩はエリー以外にも居るんだが、僕は、組織のなかで普段それの範囲や被害を纏めているんだ。ETCを使って敵を呼び寄せて寄生、ボスクラスのロマンチストは、そういうやりかたをする。
今回も撹乱だったようだ」
それについては三人はただ何を言うでもなく黙していた。
博士から聞いていた脅威だけでは、実感が足りていなかったのだ。
それに、たしか。
エリーのようなものは全て葬られたのでは……
他にもいる?
聞いてない。
彼はなぜ、ロマンチストを追うのだ。
動揺が走った。
「暴走バスのときやらの報告があがった。君たちはETCのようなものを使えるのかな」
3月28日1:45
◆◇
「私を……疑っている、んですね」
エチルがおそるおそる口にした。彼女の催眠もまた、人々の意識に働きかけることが出来た、彼にはETCのように映っただろう。
「私が、私のなかに居るのが、もし、ロマンチストだったなら、あなたはどうするんですか」
「殺してやる」
リアリストの明確な回答は逆に感動すら覚えるものだった。
アリンやエチルにある想いは、自分となにかずれてる。
私は、ぎゅっと拳を握りしめた。
記憶が、ない……
エチルは、彼に怯まずに―頭を下げた。
「もし、そうなったときは、殺してください」
「エチル……あたしもそうだ、あたしも、こわく、なるんだ」
アリンが理解を示す。
自分のなかにある得たいの知れないもの。
それをつかって戦うということが、通常の人間ではないというその自覚が、やがては自我を歪めて心を蝕んでいくということを、彼女たちは充分に理解していた。
1:56
「みんな、あたしたちに戦え、戦えとしか言わない。
まるで自分が戦車にでも、いや、化け物になったみたいだ。
見上げているだけの周りを見て、自分の立場を見て……あたしは、なにやってんだろ、と思うんだよ」
「わかるわ、でもどのみち、当然のように人々に混じることさえ、今は無理な話なのよね」
エチルが諭す。
「頭や、身体が、そうなだけで、私たちの心は、まだ年相応だ。と思う。
戦えとか、殺せとか、本当は、自分よりも大人の口から、
未来を先に担うはずの彼らから聞きたくない。
でも、私たちは、化け物」
ずきん、ずきん、と胸が痛くなってくる。
私たちは化け物……
「聞きたくないことを聞かされながら、無理矢理にでも戦わなくちゃならない。他に誰もやらない。
頼りになる『大人』なんかどこにだって居ないから。
大人になるの。私たちは」
大人を捨てた子どもたちは、兵隊になる。
いまの日本の子どもは、長生きらしくて、平和ボケしすぎた街で暮らす私の頭はただ、硬直していただけだった。
世界規模で見れば、子ども兵士の事実が珍しくもなんともないことさえも、今のこの国規模で見ればひたすらに異常だった。だけど、それだけではない。
彼らとの違いがあるとするのなら、私たちは兵士にすらならない。
戦っていることさえも誰からも知られない。認められるためじゃない。国のためでもない。
この戦争は、むしろ国の大人すら敵に回すかもしれない。
同級生すらも、もしかしたら敵かもしれない。
ロマンチスト擁護派が浸透した街に、私たちは挑まねばならない。
孤独な戦い。
死なないため。
――このまま、いつかは、狂うのだろうか。
4月3日22:36
「あたしたちが生きていくなかで、その、ロマンチストとして変わってしまうリスクは無くはないと思っている」
アリンは、まっすぐに彼、を見据えた。
「あたしからも、お願いします。そのときは殺して欲しい……、あいつのように」
あいつ?
私が二人を見るが、エチルも知っているみたいだった。
「わかった、今は観察といこう。僕にだって、先はわからない、だが、どうして君たちこそ、こんな危険なことをしている」
彼はとても真面目な目をしていた。そうしていればハンサムなのだが。
「私たちは、どこにも、還れないから」
「確かに。その『身体』、その『変身』とても、普通ではない」
「……っ」
アリンが苦痛に顔を歪ませる。
「ちがう、あたしは、化け物じゃない……あたしは、っ!」
「ふうむ……ふむふむ」
彼はじろじろと、私たち、を観察した。
22:50
「寄生物と同じような、体質変容、ETCのようなコールが使える……
さしずめ、遺伝子操作か寄生体ワクチンによる感染という辺りか。あれは殆どが死んだな。
確かめた者が居ないがエリーも人間だったと言われている」
アリンとエチルはぴたりと固まっていた。
ひきつっているような、青ざめているような感じだった。
しばらくの沈黙は、やがて急に破られた。
「だったら?」
エチルが低い声で呟いたから。
「私たちは、私たち」
彼、は愉快そうだった。
「フフ……アハハハハ!
ああ。そうだ。
他の誰でもないのさ。
僕も、僕だし、君たちも君たちだ。戦いたくはないんだ。避けられなくなるようなもの以外ではね。
この国じゃ平和ボケした大人たちがいくつ、無意味な争いをしているだろう?
権利者の支配下に全ての夢が集まったとして、それはただの薄汚れた現実だ! ロマンチストらは、そんなことすらわからずに全てを奪っていく!」
見ろ!
と、彼はナイフのような杖で街を指した。そこには裕福な人が暮らす大きなビル街が聳えていた。
「彼らは、木や水が無くなろうと、自然の生物が消えようと、
ブクブク肥え太るだろうな!
歪みきった、愛を、押し付け! 買わせ! 無意味に戦う!」
23:28
「今は、動物園と化した、あの辺りの森だって、本当は、当たり前のようにありふれた生き物が溢れていたんだ!
ロマンチスト擁護派が適当な理由で森を切り開いて金で命を売り買いしたせいで、全滅した。表向きは『危険のある指定寄生生物の処分』!
欲を堪える機能を無くし、あれもこれもと奪っているだけ!
そう、生き物は、金であり、人すらも寄生すれば宝石として売買できる!
ロマンチストさえ擁護すればなにもかもが金に変わる!
肥えた彼ら自身が、愛だ平和と謳い、まだ洗脳されていない我々をおびき寄せようとしている! 汚い! 醜い! 欲の凝り固まった汚物なんだよ」
「もしかして、『情報』も……」
アリンがはっとして携帯電話を見る。
「寄生する時期、タイミングを狙ってるんだろうな。人を宝石として売り買いするためには、まず大体のプロフィールを乗っとる必要がある。
個体情報を知るべく裏で人間が組んでいると考えていい!」
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