第5話 騒動の決着とイリヤの見据えるもの

 以前は、この神聖リュピテール王国で人族準代表のような地位に就いていたわたしに反論を食らったからか、ゴセックさんは目を白黒させた。


「だ、大聖女さま……」


「人族が魔力を持つように、獣族が恩寵を持ち、自らの生活に役立てるのは至極当然のことです。直接ご商売を妨害されたとか、汚い手で出し抜かれたとか、そういうわけではないのでしょう?」


「それはそうですが……」


 もうひと押しだ。

 こういう時は、魔法をほとんど使えなかった頃、なんとか聖女らしく振る舞うために、態度で自らを神々しく見せられるよう腐心した経験が役に立つ。涙ぐましい努力を思い返しながら、わたしは背筋をぴんと伸ばし、厳かに告げた。


「ならば、あなたも少し頭を冷やしてください。人族と獣族、両方の血を引く殿下ならば、必ずよき解決策をご提示くださるはずです」


 ゴセックさんは気まずそうな表情で、イリヤさんをちらりと見た。これは、イリヤさんの話を聞き入れる気になったということかもしれない。

 イリヤさんは静かな眼差しをゴセックさんに向ける。


「ゴセック、そなたは祖父の代から、この貸し馬屋を営んでいると申していたな」


「は、はい、さようで」


「では、得意の客もそれなりについているだろう?」


「はあ、そうですな。ありがたいことに」


「三代続いたのだから、知識や技術も受け継がれているだろうし、馬の目利きも確かだろうな」


「はい、それはもう!」


 戸惑っていたゴセックさんが胸を張る。ちょっと喧嘩っ早いところはあるけれど、きっとこの人は自分の商売に誇りを持っているのだろう。

 イリヤさんは腕を組んでちょっとだけ考える素振りを見せた。やがて端麗な唇を開く。


「では、頼みがある」


「な、なんでしょう?」


「ゴセック、そなた、我が領の御用商人になる気はないか?」


 御用商人とは、要するに王室や貴族の城館に出入りできる特権を持った商人のことだ。でも、馬族としての確かな技能を持ち、馬と心を通わせられるだろうマキシムさんではなく、ゴセックさんを選ぶなんて。


 まあ、この場でマキシムさんを選んだら、それはそれでゴセックさんの恨みを買いそうだ。

 思ってもみなかった話だったのだろう。ゴセックさんが色めき立った。


「う、うちの店を!? 本当ですか!」


「嘘は申さぬ。馬が入用な時は、そなたの力を借りたい。信用の置ける馬産家を知っているのだろう?」


「はい! それはもう!」


「他にも、我が領御用達ごようたしの印をそなたの店先に置いてもよい。上流階級の信頼が得やすくなるだろう」


「光栄です!」


 ゴセックさんはとても乗り気だ。というか、この好機を逃してなるものか、という商人根性を感じさせる。反対に、マキシムさんは目の前で繰り広げられる光景を静観している。

 イリヤさんは黙って控えていたセルゲイさんを振り返る。


「セルゲイ、ゴセックの店まで同行して、細かい打ち合わせを頼む。あとで迎えを出す」


「かしこまりました」


 セルゲイさんは優雅に一礼すると、ゴセックさんに声をかけて部屋を出ていく。ゴセックさんは獣族があまり好きではないみたいなのに、軽やかな足取りでセルゲイさんについていった。


 あとに残されたわたしたちは嵐が去った直後のように、お互いの顔を見合わせた。

 マキシムさんが苦笑する。


「……ああ、お茶も出さずに申し訳ありません。頭に血が上って、すっかり忘れておりました」


 イリヤさんは首を横に振り、席を立つ。


「いや、気を遣う必要はない。用は済んだ。わたしたちは帰らせてもらう」


 わたしも立ち上がる。マキシムさんは奥さまだという先ほどの女性を伴い、店先まで見送ってくれた。イリヤさんは別れを告げる前に、真摯な表情でマキシムさんに声をかける。


「マキシム、これからも商売に励めよ」


「はい。競争相手はいなくなったことですし。領主さま、今日はありがとうございました。よいお方を奥方に選ばれましたね」


 マキシムさんの顔は穏やかだった。「奥方」と言われてしまったわたしは、顔を赤らめてちょっとうつむく。

 イリヤさんの柔らかな声が聞こえた。


「こちらこそありがとう」


 顔を上げると、イリヤさんとマキシムさんは握手を交わしていた。

 馬車に乗り、イリヤさんの隣に座ったわたしは、まず質問する。


「あの、なんだか、わたしはしっくりこないのですけれど、これでよかったのですか?」


 イリヤさんが目顔で続きを促してくれたので、言葉を継ぐ。


「馬に関してはマキシムさんのほうが詳しそうなのに、ゴセックさんを御用商人にしてしまってよかったのですか? そもそも、今回はマキシムさんのほうが被害者と言っていいのに、彼が損をすることになりませんか?」


 意外なことに、イリヤさんは嬉しそうに笑った。


「俺を評価しても崇拝しないのが、お前のいいところだな。領主の妻に必要な素質だ」


「え!?」


 突然褒められてわたしが慌てていると、イリヤさんは動き出した馬車に揺られながら回答する。


「お前も分かっているだろうが、俺が獣族に肩入れしすぎるのはまずい。人頭税の廃止は、獣族を嫌う人族にとっては衝撃的だったろうしな。改革を進めるためにも、領内では人族と獣族の均衡を保つ必要がある。つまり、老舗を営んでいて古くからの客や近隣から信用のあるゴセックを無視するのもまずい」


「なるほど……」


「御用商人には、ゴセックのように代々商売を続けているような者のほうが適任だ。実績だけでなく格式も必要だからな。マキシムはたった数か月で老舗の得意客に気に入られたんだ。御用商人なんぞにならなくても、十分やっていけるだろう。それに、ゴセックの店が領主御用達になれば、旅費の少ない旅人や冒険者の中には高そうな料金を嫌がってマキシムの店に行く者も少なくないはずだ」


「あ、それで、マキシムさんは……」


 いずれ、マキシムさんとゴセックさんの客層はかぶることがなくなる。競争相手がいなくなった、とイリヤさんにお礼を言っていたのは、そういうわけだったのだ。


「マキシムは商才があるだけでなく賢い男だ。必ずあの店を大きくできる」


 そう言って目を細めるイリヤさんの横顔は、窓から射し込む夕陽に照らされ、彫刻のように美しく見えた。

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