第4話 人族と獣族
争いが起きているという現場は、領都アルシーの繁華街から少し離れた場所にあった。西門へと通じる通りだ。
上町と下町の間にある、そこそこ裕福な商人や知識階級の人たちが住んでいる地域に入るものの、下町との境に近い。旅人や冒険者を相手にすることも多い商売だからだろう。
まさか、例の貸し馬屋さんたちの店が同じ通りにあるわけではないよね?
現場へと向かう馬車の中でセルゲイさんに訊いてみると、一応、両者は別々の門に通じる通りに店を構えているのだという。それでも問題が起きたということは、馬族の貸し馬屋さんはよほどお客を集めているのだろう。
ちなみにアルシーには、貸し馬屋と同じく、有償で馬を貸し出しているお店がもう一軒ある。貸し馬車屋だ。
こちらは昔からあるお店な上に、客層も中流階級が中心だという。さらに貸すのは主に馬車なので、今回揉めている貸し馬屋さんたちの商売敵ではないらしい。
馬車に乗っているのは、わたしにイリヤさんにセルゲイさん。いくら三人とも腕に覚えがあるとはいっても、もしものことがあったら困るので、ポーラには城館に残ってもらった。
目的地に着いたので、先に下車したイリヤさんに差し出された手を取り、馬車から降りる。
前方に夏の強い日差しに照らされ、厩舎と並んで建つお店があった。厩舎の大きさは中程度といったところだ。高級感はないが、町並みによく馴染んでいて、ちょっとした旅に出る人や冒険者が構えることなく立ち寄れそうだ。
イリヤさんがお店を見た。
「あれが馬族の貸し馬屋か」
そう、争いはこちらで起きているらしいのだ。人族の貸し馬屋さんが馬族の貸し馬屋さんに難癖をつけにきたのが騒ぎの発端だということが、大体分かってきた。
「仲裁する前に、厩舎を見ておくか」
イリヤさんの提案にセルゲイさんは頷き、取り込み中のためか「準備中」という札がかかっているお店の扉を開ける。リリリン、というベルの音に誘われるように、イリヤさんとわたしもあとに続いた。
セルゲイさんが、店内でそわそわしていた馬族と思しき女性に来意を告げると、彼女は驚いた様子でイリヤさんに目をやったあとで、慌てて先導してくれた。
まあ、無理もない。イリヤさんがこういう時にとる行動は、もう領民の間で噂になっているのかもしれないとはいえ、本当に領主自らが出向いてくるとは思わなかったのだろう。
イリヤさんは著名な傭兵隊長だった頃から、その容姿が口伝えで広く世間に知られていた。名乗らなくても、たいていの人は彼だと分かるのだ。
まず、厩舎に案内される。三頭の馬が顔を上げてこちらを見た。手入れされている馬独特のいい匂いが漂う。女性が手前の馬房の横に立ち、説明してくれる。
「馬は全部で六頭ですが、今は三頭出ております」
イリヤさんとセルゲイさんとともに、わたしも厩舎の中を見て回る。馬たちはイリヤさんとセルゲイさんが近づいていくと、優しい目を向ける。獣族は動物に好かれるのだ。
獣族は人族にも動物にも近い。その上、彼らが人族のように動物を隷属させるのではなく、敬意を持って接しているから、ということもあるのだろう。
獣族は動物の肉を食べ、毛皮を利用することはあっても、決して彼らに残酷な真似はしないのだそうだ。
馬たちは体高が低い子もいれば、軍馬のように体格がよい子もいたが、みな
「よい馬が揃っていますね。それに、みんな気質が穏やかそうです」
わたしが声をかけると、イリヤさんが微笑した。
「ああ。体格のいい男だけでなく、女や子どもも乗せることを考えると、馬の大きさがバラバラなのにも納得がいく。女もいれば若年者も多い冒険者や、家族で旅する者がいることを考えて、意図的にこいつらを選んだんだろう。日常的に馬を借りる客層には使いやすい店だな。これなら評判さえ広まれば、得意客も増えていくはずだ」
セルゲイさんもにこにこしている。
「そうだね。それに、馬の数をいたずらに増やさないのも、うまいやり方だと思うよ。頭数が多いと食費がかさむからね。だからといって、馬を全頭貸し出さずに、きちんと休ませているのも感心だなあ」
女性が目をみはった。
「まあ……お二人とも、一目でそこまでお見抜きになるなんて……」
さすがはイリヤさんとセルゲイさんだ。
規模は大きくなくても、客の利便性をよく考え、馬を大切にするこの店は注目を集め始めているのだろう。まだ成長段階にあるこの店を、いざこざが原因で潰させるわけにはいかない。
イリヤさんは女性にちょっと笑ってみせたあとで、足を入口に向ける。
「この店が人族に目をつけられた理由は大体分かった。さて、次は店主と困った客人のもとに案内してくれないか」
通されたのは、こぢんまりとした応接室だった。椅子に向かい合せに座って睨み合っていた人族と馬族の男性が、じろりとこちら側を見た。が、セルゲイさんのうしろから現れたイリヤさんの姿を見て一様にぎょっとする。
「りょ、領主さま!? 本当に……?」
イリヤさんは、ふっと笑った。
「なんだ、役人が来るとでも思ったか? まあ、いい。話を聞こうか」
二人は立ち上がって一礼した。人族の貸し馬屋さんと思しき、きちんとした身なりの三十代くらいの男性が、座っていた上座の長椅子をイリヤさんに譲った。そのあとで、馬族の貸し馬屋さんの隣に置かれた一人がけの椅子の前に立つ。
イリヤさんが囁いた。
「オデット、お前は俺の隣に座れ」
「はい!」
視察に行く時以外、まだイリヤさんと公の場で一緒になることが少なめな身としては、妻の予行演習ができるみたいでなんだか嬉しい。
わたしたちが席に着くと、セルゲイさんがイリヤさんのうしろに立った。二人の貸し馬屋さんも、目を合わせずに隣り合って座る。
馬族だけあって、尖った細長い耳と見事な長い尻尾を生やし、作業着のような服装をした二十代くらいの貸し馬屋さんが口を開く。
「申し遅れました。わたしはこの店の主、マキシムと申します」
獣族は人族と結婚したなどの特別な事情がない限り、基本的に姓を持たない。
競うように人族の貸し馬屋さんも名乗る。
「わたしは東門のほうで貸し馬屋を営んでいるピエール・ゴセックと申します」
「マキシムにゴセックだな。もう知っていると思うが、わたしはこのカリストの領主を任されている、イリヤ・フェリックス・ローランだ。こちらは、婚約者のオデット・ル・ベルジェ嬢」
ゴセックさんが目をむいた。
「ということは、大聖女さまでいらっしゃいますか!?」
わたしは曖昧に頷く。
「ええ、そういうことになります」
「大聖女」という仰々しい称号は、わたしが聖女を辞したあと、神殿から贈られたものだ。ちなみに今現在のわたしは聖職者ではないので、高位聖職者に使われる「猊下」という敬称はつかない。
戦を勝利に導き、魔力至上主義のこの国において比類ない魔力を持っているから、「大聖女」らしい。「無才の聖女」と呼ばれていた身からすれば、何を今更という気がする。
大体、戦の勝利に多大な貢献を果たしたのは、イリヤさんなのだ。
けれど、国王陛下もこの称号が贈られることに許可を出し、イリヤさんも「まあ、もらっておいても損はないだろう」と言うので、仕方なくそう呼ばれることにしたのだった。
ゴセックさんとは対照的に、魔力の代わりに「恩寵」と呼ばれる能力を持つ獣族のマキシムさんの反応は薄い。彼が気にしているのは、この国の獣族にとっては英雄ともいえるイリヤさんの一挙手一投足だ。
「それで、どうして人が介入するほどの
イリヤさんが尋ねると、マキシムさんが横目でじろりとゴセックさんを睨む。
「いつものように商売をしていたら、こいつ──いえ、こちらの方がいきなり店に乗り込んできて、『俺の商売の邪魔をするな!』とすごい剣幕で言い立ててきましてね。女房が心配して、屯所に知らせにいったのです。その結果、領主さまにご足労をおかけすることになってしまいましたが……」
ゴセックさんも負けじとマキシムさんを睨みつける。
「文句を言いたいのはこちらのほうですよ! 商売を始めたのは最近のくせに、このけも──いえ、こちらの御仁がうちの大切な得意客を取りやがりまして。その得意客は名うての冒険者ですよ!? うちは今まで堅実に商売をやってきたし、じいさまの代からこの街で貸し馬屋をしているっていうのに」
イリヤさんがすかさず口を挟む。
「だが、マキシムはこの西門側に店を出しているだろう。そなたの店からは離れているし、西門と東門両方に貸し馬屋があったほうがアルシーの活性化に繋がる」
イリヤさんは王室に迎え入れられてから、公の場では目下の人を「そなた」と呼ぶようになった。王子さまみたいで(いや、実際、王子さまなのだけれど)素敵……。
はっ、いけないいけない。目の前のことに集中しなきゃ。
意識を現実に戻すと、ゴセックさんが納得のいかない顔をしていた。
「そうはおっしゃいますがね、こちらは商売あがったりなんですよ。獣族の妙な力を使われては、人族のわたしにはなす術がありません。ですから、直接文句を言ってやろうと思ったわけです。……人頭税のこともありますし、領主さまはやっぱり、獣族のお味方なんですかね」
イリヤさんの表情は動かない。獣族に肩入れしすぎては今後の統治に差し障りがあるからだろう。それに元々、イリヤさんはよほどのことがない限り、怒りを見せないのだ。特に、彼自身のことに関しては。
こういう時、イリヤさんの冷静さを少し悲しく思う。もっと小さな怒りを露わにしてもいいのに。
でも、彼が怒ってみせないのなら、わたしが代わりに感情を表せばいいのだ。それでこそイリヤさんの隣に立つ資格がある。
わたしはゴセックさんの目を見据えた。
「それは違います。イリヤ殿下は、とても公正なお方です。だからこそ、人族の聖女であったわたしを伴侶に望んでくださったのです」
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