第2話 オデットの悩みと新たな目標
イリヤさんは時折、ああいう独占欲に満ちた台詞を言う時がある。心臓に悪い。
そんなこんなで耳まで赤くなったわたしは、イリヤさんが二人の記念日のために用意してくれたという、特製のお茶と
二人が出会った日まで覚えてくれていたなんて、たとえようもなく嬉しくて胸がほわほわと温かくなる。
そうだよね。元々、イリヤさんはわたしなんかより遥かに記念日を大切にする人なのだから。
居間を出たあとで、勉強に戻るために再び長い廊下を歩く。
お妃教育は順調だし、公務は前職で慣れているから、目下の問題は政務に執務ということになる。イリヤさんに何かあった時は、妻(になる予定)であるわたしが領主代理を務めることになるので、是非とも円滑にこなせるようなりたい。
──それに、もうひとつ。
「オデットさまは本当に殿下と仲がよろしいですね! 拝見しているこちらまでドキドキと幸せのお裾分けをいただけます」
うしろからついてくるポーラが、脇からぴょこんと笑顔を覗かせた。つり目がちな茶色の瞳が魅力的な、愛嬌のある少女だ。
「そ、そう?」
確かにわたしたちの仲はいいと思う。そうはいっても、改めてそれを指摘されると照れてしまう。
廊下に人影がないことを確かめると、ポーラはわたしの隣を歩き始めた。彼女とは付き合いが長く、友人のようなものなのだ。
「そうですよお。結婚式の準備にしたって、殿下はオデットさま以上に張り切っておいでだと、使用人たちの間で噂になっているくらいですから」
そうなんだ。嬉しい。
胸の奥がじんとすると同時に、結婚式を必ず成功させようと心に誓う。
「そうなの……」
「で、オデットさま、殿下とはどこまで進まれたのですか?」
「へっ!?」
思わぬ不意打ちに、変な声を上げてしまう。
どこまで進んだかって、あれだよね……夫婦なら誰もが通るという……。
「く、口づけくらいですよ。まだ婚約中なのだから当然です」
「え、そうなのですか? さすがは元聖女さまですね~」
「やめてください。神殿とは、できるだけ関わり合いになりたくないのですから」
わたしはこの国の先代の聖女で、ポーラはその付き人だった。魔法の才能に目覚める前のわたしは「無才の聖女」と蔑まれてきた。今とは違い、魔法を満足に使えなかったからだ。
ところが、魔法の才能が開花し、敵国との決戦で軍功を上げたとたん、神殿側はわたしにイリヤさんを諦めさせて、王太子殿下と結婚させようと画策し始めた。掌を返すとはこのことだ。
国王陛下のご助力のおかげで、わたしはこうしてイリヤさんと婚約できた。だからといって、神殿への心証がよくなるはずもない。
「でも、殿下も理性的なお方ですね。オデットさまの素晴らしい曲線美を前に、我を忘れてしまわないなんて」
悪い顔でそうのたまうポーラを軽く睨む。
「そうですよ。殿下はそこら辺の殿方とは違うのです」
それは厳然たる事実だが、真実ではないことをわたしは知っている。
イリヤさんだって、わたしと二人きりになると熱い口づけを落としてくるし、さっきのようにこちらを挑発するようなことも囁いてくる。
獣族のひとつ、
なのに、イリヤさんに言わせれば、わたしはまだ発情期になっていないらしい。わたしもなんとなくその自覚はある。
なぜ、そんなわたしにイリヤさんが惹かれたのかというと、彼を惑わせるには十分な質と量の芳香がわたしから発せられているからなのだそうだ。
つまり、イリヤさんへの恋心が香気となって彼の鋭敏な鼻に届くのだ。
その匂いに反応したこともあって、イリヤさんは発情期になっていないわたしを選んでくれた。多分それは、彼が人族の血を引いているからこそ起きた奇跡なのだろう。
ちなみに本には、人族に発情期はない、と書かれていた。でも、イリヤさんによれば、発情している女性とそうでない女性は全然香りが違うようなので、わたしは便宜上、そう呼んでいる。
それはともかく、今のこの状況って結構まずいんじゃないだろうか。
わたしが発情期にならなければ、イリヤさんは、その……夫婦の契りを交わす気になれないわけで、それでは初夜がうまくいかない。
そんなことになったらお互い気まずいし、周りが期待するであろう跡継ぎ誕生も遠のくのではないだろうか。特に国王陛下は、元気なうちにひ孫の顔が見たい、とおっしゃっていた。
……一体どうすればいいんだろう。仮にわたしがそういうことをする覚悟を決めたところで、発情期にならなければ意味がないわけだし。
ポーラには訊けない。彼女は恋の話は好きだけれど、恋愛経験がないのだ。それに、「どうしたらいやらしい気持ちになれますか?」なんて絶対訊けない。
もちろん、イリヤさんに相談することもできない。恥ずかしすぎる。
とはいっても、誰かに相談するなら、それは当事者であるイリヤさん以外にいないのだろうな、ということは重々承知している。
もし、婚約者が純粋な人族だったら、こんな悩みを抱くこともなかったのだろう。
そう思うことはあっても、わたしは人族と獣族、両方の血を引くイリヤさんが大好きだ。彼が目指している人族と獣族の融和を実現させるための助けになりたい。
そのためにも、発情期のことはいったん脇に置いて、勉強を頑張ろう。
決意を新たにして、教室を目指した時だった。よく知る人物が向こうから早足で歩いてくるのが見えたのは。
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