無才改め大聖女 ~狐耳王子は元聖女で婚約者のわたしに甘々です~
畑中希月
第一章 ふたつの種族
第1話 その後の二人と甘い生活
わたしは、時を巻き戻してしまったことがある。
目の前で命を落とした想い人を、無意識に助けようとしたために。
そんなことができたのは、わたしが百年に一度の魔法の天才だかららしい。
わたしは殺されかけたことがきっかけで強大な魔力に目覚め、時魔法と呼ばれる禁断の魔法を使い、時間を半年分巻き戻した。そして、想い人の死にゆく運命を変え、副産物として戦による祖国の窮地を救うことに成功したのだ。
その結果、想い人の死の直後に死ぬはずだったわたしは彼の手を取り、続きの人生──あと数か月で十九歳の誕生日を迎える今を生きている。
今日は、わたしと彼が一年前に出会い直した日だ。
城館の長い廊下を歩いていたら、腰まで届くひとつに束ねた銀髪を揺らしながら進む、背の高いうしろ姿を見つけた。
頭には先端に黒毛の交じった、狐によく似た三角形に近い銀の耳が生えている。長い上着の裾からは同じ色合いの尻尾が覗いていた。こちらは狐の尻尾ほど太くも長くもなく、むしろ狼のそれに似ている。
わたしは思わず駆け寄っていた。
「イリヤさん! 休憩ですか?」
彼が振り返った。切れ長の金の目が優しく細められる。
「ああ。ちょうどお前を呼びにいかせようと思っていたところだ。一緒に茶でも飲むか、オデット」
「はい!」
それを目当てにイリヤさんの姿を捜していたわたしは、声を弾ませた。彼に駆け寄ると、めいっぱい頭をもたげ、その美麗な顔を見上げる。
彼と婚約式を挙げ、正式にこの城館で同居するようになってから二か月がたつ。
その前からイリヤさんとは、この城館よりもずっと小さな彼の家(今は別宅になっている)で同居していたので、そこまで新鮮味はない。そうはいっても、家が大きくなった分、顔を合わせる機会は前より減ってしまったから、こうして一緒に過ごす時間はとても貴重だ。
国王陛下のただ一人の孫であるイリヤさんは、
公爵になったあと、自ら領地を治めるようになったイリヤさんの毎日は多忙を極めた。
彼は自分が王族だと分かるまでは傭兵隊長をしていた。わたしたち
イリヤさんは国王陛下の許可を得た上で人族と獣族が共生していけるよう、様々な改革に乗り出している。もちろん、わたしも未来の王子妃にして公爵夫人として、協力は惜しまない。
ただ、イリヤさんが頑張りすぎて体調を崩さないか心配だ。彼はまだ二十四歳だし、傭兵をしていただけあって頑健だ。それでも、大きすぎる負荷がかかれば、ぽっきり折れないとも限らない。
「オデット、俺の顔に何かついているか? さっきからじっとこちらを見つめているが」
わたしは思考を中断して首をぶんぶん横に振る。今日もイリヤさんは眉目秀麗で、白い肌にはシミひとつない。
前は長い銀髪を下ろしていて、少し野性的だった。
身だしなみに気をつけるようになって髪をひとつに束ねるようになった今も、いかにも王子さま! といった感じでとても凛々しい。身にまとった黒い詰襟の上着が、彼の精悍さをさらに引き立てている。
本当に、容姿が十人並みのわたしなんかが婚約者でいいのか、と首を捻ってしまうほどだ。
もっとも、イリヤさんはわたしのことを「オデットは可愛い。その大きな緑色の瞳も、光を浴びて輝きながら波打つ栗色の髪もとても綺麗だ」と言ってくれるし、最近は色々な人から「お美しいですね」と褒められることも増えたかもしれない。
後者は社交辞令のような気もするけれど。
ともかく、わたしは動作に続けて答えた。
「イリヤさんが頑張りすぎているから、その、ちょっと心配で……」
イリヤさんはきょとんとした表情をした。一瞬の間を置いて、芸術品のように端麗な顔がほころぶ。
「俺のことを心配してくれるのか。ありがとう」
……イリヤさん、婚約する前から優しかったのに、最近甘さが三倍増しになっていませんか。
わたしは顔を赤らめながら、一緒にお茶を飲むためにイリヤさんのあとについて居間に入った。イリヤさんとお茶を飲んだり、少し話がしたい時に使う部屋で、奥に置かれた長椅子を含む調度品は、彼の趣味で派手すぎず落ち着いている。
広い部屋の中に丸テーブルを挟んで置かれた、座り心地のよい椅子に、向かい合って座る。うしろにつき従う侍女のポーラ・エルディーがその脇に控えた。
卓上の呼び鈴を鳴らしたイリヤさんは、すぐに現れた執事にお茶とお菓子を持ってくるように告げる。
「オデット、勉強のほうはどうだ?」
この国の王室に嫁ぐ、とある職業に就いていた女性は婚約中、婚家でお妃教育を受けるというしきたりがある。こうしてイリヤさんと暮らしていられるのは、その恩恵だ。わたしはお妃教育はもちろん、公務や政務、執務の授業も受けている。
「はい、イリヤさんの妻になるためですもの、どれも頑張っています。特にお妃教育の授業は、筋がいい、と先生たちからも褒められるのですよ」
「ほう。やはり前職で礼儀作法を身につけたからか?」
「それもあると思いますけれど、礼儀作法以外も『まるで一度、どこかで学ばれたことがあるような出来映えです』って」
「そうか……」
イリヤさんは笑顔を消して黙り込んだ。
まずい。余計なことを言ってしまった。わたしは内心で慌てる。
実は、お妃教育に関しては時間が巻き戻る前に半年間だけ受けたことがある。その頃のわたしはイリヤさんの叔父に当たる元王子の婚約者だったからだ。その元王子は敵国と通謀した罪で、今では収監されている。
前の時間軸でイリヤさんの命を奪い、わたしを殺そうとしたのは彼だったので、正直いい思い出ではない。とはいえ、その経験のおかげでお妃教育はすんなり進んでいた。
当時は未来だった現在は大きく変化し、前の時間軸の出来事はなかったことになっている。でも、確実に一度経験したこととしてわたしの中に残っているのだ。
イリヤさんはわたしが時を巻き戻したことも、前の時間軸での出来事も全て知っている。
わたしが他の男性の婚約者だったことをイリヤさんに思い出させてしまうなんて……。
「オデット、手をテーブルの上に乗せろ」
突然のイリヤさんの声に、わたしは考える間もなく言われた通りにする。
すると、イリヤさんは白いテーブルクロスの上に乗せたわたしの手に大きな手を重ね、指を絡めてきた。
嬉しい。嬉しいけれど、今はポーラの目がある。視線が痛い。
羞恥に顔を真っ赤にしていると、イリヤさんが身を乗り出し、美麗な顔を近づけてきた。近い!
イリヤさんは危険な笑みを浮かべる。そう、まるで目の前の獲物は自分だけのものだと主張する狼のように。イリヤさんは耳元で囁いた。
「忘れたか? 今日は俺たちが初めて出会った日だ。つまり、お前が生まれ直した日と言っていい。よく覚えておけ。お前の婚約者は俺だけだ」
「は、はーい……」
わたしはどもりながら、こくこくと頷いた。
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