赤くて、茶色くて、黒い。
高校を卒業し、晴れて大学生になった。岳海蒼丸揃って上京。
東京に来たからって、事務所に入ったからといって、仕事が入ってくるわけではない。
周りの大学生と同じように学校に通い、大学で仲良くなった仲間と一緒に、可愛い女子と仲よくなりたいが為に、旅行サークルにまで入った。
岳海蒼丸の活動はネットへの動画投稿から、纏まった長期の休みに事務所所有の劇場での舞台公演とシフトチェンジした。
大学も楽しい。岳海蒼丸も楽しい。俺の生活は充実していた。
岳海蒼丸の他のメンバーはと言うと……。拓海は、東京に降り立った瞬間にオーディションを受けまくった。どんな役柄だろうが、どんなに出番が少なかろうが、そんなのは全く気にせずに我武者羅にチャンスを掴みに行った拓海は、ポツリポツリと単独の仕事を取ってくるようになり、三番手でドラマに出たりもするようになった。
蒼ちゃんは、高校時代に動画撮影時にしていた赤髪が相当気に入っていたらしく、大学に入った途端に髪を大好きな赤に染め、以後黒く戻すことはなかった。
そんな蒼ちゃんは、シナリオコンクールに送った脚本がグランプリを獲り、それが深夜ドラマになって高視聴率を叩きだし、脚本のオファーが次々と舞い込んできた。蒼ちゃんがなりたがっていた、【監督兼脚本家兼演出家兼編集】のうちの脚本家の部分は、早々にして叶えた蒼ちゃんを流石だなと思う。だから蒼ちゃんは岳海蒼丸の活動でしか表舞台には出なくなった。まぁ、岳海蒼丸の舞台でも、相変わらず早々に死んでしまうのだけれど。
マルオは、蒼ちゃんの推薦で、蒼ちゃんが書いた脚本のドラマに、役者ではなく美術として参加しだした。元々物作りが得意なマルオは、美術の仕事が楽しくて仕方がない様子。なのでマルオも岳海蒼丸の活動以外では裏方メインだ。
俺以外は、岳海蒼丸以外の仕事も積極的にしていたが、岳海蒼丸の仕事さえちゃんとしていれば事務所にとやかく言われなかったこともあるし、個人の仕事がしたい‼ という気持ちも特になかった俺は、焦ることも全くなく、なんなら大学で彼女を作り、みんなに遅ればせながらも大人の階段を上ったりしていた。
三人が単位を取るために必死で仕事を調整している最中、合コンに行ったり旅行したりな俺。
俺と他の三人との間に距離が出来てしまっていることは、気付いてはいたが、ちゃんと見ようとしなかった。だって、相変わらず岳海蒼丸は仲が良く、岳海蒼丸以外の仕事もすべきだよ‼ などと言ってくるヤツもいなかったから。
能天気に過ごしていたことを後悔したのは、大学を卒業してからだった。
「卒業おめでとーう‼ 蒼ちゃん以外。かんぱーい‼」
リビングに四人が集まり、音頭を取る拓海の右手に持たれた酒入りのグラスに、
『かんぱーい‼』
蒼ちゃんとマルオと俺が勢いよく、各々のグラスをぶつけた。
グビグビと喉を鳴らせて美味しそうに飲酒する蒼ちゃんに、
「イヤイヤイヤ、キミ。卒業出来てないやん」
左手の甲で蒼ちゃんの胸を軽く叩き、ベタにツッコむ。
「だから、三人のお祝いだよ。俺の卒業祝いは9月に改めてやってね」
蒼ちゃんが「いいじゃんいいじゃん」とグイグイ飲み続ける。
「『拓海のことは、八年掛かっても卒業させますから』って俺の親に宣言してたくせに、俺が四年で卒業で、自分は留年て」
拓海が蒼ちゃんを指差してケタケタ笑った。拓海は酒好きではあるが、あまり強くない。すぐに顔が赤くなり、いつも1番初めに酔っぱらう。
「まぁ、蒼ちゃんは一番忙しくしてるからね」
マルオが「頑張ってるもんね、蒼ちゃん」と蒼ちゃんの肩を抱くと、「マルオー‼」と蒼ちゃんがマルオに抱き着いた。
世間一般的には露出が多い拓海が忙しそうに見えただろうが、実際は蒼ちゃんの仕事量がダントツに多かった。脚本依頼は途切れることがなく、事務所から『岳海蒼丸の舞台は今回は見送ろう』と追われるほど多忙だったにも関わらず、蒼ちゃんは『優先順位は岳海蒼丸が一位。舞台が流れるくらいなら、脚本の方を断る』と言って、岳海蒼丸の仕事もキッチリこなしていた。
『岳海蒼丸が一位』。これは拓海もマルオも俺も一緒だった。
拓海は岳海蒼丸の舞台と重なる仕事の依頼が来た時、かなり魅力的な役柄のオファーだったのに、『それでも蒼ちゃんの脚本の方が面白いから』とアッサリ断った。
マルオも岳海蒼丸の舞台期間は他の仕事は入れなかった。
俺は……他の仕事などなく、必然的に岳海蒼丸が一位になっていただけだが、仮にあったとしてもみんなと同じ気持ちだったと思う。
俺らにとって岳海蒼丸の活動は、盆と正月に必ず帰る実家的な感覚で、やるのが当然。ないと淋しい存在になっていた。
大学を卒業しても、誰一人として『シェアハウスを出る』と言い出さないほどに、俺らの仲は相変わらず良かった。
『誰だ⁉ 勝手に俺のプリン食ったのは‼』的なしょうもないケンカは多々あれど、これと言った大きなぶつかり合いもない、俺らの暮らし。
さすがに三十歳まで続くとは思わないけど、ずっとこんな楽しい生活が出来たらいいなと思う。
「つか蒼ちゃん、九月で卒業する気でいるけど、出来んの?」
拓海が一人だけ卒業出来なかった蒼ちゃんに絡む。
「不吉なこと言うなよ」
蒼ちゃんが、拓海に鼻息を荒げながら、グラスに酒を足して口の中に流し込んだ。
「だって蒼ちゃん、秋からの二クールぶっ通しのドラマの脚本の依頼受けたんでしょ?」
マルオが「つか、俺らと飲んでていいの?」と、酒を飲む蒼ちゃんの手を止めた。
「受けたねぇ。……無理かなぁ? 九月卒業も無理かなぁ⁉」
蒼ちゃんは、「俺、いつになったら卒業出来んの?」と嘆きながらも「今日は三人のお祝いだから飲んでもいいの‼」と酒を飲むのを止めようとしなかった。
蒼ちゃんには仕事がたくさんある。拓海とマルオにも決まっている仕事がいくつもある。何もないのは俺だけ。
俺は、周りの人間が就活を始めた時に、『岳海蒼丸の仕事があるから大丈夫』と言ってやらなかった。
年に一、二回しか舞台に出ていなかったくせに、事務所に所属していたがばっかりに、変な安心感を持っていたから。
それが不安に変わるのに、そう時間は掛からなかった。
「おはよー、蒼ちゃん。今日も学校行かないの?」
時刻は午前十一時。リビングに行くと、蒼ちゃんが一人でパソコンをせっせと打ちながら脚本を書いていた。拓海とマルオは仕事に行っている様子。
「おはよー、がっくん。てかほぼ昼だけどな。つか、全然学校に行けない。やばいー。九月卒業したいのにー」
今日も仕事が忙しい蒼ちゃん「くそー」と言いながらも指は動かし続ける。
リビングにいないで自室でモクモクとやった方が捗るんじゃない? と思うが、蒼ちゃんはずっと同じところで作業をするのは気が滅入るらしく、リビングに来たり図書館へ行ったりカフェで仕事をしたりする。気分転換も出来るし、アイディアも湧き易いらしい。
「仕事があるだけいいやん」
それに比べて俺は、卒業してから1ヶ月、全く仕事をしていない。ニート同然。というか、ニートだ。
「がっくんは、何かやりたいこととかないの?」
蒼ちゃんの目には、俺がやりたいことを見つけていないから、ニートをしている様に映っているのだろうか。
やりたいことはある。岳海蒼丸の舞台。でも、俺以外の三人はそれ以外の活動がある。岳海蒼丸の仕事以外で、何をすれば良いのか。自分に何が出来るのかが分からないんだ。
「いいよな、みんなは。仕事があってさ。俺には何のオファーもない」
「だって俺ら、がっくんが大学生活を謳歌している最中、めっちゃ必死に自分を売り込んでたもん。それが今に繋がってるわけであって、何もしてないがっくんが俺らと同じ様に仕事があったら、ちょっと癪だわ」
蒼ちゃんの言葉は、素直な感想で悪意はなかったと思う。でも、『大学時代に怠けてたお前が悪い』と言われている様で、ちょっと苛立ってしまう。
先週末、大学時代の仲間と飲んだ時に、『仕事だるい』『先輩ウザい』等と愚痴る、新社会人として働く彼らが凄く羨ましく、何もしていない自分が恥ずかしくなった。
『俺は芸能事務所に入っている。俺だってちゃんと社会人だ』と自分をニートと認めずに、みんなと同等であることを装って、『へぇー』なんて相槌を打ちながらその場を過ごしたが、飲み会の帰り道は奥歯を噛みしめながら歩いた。
「こんなことなら……」
俺からふと零れた言葉に、蒼ちゃんが眉毛をピクっと動かし、目の色を曇らせた。だから続きを言うのを辞めた。
『こんなことなら、就職しておけば良かった』。
蒼ちゃんは売れっ子の脚本家。俺が言おうとしていた台詞など、お見通しだっただろう。
就職しておけば……。それは本心と言えば、本心。でも、『本心です』と言い切れるほどのものでもない。
岳海蒼丸でいたかった。だから就職活動をしなかった。でも、社会の落ちこぼれになりたくもなかった。分かっている。社会を甘く見ていた自分が悪い。
後悔というものは、前を向くことも上を見ることも困難にさせ、『どうしてあの時……』と戻れない過去を振り返らせる。後ろ向きで卑屈な俺は、
「……ごめんね、がっくん」
蒼ちゃんに謝らせてしまう。
岳海蒼丸で活動しようと言ったのも、事務所に入ろうと言ったのも、東京に行こうと言ったもの、蒼ちゃん。蒼ちゃんは、俺の苛立ちを自分のせいだと思っているのだろう。
違うのに。感謝しているのに。岳海蒼丸での楽しい時間は、蒼ちゃんのおかげなのに。
「ごめん、蒼ちゃん。八つ当たりしてごめん。みんなに嫉妬して自暴自棄とか、ダサいよね」
苦笑いのような、空笑いのような、変な笑顔を浮かべると、
「……がっくん。俺、提案があるんだけどさ。やりたくなかったら無視してくれて全然良いんだけど」
蒼ちゃんが仕事の手を止めて、俺の顔を見た。
「何?」
「俺さ、岳海蒼丸の舞台のナレーション、いつも拓海じゃなくてがっくんにお願いしてるじゃん。何でだと思う?」
蒼ちゃんは、何故か提案ではなくクイズを出してきた。
「拓海の出番が多すぎるから?」
「だったらマルオに頼んだっていいじゃん」
素直に回答してみたが、外れていたらしい。
「がっくんの声は通るから。がっくんは声が凄く良い。だから、声の仕事をしてみたらどうかなって思うんだ」
自分の声の良し悪しは分からないが、蒼ちゃんの言う通り、俺の地声は大きい方ではないのに、内緒話が周りに聞き取られてしまう声質をしているのは確かだった。
コソコソ話が出来ない自分の声を、俺はあまり好きではなかったが、蒼ちゃんは俺の声を『凄く良い』と言ってくれた。
なんだかとても嬉しくて、変な自信が沸いてくる。
「……声の仕事かぁ。教育番組とかでナレーションしたら、親とか滅茶苦茶喜ぶだろうな」
入ってもいない架空の仕事の話で、喜ぶ家族の笑顔を思い浮かべていると、
「事務所にお願いしてボイスレッスンしてもらえば? がっくんは声は良いけど、テクニックがない。今オーディションを受けに行っても本場の人には敵わない。でも、土台を作って実力つけてから勝負したら、がっくんは無敵だと思う。それくらい、がっくんの声は本当に良いから」
少しだけ出てきた俺のやる気を見逃さなかった蒼ちゃんが、力強い言葉で俺の背中を押した。
「……ボイスレッスンかぁ。どうせ時間有り余ってるし、いいかもね」
頷きながら蒼ちゃんの案に乗っかると、
「頑張れ、がっくん」
蒼ちゃんが嬉しそうに笑った。
「俺、ちょっと黒田さんに相談してくる」
早速マネージャーさんに電話をしようと、自分の部屋に戻ろうとした足を止め、
「ありがとうね、蒼ちゃん」
俺の声を褒めてくれたこと、仕事のアドバイスをくれたことのお礼をすると、
「なんだよ、もう」
蒼ちゃんは、恥ずかしそうに少しだけ頬を赤くした。
髪の毛が赤い蒼ちゃんがほっぺたを赤らめてしまうと、頭部全体が赤くなってしまう為、『なんかトマトみたいだな』と心の中で笑いながらリビングを出た。
それから半年、岳海蒼丸の舞台を挟みながら、ボイスレッスンに通い続けた。
『ナレーションの仕事をしてみたい』と始めたボイスレッスンだったが、マネージャーに『折角だから歌も上手い方がいい』と言われ、最近は中学の合唱コンクールの時に先生に言われた『つむじから声を出せ』という、無理な上に理解不能な技の習得を再度試みている。
『口は顔の下の方にくっついているのに、どうやってつむじから声を出すんだよ。不可能だろ、物理的に』と頭を悩ませながらも、レッスンは楽しく続けている。
ダメ元でナレーションのオーディションもいくつも受けているが、箸にも棒にもかかっていない。
ちなみに蒼ちゃんは、九月に卒業出来なかった。
「蒼ちゃん、三月には卒業出来そうなの?」
久々にシェアハウスに岳海蒼丸が揃った夕食時、九月卒業を逃してしょんぼり気味の蒼ちゃんの顔をマルオが覗いた。
「する‼ ……したい」
卒業する気は満々なのに、今や超売れっ子脚本家の蒼ちゃんには学校に行く時間がなく、自分だけ仕事がなく焦っていた俺と同様に、自分ひとりが学生であることにストレスを感じている様子の蒼ちゃん。
「宣言からの願望」
弱気な蒼ちゃんの発言を笑いながら、拓海が「よしよし」と蒼ちゃんの肩を抱いた。
「がっくんは? 最近どう? ボイスレッスン、いい感じ?」
マルオが今度は俺に話を振った。
「レッスン自体は楽しいんだけどねー、なかなか仕事に結びつかないねー。この前受けたオーディションも多分ダメだろうなー……ん?」
マルオと話をしている時に、テーブルに置いていたスマホがブルブルと震えた。
「黒田さんからだ」
スマホのディスプレイに表示されたマネージャーの名前を確認し、スマホを耳に当てる。
「……え。本当ですか⁉」
マネージャーの言葉に目を見開く。驚きすぎてマネージャーの話があんまり頭に入って来ない。放心状態のまま電話を切ると、
「がっくん、どうした? 何かあった?」
ボーっとしたままの俺の腕を、マルオが心配そうに揺すった。
「……決まったって。ディラン」
「……は?」
俺の謎の言葉に、マルオがさっきとは違う意味で俺を心配そうに見た。
「……【ゴシップハウス】っていう海外ドラマのディラン役の吹き替え、俺に決まったって」
マネージャーからの電話は、以前にマネージャーに『いい声してるし、舞台経験もあって演技だってそこそこ出来るんだから、声優のオーディションも受けてみない?』と勧められて何となく受けたオーディションの合格の知らせだった。
「【ゴシップハウス】って、アメリカでめちゃめちゃ人気のドラマじゃん‼ 今、シーズン3まで放送してるんだっけ? ディランって主役の親友役だよね? ほぼほぼ毎回登場するじゃん。あっちのドラマって、人気が出ると何シーズンも作るから、がっくん安泰じゃん‼ しばらくは仕事がなくなる心配ないじゃん‼ やったね、がっくん‼ おめでとう‼」
俺とマルオの話を聞いていた拓海が、俺にハイタッチを求めてきた。
「すごいじゃん、がっくん‼ 今日からディランじゃん‼ ディッくんじゃん‼」
蒼ちゃんも俺の手を取ると、
「ディッくーん‼ 良かったねぇ‼」
マルオが俺に抱き着いてきた。
「ありがとう。つか、ディッくんじゃねぇ、がっくんじゃ‼」
三人にツッコミを入れつつも、三人が喜こんでくれたことが、オーディションに受かったことよりも嬉しかった。
「これは、お祝いするしかねぇな。酒とつまみを買に行かねばならんな」
蒼ちゃんが「今日はがっくんのお祝いだから、拓海とマルオと俺でじゃんけんな」と拳を前に突き出した。
「お祝いはするしかねぇ。酒も飲むしかねぇ。しかし、雨が降っている。故に、言いだしっぺが行くべき」
拓海は買いものに行くのがだるいらしく、蒼ちゃんにおつかいを押し付けようと、じゃんけんを拒否。
「じゃあ二人で行こうか、蒼ちゃん。その代わり、蒼ちゃんの卒業祝いの時は拓海とディッくんに行ってもらおうね」
マルオが拓海に「しょうがないなぁ、もう」と言いながら、立ち上がった。
「行くか、マルオ。つか、俺の卒業祝いなんていつ出来るんだよー」
蒼ちゃんも嘆きながら立ち上がり、財布をケツのポケットに突っ込んだ。
買い出しに出て行こうとする二人に向かい、
「お洒落に生ハム食いたい」「ちょっと高めのチーズも忘れないで」
拓海と俺とで注文を口にすると、
「黙って待ってろ」
蒼ちゃんは『買う』とも『買わない』とも言わずに、マルオとリビングを出て行った。
蒼ちゃんとマルオを待っている間、拓海と色んな話をした。
初めは仕事の話をしていたのだが、モテまくる拓海が最近出会った面白い女の話をし出すと、後半はその女の話題のみとなり、腹が千切れそうになるほど笑った。
拓海に『この話、蒼ちゃんとマルオにはした?』と聞くと、『まだしてない』と言うから、早く二人にも聞かせたくて、時計を見ながらまだかまだかと二人の帰りを待った。
……が、なかなか帰って来ない蒼ちゃんとマルオ。
「遅くね? どこまで買い物に行ってんだ? あの二人」
若干待ち草臥れ気味の拓海。
「電話してみるか」
スマホを手に取り、マルオに電話を掛けてみた。何コールかして、もうそろそろ留守電に切り替わりそうというところでマルオが電話を取った。
「遅ーい。何してんの? 今、どこ?」
『……今、病院』
しゃくり上げながら泣くマルオの声は、とても聴き辛かった。
「……え。なんで」
『……蒼ちゃんが……轢かれた』
電話の向こうで呼吸も儘ならないほどに泣くマルオ。
「すぐ行く。待ってろ」
電話を切り、拓海に『蒼ちゃんが轢かれた』とだけ伝えると、二人で傘も持たずに家を飛び出した。大通りまで走り、タクシーを捕まえ、乗り込む。
タクシーの中で、拓海がマネージャーに電話を掛け、蒼ちゃんが轢かれたこと、自分たちも病院に向かっていることを話した。
「……蒼ちゃんの怪我、酷いのかな。マルオ、泣いてたんだよ」
マネージャーとの電話を切った拓海に話し掛ける。
「マルオは物事を深刻に捉えがちだからなー。案外たいしたことないかもよ。でも、骨とか折れてたとしたら入院だよね? 蒼ちゃんの着替えとか持って来れば良かったな」
拓海が、「俺自身も家族も入院したことないから、何が必要か分からんなー。タオルと歯磨きと……あとは?」と俺に蒼ちゃんの入院準備の相談をした。
「確かに。マルオはちょっとネガティブなとこあるもんな。まぁ、目の前で人が轢かれたらビックリして泣くのも無理ないか」
拓海の言葉に、ソワソワしていた気持ちが少し落ち着き、『エロ本もいるんじゃね?』と、冗談を返す余裕が出来た。
病院に着くと、救急外来の待合室の椅子に、上半身を倒して震えながら座るマルオが見えた。
「マルオ‼」
拓海と一緒にマルオに駆け寄る。
ゆっくり頭を上げたマルオの顔は真っ青で、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。
「……蒼ちゃん……ダメだった。……蒼ちゃん、死んじゃった」
震える唇で歯をカチカチさせながら、やっとの思いで吐き出したマルオの言葉が、全然飲み込めない。
「……は?」
【人が死ぬ】ということは勿論理解している。でも、【蒼ちゃんが死ぬ】というのは心が、頭が受け入れを拒否し、現実味がなさすぎてマルオのように泣けない。
「……嘘だよ。何言ってんだよ、マルオ。俺は騙されないからな。蒼ちゃんの顔を見るまで信じない」
拓海に至っては、血の気の引いた顔面で、変な笑顔を作っていた。
何がどうなっているのか、何をどうしたら良いのか分からず、三人の間に沈黙が流れた。
どのくらいそうしていたかは分からないが、暫くすると事務所の人間が蒼ちゃんの家族を連れて病院にやって来て、マルオは事情聴取の為に、マネージャーに付き添われて警察へ行った。
目の前で、知っている人たちが沈痛な面持ちながらも、忙しなく動いている。
何も考えられなくなってしまった頭で、その様子をボーっと眺めていると、
「……ドラマを見てるみたいだ。よくあるよね、こういうシーン。これ、現実に俺たちの身に起こってることなの?」
俺と同様、【蒼ちゃんが死んだ】なんて到底信じられない拓海も、他人事のように人々の流れをただ見ていた。
そんな俺らの目に、霊安室から戻り、泣き崩れる蒼ちゃんの家族の姿が飛び込んできた。
立つことも儘ならないほどに嗚咽する蒼ちゃんのお母さんの背中を、鼻を真っ赤にして泣く花さんが摩っていた。
拓海がふいに蒼ちゃんの家族の方に歩いて行くから、俺もその後を追う。
「……蒼ちゃんに、会いたい。会わせてください」
拓海が、まだ会話が出来そうな花さんに話し掛けると、
「見ないであげて。見ないであげて」
ハンカチを握りしめた蒼ちゃんのお母さんが、頭を大きく左右に振った。
「……元気な蒼ちゃんだけ覚えておいて欲しい。楽しそうに笑う蒼ちゃんだけを……」
母親の気持ちを汲んだ花さんも、蒼ちゃんとの面会を断った。
結局蒼ちゃんに会うことは叶わず、事務所の人間に送ってもらい、拓海と俺は岳海蒼丸のシェアハウスに帰った。
事務所の人の話によると、買い物をし終わった帰宅途中に、飲酒運転の車がマルオに突っ込んできたらしい。マルオを庇って蒼ちゃんが、轢かれてしまったとのこと。
現場を目の当たりにしたマルオは、精神的に不安定になっている様で、実家に帰らせたとのこと。
翌日見せてもらった現場写真には、散乱するお酒と、拓海が食べたがっていた生ハムと、俺の好きなチーズが映っていた。
蒼ちゃんの遺留品の写真には、その日蒼ちゃんが来ていたTシャツも映っていた。白かったはずのTシャツは、蒼ちゃんの血で、赤くて茶色くて黒くなっていた。
蒼ちゃんは、脚本家としては有名だったが、岳海蒼丸の舞台以外は表に出ることはなく、世間一般的には拓海の方が名前が通っていた。
でも、拓海が所属するグループのメンバーということで、蒼ちゃんの死は大きくニュースに取り上げられたが、蒼ちゃんの家族の希望で、蒼ちゃんの葬儀は報道陣完全シャットアウトの非公開で執り行われることになった。
蒼ちゃんの死を実感することのないまま着々と葬儀の日取りが決まり、久しぶりに実家に帰ると、葬式に出たことのない俺の為に母が礼服を用意してくれていた。
礼服に袖を通しても、これから行く場所が蒼ちゃんのお通夜であるという実感が全く湧かない。
涙を拭う為にと母が多めにハンカチを持たせてくれたが、俺はあの日から一滴も涙を流していない。
蒼ちゃんの死が、信じられないとか、信じたくないというよりは、ずっと悪い夢を見ているだけの様な気がして、しっかり起きている自覚はあるのに、ちゃんと生活出来ていない感覚で、何もかもが覚束ない。
蒼ちゃんの通夜と告別式が執り行われる会場へ行くと、拓海が丁度受付で名前を記入しているところだった。
「……昨日、寝られた?」
拓海の隣に行き、俺も氏名を書き込む。
「薄情なほど、普通に寝られた。ご飯もしっかり食った。親友が死んだっていうのにな。でも、全然ピンとこないんだよ。ニュース見ても、余所事みたいでさ。全然悲しくならないんだ。葬式したら、悲しくなるのかな。……何か、怖いな。蒼ちゃんが死んじゃったこと、実感するの怖いな。……違う。怖いというより、嫌だ」
拓海の言葉に、自分が何故蒼ちゃんの死を実感出来ないのかを気付かされる。
そうだ。俺は蒼ちゃんの死が悲しい以前に、嫌なんだ。
受付を済ませて中に入ると、花さんが親族の席に座っているのが見えた。
拓海と一緒に花さんの元へ行き、
「この度はご愁傷さまでございます」
花さんにとっては今日何度も耳にしただろう言葉を口にした。
俺らを見上げる花さんの目は泣き腫らしていて、抜け殻の様に見えた。
蒼ちゃんと花さんの姉弟仲は、羨ましいほど良かった。最愛の弟を失ったというのに、正常でいろというのは、無理な話だろう。
「お気遣いありがとうございます」
それでも花さんは、形式的に挨拶を返してくれた。
「……あの。やっぱり蒼ちゃんの顔を見せて頂くことは、出来ませんか?」
あの日、『蒼ちゃんに会いたい』と懇願していた拓海が、今日も『蒼ちゃんの顔が見たい』と懇願した。
蒼ちゃんを愛しているのは、花さんだけではない。
拓海にも、マルオにも、俺にとっても、蒼ちゃんは大切な存在だ。
「おいで」
花さんが蒼ちゃんの棺の方へ歩き出した。その後を拓海と歩く。
「見て」
花さんに促されて、棺を覗く。
「……え」
思わず拓海と目を見合わせる。
病院で蒼ちゃんの母親が『見ないであげて』と泣き叫んでいたから、原型を留めていないくらいに損傷しているのかもしれないと覚悟をしていたが、蒼ちゃんの顔は、とても綺麗だったのだ。
「エンバーミングしてもらったの。血色も良くて、ただ眠ってるだけみたいに見えるでしょ」
花さんが愛おしそうに蒼ちゃんの赤い髪を撫でた。
「……俺らも触っていいですか?」
やっと会えた蒼ちゃんの肌に、どうしても触れたかった。
「もちろん」
花さんが快諾してくれたので、拓海と一緒に蒼ちゃんの頬に手を添えた。
「……あったかい。蒼ちゃんのほっぺ、あったかい」
拓海が何度も手を往復させて、蒼ちゃんの頬を撫でた。
「凄いよね、エンバーミングって。冷たくならないんだって。父はね、『綺麗な顔で見送ってもらえて良かった』って言ってたけど、母はね……。『こんなに綺麗なのに。あったかいのに。本当に死んでいるの? 寝てるだけなんじゃないの? 起きて起きて』って、母にとっては蒼ちゃんのこの綺麗な姿は残酷だったみたい。ますます受け止められなくなっちゃったみたいでさ……。人を弔うって、難しいんだね」
蒼ちゃんを見つめる花さんの目から、大きな涙の滴が蒼ちゃんの額に垂れ落ちて、花さんが「ごめんごめん」と言いながら、蒼ちゃんの額広がる涙を親指で掬い取った。
「マルオくんは……?」
花さんが、まだ姿を現していないマルオを探す様に、受付の方に視線を送った。
「ちゃんと来ますよ。マルオ、蒼ちゃんのことが大好きだから、来ないわけないです。……ただ、マネージャーの話だと、起き上がれないくらいにショックを受けている様で……」
拓海「蒼ちゃんの顔を見ずにお別れなんて、マルオはそんなことしませんよ、絶対」と、花さんの背中を摩った。
あれから拓海も俺も、何回か岳海蒼丸のグループLINEでマルオに『大丈夫」か?』『落ち着いたか?』と呼びかけたが、既読は1。マルオと蒼ちゃんの既読はつかないままだった。
マルオは絶対に来ると分かっていてもやはり心配で、俺も受付を見つめながらマルオの姿を探した。
目を細め、受付を通る人々を見ていると、両肩を事務所の人に支えられ、なんとか歩行しているマルオが受付にやって来た。
受付を済ませると、足元をふらつかせながら歩くマルオを連れた事務所の人間が、俺たちの方に向かってきた。
蒼ちゃんの棺に辿り着き、蒼ちゃんの顔を見たマルオは、
「ごめんねごめんね、蒼ちゃんごめん。ごめんなさいごめんなさい。俺の為にこんなことに……。なんで俺を助けたりしたの。死んじゃだめだよ‼ 蒼ちゃんは死んじゃだめなんだよ‼ 俺が死ねば良かったんだ。嫌だよ、蒼ちゃん。戻って来て……」
膝から崩れ落ち、額を床に付けて何度も謝りながら慟哭した。
「何言ってるんだよ、マルオ‼ 悪いのはマルオじゃない。マルオは何も悪くない‼ そんなこと言うな‼」
拓海が、悲しそうに悔しそうに奥歯を食いしばって、マルオの肩を抱き寄せた。
慰めるように、俺もマルオの頭を撫でた。
哀傷するマルオに、何て言葉を掛ければ良いのか分からない。だって、蒼ちゃんを失ったのは俺も同じだから。
「蒼ちゃんが亡くなったことを悲しんで泣くのはいい。でも、自分を責めて泣かないで」
花さんが床に膝を付け、マルオに話し掛けた。
しかしマルオは、顔を上げることも出来ずに、俯いたままだった。
「蒼ちゃんね、本当に三人のことが好きで好きで堪らなかったんだよ。『岳海蒼丸は俺のもうひとつの家族。結婚してないのに、二つ目の家族が出来ちゃった』って言ってたんだよ。マルオくんを助けたのは、蒼ちゃんにとって当然のことだったんだよ。多分、頭より先に身体が動いてたんだと思う。自分のこととか後先なんか考えてなかったんだと思う。マルオくんが無事で良かったって、喜んでるはずだよ、蒼ちゃんは。……自分の弟をこういうのも何だけど……いい子なの。蒼ちゃんはとっても良い子なの。なのに……。飲酒運転する奴なんかに何で蒼ちゃんが殺されなきゃいけなかったの……。誰もマルオくんが悪いなんて思ってない。憎いのも許せないのも、お酒を飲んで車を運転した人間だけ」
花さんが「こんなに悔しいことってあるんだね」と、慰藉というより、分かち合おうとマルオに言葉を掛け続けた。
「……蒼ちゃん。こんなの嫌だよ……」
花さんの言葉に、マルオが涙の量を増やした。
マルオは通夜の最中も隣でずっと泣いていて、【涙を拭く】という作業にすら気が回らないのか、涙だけではなく鼻水までも垂れ流しの状態で、それらが全て滴り落ちた膝は、そこだけ色が変わっていた。
親友が死んだというのに、どうしても泣けない俺は、母から持たされていた未使用のハンカチで、マルオの顔やら濡れた礼服やらを拭ってやると、
「ごめんね、がっくん。俺がもっと早く車に気付いてたら……。俺が……。俺のせいで……。ごめん。ごめんなさい」
マルオは、俺が拭き取った場所に、再度涙を流した。
マルオは、周りに『違う』と言われても、自分を責め続けていた。
通夜が終わると、マルオはまた事務所の人に連れられて実家に帰って行った。
ひとりで立っていられないほどには憔悴していない拓海と俺は、一緒にタクシーに乗って各々の実家へ帰ることに。
二人共、しばらく無言で窓の外の景色見ていた。岳海蒼丸の、中・高時代の風景が蘇る。
喉の奥がツンとするのは、懐かしさに切なくなったからなのか。これから作る思い出に蒼ちゃんがいないことへの哀しみなのか。未だに判別出来ないほどに、心が現実を受け止めようとしていない。
「……明日が蒼ちゃんに会える、最後の日……なんだよな」
拓海が確認するようにポツリと零した。
「……うん」
蒼ちゃんの死をどうしても受け付けたくない俺たちは、心が現実に追いつかない。
それなのに蒼ちゃんは明日、火葬される。
実家に着くと、礼服を脱ぎ、そのまま風呂へ。頭と身体を洗い、湯船に入ってボーっとする。
何も考えられないとか、何も考えたくないとかではなく、信じたくない現状に取り残され、置いてきぼりにされた様で、途方に暮れてボーっとする。
蒼ちゃんが明日、灰になる。骨になる。……何それ。有り得ない。有り得ないことが明日起こるのかと思うと、怖くて仕方がない。
俺は明日、絶望に打ちひしがれてしまうのだろうか。
それなのに、風呂から上がり、部屋に戻って久々に中学・高校時代の写真を見ると、楽しかった記憶が次々と蘇り、笑ってしまった。
蒼ちゃんが死んだというのに、泣きもせずに笑う俺は、どこかおかしいのかもしれない。
翌日、蒼ちゃんの告別式に出るために昨日と同じ会場へ。
マルオは相変わらず泣いていて、拓海は今日も涙を見せない。
粛々と告別式は執り行われ、蒼ちゃんは火葬場に運ばれて行った。
蒼ちゃんがいなくなった会場の外に出て行く拓海の姿が見えて、なんとなく後を追う。
拓海は上を見上げて空を眺めながら立っていた。
「拓海」
声を掛けると、
「いい天気だね。綺麗な青空」
拓海が眩しそうに目を細めた。
「そうだね。綺麗な青だけど、青は蒼ちゃんじゃなくて、拓海のイメージ」
拓海の傍に行き、一緒に空を見つめる。
「お前らが勝手に俺に押し付けたイメージカラーね。まぁ、蒼ちゃんって言ったら赤だもんね」
拓海がフッと息を吐いて笑った。
「俺昨日さ、動いてる蒼ちゃんにどうしても会いたくなって、ネットに上げっぱなしだった中・高時代の動画を見たんだよ」
拓海が空を見るのを辞め、俺の方を向いた。
「俺はその頃の写真見た」
「そっか。動画のコメント欄、すごいことになってたよ。蒼ちゃん、物語上で必ずすぐに死んでたじゃん。だから『自分で死亡フラグ立ててたんだ』って言われてた」
何も面白くなさそうに笑いながら話す拓海。
「何ソレ」
面白くない話を聞かされた俺も、当然全く面白くない。
「蒼ちゃん、泣きの演技が出来なかったがっくんに『俺が死んでるのに、何で泣けないんだ‼』って言ってたけど、がっくんが正解だったね。俺ら、泣いてないもんな」
「泣きたいわけじゃないけど、泣きたくないわけでもないんだけどな。泣かないからかな、色んなことが消化出来ない」
モヤモヤとして重く苦しい胸の内を拓海に話すと、「分かるよ」と拓海が俺の背中を摩った。
「コメント欄の人たちはさぁ、所詮他人事なんだよな。大盛り上がりだったよ。ご冥福コメント祭り。あと、『自分も大切な人を失って~』っていう長文の自分語りね。他人のコメント欄で自分のことを長々話すって何のつもりなん? 全然悲しんでないよな」
笑顔を歪ませながら拓海が話を続ける。
「俺たちに『自分もこういうことがあったから分かるよ』って共感してるんじゃない?」
「がっくんだったらする? 俺らみたいな状況の人間のコメント欄に行って、自分語りする?」
「イヤ、しないけど」
「だろ? 変なポエム書き込んでるヤツもいたし、名言の吐き合いもしてたわ。『人は二度死ぬ。一度目は肉体が死んだ時。二度目はみんなに忘れ去られた時。だから絶対忘れない。蒼ちゃんを二度も死なせない』んだって。加えて中二病を炸裂させた創作話とかね。『蒼ちゃんは人の五倍速で生きただけ。私たちが出来ないこと、いっぱいやってたじゃん』ってさ。『神様は綺麗な花を選んで摘む』とも言ってたわ。慰めのつもりなんだろうけど、自分に酔いすぎてて引く。大体、『絶対忘れない』って言い合わなきゃ忘れられるヤツなんか、その程度の人間なんだろうし、蒼ちゃんが五倍速の人生なら、何も経験することなく生まれて間もなく死んじゃった赤ちゃんはどう説明するの? 綺麗な花だからって、何も悪くない人間の命を摘むヤツって、それ神様って呼べる? 更には『悲しくて言葉が見つからない』ってさ。見つからなければ黙ってればいいのに、言葉が見つからないことをコメントしなきゃ気が済まないって凄いよな。そういうヤツに限って、言葉が見つからないってコメントの後にしっかり文章書き込んでるんだよ。『いっぱいあるじゃん、あなたには。誰も求めてないコメントが』って思う。そもそも『言葉が見つからない』って、コメントを求められた人が言うセリフじゃん? 極め付けに、『岳海蒼丸は三人になってしまうけど頑張って欲しい』ってコメントに『四人です』『蒼ちゃんは辞めてません』ってムキになって返信してる人がかなりいてさぁ。俺だって岳海蒼丸は永遠に四人だと思ってるけど、見た目の数が変わってるのに四人っていうのはおかしいし、こんな時にそんなことを意見し合ってるのかと思うと心底げんなりした」
そして、溜息を吐く拓海。
「俺らが泣けないみたいに、人によって悲しみ方だって違うんじゃないの? 悲しいからこんな時にそんな話をしたのかもよ。拓海こそ、こんな時にそんな話するなよ。ますます泣けなくなる。イラっとしただろうが」
膝で拓海のケツを軽くど突くと、
「俺じゃない。蒼ちゃんが言ってたの」
拓海が「やめろ」と言いながら、右手で俺の脚を払った。
「……は?」
「半年くらい前に、蒼ちゃんが好きだったバンドのボーカルが死んじゃったじゃん。その時、そのバンドのコメント欄を見ながら言ってたんだよ。『死んだらコメント欄がこんなことになっちゃうんだな。おちおち死んでらんないな』って。……なのに、何をおちおち死んでるんだよ、蒼ちゃん」
その時、拓海の目から一粒地面に落ちた。
「……あ、涙出た。ヤバイ、止まらん。やっぱ悲しいんだ、俺。蒼ちゃんがいなくなったこと、辛いんだ。どうしよう、がっくん。苦しい。あの日、俺が買い物を面倒くさがらないで行ってたら……じゃんけんしてたら、あの時間に蒼ちゃんがあの場所にいることもなくて、蒼ちゃんが死ぬこともなくて……生きてたはずで……蒼ちゃん、まだ途中だったのに。夢、全部叶えてなかったのに。大学だってまだ卒業出来てなかったのに」
拓海の目から次から次へと涙が零れだす。
「拓海まで自分を責めるなよ。拓海は何一つ悪くないだろ!!」
拓海の肩を摩っていると、遠くで灰色の煙が立っているのが見えた。
「……あれ、蒼ちゃんかな」
「……蒼ちゃんだろうね」
拓海と一緒に空へ上って行く煙を見つめる。
「……普通に灰色なんだな」
ボソっと零すと、
「……え?」
拓海が泣きながら俺の顔を見た。
「蒼ちゃん、普通じゃないから。天才だから。赤が好きだから。もしかしたら赤い煙出すんじゃないかと思ってさ」
言いながら、俺の目からも涙が出た。やっと泣けたことに、少しホッとしながらも、辛くて苦しくて、息もし辛い。
「……そんなわけないだろ」
拓海と一緒に声を上げながら泣いた。
蒼ちゃんの葬儀が終わり、四十九日を過ぎた後、俺たちは四人で住んでいたシェアハウスを出た。
蒼ちゃんがいなくなり、マルオはあれから精神的にも体調面でも崩れてしまい、実家に引きこもってしまった為、事務所の人間に『二人で住むなら、新人に部屋を譲って欲しい』と言われたからだ。
四人で岳海蒼丸である俺らが、『じゃあ、拓海と俺とで住もう』とはならず、それぞれ別のマンションに引っ越した。
岳海蒼丸は、蒼ちゃんの脚本あってのグループだった。『これから岳海蒼丸はどうするのか?』という事務所との話し合いがもたれた時、拓海は『もちろん続ける。存続以外の選択肢はない』と言い切った。当然俺も拓海に同意。二人でマルオの帰りを待つことにした。
が、マルオの復帰はもしかしたら相当な時間を必要とするかもしれない。最悪、このまま辞めてしまうかもしれない。
蒼ちゃんの四十九法要の日、青白い顔をしてうつろな目をしながら蒼ちゃんの遺影を見つめていたマルオに、拓海が『蒼ちゃんの為に前を向いて頑張ろう』と鼓舞すると、マルオは『前ってどっち? どの方向が前なの? 俺はずっと蒼ちゃんの背中を追って進んでた。俺の前にはいつも蒼ちゃんがいた。俺にとっての【前】は蒼ちゃんだった。俺は、どこに向かって行けばいいの?』と身動きが取れない苦しい心の内を話した。
答えに窮した拓海は『一緒に探す。急かしてゴメン。ゆっくり行こう』と、マルオに岳海蒼丸の活動再開を促すのを辞めた。
拓海と俺は蒼ちゃんが大好きで、マルオはそれに加えて、蒼ちゃんを慕っていた。
『こんな楽しい生活が出来ているのは、蒼ちゃんが俺を岳海蒼丸に入れてくれたおかげ』と言い、事務所に入る際に、蒼ちゃんも拓海も俺も本名で登録したのに、『俺は蒼ちゃんが付けてくれたマルオって名前が好きだし、マルオって呼ばれるようになってから、楽しいことばっかりだから』と、マルオだけ芸名で活動していた。
それほど、マルオにとって蒼ちゃんの存在は大きかった。
そんなマルオを待つと宣言した拓海は、相変わらず精力的に働いている。『蒼ちゃんがくれたチャンスだから、足を止めたくない』と言っていた。
蒼ちゃんの四十九日の日、拓海が事務所の人から聞いた話を教えてくれたのだが、高二の時に事務所にスカウトされたのは、俺ら四人ではなく実は蒼ちゃんだけだったらしい。それを、『四人で活動させてください』と蒼ちゃんが頼み込んだらしいのだ。
『蒼ちゃんが俺らに最後に言った言葉、憶えてる? 『黙って待ってろ』だよ。俺は待つ。マルオのことも、蒼ちゃんのことも待つ。ずーっと待つ。だから、岳海蒼丸は絶対に無くさない』と拓海は、岳海蒼丸の活動を心待ちにしながら、毎日芝居に磨きをかけている。
俺はと言うと、オーディションに受かった海外ドラマの吹き替えを、予定通り頑張っている。声優をやるのは初めてだから、失敗ばかりで落ち込んだりもするけれど、オーディションの合格を喜んでくれた蒼ちゃんの笑顔を思い出しては、自分を振るい立たせている。
声優の仕事の初日、拓海から【結局がっくんの合格祝い出来てないね。ごめんね。頑張れ、ディッくん】というLINEがきた。マルオも【頑張れていない俺に言われたくないかもしれないけど、応援してる。俺もがっくんの声が好き】とLINEしてくれて、心が折れそうになる度にそのメッセージを読んでいる。
蒼ちゃんに見せたかったな。どこかで見ていてくれないかなと蒼ちゃんへの想いは募るばかりで、悲しみも収まる気配がないけれど、仲間のおかげでなんとかやって行けそうだ。
仲間は本当に大事だ。だから何がなんでも、岳海蒼丸は死守する。
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