第157話 (閑話)何皇太后、臨朝称制す

何太后は割と人生に満足していた。


なにせ市井の平民の家から皇帝に嫁ぎ、激しい競争の末に宋皇后は廃位、王貴人は毒殺して競争相手を排除。

男の子(弁)を産み、漢家こうしつの後継ぎの母として皇后の位を得た。


私生活でも、夫である霊帝は若くて活発に政治に取り組んでいた、また資金集めに長けていて倉は銭で溢れんほどだ。

また閨のほうでも何太后を満足させるだけの力量を備えていた。


皇后は仕事なので、何太后に恋愛という概念は薄い。しかし金があっても枯れ果てた老人や男ですらない宦官、果ては若くとも財産のない貧乏人に嫁ぐことを考えれば、財産があり若く元気いっぱいの皇帝に嫁ぐことができたのはつくづく幸運だったと思う。


残念ながら、霊帝は32歳の若さで亡くなってしまったが、そのお陰で息子の弁は新帝として即位。

何太后も若くして皇太后として、漢土の女性として考えられる最高の地位を得ることができた。


この権限があれば天下万民から尊ばれ、また贅沢の限りをつくして残りの人生を楽しむことができるだろう。

天下に女性は多くとも、最高級の人生であり、これ以上望みえない素晴らしい人生だと言える。



しかし、だからこそ、完璧に満足できていない部分に不満がある。




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何太后の前に三公首相九卿大臣を始めとする文武百官が並び、次々に報告を行う。


「新田開発についての報告は以上です」

「よきにはからえ」


「次の報告です、先帝陛下の埋葬につき……」

「よきにはからえ」


何太后が次々と裁決を行う。しかし難しいことはさほどない。漢朝は官僚制帝国である。


各担当からほさかん九卿だいじんに上げられる途中で政策は練りに練られ、ケチのつけようのないものに仕上がっている。

国の仕組みとして皇帝の決裁を必要とするだけの話である。


そして、新帝が先帝の服喪をしている間、何太后が皇帝代理として臨朝称制せっしょうをしているのだ。



たしかにやろうと思えば政治にいろいろ口出しをしたり、新規の政策を始めることもできるが、実際には海千山千の官僚や老練な三公九卿を説き伏せる必要がでてくる。そしてそれは何太后のやりたいことではなかった。


一刻も早く息子に代わってほしい、と思いながらも彼女なりに国を良い状態で息子に渡すべく、分からないなりにできるだけ話を聞いて裁決をしている。




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「これ!なぜ、妾を朝議に出席させぬのですか!」

だから、こういうのは純粋に迷惑である。


文句を言っているのは霊帝の母親である董太后である。


「義母上のお手を煩わせるほどのこともございませんわ」

「妾が出席してあげると言っているのです!分からない子ねえ?!」


董太后の目的は分かり切っている。董太后が以前にまだ若い霊帝の代理で政治を取っていた時期は官職をどんどん売りさばいて私腹を肥やすことしかしていなかった。

新帝がやりやすいようにできるだけ手を付けずに渡したい何太后にとって、董太后のゴリ押しは純粋に迷惑だった。


「横柄なこと!そんなに兄が偉いとでも思ってるのかい?驃騎将軍に命じてすぐにでも首を取ってこさせていいのだよ?」


一体このお婆さんは何を言い出すのだろうか。何太后は兄である何進などほとんど頼っていない。何皇后が信頼しているのは宦官の張譲と趙忠だし、新帝が服喪を終えるまでの我慢と思って嫌々政治をしているだけなのに。


「横柄などと誤解させてしまい申し訳ありません、失礼します」


何太后は義理で挨拶に来ただけなので、適当な言葉を述べて早々に董太后の元を立ち去った。




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何太后は兄である何進は殆ど頼っていない。


「おお、太后殿下。さっそくだが宦官を誅滅する作戦についてだな」

「またですかお兄様」


なぜならば、どうにも変な思想にかぶれていて話が通じないからだ。


たしかに、名士を集めて派閥を作った時からそのようなことを言うときもあった。しかし、ここまで頑固ではなく、弟の何苗とともに政治は適当にやりすごして贅沢して暮らそうということで兄弟一致していたはずなのだ。


それが、こんなに宦官紂滅にこだわるようになったのはここ1-2年の話だ。よっぽど宦官が嫌いな名士の意見を吹き込まれたのだろう。何苗とも喧嘩別れしたと言う。


「兄さま、宦官を使うのは漢家故事こうしつのでんとうで廃止できません。それに先帝が崩御されたばかりというのにそんな物騒なことをやる時期ですか」


宦官が全滅したらいったい誰が皇帝一家の服を選んだり、食膳をそろえたりしてくれると言うのだろうか。宮中の行事も手順や準備の仕方もわからず、何もできなくなってしまう。


そもそも贅沢がしたくて一族で団結して出世してきたのに、なぜ名士にあれこれ吹き込まれて一族の和を乱し、安逸な生活を支えてくれる宦官を滅ぼさないといけないのか。


何太后は割と人生に満足していたが、義母と兄には不満が一杯だった。




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ということを何太后はすべて宦官にぶちまけている。


「まったく、本当に妾は頭が痛いわ」

「おお、なんということでしょう。太后殿下のご心労、我ら心底ご心配申し上げます」


そう答えた大宦官張譲チョウジョウの痩せた顔の中で、ただ目が鋭く光っていた。

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