第156話 (閑話) 遊牧民族と董卓

漢土かんのくにの北方には広大な荒野ゴビが広がる。

荒野のあちこちにある草地には遊牧民が住み着き、馬や羊を飼って暮らしている。


この遊牧民たちであるが、大きく分けて、鮮卑センピ烏桓ウガン匈奴キョウドという民族に分かれている。


中原が複数の国に分かれて争っていた戦国時代から、漢の時代にかけて匈奴が草原を制覇していた。

匈奴は朝鮮や遼東から西域にまで支配地を広げ、中原の帝国と何度も争っていたが、漢の征伐を受けて弱体化した。

そのため匈奴は南北に分裂して南匈奴が漢朝に従属、漢と南匈奴は連帯して北匈奴を攻撃し、北匈奴はちりじりになって消滅した。


鮮卑と烏桓はもともと東胡トウコという同民族であったが、東胡トウコが匈奴に征服され滅ぶとその旧民が鮮卑山と烏桓山に集い、匈奴に服属した。

匈奴が分裂し弱体化するとそれぞれ匈奴を攻撃して勢力を増した。

その後、鮮卑は匈奴に変わって草原を支配し、たびたび漢土を侵した。

烏桓は漢に従属して幽州遼東郡から并州朔方郡にかけての地域に居住し、匈奴や鮮卑と戦っている。



ただし気まぐれな遊牧民の常で、烏桓や匈奴が漢に攻め込んだり、鮮卑も一部部族が漢に雇われたりすることもあり極めて流動的である。

しかし、おおむね漢に従う烏桓と匈奴と、漢と対立する鮮卑の戦いということで落ち着いていると言っていいだろう。


 ― ― ― ― ―



「む、鮮卑の大人が降伏を願っているか……」

「ああ、匈奴の攻勢が激しく、このままだと滅亡すると判断したのだろうな」


涼州北地郡富平県。黄河が几の字型に折れ曲がっている左のノの字の真ん中ほどにある土地で、乾燥地帯だが西の山脈が砂嵐を防いでくれるため、黄河の水を引いての農業ができており、漢の拠点の一つとなっている。


そこに数多の天幕てんとをたてて、漢軍の騎兵が駐屯している。

その天幕の一つで大きな黒いヒゲをはやした太った初老の男と、浅黒く日焼けした白髪の武人が話し合っていた。

涼州の護羌校尉対羌族司令官の董卓と并州の護匈奴中郎将対匈奴司令官の丁原だ。


「匈奴なぁ……劉豹リュウヒョウの部族か」

「ああ、あれは強い。使えるんだが……どうにも不安だ」


丁原は腕組みをして告げる。


漢に反抗的な鮮卑の討伐は順調で、大人ぞくちょうがつぎつぎと死んだり討たれたりしている。負けて困窮して無理な略奪を行い討伐されてさらに困窮する悪循環にある。

その討伐の主力が匈奴の左賢王おうじ於夫羅オフラの子、劉豹の部族だ。

まだ若いにもかかわらず豊富な鉄製の武具を装備した鉄騎と呼ばれる精鋭兵を多数従えている。

河伯教団と取引しており、餅乾くっきーやら、蛋糕けーきやらといった珍しい食材で部下をもてなし、士気が高い。


匈奴は黄巾の乱で使い潰されるなどで部族の不満が溜まっており、反乱寸前にまで追い込まれていた。しかし劉豹が鮮卑に対して勝つことで、武勇と利益を見せつけ、各部族をまとめ上げ勢力を大きく伸ばしている。



「あのまま劉豹が勢力を伸ばし、草原に敵がいなくなればそのうち漢に逆らうのではないかと思っておる」

「だから、鮮卑の降伏を容れるべきではないと?」


太った初老の男、董卓が問い、丁原が頷く。


異民族に対する漢の基本方針は「以夷伐夷ばんぞくどうしたたかえ」である。

異民族対策の主力は異民族の軍を使うし、異民族がまとまって繁栄しているならば分裂させて争わせるように仕向ける。


そういうことばかりしているから辺境は常に戦争つづきで落ち着かないのだが、漢の将軍は異民族と戦わないと手柄にならないので誰も気にしてはいない。


董卓が丁原の懸念もわかるがと言いつつ発言した。

「しかしなぁ、鮮卑が降伏となったら新帝陛下の代替わりにこれ以上のお祝いはないぞ?」


異民族が従属を表明する。これは皇帝の徳の高さを示すのにうってつけなのである。

たとえ実際には剣で脅されていたとしても、今まで敵対していた民族が皇帝の徳を慕って挨拶にきました、というのは歴史書にも残るし後世の評価が高くなる。


董卓の意見もそれはそれで正しい。


丁原が答える。

「じゃあどうする?鮮卑を味方につけて匈奴を討伐するか?」

「いやいや、匈奴はまだ反乱してないぞ?!」

「反乱してからでは遅いと思うが……」


丁原はあくまでも今までの方針どおり、異民族を適切に刈り取る仕事をしようとしている。

しかし、董卓としても於夫羅の一族は昔からの友好関係にある。

さらに劉豹が完全に漢の敵に回ったら、吹っ切れて董青を誘拐しに来る可能性すらある。


辺境で無駄に戦争を起こそうとする方針自体を変更しないとまずい。


「うーむ、いずれにしても今までの北方政策が大きく変わることになるので、我らだけの判断では難しかろう。どうだ、ここはお互いに朝廷に意見を送るということで」

「それは確かにそうだな」


董卓の提案に丁原が頷く。鮮卑が完全降伏するとなったら確かに百年に一度のできごとであるし、朝廷で方針を決めてもらうべきであろう。


納得した丁原が退出した後に、董卓は思案をはじめた。


このまま放置していては今までの方針どおり伸びてきた匈奴を叩けという方針が朝廷から出かねない。

なんとか朝廷で、できれば新帝劉弁に直接説明したいところではあるが……。


将軍として任地にある以上、勝手に任地から離れて帰還しては処罰の対象になってしまう。

何か口実がほしいものだ。


 ― ― ― ― ― ―



そんな折に、董卓のところに密使が飛び込んできた。


「董将軍、驃騎将軍董重さまから上洛の指示が」

「はぁ?なぜワシに?」

「董将軍は驃騎将軍と同姓で同族であるゆえ、お力をお借りしたいとのことです」


董卓は素早く思案した。董一族と何一族で争っているのは知っている。

董卓と董皇太后派閥は今まで別に関係はなかった。声をかけてきたのもそれこそ姓が同じ程度でたいした理由はないだろう。


しかし、ちょうど上洛の理由を探していた時に丁度いい口実にはなる。

あと……


「ワシが兵を率いて上洛したら、宦官と名士派閥がきっと怯えるじゃろうな……」

董卓はもともと宦官が嫌いである。そして大事な大事な娘の董青を襲撃した名士派閥はさらに嫌いである。


特に何かするつもりはないが、ビビらせればとても気分がすっきりするだろう。


「よし!上洛じゃ!」


董卓は部下の騎兵に進軍を指示した。








※後漢書/卷16 鄧訓伝

 鄧訓が羌と戦っていた時、月氏族が羌に攻撃された。

 「夷をもって夷を伐つといいます、放置しましょう」という部下に対し鄧訓は「そんなことだから漢は信用を失うのだ」といい、月氏族の妻子を城に入れて守った。月氏族は感激し、勇者数百人が鄧訓に従い戦った。

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