第138話 (閑話)裏切者の視点1

※不良中年の賈詡視点です



「ふふ、公明さん?」

「なんでしょうか、青さん……」


若い夫婦がふたり、中庭の床几いすに座って微笑みあっている。

董青と徐晃だ。


とても幸せそうな、ただ理想的というにはちょっと女性が偉そうな夫婦だが、この二人の場合はこれが自然だろう。



古代人らしく賈詡は女性全般を少し下に見ている。女性が上位や対等というのは漢初の呂后が暴れまわった例もあり、世の中でもあまり好ましくは思われない。


ただ、董青だけは別だ。


董青はまぁ見た目が少年っぽいと言うのは置いておいても、凡百の男では足元にも及ばないほどの英雄である。むしろ今の漢でも最高の人間ではないだろうか。


この世の中の問題点には皆がなんとなく気づいてはいる。しかし漢朝の問題点と課題と解決法について、確信をもって因果関係まですべて把握している人間はいない。皇帝でも三公でも将軍でもそうだ。ただ一人、この少女のみが分かっており、しかも全力でそのために動いているのだ。


賈詡は改めて思う。


世の中を拗ねて宦官を皆殺しにすれば問題がすべて解決するなどと甘く見ていた自分が恥ずかしい。


世界はもっと複雑だった。そしてその問題の解決のためには、天下万民のための政治が行われ、天下万民が幸せでないと天下は治まらないという当たり前の事実を改めて認識したのだ。誰か悪いやつをぶっ殺したから問題が解決するなどということはない。



そして董青は、賈詡の主君はその正しい道を進めるためにすべてを犠牲にして自分が苦しむ。というありきたりな英雄ではなかった。


皇后になるという天下の誰もが望むであろう幸せを董青は選ばない。自分の幸せと自分の伴侶を自分で選び、父にもそれを認めさせた。董青にしかできないことだ。


(問題は解決する、そして自分は一人の女としても幸せになる。どちらも諦めない)


「あの、子供の数なのですが、公明さんはどうおもいます?」

「……僕はたくさん産まれると嬉しいけど、青さんが大変なら無理しなくても……」

「そ、そうですよねー、あまり多いとその、お正月とかにぎやかすぎて」

「僕、家族や親戚が少なかったから……にぎやかなお正月ってやったことが…」

「あ……増やしましょう!親戚増やしますよ!」

「無理しなくていいですよ?!」


わちゃわちゃと子供の数について議論をしている二人を見て思う。


天下国家のことを論じるときに、すぐ自分を捨てるとか、家族を顧みないとか言ってそれで立派だとするのはおかしいのではないか。天下万民が幸せになると言うとき、それは自分も含めておかないとおかしい。そうでなければみんなが幸せではない。



(「ご自宅にも戻りたいでしょう?」)


もちろん、董青は賈詡の家族のことも気遣ってくれた。


(「ご家族もよければ洛陽に呼び寄せてください」)


自分の部下だろうと誰だろうと、幸せになってほしいという気遣いにあふれている。



もちろん、敵は殴るが、そこもやりすぎることはない。殴られた分だけ殴り返しているだけだ。一度敵とみればひたすら殺しつくすような戦狂いではない。


この主君の優しさや、幸せを求める姿勢が賈詡はたまらなく好きであった。この主君のためなら全力で働ける。そして自分も家族に自慢できる人生を送れるだろう。



(というわけでだ。女性にとって結婚は極めて大事なこと。ここでグダグダと主君に面倒を押し付けるのは策謀の士のやることではない)


賈詡はそっと董卓屋敷を離れた。


「それに悪だくみやら陰謀はさび付いた中年男の仕事だな」


賈詡は錆のように頭を覆う若白髪で風を切って颯爽と歩を進めた。



 ― ― ― ― ―



まず、今の問題は何か。


皇后を拒否したことにより弁皇子との協力関係が絶たれそうになっている。

明確な意思表示はどちらからもないが、弁皇子は董卓との面談を避けている。何を言われるかうすうす感づいているのだろう。

ここがこじれて弁皇子と敵対してしまっては董青の政治改革が通せず、天下は安定しない。


次に皇帝廃立問題。いまの皇帝が名士の謀反にあって殺されたり取り換えられたりすると、名士の独裁になって董青の政治改革が通せず、天下は安定しない。しかも放置してきたせいで仲間に取り込んだ劉備が怒っている。


次に名士、袁紹派閥との対立問題。刺客を送りあう仲になっており、まず純粋に董青の生活に負担がかかっており外出もできない。すくなくとも武器をおさめ、睨み合い程度に収める必要がある。


その他にも敵はいるが、喫緊の問題はここだ。


「さて、2,3手でひっくり返せるかな」


賈詡は飄々と呟いた。


 ― ― ― ― ―



弁皇子の住まう道士屋敷。


そこに賈詡は劉備を連れて訪問していた。




すでに董青の結婚式の話は知られている。というか弁皇子付きの宦官の少年がちょくちょく董家屋敷の様子を見に来ている。


なので、董卓が「近況のご報告と今後の相談」として申し込んでいる面会は董青の結婚の報告だとすでにばれている。


劉弁としては大変な衝撃だったし、そんな話は聞きたなくなかった。ただどうしていいかもわからないのでとりあえず面会から逃げ回っている。


そんな折に、「董青の密使です」といって若白髪の中年とやさしい劉叔父さんが尋ねてきたのである。


劉弁は会うことした。



入ってきた若白髪の中年と福耳の青年は丁寧にお辞儀をすると発言の許可を求めた。

弁が許す。


「いろいろとご説明することがありますが、まずは天下の大事から。玄徳殿」

「殿下!おそれながら皇帝陛下を廃する企みがあるんです!」

「なんだって?!」


そして許攸の謀反の計画について説明した。


劉弁は怒り心頭である。


「一刻も早く捕まえよ!」

「殿下、お言葉ですが、現時点では遊侠やくざの情報しかありませぬ。それでは廷尉けいさつを握っている名士たちに握りつぶされましょう」

遊侠やくざの情報しかないって、それ俺が入ってるよな?俺もいれたか?皇族だぞおい」


劉備が文句を言うが無視して続ける。


「ここはそれなりの名士、高官の証言が必要になりましょう。しかし許攸の関係する袁紹派閥は名士の巣窟、あえて証言するものはいないでしょう」

「なんてやつらだよ!」


弁が吐き捨てる。


「そこで、ワシに心当たりがございます。曹操を呼び寄せます」

「曹操が企みの側についていないという証拠はあるの?」

「曹操はわざわざ木鈴さまのもとを訪れ、「難を避けるために病気になる」と申しておりました。何か掴んでおり、巻き込まれたくないと思っているはずです」

「わかったよ、やって」


さて、賈詡としてはこの読みを外すと本当にまずいのだが、ほぼ確実だろうと思っていた。まず曹操は袁紹、許攸両方の友人である。使者のやり取りもある。また曹操が有能なのは董青が保証している。天下一の人物だと言っているのだ。その人間が何か重大なことを掴んでいるとしたら、これしかないだろう。


すでに劉弁の中で名士の印象がかなり悪くなっている。もう一押しだ。



「で、青は?!」

「ご存じの通り、名士たちの刺客により命を狙われました。その時に命を張って董お嬢様を救った徐晃という青年に深い恩義を感じられ、嫁入りされると」


賈詡が淡々と説明すると、劉弁が怒りだした。


「そんなの青の本心じゃない!」

「いえ、わりと熱を上げておられます。董お嬢様が素直で優しくて言い出したら聞かないのは殿下もご存じかと」

「がふっ」


劉弁が咳き込む。


「大丈夫ですかい?!」

劉備が心配そうに劉弁を覗き込んだ。



「あくまで、今は、ですな」

「……今は?」


劉弁が目を開けて賈詡を睨んだ。


「命を救われたので気分が盛り上がっておりましょうが、その気持ちはいずれ薄れることでしょう。で、殿下もご存じでしょうが、董お嬢様の好みは頼れる男です」

「……そうなの?皇后じゃなくて?」


そういう認識だから口説き負けるのだ。と賈詡は思ったが口に出さない。

なんか劉備が奇妙な表情をして冷汗をかいているが無視しよう。


賈詡はつづけた。


「董お嬢様はそのような身分など気になさる方ではないです。あくまで立派な人物で妻として頼れる夫が理想なのです。ただ、今の夫は……」


徐晃すまんな。


「貧乏な家の出で多少の学と武勇はありますが、しょせんは平民で限界があります。さて、それに引きかえ、こちらは漢家の後継ぎたる殿下です。もしこのまま学問と政治を極められ、政治改革を断行して漢朝を立て直し歴史に名を輝かせる名君となられたら、それは極めて頼れる男だとは思いませぬか?」

「……だけど、青はいまその男が」


そこに劉備が割って入った。


「いやいや!もっとも見事に磨き上げられた皇帝の輝きは、いくら平民の男が努力しようと及ぶものではないでしょう。董お嬢様も今は命の危機を救われて好きだと思い込んでいるだけです、ただの恩で愛じゃねえんですよ。少女のころはそういうもんでさ!おちつけば平民の妻と天下の皇后は比べようもなく、しかも皇帝が天下一品の頼れるいい男なら思い直しますって!」


賈詡は苦笑した。わしはそこまで言ってないぞ。


劉備が畳みかけるように続ける。


「それに、殿下の望みは立派な皇帝になれると示してお父君を喜ばせることではないですか。そうして頼れる皇帝になれば董お嬢様の心も得られる。これぞ我一挙而名実両附いっせきにちょうってもんですぜ!」

「そうか!」


劉弁は愁いが一気に晴れ渡ったようにすっきりとした表情で叫ぶ。


寡人ぼくが立派な皇帝になればすべて解決するんだな」

「そうです!」


(立派な皇帝は人妻を奪ったりせんが)

賈詡は思う。

すくなくとも劉弁がやる気になった。これで問題はない。


(まぁ、少年のころはそういうものだ。後宮で多くの美姫を持つようになれば、主公(董青)のような色気のない女のことなどすっかり忘れるだろう)


 ― ― ― ― ―



黙って聞いていた董青が怒りの声を上げる。


「賈詡?誰が色気のない女ですかーーー?」

「はい?あ、そこまで言いましたか?それは内心思っていただけで主公とのには聞こえないはずですが……あいててて?!」


無表情な徐晃に後ろ手をつかみあげられ、賈詡は泣いて謝った。



董青が文句を言う。


「だいたいどうするんですか、弁皇子を焚きつけて。私は弁皇子が名君になっても惚れるつもりも公明さんに捨てられるつもりもないですよ?」

「もちろんです、弁皇子が主公とのに好かれるために立派な皇帝になれば、人の妻を奪うような暴君にはなれません。暴君になれば主公とのに嫌われます。なので、弁皇子が主公とのに好かれるために行動すればするほど、主公とのは安全ということです」

「……何それ、詐欺ですか……?」

「謀略と呼んでいただきたい」


賈詡は胸を張って威張った。



しかしそれは同時に、徐晃が立派な頼れる夫として董青を惚れさせ続けないといけないということでもある。


(わかってるな?頑張れよ徐晃)




・戦国策 秦策 司馬錯與張儀爭論於秦惠王前

 「故拔一國,而天下不以為暴;利盡西海,諸侯不以為貪。是我一舉而名實兩附」 ※一挙両得の語源

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