第125話 (閑話)董卓日記その2

※漢の前将軍 董卓パパ視点です



漢朝の前将軍たいしょう督涼州軍事リョウシュウそうしれいかん董卓トウタクの朝は鶏の音で始まる。


夜明け前、まだ涼州の空気は冷たく乾燥しきっている。


うるさいニワトリの声に促され、董卓がむくりとその巨体をべっどから起こした。


慌てて家奴めしつかいが火のついた石炭団子を持って入ってくる。

房子へやの隅に石炭の火が灯り、少しだけ冷気が和らぐ。


「茶でございます」


別の家奴めしつかいが陶器の器に湯を満たして持ってきた。その中には長沙の団茶を削ったものが浮いており、蓋を開けるとふわっと暖かい湯気と豊かな香気が立ち上る。



董卓は石炭の火にあたりながら、茶をゆっくりと飲み干した。

身体の奥からじんわりと温まってくる。


活動のための熱量を得た董卓は上着を羽織ると中庭に出た。



中庭にはすでに董卓配下の武将の多くが集まっていた。


主公とのさ!お早よごす!」

幽州とうほぐ出身の新入り、徐栄ジョエイが幅の広い身体を揺すって挨拶をする。


続いて牛輔ギュウホ李傕リカク郭汜カクシといった古くからの部下と、張済チョウサイ樊稠ハンチュウと言った新入りが挨拶をする。


「ああ、お早う。では始めるぞ」


董卓が合図をすると、羌族帽をかぶった武人が大声を張り上げた。


「河伯体操、第一!はじめーっ!」


老年と中年がずらっと並んだ董卓軍団の朝は体操ではじまる。




 ― ― ― ― ―




朝の体操を終え、朝食に葱と魚入りの粥をたっぷり食べた董卓は馬場に顔をだした。


董卓軍団の主力、部曲しへいである精鋭鉄騎が槍を構えて的を突き落とす訓練をしている。

馬に乗ったまま固定された的を突くと反動で自分も吹き飛んでしまう。


この時代は鐙が無いのはもう言ったが、この反動に耐えるには極めて高い乗馬技術と、馬の身体を挟む両足の力、そして膂力うでのちからも必要である。



董卓は愛馬にまたがると手戟ほこを構えて馬を走らせ、木でできた的を次々に三つ叩き割った。



次に軽騎兵の訓練に加わる。


軽騎兵の仕事は騎射であり、馬を走らせながら矢を射て的に当てることが要求される。

馬が走ると当然ながら上下に揺れるため狙いを定めるのは極めて難しい。


董卓は愛馬の揺れを全身の肉を震わせながら抑えこみ、左右に振り分けて続けざまに五射した。


四本の矢が藁でできた的に突き立った。


「いかんなぁ、1本も外すとは腕が落ちておる」

「いやいや神業ですよ」


董卓の娘婿の牛輔が苦笑いしながら馬に乗って後に続いた。

なお、彼はなんとかかんとか乱れ打って1本を当てただけである。




 ― ― ― ― ―



午後一杯かかって書類仕事を片付けると、宴会かいぎである。


本日は涼州リョウシュウ刺史そうとく盧植ロショクを招いている大変大事な宴会かいぎとなる。


赴任当初の盧植は董卓が宦官に賄賂をしていると疑っており、董卓が宴会に招いてもけんもほろろに断られていた。


しかし、羌族や月氏族を降伏させ、また涼州と西域交易路の治安維持を強力に行っている仕事ぶりを見てようやく盧植も董卓を見直した。



その後はこうして宴会かいぎに出席し、内政と軍事の政策すり合わせを行っている。





董将軍トウタクどのは老いぬなぁ、何か秘訣でもあるのか?」


董卓の隣の席に座った盧植が酒の盃を上げて問う。


盧植は総白髪ではあるが、八尺二寸189cmの長身であり、矍鑠げんきハツラツたる爺さんである。今年50歳の董卓よりも年は少し上だろうか。



「いやいや、わしも最近は衰えがひどくてのう」


そうはいうが董卓の顔はまるまると艶めいていて精力に満ち満ちている。


つくえに置かれた料理皿には油身抜きの肉。

董卓は娘に食事を気を付けるように言われて以来、脂身を減らし肉と野菜を多く食べている。

体操もしているし、きわめて健康に気を付けている。すでに50歳の董卓にとって娘に身体を気遣われるのは嬉しいので素直に言うことを聞いていた。これ以上健康を強化するためにはそれこそ不老長寿の霊薬である神丹などを得ないといけないだろうと董卓は思っている。まぁ神丹すいぎんは皇帝専用の秘薬であるが。


「そういえば娘から長沙の茶を送ってもらっていてな。これを飲むようにしてから調子がよいぞ」

「それは孝行な娘御だ、羨ましい」

「そうか、では盧使君ロショクどのにもお茶をお分けしよう」


董卓は他人から褒められるとすぐ物をあげてしまう悪い癖がある。今回も董青から送られた茶のほとんどを盧植にあげてしまった。



盧植は茶の礼を言うと、話題を変えた。


「ところで、朝廷では刺史の権限を強化しようとしているらしいな」

「ふむ?何が目的なのだ?」


朝廷では前漢の皇族である九卿だいじん劉焉リュウエンが州刺史を強化して州牧にする案を練っている。


これは涼州の董卓や荊州の孫堅の成功例を踏まえ、地方長官に内政と軍事の両方の権限を持たせ指揮権を統一することにより、地方で続発する反乱への迅速で強力な対応を目指したものである。


またこれにより中央からいちいち反乱討伐軍を派遣しなくてもよくなり、中央の財政負担が減少すると見込まれている。皇帝は後者の効果に興味を持っているようだ。


「そうなればこの老いぼれも涼州を董将軍に任せて故郷に帰れるといったものだ」

「いやいや、わしは涼州出身だから、出身地の涼州牧リョウシュウそうとくはいかんだろう。それにわしの部下はご覧のとおりの武力馬鹿ぞろいで、内政をしろなどと言われても困る。ここは兵法に詳しい盧使君ロショクどのに任せてわしが領地に戻る」

「羌族が恐れておるのは董将軍の威名だぞ?それにこの老いぼれよりも若い董将軍に引退されては天下の損失ではないか」


などと仕事を押し付け合っているが、現在の涼州は高名な儒者である盧植が厳しく官吏を指導して賄賂や横領を減らし、余計な労役や追加の税をなくして民の生活を安定させている。また董卓が羌族や月氏族を大人しくさせ、盗賊を退治しつくしたおかげで商人の行き来が増加している。

これらにより河伯教団や西域の生産物がひろく交易され、すべてがうまく回っていた。




そのころ、宴席の端の方では李傕と郭汜が羌族帽をかぶった武人に絡んでいた。


「おー!新入り、今日の体操の号令は良かったで!」

「そうダ、そうダ。では褒美に一杯飲メ」


「こら恐縮です。それでは、関西出身、バトウ寿成ジュセイ飲みますで!」

「飲め飲めー!」


羌との混血である馬騰が盃を飲み干すと周囲から歓声があがる。




董卓軍団の中年連中の盛り上がりを初老の董卓と盧植は苦笑いしながら眺めていた。




 ― ― ― ― ―



寝る前に董卓は洛陽の董青からのてがみを読んでいた。


董青はいつもの論理だった長い説明の末、弁皇子の即位が天下安定のために必要であるとして、弁皇子擁立のために董一族としての支持を頼んできた。最悪の場合は兵を率いての武力行使も必要だと考えているらしい。


「よろしいのですか?洛陽の政争に巻き込まれるのでは?」


牛輔が懸念を表明する。

当然の懸念ではあるが。


「いや、構わんぞ。返信は委細分かった、茶が無くなったからくれでいいか」


董卓は牛輔の懸念を取り合わない。

牛輔が食い下がるが、董卓はあっさりとこういった。


「自分の義理の息子になる男を支援するのは当然であろう」

「そんなことが書いてありましたか?」

「書いてなくとも、ここまでくれば青も自分が皇后になるしかないとわかっておろう。それに宦官や外戚を排除して董一族で支援するのに、弁皇子が董青を受け取らないなどというわけもない」


「あの子はまた結婚というと嫌がると思いますが」

「来年はもう青も15でもう結婚を真面目に考える年だ。いや、少し考えればわかるだろう。未来の皇后だぞ?」

「たしかに」


なるほど。董青にも利益しかない。

皇后になることを嫌がる女性など漢土にいるわけがないのだ。

まぁ徐晃ジョコウが董青に懸想しているようだが、あれは身分が違うからわきまえているだろう。


牛輔は納得したが、一つ思い出した。


「ところで、匈奴の右賢王オフラ殿からまた董青を匈奴の嫁に迎えたいとの使いが来ておりますが」

「またか。……いや於夫羅オフラ殿の子の妻なら、未来の匈奴の単于だいおう閼氏こうごうではあるが……漢の皇后と、匈奴の閼氏こうごうではな?」

「ですなぁ」

「決まりだな」


董卓と牛輔も決心している。一族を上げて弁皇子を支援し、外戚となるのだ。

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