第126話 (閑話)劉宏(霊帝)その1 

※漢の皇帝 劉宏(霊帝は死後の称号)視点です




「建寧元年正月、トウ太后および竇武トウブ大将軍は解瀆亭侯(劉宏)を迎える。新帝が即位して改元した」


まだ若い皇子、劉弁リュウベンが竹簡を読み上げる。


現皇帝の劉宏リュウコウはそれを黙って聞いていた。

今読ませているのは自分の即位の時の経緯である。


ただの地方の侯爵だった劉宏が大将軍の竇武に呼び出されたのは12歳の時。先帝である桓帝の竇皇后がそのまま太后になり、竇太后の父である竇武が大将軍に就任していた。


劉宏にとっては義理の母と義理の祖父ということで尊ばないといけない。しかし皇后も大将軍も血もつながっていない他人が偉そうにしている朝廷で、劉宏は継子扱いされ非常に居心地が悪かった。


劉宏に実権など何もなく、母親の董夫人も太后を名乗ることを許されなかった。



「外戚の竇武は大将軍として政権をほしいままにせんと欲し、宦官を嫌う党人と結託し、参内して竇太后に『ただの召使が政権を握るのはおかしい、皆殺しにして朝廷を清めよう』と提案した。竇太后は『漢朝が始まって以来宦官と共にあったのに、罪があるものはともかく皆殺しなんて』と反対なさりました」


劉弁がどこかで聞いたような展開を読み上げる。


「竇武は諦めず、ついに皇帝を廃位して宦官を皆殺しにしようと太后に上奏した。宦官の報告により皇帝がそれをお知りになると、皇帝は德陽殿に入られ抜刀して反乱の鎮圧を命じられました」


(あの時は無我夢中だったな)


劉宏が過去を思い出す。皇帝にしてやるから田舎から出て来いといわれて、出てきたらその大将軍が謀反である。意味が分からない。

12歳の少年である。感情のままに剣を振り回していたのだけを覚えている。


「竇武は北軍歩兵営このえへいから数千人を動員して『宦官が謀反した、殺せ』と叫んだ。これに対し宦官は張奐チョウカン将軍に北軍五営このえの兵を与えて討伐させた。宦官が兵に『禁兵このえへいが謀反人に従うな!下れば褒美があるぞ!』と呼ばわらせると、竇武の兵は次々と降参した。ついに竇武は自殺し、反乱をたくらんだ党人は罰を受けた」



……


劉弁は竹簡を読み終えた。


いったいこの記録を読んで何をしろというのだろうか。


劉弁は自信なさげに父の表情をチラチラと伺いながら考えた。

今の大将軍は母の兄の何進だ。


そして何進の周りには宦官討滅を叫ぶ袁紹ら過激派が集まっている。

しかし母親の何皇后は宦官を殺そうなどと考えていない。


(父さんは、寡人ぼくが即位したら、同じことが起きると言いたいのだろうか?)


……



現皇帝、劉宏がゆっくりと口を開いた。


「宦官が権力を持っていることにグダグダ文句を言うやつは多い。しかし、本当に危険なのは外戚と名士きぞくどもだ。歴史をあまりさかのぼらずとも、王莽オウモウ梁冀リョウキと皇位を奪ったり、皇帝を気軽に殺すようなやつらばかりだ。それに引き換え宦官はだな」


劉宏が一つ間を開けると、言葉をつづけた。


「宦官は幾ら権限を持とうが幾ら財産を積み上げようが、皇帝にとって代わることだけはない。だから宦官を使う」


名士名族というのは、口では儒教だ、忠義だ、仁義だと言っているが、その実彼らが求めているのは自分たちの一族の利益であり、権力の拡大であると劉宏は思っている。

そして彼らが最終的に目指すのは皇帝位だ。


儒教を立派に学んで名声が高い人物がでてくれば、名士たちはすぐに寄り集まってそいつを押し上げようとする。王莽はそうやって王朝を奪って漢を一度滅ぼした。


それに引き換え、宦官が皇帝になるなどと言っても誰が従うものか。宦官の養子ですら名士たちが臭い臭いと言って避けるぐらいだ。宦官や宦官の子孫が皇帝になんてなれるわけがない。



「だから、母の一族も、皇后の一族も名誉だけで政権は与えていない。何進の周りの馬鹿どもも出世などさせん。おまえも宦官をきちんと使って上手くやれ。まぁ、まだまだ先の話だが」


劉宏が言いたいのはそれだった。

もう、皇太子を弁にするのは決めてある。


母の董太后がうるさいが、もう年だ。あと5年10年もすれば死ぬ。

そうなれば立派に成人した弁を皇太子にたてればいい。協も利発だからよく兄を支えるだろう。




想えばバタバタと反乱を鎮圧して即位して以来、大変だった。先代の桓帝は色狂いで采女よめが五千人というとんでもない人間で、後宮の経費がかさみ、結果として劉宏が継いだ時には国庫はすっからかんだった。


急いで宦官と一緒に売官を進めて銭集めをしたものの、儒教に反するということで、太学だいがくの名士が文句ばかりいう。劉宏は宦官に命じて太学だいがくの儒教学生を黙らせ、儒教以外の人材を登用しようと文章や詩作の上手い人材を鴻都門コウトモンに集め、そこの人材を朝廷に登用した。


そうやって朝廷を落ち着けたと思えば、北から鮮卑は攻めてくるわ、怪しい宗教は蜂起するわで落ち着く暇もなかった。


ようやく頻発していた反乱がひと段落し、財政も安定しつつある。劉焉が考えている州刺史強化案もよさそうだ。


それであとは弁を何十年かけてきっちり育て上げれば後顧の憂いは無いだろう。いや、最近は酒がなかなか美味い。




「あの、大変お恐れながら……その」


劉弁が何かを言おうとしている。非常に言いにくそうにしているので劉宏は先を促した。


「趙忠から陛下の酒量が増えていると聞いてて……御身体に障らないかと……。あの、健康にいい導引こきゅうほうとか体操を道士から習ったので、あとは茶とか身体にいい草も食べていただくとか……酒もちょっとお休みの日を……」

「……」


劉宏は想定外の発言に毒気が抜かれてしまった。


《なんだ、弁はおれの健康を心配しているのか》


「ははッ!はははッ!可愛いやつめ、父を心配してくれたか」

「で、出過ぎたことをいいました、申し訳ございません」


弁が怒られるとおもったのか、床に張り付かんばかりに頭を下げている。

劉宏はそんな息子がとても愛おしかった。皇帝を気にしている人間は多いが、自分を個人として、父として健康を気にかけてくれる人などこの息子ぐらいだろう。


「分かったわかった。弁の言う通りにしよう。酒もたまには休む。健康法は宦官に伝えておけ、気が向いたらやる」

「ありがとうございます!」


弁が嬉しそうだ。怒られると思ってもおれの身体を良くする意見を言って、受け入れられて純粋に喜んでいる。


(こういう人間ばかりなら皇帝も楽なのだがな)


劉宏は息子を優しい目で眺めながら、考えた。


(長生きしなければな。神丹すいぎんも多めに飲んでおくか)




・宦官はアレを切り落としているので上手く排尿ができず、常に漏らしているから臭いと言われていました。ですが皇帝の側仕えが臭かったら仕事にならないので、大げさに言った悪口の一種でしょう。


神丹すいぎんは不老不死の妙薬として道士が歴代皇帝に献上していたようです。


・王莽(オウモウ) 皇帝の外戚(しんせき)。儒教の聖人と名高く、前漢を滅ぼした。

・梁冀(リョウキ) 皇帝の外戚(しんせき)。皇帝にイヤミを言われたので毒殺し、好き勝手に皇帝を選んだ。


・劉弁が読んでいるのは当時の公式見解のため、宦官側に偏った記録になっています。

参考文献:資治通鑑 巻056 孝桓皇帝下建寧元年

     後漢書 孝靈帝紀第八


・劉宏(霊帝) 「宦官や宦官の子孫が皇帝になんてなれるわけがない」

 曹丕「は?」


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