第124話 (閑話)劉豹その2

※匈奴の王子、劉豹くん視点です



大陸を東西に貫く黄河は古代から多くの国の栄枯盛衰を眺めてきた。


この偉大な川は途中で大きく北に湾曲し、まるで几の字のように折れ曲がっている。

その几の字の北の端に黄河がそれ以上北に行くのを塞ぐように東西に連なっているのが陰山山脈インザンさんみゃくだ。


この陰山が砂漠の乾燥を防いでいるのか、山脈と黄河の間は周囲の乾燥荒地が嘘のように緑にあふれている。


この地域が過去の匈奴が暮らしていた草原地帯であり、匈奴の首都である単于庭ゼンウテイのあった場所である。


匈奴帝国の最盛期には拉致した漢人農民を大量に移植し、耕作を嫌う匈奴のために作物を供給もさせていた。


今は草原の支配権は匈奴にはない。ここには漢人の城が築かれ、開墾もされているが人口は希薄だ。

なぜならばここの諸城は対鮮卑戦の最前線であり、常に騎馬民族の襲撃に晒されているからである。



 - - - - -



陰山山脈を北に見ながら、劉豹は馬を駆る。


冷たい晩秋の乾いた風が草原を吹き抜け、部下の部族の騎兵が後を追う。



劉豹の配下の兵はみな毛皮の服や帽子の内側に鉄板で補強をしており、弓矢の矢じりも重く大きなものを使っている。

そして剣や槍も鉄製を多く使った丈夫なものを携えている。



目標の天幕げるの群れが見えてきた。

襲撃に気が付いた鮮卑が慌てて馬に乗って立ち向かってくる。


「豹の矢の方角に射よ!」

劉豹が叫び、馬を馳せさせながら弓を大きく引き絞ると矢を鮮卑に向かって放つ。


部族兵がつづき、一気に百何本の矢が鮮卑の騎馬兵に降り注いだ。

悲鳴をあげて鮮卑兵が数騎、ばたばたと馬から落ちる。


鮮卑もあわてて矢を射返してくるが、勢いがまったく違う。


弓矢を何射か交わし、敵わないと見たのか鮮卑はバラバラと逃げ始めた。



「追撃せよ!」


劉豹の配下の兵が速度を上げた。



昔の草原の支配者だった匈奴。

彼らは今、草原の現支配者である鮮卑と抗争中である。





鮮卑の戦士を殺し、または追い払い。

匈奴兵が略奪を開始していた。


「鮮卑の男は殺せ、馬車の車輪よりも背の低い子と女は捕らえるぞ」


女は匈奴を産ませることができる。

まだ小さな子ならばきちんと調教すれば匈奴にできる。


だが、大人の男は調教しても反抗する。だから要らない。



匈奴の判断基準はたとえ人間相手であっても牧畜そのままであった。

鮮卑の天幕から女子供を連れだし、家畜を回収する。


「王子、漢人が」


鮮卑が漢人の奴隷を連れていたようだ。

これはできるだけ丁寧に回収しないといけない。


匈奴は漢の同盟国ぞっこくだからだ。



劉豹は怯え切っている漢人奴隷を前にして漢語で話しかけた。


「安心しろ。漢人は家にもどす。ついてこい」

「ああ、大人だんなさまありがとうございます!」


劉豹は漢人奴隷たちの鎖を断ち切らせた。




 - - - - -



大漢の雁門郡の辺境。


漢人の城の近くに劉豹達は天幕を張っていた。

劉豹傘下の兵たちがワイワイ言いながら戦利品と女子供の分配を行っている。



そこに漢兵をつれた漢の武将が来訪した。

よろいに身を包み、かぶとには濃紺に染めた飾り毛を垂らしている。


「王子、またもや拉致された民を取り返していただけるとは。この張文遠チョウブンエン、民に代わってお礼を申し上げる」


辺境警備の任についている部隊を率いる軍候しょうさ張遼チョウリョウだ。


并州ヘイシュウの北部辺境では、武将も兵も長年騎馬民族と戦っているだけあって、漢人ばなれした強者ぞろいである。


劉豹が見るに、その中でもこの張遼と、五原の呂布リョフというのが双璧だった。

どちらも劉豹は気に入っている。強い男が良いというのが匈奴の判断基準である。


「近くの鮮卑は倒したからしばらく安心だと思うよ。あ、張軍候チョウしょうささ、良ければお茶でも飲んでいかない?」

「おお!茶ですか。そのような贅沢品を。ありがたくいただきます」



勝利の祝宴が開かれた。

拿捕した羊を殺し、肉と茶を振る舞う。


茶は良い。


劉豹は茶をくれた少女の言葉を思い出しながら暖かい飲み物をすすった。


「これは薬でもあって、健康にいいんです。特に匈奴の皆さんは肉ばっかり食べてますから、お茶でびたみん……えっと、体内の五行を整えてください!」


董青はよく分からない言葉をたまにいうが、劉豹は感謝していた。


お茶は匈奴に合っているようだ。

茶を毎日飲ませただけで、傘下の兵が風邪をひかなくなったのだ。



また、漢人は茶が高級品だとわかっているので、馬乳酒を飲ませるよりはるかに喜ぶ。



「いや、并州刺史がどうも弱気でしてなぁ。今こそ鮮卑討伐の絶好の機会だと思うのですが。これがなかなか」


茶を飲み、骨付きの肉を齧りながら張遼が愚痴る。



鮮卑は前の前の大人ぞくちょうの時が非常に強かった。

檀石槐タンセキカイという異常に強い大人が現れ、西は西域に面した酒泉から東は朝鮮に近い遼西まで荒らしまわり、幽、并、涼の三州は略奪の限りを尽くされたのである。


だが檀石槐タンセキカイは早死にし、跡を継いだ息子は強欲で政治もまずいだけでなく戦運もなく、弩弓による狙撃にあって戦死。


後継ぎでもめていた所に、匈奴が攻めかかったため鮮卑は弱体化する一方だった。



落ちぶれていた匈奴が鮮卑に勝てるぐらいに復活したのも、董青のおかげだと劉豹は思っている。畜産物の交易で大いに儲けさせてもらっただけでなく、武器に使う鉄も大量に安く売ってもらっている。


おかげで装備が充実した匈奴が戦いを優位に進めているのだ。



張遼としてはこの機に乗じて漢も遠征をおこなうべきだと思っているようだ。


漢は10年前にも鮮卑討伐を行った。三人の将軍に匈奴の援軍をつけて長城を越えさせ二千里を進軍させたが、檀石槐の攻撃を受けて惨敗。漢の三将軍は檻車にいれられ洛陽に送られ死罪になりかかったが、財産を投げ出して一命を許され平民に落とされた。


このように遠征を提案して失敗すれば責任を取らされるため、今の并州刺史は何もしないことを選択しているようだ。



「烏桓の動きがどうも怪しいので、今のうちに鮮卑だけでもかたづけておきたいのですが」


茶を飲みながら張遼が言う。


烏桓は草原の東の端に住んでいる部族で、匈奴と同じように漢の属国として傭兵のようなことをやっている。

なぜか理解しがたい朝廷の判断により遥か西の涼州の反乱に動員されかけたので、烏桓の民が騒いで揉めているらしい。


匈奴ですら黄巾の乱で使い潰されて不満が溜まっていたのに、さすがに大陸を横断しろというのは無いだろう。


なお、鮮卑との抗争については劉豹の預かっている部族兵は不満はない。勝っているからだ。しかし匈奴全体でいうと苦戦している部族もあり不満もあるようだ。

武装を強化するために董青の鉄をもっと買ってもらえればいいのだが、苦戦している部族は財産に乏しいので買えないという堂々巡りだ。



「王子!どうですかこの娘たち。種付けなど一つ」


匈奴兵が捕虜の女の子を数人つれてきて劉豹に見せた。

匈奴にとって、敵から女を奪い繁殖を行って匈奴を増やすのが大事な仕事だ。


「あ、いや……。まだいい任せた」

「では俺らでいただいておきます」


ただ、劉豹はどうしても手が出なかった。

まだ14歳なのでそこまで衝動が強くないのと、あと女に手を出そうとすると董青の顔がちらついてなんかその気になれないのだ。



(はぁ。早く董青と結婚したい)

劉豹は董青との結婚が上手く行かないのを悩んでいた。

これも自分が一人前でないから強く出れないのだ。


劉豹は来年になれば15になる。そうなれば正式に父親から部族を分けてもらうことになっているし、家畜もあずかり物でなく自分のものになる。


そうすれば董卓に結納だって払える。


茶も鉄もあの教養も商売のうまさも、董青は匈奴に絶対に必要だ。

子供をたくさん産むにはちょっと細い気がするが、そこは無理をしなくてもいいだろう。


ただ気になるのは、あれだけいい女が他の男に取られないか。




「そういえば、そろそろ皇太子が決まるかもという話ですぞ。そうなれば大赦がありますなぁ。弁皇子か協皇子か」


張遼が羊の骨をひっくりかえして肉を探しながら何気なく話題を出した。


弁皇子か。あのひょろひょろが皇帝だって。まぁ、漢人は弱っちくても数が多いのが問題だから、弱くても皇帝になれるんだろうけど。


(……そういえばあいつ、青を妃にするとか言ってたな)


青はいやがってたが、皇太子とか皇帝になった男が我慢する必要はない。


無理やり妃にするのではないだろうか。

漢人が皇帝に逆らえるわけがないのだ。



劉豹は南の空を見上げた。あの下に董青がいる。そして弁皇子が嫌がる青を無理やり……。



そうなったら、青を救う方法は。


「拉致するしかないか」


部族を分けてもらって独り立ちさえすれば、どこにでも行ける。


なんなら砂漠を渡って北の大草原にしばらく隠れてもいい。そこなら漢の皇帝でも届かない。



早いほうがいい。


年が明け、成人し、自分の部族を手に入れ次第、洛陽に向かおう。



劉豹は決心した。




・檀石槐 呉音にて「だんじゃくえ」、漢音にて「たんせきかい」です。呉音のほうが古い発音なのですが、ここでは漢音を採用しました。

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