第123話 (閑話)劉弁その2

※漢の皇子、劉弁くん視点です



僕は漢朝の皇子、劉弁。


僕は父に嫌われている。





「いやいや、それは違うんじゃねえですかい?」


劉備がいつもの口調で否定する。

これでも本人は精一杯の敬語のつもりである。


「でも……」

「はい、白三枚頂きっと」


まだ反論しようとする劉弁を横目に、劉備はクルクルと白黒りばーしのコマをひっくり返していく。


ここは嵩山の道士の屋敷。漢朝の皇子の劉弁は禁中きゅうでんをでて、洛陽城内の道士に預けられている。


基本的には身体と精神の鍛練のため、日々を導引けんこうほうの訓練に励んで過ごしている。ことになっている。


とはいえ、董青の手引きもあって劉弁は毎日割と自由にあちこち出歩いたり、董家屋敷で董青や董白と遊んだりしている。


そして、その非公式の護衛として劉弁についているのが劉備関羽張飛の三兄弟である。


劉弁が房子へやにいる時間はこうやって白黒りばーしの対戦を劉備が相手したりしているのだ。


なお、関羽と張飛が矛を携えて房子へやの入り口にデンと陣取っており、勝手に通らば鬼神だろうが討ち果たさんという空気を醸し出している。



「いや、陛下がね、皇子殿下をもし万が一お嫌いで、協皇子を立てたいと思っているとしたらば、だ。それならとっくに協皇子を立太子なさってますよ」

「それは、寡人ぼく何皇后かあさんに遠慮して……」


劉備が劉弁の眼を真っ直ぐ見た。身分差を考えると割と非礼だが、劉備は端の端の皇族、つまり属尽とおいしんせきということでこの若い皇子を甥っ子のように思っている。


「皇子殿下、母親は替えられないが、妻は替えられるんですぜ?もし、皇帝陛下が協皇子に決心なさってたらとっくに皇后が廃位されてます。何皇后がいくら頑張ったってそりゃあ無理だ。ただ、その逆は難しいな。陛下が弁皇子に腹をお決めになっていても、皇太后おははうえは廃位できねぇ。陛下はおそらくまだ迷っておられるか、皇子殿下に決めておられるってことです」

「やっぱり、寡人ぼくが情けないから……はっきり辞退したほうが……」

「えっと、皇子はどうなさりたいんです?」


劉備が白黒のコマをめくりながら問う。


「え」

「皇子はもう年があければ15の御年だ、加冠げんぷくなさったらもう成人ですぜ?何をしたいかを自分で決める年です。俺ぁこうやって馬鹿やって暮らしてますが、一応全部自分で選んで馬鹿やってます」


そこに関羽が口をはさんだ。


「その判断に弟が巻き込まれておるのは困ったことですが、玄徳兄」

「うるせぇ、一緒に死ぬって決めただろ雲長」


張飛も何かいいたげにしたが、張飛は礼儀のうるさい場だと口出しはあまりしない。礼儀が分からないためだ。

関羽はそもそも礼儀をあまり気にしないので、身分が上の人間からは傲岸不遜に見られることがある。


「羨ましいな、寡人ぼくには人生をともにしてくれる人が居ないんだ。何をする、何をしたいって……今まで回りに言われた通りにしてきただけだし……青にいろいろ見せてもらって、政治の提案するのは楽しいけど、自分が本当にしたいことかって言うとよく分からない」


弁の独り言に劉備が食いつく。


「ん、楽しいとおっしゃった。あと、白黒だって楽しいからやっておいででしょうに。たとえば政治の提案はどこが楽しいんです?いろいろ書いたり考えたりは面倒そうですがね?」

「あ、えっと……陛下ちちうえがお喜びになるから……陛下ちちうえに褒められると、母さんも喜ぶし、あと献策が上手く行くと董青も喜ぶし……」

「ああ、じゃあ簡単だ。殿下の大切な方々を喜ばせたいなら」


劉備はぐいっと身を乗り出した。


「立派な皇帝になるべきです」

「でも、陛下ちちうえは協が」

「それは違う、誰にも遠慮する必要のない陛下がそんなことは仰ってない」


劉備が気迫を持って言い切るので弁は反論できなくなった。


(むかし、父上がそうこぼしてた記憶があるんだけど……気のせいだったのかな。協を選びやすいようにわざと外に出たのにまだ協が皇太子に選ばれないし……)


「……寡人ぼくが立派な皇帝になったら陛下ちちうえは喜ぶ?」

「ハハハッ!もちろんですとも!息子が立派な後継ぎになろうってのに喜ばない父親なんていませんぜ」


劉備がにこやかに笑いかける。


この男にこうやって陽気に言われると、劉弁もなんかそういう気がしてきた。


いままで薄暗い禁中きゅうでんの中で、ひたすら弱虫で役立たず扱いされ、まるでナメクジか何かのようにべっどに張り付いて生きてきた頃が嘘のようだ。


「母さんも、董青も喜ぶかな?……備おじさんも喜ぶ?」

「もちろんですもちろんです。俺だってもちろんですとも!」



……



劉弁は物心ついてからずっと皇帝の冷ややかな目に晒されてきた。皇帝としては次期皇帝に必要な教育をしているつもりなのに、オドオドオロオロしているため皇帝の目はつめたくなるばかりであった。


しかし、最近の皇帝はとても弁に優しい。弁が財務や政治に興味を持って発言するのが嬉しくたまらないようであった。


しかし、弁にはどうしても自信が持てなかった。あの皇帝の目を思い出してしまうのだ。


皇帝になれば本当に父は喜んでくれるのだろうか。

董青の提案を伝えるだけなら皇帝にならなくても。

協にまかせれば……


……


劉弁は暗い表情で悩み、劉備がちらちらとその表情をうかがっていた。






そこに劉弁つきの美少年宦官が関羽に耳打ちをした。


関羽が頭を下げて言上する。

「殿下!董木鈴どのがお越しですぞ!」



劉弁の表情がパッと明るくなった。



 ― ― ― ― ―



やってきた董木鈴は男装姿であった。

男装でもその美しさは変わらず、透き通るような白い肌とつややかな黒い髪、そして整った顔つきは絶世の美少年のようであった。


これで、成長して肉付きがよくなればきっと多くの男を惑わすことになるだろう。

残念ながらいまは男装姿がとてもよく似合っている。


「というわけで、来年に皇子に皇太子になっていただくためにですね、陛下への献策を……」

「青は寡人ぼくが皇太子になると嬉しい?」

「へ??」


男装の董青トウセイ木鈴モクレイは予想もしていない質問に面食らったようだった。


「そ、そうですね。はい、私も弁皇子が立派な皇太子になって、素晴らしい皇帝になってくださるとうれしいですよ?」

「じゃあなるね」


劉弁はあっさりと重大な決心をした。

皇帝のあの冷たい目を乗り越えて、立派な後継ぎとして認めてもらいたい。

この男装している少女のためにも。



「あっ、はい……。あ、そうそう。そのためには陛下に長生きしていただかないといけません。皇太子を定める前に万が一のことがあれば天下は大混乱です。ですが、趙忠チョウチュウさん曰く、陛下の酒量が増していて心配だとか。そこで殿下から注意……は難しいかもですけど、できたら河伯体操とか、野菜と肉をまんべんなく食べる河伯食、あと休肝日などの健康法を陛下に勧めていただきたいのです。陛下には長生きしてほしいので」

「……陛下ちちうえのことをそこまで考えてくれてるんだ、ありがとう!」


劉弁は満面の笑みで董木鈴の提案を受け取る。


董木鈴はその劉弁をみて、少しかしこまると、真剣な顔つきで言う。


「あと、万が一、万が一、陛下にもしものことがあり、皇太子が定まらないようでしたら。弁皇子は董一族がお助けいたします。他人を頼る必要はありません。いつでもご命令をください」


その意味を悟って劉弁も顔を引き締めた。

「わかった」



 ― ― ― ― ―




董木鈴が辞去して、劉弁と劉備たち三兄弟が房子へやにもどった。


劉備が董木鈴の去っていった方向を眺めながら呟く。


「いやぁ、いい女になりましたねぇ」

「……なに、備おじさんにはあげないよ?」


弁が劉備をジトっと見つめる。


「いやいや、俺の好みとか関係なくですね、一人の女性として素晴らしいって話で」

「……どんな女の子でも皇后にするっていえば喜んでくれるよね?」

「もちろんですとも!」


劉備が明るく答えた。なお、何の根拠もない。

さっきから劉弁が皇帝になるように煽っているのも、自分たちが得すると思ってのことだ。

他意しかない。


劉弁はさらに決心を固くした。この劉備おじさんの義兄弟たちのように、董木鈴ならば人生をともにしてくれるに違いない。だって、今までずっと献身的に尽くしてくれてきた。皇后として遇する以外に応える方法を知らない。


劉備と同じように、もうすこしあちこち膨らんでいるほうが弁の好みではあったが、そこは年が解決するはずだ。


「……ところで、董青が女の子だってバレてたの?」

「そりゃまぁ、長く一緒にいますとね?」


劉備はいたずらっぽく笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る