第119話 銭が荒れている

「売り上げが落ちてる……」


さて、順風満帆でこのまま経済がどんどん成長するんだと思っていました。


「物価が全支部で下がってますね」

「商品が安いならいいことなのじゃー?」


あどけない顔で呟いたのは董白トウハクちゃん。

弁皇子に点心おかしをお勧めします。

いつもどおりとても可愛らしいですね。


「そうだよ、物が増えて民が多く財産を買えるんだからみんな喜ぶじゃない」


弁皇子が砂糖入りの点心おかしをつまみながらお茶をすすります。


この間から私が洛陽にもどると、弁皇子が董家屋敷にちょくちょく訪ねてくるようになりました。

そのたびに応対しないといけないので面倒なのですが。


なので、お茶をしながら白ちゃんの点心おかしを一緒にたべ、そして私は各支部の報告書を睨みながら世間話や経済の話をしています。



今も銭行ぎんこう関係の報告書を読んでいたところです。


「そうなんですけどね……」


いろんな物産の増産に取り組んだので、鉄やお茶などの河伯教団の産物が値下がりするのはある程度織り込み済みでした。


広く漢全土くにじゅうに産物を広めるためには、値下げも確かに必要です。

民衆は安くモノが買えて喜びますし、生産者としても儲けが減った分増産すればいいんですが……。


新聞の相場欄を見ます。


「……穀類に生糸まで値下がりしてる……」


新田開発の効果がそんなに早く出るわけありませんし、養蚕にはあまり取り組んでいません。穀物と生糸は関東で多く生産されているので優先順位は低かったんです。


「いいことじゃない」


弁皇子がのんきそうに仰います。


それは、銭を持っている人はいいですよね、モノが安いんだから。

問題は銭で商売している商人と、銭行を管理している私です。


教団で生産している商品の値下がりを埋めるべく増産をかけていますが、さらに売り上げが落ちています。

つまり増産を上回る値下がりや販売不振が起きているのです。


そして、売り上げが落ちた分、教団の銭行ぎんこうに振り込まれる銭が減り、出ていく銭が増えます。


通帳取引を拡大しているため、銭の裏付けのない取引額がどんどん膨らんでおり、銭が入庫する予定がどんどん先延ばしになって、逆に銭行の銭蔵の銅銭がどんどん減っていきます。


徴兵保険で銭を毎月かき集めていたからよかったようなもので……


「これ、取り付けが起きたら……やばい?」


報告書を読む私の背筋にひやりとしたものが流れます。


「??何がとりつくのじゃ?」

「順調でしょ?なんか銭を集めてたじゃない」


ああもう、白ちゃん可愛い。弁くんは……


って現実逃避していられない。なんで?何が起きてるんだろう?


経済成長の流れ自体は問題なかったはず、生産が増えて、取引が増えて、関わった人がみんな物を手に入れて豊かになりつつあったはず……?


改めて相場表を見ます。


教団で生産するしないに関わらず、ありとあらゆる商品の値段が下がっていました。



「……銭荒でふれじゃないですかーーー?!!!」



 ― ― ― ― ―





銭荒でふれとは銭不足です。



世の中の生産物は、取引されて消費者に届きます。

消費者と生産者の取引をつなぐのが銅銭です。


物が増えて、銭が増えないなら、取引が成立せずに物の値段が下がります。


報告書には実際に銭での取引が成立せず、各地で物々交換が始まっているとも記載されていました。物々交換はやはり効率が悪く、取引が難航しているようです。


「つまり、銭の値段があがってるんです」

「うそだ!銭の1銭は1銭だ!」



弁皇子に銭荒でふれを説明しようとしていますが、わかっていただけません。


「あー、えっと、平年で穀物が120リットルで150銭だったとしますよ?穀物が多い年、つまり大有年ほうさくだったら穀物1斛が50銭に。穀物が少ない年、つまり凶作だったら穀物1斛が200銭にもなりますよね?」

「それは分かるよ」


「その逆も起きますよね?穀物の収穫が一緒でも、銭が足りなければ穀物の値段が下がります。つまり150銭で240リットル買えるようになるんです」

「起きないと思う、何でそうなるの?」


「えっと、農民は服を買うために穀物1斛を必ず売るとします。その時商人が150銭持っていたら150銭手に入りますが、商人が75銭しか持ってないので売値が下がるんです」

「わかるけど、それは穀物が値下がりしたんでしょ、銭は増えてない」

「……いや、まぁ、それでいいです。ごめんなさい」


本論はそこじゃないので。


「物が増えて、銭が増えないので、物の値段が下がっちゃったのです」

「いいことじゃない、多くの人に物が行き渡るでしょ」


「でも、物の値段が下がりすぎていて、商人が売るのが馬鹿らしくなってしまっています。なんせ買値より安いし、作る職人の費用よりも安いので。こうなると物が作られません」

「それはまずいね、物が作られないなら民に届かない」


「これは、物が多く銭が足りないからこうなるのです。さらに言うと、民の収穫の値段も下がっているので、銭で払う算賦じんとうぜいを払うためにより多くの穀物を売ることになり、民が飢えます」

「とてもまずいね、どうしたらいいの?」


ようやく話が進みました。


「朝廷が銭をたくさん作ればいいんです、いまは少しの銭を作れば多くの物が買えるので、銅を買い集めても銭を作る利益が莫大になります。朝廷の財政も改善するでしょう。そしてそのうち物価も元に戻り、また取引が盛んになり、民に商品が行き渡るようになります」


「あれ?銭は作るよ?」

「そうなんですか?!」



弁皇子が言うには、皇帝が新しい銭を鋳造させようとしているんだそうです。

主に貯蓄用みたいですけど。



「ただね、銭を鋳造して増やすというと、儒者がくしゃ名士きぞくが物価が上がるって言って怒るんだって。銅もたくさん集めないといけなくてたいへんだって。こんな反乱ばかりで民が疲弊している時期にやるべきじゃないとかなんとか。だから朝廷で議論が堂々巡りしてて陛下ちちうえが困ってる」

「今は物価下がってんですけどーーー?!民が困ってるから銭が必要なんですけどーー?!」

「怒らないでよ?!寡人ぼくがいったんじゃないし!?」


さっそく陛下に進言しましょう!




 ― ― ― ― ―



『臣が聞きますに


先年の蜂起は民が妖賊に騙されたためでしたが、今や天下に陛下の聖徳がゆきわたり、良将を起用したため、賊はことごとく降伏しました。民は武器を捨て家に戻り、安心して耕作や物産に励んでおります。


いまや大いに生産は増大し、城の市に物産は溢れ、商賈あきんどは忙しく東西の有無を通じております。


しかし、物が市場にあふれているのに対し、天下に銅銭が不足しております。多いものが安くなり、少ないものが高くなるのは世の中の道理です。物が多く銭が少ないため、天下の物価は大いに下がっております。


そのため、民は自らの作った穀物が安くしか売れず、物を満足に買うことができておりません。


よって、陛下におかれましては、よろしく百官に命じて銅銭を大いに鋳造させるのが良いと考えます。いまや銅も安く、鋳造に費用はかかりません。


その銭を用いて、穀物や絹などを買い入れれば、府庫を簡単に満たすことができ、また民は物産を相通じさせるための銭を手に入れることができます。


銭を増やせば物価が上がるというものがいますが、今や天下の物価は低すぎるのです。銭を増やして物価を元に戻し、職人に大いに物を作らせ、商賈あきんどの取引を盛んにすることで民の生活も豊かになり、税の集まりもよくなるものと思います。


愚かな考えではありますが、謹んで上記の通り申し上げます。


劉弁』



 ― ― ― ― ―




皇帝は弁皇子の上奏文を読んで大いに喜び、さっそく銅銭の鋳造と物資の買い入れを命じたとのことです。



……これで破産しなくてすみます、助かったぁ……。







・後漢書「張譲・趙忠伝」

 又鋳四出文銭,銭皆四道。識者窃言侈虐已甚,形象兆見,此銭成,必四道而去。及京師大乱,銭果流布四海。

 「霊帝が銭を鋳造した、識者は銭に四本線が入っているのが不吉だと批判し、銭が四方に飛び散るだろうと予言した。果たしてそうなった」

・デフレーションとは物価が持続的に下落していく経済現象。モノに対して貨幣の価値が上がっていく状態です。

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