第109話 (閑話)孫堅その4

騎馬が足りない。

じりじりと押されている。


状況を打破したのはまたあの若者だった。




ある日、あれだけ長安周辺を荒らしまわっていた羌族や月氏族の反乱軍がふっと居なくなってしまった。


探らせるとそれぞれ自らの本拠地に帰っていくのだという。


慌てて董卓に報告すると、董卓はすでに状況を掴んでいた。


「木鈴の提案でな。絹を与えたのじゃ」

董卓は満足そうに言う。


所詮は異民族である羌や月氏は漢人の政治闘争には興味がない。

彼らが必要なのは妻子に着せる服であり、食わせる穀物であってそれ以上のことは求めていないのだ。


だから与えたと董卓は平然と言うのだが、そんな多額の物資がどこから出て来たのか。

董卓の娘婿の牛輔の顔色がずいぶんと悪い。

まるで巨額の横領に加担した小心者みたいな顔をしている。


(まぁ、いいや俺には関係ねぇ)


それよりもこれは速戦即決の大いなる機会である。

早く終われば妻子にも会えるし米の飯も食えるだろう。



羌や月氏が撤退したことで、涼州反乱軍は浮足立って本拠地の金城に向けて撤退を開始している。


董卓はすでに兵5万でこれを追撃すべく、総司令官の張温の許可を取っていた。

取っていたというより無理やりもぎ取ってきた。


この期に及んで張温は慎重で、烏桓族の騎兵を連れてくるはずの公孫瓚を待つと言っていたのだ。

しかし、公孫瓚が烏桓に反抗されて集合が遅れていたという証拠を突き付けて、総兵力の半分で良いと値切り、全責任は董卓が取るとまで言い切ってやっと進撃の許可を得たのである。




もちろん今こそが勝負時であり、一気に攻めるべき時である。


故兵聞拙速ヘタでもハヤイのがいい未睹巧之久也オソくてウマいことはない


先祖の孫子も戦争についてそう述べている。

だから、董卓はすべての責任を被ってでもとにかく実行する。


(いや、やっぱり上司を選ぶのは大事だな)


孫堅は董卓がすっかり大好きになっていた。





そこで孫堅は練りに練った速攻案を董卓に提示した。



孫堅が軽騎兵を含む兵1万を率いて急行。

後ろを董卓の本隊4万で補給を確保しながら進軍する。

この連携がうまくいく限り相手は防御を固める時間すらなく総崩れになるだろう。



もちろん、一番危険なのは兵1万で数万の涼州反乱軍本隊を追撃する自分であるが、これは囮も兼ねている。

相手が引き返してきて決戦するなら、董卓の到着まで食らいついて粘り切るつもりでいる。


それぐらいはできる。俺は江東猛虎コウトウのモウコ、孫堅だ。



董卓は大喜びで作戦案を採用し、補給を万全にすると約束してくれた。

そして、その補給の指揮官はあの若者、董木鈴だ。


(なんの心配も要らねえな!)


 ― ― ― ― ―




結論から言うと、孫堅の猛進撃により涼州反乱軍は瞬時に瓦解した。


涼州反乱軍の参謀、賈詡は偽兵による決戦引き延ばしと補給路襲撃を組み合わせた作戦を立てた。


しかし、補給路の襲撃は董木鈴の配置した劉備隊が撃退。

賈詡を捕獲して大勝利に終わった。


さらに金城郊外に配置した偽兵はやる気のなさを孫堅に見抜かれ、決死の突撃をくらって壊乱してしまった。


韓遂と反乱軍は命からがら金城に逃げ込み籠城。


後から兵糧と一緒に到着した董卓が孫堅を褒め、なぜ6倍の敵に攻めかかったのか問うた。


「土地を見てくれねえか。ここは漢人の豪族の本拠地。つまり”散地さんち”だぜ?こんなところで戦えば兵は家を想って逃げ腰にならあな」

「……おお、さすがは孫君!孫子の兵法は真に体得しておるのだな!」


董卓は孫堅を激賞している。


(まぁ、嘘なんだけどよ)

孫堅は胸を撫でおろした。


孫堅は相手の旗の様子を見てなんとなく勝てると思っただけだ。

落ち着いてから考えると先祖の孫子の言葉がことごとく当てはまっていくのは孫堅にとって不思議ですらあった。


 ― ― ― ― ―



孫堅の目の前に豊かな水田と青々とした草が広がり、水を多く含んだ風がぬるりと吹き抜けていた。


「ああ、荊州!江南の香りがしてきたぜぇ!」


孫堅は董卓の下を離れて荊州の反乱軍討伐に派遣されている。



涼州の反乱軍を討伐した褒美で孫堅は中郎将に出世した。

過去からついてきてくれている部下たちにも自分の幕僚として正規の役職につけることができた。


これもすべて董卓と董木鈴のおかげだ……


と思っていたら、新任の涼州リョウシュウ刺史そうとくと董卓が揉めて、孫堅が引き抜かれることになった。


荊州行きということで江南にいける嬉しさと、世話になった董卓から兵を引き抜いてしまう申し訳なさで孫堅は悩んだ。


悩んで、悩んだが、この命令を辞退すると董卓に申し出た。


「いかんぞ。朝廷の命令に逆らってはならん。孫将軍はこれからも天下の役に立つ男だ」

「いや、しかし俺が兵を半分もつれていっちゃ、羌や月氏の抑えができんでしょう?」

「それを考えるのはわしの仕事だ。まぁ、何とでもなる」

「しかし……」


食い下がる孫堅に、董卓はひときわ声を大きくした。

「孫君(孫堅)!!!」


髭が怒りに逆立っている。

わしは君が生まれる前から羌と戦っておるのだぞ?刺史も朝廷もわしを嘗めすぎではないかな?」


……董卓の魔王のような怒気に孫堅は何も言い返せずに別れの挨拶を述べた。


(いや、董卓さん怖かったな)


風の噂にその後の羌との戦いで董卓が只1人武功を立てたと聞いた。


孫堅も負けてはいられない。まずは荊州の反乱をさっさと鎮めなければ。




 ― ― ― ― ―



反乱軍との戦いは簡単だった。


「まったく、武官はこれだから。聖典の基本的な語句もご存じない」


荊州ケイシュウ刺史そうとく王叡オウエイがネチネチと嫌味を言う。


反乱軍との戦いは簡単だった。

城を守り、野戦で撃破し、城を取り戻す。


問題は刺史や太守といった文官との調整である。



中郎将として反乱軍討伐に赴いたが、同じ任務を現地の刺史も受けている。

よって綿密な連携が欠かせない。


しかし荊州刺史の王叡は武官の孫堅が大きな顔をしているのが気に入らないらしい。

綿密な嫌がらせをしてくるのである。


「武官であるから政治はわからんのだろうが、こちらを先に攻めてくれねば困るぞ?」

(いや、作戦ぐらい自由にさせてくれよ?!)


無視するわけにはいかない。

無視をすれば荊州の文官は兵糧を止めてくる。


「まってくれ王使君オウかっか?!これじゃあ兵糧が足りねぇよ?」

「孫将軍は贅沢をいう、今は反乱で民も困窮しているのだぞ?」


いったい反乱軍と戦っているのか、文官と戦っているのか分からなくなっている有様である。




さて、王叡というのは当人も儒者であり、琅邪王氏という名士の一族である。

この一族は秦の名将、王翦の子孫を自称しており、特に有名な先祖に王吉という歴史に残る聖人がいる。



王吉は皇族の昌邑王劉賀に仕え、劉賀の品行が俗悪だったため遊興あそびを慎むように助言した。

劉賀の遊興あそびは改まらなかったが、見事な説教を行ったということで王吉の名声は高まった。

そして劉賀がたまたま次の皇帝となったが、品行が悪いということで在位27日で帝位を剥奪され追放。劉賀の家臣も業務不行き届きで死刑となったが、王吉は見事な説教を行っていたということで罪を免れた。

自分の主君が破滅するのを傍観しながら説教をつづけ、主君の評判を落として自らは名声を高めた。これが立派な儒教の聖人である。



なお、王叡の甥に王祥という孝行息子がいる。

もちろん儒教の聖人であり、のちの世に歌川国芳に浮世絵にしてもらったほどである。

王祥は継母に嫌われていたが孝行を尽くしていた。

ある日、凍り付いた川で魚を取って来いと追い出されたため川で祈ると鯉が飛び出してきた。

またある日は継母が雀が食べたいと追い出されたところ、たちまち黄雀数十羽がやってきたという。


儒教の聖人というのは怪力乱神を語ってもよいらしい。

後に本人は立派な役人となり、高位高官にあって曹魏の皇帝が虐殺され司馬家に乗っ取られるのを泣きながら見守り、無事に晋の高位高官となってその名声を讃えられた。


この一族は儒教の聖人一族として南北朝まで長く続き、王羲之という書の名人を一人産んだ。



話がずいぶんとそれたが、つまり荊州刺史の王叡は立派な儒者である。

儒教を真面目に学んでいない人間が高位高官にあるのは世の中のためにならない。


かれは純粋な良心からそう考えて、天下のため、秩序のため、万民のために孫堅が暴走しないようにきちんと操縦しようとしているのである。




これらすべてが、孫堅には大きなお世話だ。


(文官だからってそんなに偉いのかよ?!)


あまりにも面倒くさいため、刺史から離れようと江夏に駐屯地を変更したほどである。


いちおう反乱はほぼ退治し終えている。



王叡はそれを喜んで、「もう孫堅軍は要らないので解散しましょう」と上奏していると聞こえてきている。


せっかく精兵を鍛えたのに、解散させられては堪らない。

文官は兵など反乱が起きたら徴兵すればいいと考えているかもしれないが、精鋭騎兵は一度解散したら二度と手に入らないのだ。



「次の戦を探せっ!」


孫堅は荊州や揚州で転戦する先を探し始めた。

すると、特に南荊州の治安が豪族の横暴や蛮族の跳梁で悪化していることが分かった。


しかし、決定的な反乱を起こしていないので刺史そうとくの王叡は見て見ぬふりをしている。


立派な儒者が統治しているのに、人徳で治まっていないことを認めると自分の経歴に傷がついてしまうからである。


(反乱が起きてから討伐すれば功績になるとでも思ってんじゃねえか……?)



南荊州、長沙のオウ一族の横暴は特にひどかったので、孫堅はこれを告発しようとした。

しかし、被害者が報復を恐れて口をつぐむため、噂はあっても証拠が手に入らない。


これでは討伐に行けない。


と思っていたら。



「盗賊ですよ!?早く捕まえて牢屋に入れないといけないんです!それをあの太守ちじときたら!」

「だからってよぉ、百も二百も騎兵を大勢ェ引き連れてよ?今にも戦争始めますみてえなナリで練り歩いていいわけじゃあねえだろ」


董木鈴が商隊を略奪されたと怒って私兵を率いて江夏までやってきていた。



(証拠が向こうからきたぜぇ!!!)

孫堅は密かに喜んだ。




・ということで董青視点に戻ります

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る