第101話 衣食足れば栄辱を知る

『臣が聞きますに


いにしえに「倉廩くらいっぱいならば礼節れいぎを知る、衣食足れば栄辱めいよを知る」と言います。


天下の政道は朝廷はよく賢人を登用し、人民には聖徳が行き届いております。

これはいにしえの聖帝の世と変わりません。


それでも反乱が治まらないのは、ただ人がおおく財がすくないのです。



いにしえは耕さずとも草木の実りで食べられ、織らずとも獣皮をまとえば用が済みました。


人がすくなく、財が余っていたのです。




過去歴代の皇祖の聖徳により、これまで民は安心して子を産み育ててきました。


今や夫婦に五子ごにんきょうだいは珍しくありません。


ここでまた五子がそれぞれ五子を持てば、夫婦は二十五孫を持ちます。




人民は甚だおおく、耕田はたけは狭くなります。


これでは君主がいくら徳を施しても、人民がいくら働いても養うに足らず、乱はまぬがれません。


よって、宜しく水道を導き、良田をひらいて民に耕させるべきです。財は増え、税収も上がり、民の心も安んじられましょう。


愚かな考えではありますが、謹んで上記の通り申し上げます。


劉弁』



 ― ― ― ― ―



漢王朝の中興の祖、光武帝が天下を平定したのは約150年前です。


その時に、漢土ぜんどの人口は約2000万人でした。

そして今、総人口は約5000万から6000万人と言われています。


もちろん、この間に漢朝このくにの領土が3倍に増えたりはしていませんし。

農業技術が3倍も進歩したわけではないです。



なので民衆はどんどん分割相続を行って土地が狭くなります。

貧しく人頭税が払えずに自分を奴婢どれいに売るしかなくなるのです。



よって肥え太るのは豪族、名士の家ばかりとなります。

漢朝このくにの税制は土地の税は安く、人頭税が重い仕組みです。


土地を多くもち、税の安い奴婢どれいを多く抱えれば抱えるほど儲かる仕組みになってしまっています。





というわけで、弁くんと相談しました。


皇帝の貯金を吐き出させて新田開発をさせるべく、弁くんから上奏ていあんしてもらったのです。




なお、皇帝曰く。

「良い考えだが、予算がないな。あの貯金は反乱対策用だから使うわけにはいかん。各地の太守に新田開発を頑張るように指示しよう」


とまぁ、あっさり却下され、予算ナシの努力目標となってしまいました。




ただ、これで一応各地の太守の政治目標に新田開発の促進というのが追加されました。


用水路の設置や新田開発の許可は格段に通りやすくなったのです。




 ― ― ― ― ―



というわけで、謎の覆面ますくど美少女巫女、董青ちゃん14才は河伯教団の長安チョウアン支部にいます。


あの前に見学して、とってもしょっぱかった場所。

塩に埋もれた水路と周辺の耕作放棄地を政庁から買い取り、農地の復興に取り組むのです。




「お嬢様。水路が巨大すぎて……人手が全く足りません」

現場を指揮する公明くん、教団の幹部の若武者、徐晃公明が疲れたように言います。


うーん、さすがに秦の始皇帝が十万近い人手で切り開いた水路を千人やそこらで掘り返すのは無理ですか。


では規模を縮小して、少しずつ洗い流して……。



「お嬢様、隣の塩だらけの土地から風で塩が吹き込まれてきます」

「呪われてるんですかこの土地は?!」


防風林を作ります!


えっと、塩に強い木……知らない!えっと、海の近くの林って……松ですね!

山から松を連れてくるのと、あと苗木も植えます!


「あと、塩が吹き込むなら土地にむしろを敷いて守りませんか?」

「それは良いお考えですが……ものすごい量の筵が必要になりますね」


農地に筵を敷いて、小さく開けた穴に作物を植えます。


「これは、土が乾かないので水やりが少なくて済むかもしれません?」

「なるほど」


というわけで、塩害にさいなまれている土地でちまちま水で洗い流したり、荒野に松を植えて回ったり、筵で小さなはたけを作って栽培試験をするなどを始めました。



しかし、これは……


「収穫には程遠いですね」

「うん……」


公明くんと二人、厳しい現実に途方にくれました。

これ、成果がでるの何年後だろうね?




 ― ― ― ― ―



「とりあえずご飯にしましょうか」


信者さんたちが寄り集まって、鍋を作り始めます。




しかし、河東郡カトウぐん安邑アンユウの教団本部は石炭の生産が順調で、高炉での製鉄や陶器の生産で収益が上がっています。


洛陽ラクヨウの支部は装飾品や高級織物を洛陽の宦官や高官に売って大変儲かっています。


長安支部は、董卓軍への補給任務や、その護衛任務が主な仕事で、あとはちまちまと乾餅くっきーを焼いたりしていますが、産業としてはかなり大きな赤字になっています。


ついこの間まで反乱で土地が荒れていたこともあって、流民を多く受け入れたことも財政には痛手です。



ここの開拓が上手くいかないと財政が持たないんですよねぇ……



「お嬢様、お悩みですか?」

「あ、はい。ここの開拓は大変だなぁと……」


公明くんが心配そうに私の表情を覗き込んできました。



……しかし、改めてみると結構背が伸びましたね。


公明くん、もう17才だしこの時代だと立派な大人ですよね。

それにとっくに元服して実家を背負ってますし……。


筋肉もいい感じについていて背中が大きな感じで……。



「あ、あの、お嬢様。なにか僕についてますか?」

「あ」


さっきからずっと見つめてしまっていたのに気づかれました。

公明くんがなんか赤くなって照れてます。


「あ、いや、べ、別に見てたわけじゃ……」


わ、私まで赤くなるじゃないですか。やめてくださいよ。


うう、公明くんって私のこと好きなんですよね。

いろいろ献身的ですし。


正直頼れる感じで……



なんかやいのやいの結婚しろとか言われるなら、もう董卓パパの了解とってしまえば……。



「青、何してるの?漢人はこんな塩だらけの土地も耕すの?」


突然後ろから声がしました。


「うわっ?!」

「む、匈奴の若君ですか。……お久しぶりです」



開墾中の私たちを見つけて近づいてきていたのは、匈奴キョウドの王族の子、劉豹リュウヒョウくんでした。





・参考文献 管子「牧民第一」

・参考文献 韓非子「五蠹第四十九」

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