第96話 (閑話)趙忠その2

※趙忠および第三者視点です



趙忠の人事で配属された刺史そうとく太守ちじは非常にやる気があった。

ありすぎたと言っていい。


左遷された皇甫嵩コウホスウの派閥から登用された太守たちは皇甫嵩の汚名をすすごうと考えていたし、刺史となった大儒者も汚職や戦乱で荒れた民心を落ち付かせようとしていた。


各太守たちは早速赴任地の郡に到着すると、属吏やくにんの人事を見直し、反乱で荒れたはたけや水路を修復し、人が居なくなった土地には兵士を配置して耕作させた。すなわち屯田である。


そして刺史は精力的に涼州の各郡県を見回って仕事ぶりを調査している。


(ずいぶんと話が違うではないか)


儒者出身の刺史は思った。


涼州は反乱で荒れ果てており、また戎狄いみんぞくもまだまだ歯向かっていて戦いが続いているという話であった。


しかし、反乱軍の残党や盗賊はほぼ討伐されており、西域の商人も行き来を再開しており各地の市も非常ににぎわっている。


(江東猛虎という将がずいぶんとやるらしいな)


新たに中郎将に昇進した孫堅ソンケン文台ブンダイのことである。


彼が精鋭の騎兵を率いて戦場となった金城キンジョウ隴西ロウセイ漢陽カンヨウの三郡を駆けまわっており、おかげで盗賊や残党の類はすっかり鳴りを潜めているのだ。


大人しいのは戎狄いみんぞくも同じである。


西方の山々に住んでいる羌族や月氏族はすっかり大人しくなっており、攻め寄せてくる気配もない。


しかし、ならば朝廷に帰順したのかというと、そうでもない。

ただ、居住地に逼塞おとなしくしているだけで、降伏する様子もないのだ。



(これは、 護羌校尉トウタク怠惰なまけではないか)


董卓の本拠地である金城に入った刺史は、すぐさま開かれた盛大な宴会かいぎでそう考えた。


この董卓という男は日々羌族や地元の名士と宴会ばかりしている。

この羌族は反乱に参加しなかった部族であり味方だとは聞いているが、こうも戎狄いみんぞくに甘いのでは反乱した部族も降伏する気が失せるのではないだろうか。



「いや、討伐は致しますぞ?しかし、羌も月氏も騎馬戦の上手、それを敵の本拠地に入り込んで戦おうというのですから念入りな訓練と準備が必要でしてな」


連日の宴会で膨れ上がった丸い顔、その下半分を覆う髭の間から大きな口を開いてゆたゆたと言葉が出てくる。



董卓は言い訳をしている。

そう感じた刺史は彼の兵を調べることにした。


刺史そうとくとして、将軍の兵を一度見せていただきたいのですが?」

「もちろんです、明日にでもお目にかけましょう」


 ― ― ― ― ―



翌日、金城の郊外に歩騎三万の官軍が整列していた。

整然と兵営から出撃すると、董卓の部将の指示に従って見事な進退を見せる。


「いや、このとおり訓練はしておりますが、まだまだでしてな」

「なんと!精鋭ではないですか!なぜ今すぐにでも羌族を討伐なさらんのですか!」


董卓がまた言い訳をして見せると刺史が血相を変えて食いついた。

ここまで兵を鍛えておいて、ずるずると出撃を遅らせているのでは兵糧を無駄に消費しているだけではないのか。


刺史は任命されたときに皇帝から「冗費むだを削減せよ」と直接お言葉を賜っていた。

財政を常に気にしている皇帝である。十万の討伐軍を三万に削減したがそれでも大軍である。

涼州の反乱が片付き次第、もっと予算を減らしたいのだ。


刺史はこの皇帝の言葉が頭に残っている。

すぐに羌族を討伐すればさらに兵が減らせるではないか。



しかし董卓は別のことを考えていた。


(これが精鋭?冗談ではない)


たしかに徴兵で毎年兵が交代する関東の基準であれば、武器を扱えて命令通り行進できれば精鋭といっていいだろう。

騎兵も馬に乗って集団で進めれば十分に精鋭だ。


(しかし、涼州は違う)


騎兵と言っても、軽騎兵は騎乗したまま弓を扱う、つまり騎射ができてやっと羌族と互角なのである。

さらに突騎や鉄騎という重騎兵に至っては、鉄の甲冑よろいかぶとを身にまとって、騎乗したまま矛や槍で敵騎兵を突き落とせないとならない。


この時代、乗馬をする際に足を支える道具、つまりあぶみというものはない。


乗馬の補助にくくって輪っかにした縄を下げることはあっても、足を踏ん張って乗馬のまま武器を扱うためのあぶみはない。


鐙がなければどうするかというと、両足で馬の身体を挟むのである。


騎乗のまま矛や槍を振り回し、その打撃や反動を両腿で馬の胴体を締め付けて耐える。

両手両足を同時に鍛え、長物を自由に操り、かつ馬術にも熟練しなければそのようなことはできない。


突騎または鉄騎と呼ばれる重騎兵はそれができる精鋭中の精鋭であり、漢人が騎馬民族と一緒に開発した当時最先端の兵科であった。


「まだ訓練が足りませぬ。羌族に勝つには十分な訓練が」

「勝てるのに戦わぬのは怯懦おくびょうの罪ですぞ!」


董卓が説明するも刺史は居丈高になって言い募るばかりである。


(軽騎兵と重騎兵が両方揃わねば攻撃などしても泥沼になるだけだというのに)


兵に対する常識が違うのに説明しても理解しようとしない。


「しかし、この程度ではまだまだで……」


董卓は内心の苛立ちを隠すために表情をひたすら丸くした。

それが刺史からは愚鈍ばかにしか見えない。


「なるほど、よく理解いたしました」

「ご理解いただき有り難く存じますぞ?」


董卓が頭を下げたが、刺史の腹積もりはもう決まっていた。



 ― ― ― ― ―



洛陽では趙忠が涼州から送られた上奏文ほうこくしょを見て笑っている。


「ほほほ、また痛烈な報告ですね」


涼州刺史は上奏文で董卓の怯懦おくびょう怠惰なまけをひたすら批判していた。

さらに反乱はもうほぼ収まっており、護羌校尉トウタクの兵は半分も要らない。

良将の孫堅が董卓の下にいるのは極めて勿体ない。

郡県じもとは良く治まっており、兵の訓練も済んでいる。郡県じもとの兵と予算だけで十分に反乱した羌族や月氏を降伏させられるので出撃命令を欲しいと書いてあった。


「さて、董卓を弁護してあげるかですが……そんな義理もありませんし」


趙忠は董卓から賄賂の一つも貰っていない。

なのになぜ弁護する必要があるだろうか。


高名な学者出身の刺史そうとくがきちんと調査して報告してきており、そのこと自体に問題は見つからない。


「それに陛下はお喜びになるでしょうしね」



趙忠は上奏文を素通りさせ、皇帝はそのまま受け取って裁可した。


たまたま荊州ケイしゅう江夏コウカの兵が反乱し、太守ちじが殺されるという事件があった。

反乱鎮圧のために派遣する部隊が欲しかった皇帝は、孫堅に董卓の兵を半分率いての荊州への転戦を命じた。


そして、刺史には郡県じもとの兵を率いて羌族や月氏族を降伏させるよう命じたのである。


(うむ、新たに部隊を編成せずに安く済んだな)


皇帝は反乱を安く対応できて機嫌が良いようだ。

趙忠も喜んだ。宦官は宿主の幸せを常に願っているのである。






・後漢書/巻八

 中平三年春二月,江夏兵趙慈反,殺南陽太守秦頡。


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