第45話 (閑話)董卓伝その1

※後世の歴史家視点です

 『』の中が非三国志的な出来事です。それ以外は三国志での出来事です。



董卓トウタクは字を仲穎チュウエイと云い,隴西郡ロウセイぐん臨洮県リントウけんの人である。


若いころは任侠を好み、羌族キョウぞくと交友していた。隴西の実家で農業をしていたが、大切な耕牛を潰してまで羌族を歓待したため、羌族は礼に家畜千頭を贈った。


郡や州で軍人として働き、異民族と戦った。段熲ダンケイ将軍の推薦で、袁隗エンカイの部下となった。


桓帝の末(西暦167年)、羽林郎このえへいに取り立てられた。武勇に優れ、怪力を誇り、左右に騎射できた。


軍司馬ふくかんとして中郎将ちゅうろうしょう張奐チョウカンに従って功があった。絹9千匹を賜った。卓はすべて部下に配った。張奐にも絹を贈ろうとしたが嫌われて断られた。


広武県、蜀郡、西域などの辺境の役職を歴任し、并州刺史、河東太守に昇った。 戎狄いみんぞくとの戦いは百数回を数えた。


『黄巾の乱に際し、董卓は河東郡の黄巾の悪心を見抜き、乱を起こす前に討伐した。河東郡では黄巾党および群盗はおこらず、平和を保った。董卓は先見の明を讃えられた。』


中郎将として張角を討伐したが、功績が無かったので皇甫嵩に代わった。


曹操ソウソウは董卓の兵備、兵糧の手配は一切の抜かりがなく、良将であると評した』


『董卓が河東郡にて謹慎中に、河伯賊が白波賊、匈奴と語らって反乱を起こした。河伯賊はかねてより河東の民に礼を教え、薬を施していたため、そのかずはたちまち数万に上り、河東郡太守のいる安邑を囲んだ。』


『太守は賊を討伐するために兵を集めたので、太守の客となっていた董卓が参加した。董卓の部曲ぶか李傕リカク郭汜カクシが賊将と一騎打ちを行い、一勝一敗あった。』


『董卓は賊の真意が反乱にないのを見抜き、使者を送って問いただした。はたして河伯賊の首領、河伯君は戸籍を献じて降伏を願ったが、太守はこれを疑って討伐せんとした。』


『董卓は太守に告げて曰く。

「太守閣下、いにしえの習いに降伏する者は戸籍と地図を捧げるとあり、これを版図はんとと云う。閣下の武威と仁徳は無限むげんにて無窮きわまりなく、河伯賊、白波賊、匈奴は閣下を慕ってまさに帰服せんとす。卓はこれを祝す」


太守は返答して曰く。

「賊すでに反す。討伐せねば太守の責を果たせず」


董卓曰く。

「閣下は着任したばかりにて閣下の明徳を貪官汚吏あくだいかんが覆い隠す。賊の本は良民であり、追い詰めて賊にした者が責を負うべし。

古語に「兵は凶器、戦いは逆徳、争いは最後の手段」とあり、討伐せんとすれば費用ついえは数百万銭に及び、混乱あれば近隣の黒山百万の賊、鮮卑ら異種いみんぞく来寇せめよせんとす。

降伏をれ、よろしく河伯の長を校尉たいさに任じ、他郡の賊に備えられたい。そしてまつりごとただし、貪官汚吏あくだいかんを整理すれば、太守は一銭、一兵をも損せずして乱を治め、太守の功は万丈の山のごとく高くなりましょう」


太守は喜び、「董君の言や然り」として、河伯君を破賊校尉はぞくこういに任じた。これにより河東には賊がいなくなり、汚吏は恐れて官職を返上した。河東の民は戦乱を逃れ、礼を守り、仕事に励み、豊かな生活を送った。』




韓遂らが涼州で反乱したので董卓は中郎将に戻り、皇甫嵩の副官として長安に駐屯した。

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