第44話 (閑話)劉豹その1

※匈奴の王族の少年。劉豹(リュウヒョウ)くん視点です。




大漢だいかんという大きな国がある。彼らはただしきこころを良しとし、この皇帝は天より認められた唯一の支配者だとして天地の間のすべてを支配すると言っている。


匈奴キョウドという大きな国があった。彼らはたけつよさを良しとし、単于ぜんうこそがはるか高き天空テングリより認められた唯一の支配者だとしてすべてを奪うのだと言っていた。


大漢と匈奴は何度も戦い、匈奴は何度も勝った。しかし、漢はまるで疾風になびく草のように、いくら倒してもいくら殺しても、そのたびにそのたびにつよく立ち上がるのである。


そして、数え切れぬ戦いの末、匈奴は負けた。強さがすべての彼らは負けた時点ですべてを失ってしまう。匈奴の帝国は四散し、傘下の民族もバラバラになった。


あるものは西へ行くのだと言った。はるか西で新しい敵を得てそこで勝つのだと。あるものは留まると言った。漢の皇帝が強いならばそれを認めることで勝てるだろうと。



「どちらが正しいのですか?」

「どちらも匈奴フンナだ。勝つために戦う人間フンナだ」

父は言ったが、少年にはよく理解できなかった。逃げたり、屈服することに勝利があるのだろうか?


西に行った者たちの戦いの道は辛く苦しかった。知らぬ土地で知らぬ民族と戦い続け、多くの者が倒れたが、西へ進み続けて、そして噂も聞かなくなった。


残った者たちが大漢に仕える道も辛く苦しかった。漢人は匈奴を文明をもたない異種いみんぞくだと見下していたし、漢の皇帝の任命する役人は少数の例外を除いて、匈奴たちから奪い好き勝手にこき使った。しかし、匈奴たちはある意味では納得していた。強いものが正しいのだから、弱いものが虐げられ奪われるのは当然ではないか。


文句があるものは兵を挙げたが漢の強さを再度理解しただけであった。


ある時、漢の使匈奴中郎将しょうぐんが余りにも酷いので、皇帝に上奏文てがみを送ったことが有ったが、漢の将軍はそれを途中で奪って逆に匈奴が反乱したと報告した。


文句があるものはまたもや兵を挙げたが漢の強さを改めて理解しただけであった。


ある時、漢の使匈奴中郎将しょうぐんの機嫌を損ねた単于がいて、即座に殺された。少年の祖父がそのあとに単于になった。


文句のあるものは黙った。


大漢は巨大だ。単于おうですら草のように刈り取られる。


少年は漢の勉強をさせられた。知彼知己者百戦不殆てきをしらなきゃかてやしない。いい言葉だ。なので、少年は漢の言葉を習わされた。漢の本を読まされた。


少年は名を捨てさせられ、劉豹リュウヒョウとなった。


勝つためだ。


漢の言葉が上手くなり、漢の本も読めるようになったが、劉豹は乗馬や弓矢も好きだった。しかし、父は良い顔をしない。もっと漢人にならねばならないという。漢人の知恵を身に着けるのは豹も同意見だった。しかし魂は草原に残したかった。良い匈奴は戦う匈奴だ。



漢で反乱がおき、皇帝の命令で匈奴も出陣することになったことを聞き、劉豹は父の於夫羅オフラに連れていけとねだった。父は嫌がったがひたすら説き伏せた。「漢人の勉強のためです」というと父はしぶしぶ認めた。


良い漢人は兵にはならない。だが、良い匈奴は兵でないといけない。戦争いくさを知る必要がある。



 ― ― ― ― ―



河東郡カトウぐんに面白い少女がいるらしいとはあらかじめ聞いていた。漢人なのに漢の皇帝の命令から匈奴をかばうのだ。さらに漢人も匈奴も同じ人間だなどと言ったらしい。また河東では学問の良くできる娘だと評判なのだそうだ。


「あの友人。董太守トウタクの娘ならばそうだろう」

父はなぜか嬉しそうだった。


董太守トウタクは辺境での仕事が長く、異種いみんぞくを公正に扱うと評判だった。対等ではない、平等でもない。戦場でそんなものを気にするやつはいない。上下関係を乱した軍は負ける。だが、董卓は少なくとも漢も匈奴も羌も手柄を立てれば賞し、軍令を破れば斬った。強いかどうか、勝てるかどうかが大事で、だからこそ漢人以外も多く従えていた。


「豹の嫁に貰うか」


父の言葉に、それはいいと豹は思った。外交でも学問でも役に立ちそうだ。勝つために。



……


……



黄巾党討伐のための行軍中にその娘と出会った。最初は少し驚いていたが、なぜ軍中に子供が居るのかと聞いたら正面から問い返してきた。


「あなたも子供ですよね?」と。


男に真正面から反論する少女など始めて見た。なかなか根性がある。さらに子供ではないと言う証明にイタチを狩って見せたら、とても喜んでくれた。


「すごい!すごい!」

なぜか少女の言葉に豹の胸の奥底が弾む。

そういえば父は漢人になるための読み書きや言葉遣いを褒めてくれたことはあったが、弓矢の腕を褒めてくれたことはなかった。


その少女が董太守の娘だとわかったので、狩ったイタチを渡そうとしたら嫌がられた。喜ぶと思ったのだが。


……


……


どうも父は董太守にすでに結婚の話をして、断られたらしい。だが、本人の了解があれば連れて行っても問題はないだろう。


黄河の渡しで別れてしまうことが分かったので、慌てて董太守の娘に会いに行った。


イタチを加工した帽子を渡すと、とても喜んでくれて、しかもほんみょうを告げてくれた。青、青か……いい名前だ。


「豹というのも格好いい名前だと思いますよ?」


董青がにこりと笑ってそう言った。とても澄んだ目で素直に心を射抜いてくる。これは、良い返事と受け取っていいだろうか。



そこで、古い婚姻の詩を歌ってなぞかけをしたら、一瞬で気が付いて真っ赤に顔を染めていた。


賢いし、とても可愛い。異種いみんぞくに優しく、学問もあり、豹の武芸も好いてくれている。年齢以外は完璧だ。


正直、その場でさらって行きたいぐらいだったが、周囲で警戒している董家の軍勢から逃げきるには、まだ豹の馬術では不足していた。



……


……



次に会った時、豹は董青に手ひどく振られてしまった。

まさか男装を男性だと勘違いしたせいではないと思うが、董青の「口説き方が下手です」「大人になってやりなおしてください」という言葉は堪えた。


たしかに、冷静になって考えてみると、劉豹に董青が必要でも、董青に劉豹は必要ではない。そのうえ漢人らしく親の同意が必要だと言う。


周りの戦士に女の口説き方を聞くと、やっぱりさらうのが一番良いみたいだ。


とにかく早く大人になりたい。そうしたら董青を担いでも馬の脚を保てるだろう。




 ― ― ― ― ―



劉豹にとって広宗城コウソウじょうの戦いは悪夢だった。匈奴に城攻めは向いていない。漢の将軍コウホスウの作戦で向いていない戦場に投入された匈奴がたくさん死んで、指揮官だった於夫羅オフラは長老たちにひたすら責められた。漢からもらった褒賞ほうびを配っても足りないようだった。



父の於夫羅オフラ単于庭みやこの長老たちを慰めて回るため、劉豹は於夫羅の部民がいる河東郡に預けられた。


河東郡の匈奴の里はずいぶんと活気があり裕福だった。劉豹が驚いて聞くと、「河伯教団」というところと大口の取引をしているのだそうだ。


その教団の長が董青だと言うのはすぐ分かった。



「これがその餅乾くっきーというもので」

長老が持ってきた、この商売の軸になっている食べ物を見て劉豹は驚いた。


これは漢土の麦や果物に、匈奴の乳酪を混ぜて生み出すのだと言う。どちらかだけなら、漢人や匈奴の食べものだが、二つを合わせることで皆が喜ぶのだ。


さらに匈奴たちに聞くと、董青は漢人も匈奴も見向きもしない土地を開拓し、 餅乾くっきーや土器を生産することで新しい仕事を世の中に生み出していた。さらには石炭という燃える石を発見したともいう。


劉豹は漢人と匈奴のはざまで悩んでいたのに、董青は一歩先を行っていた。漢人も匈奴もやらないことをして、皆を幸せにしているのだ。





……


……



その話を聞きながら、劉豹はひたすら鍛錬に励んでいた。毎日書を読み、騎射を行い、部民を連れては巻狩りをして部隊指揮を学び、遠乗りしては立派な獲物を探した。このまま自分だけが大人にならないのでは董青が手の届かない存在になりそうだったからだ。



ある日、劉豹は野生馬の群れを見つけ、一番よい馬を牡牝のつがいで捕まえると、みっちり自分で調教を付けて馴らした。見違えるようになった馬を見て、匈奴の部民が感嘆の声を漏らす。ここまでできるなら大人と言えるだろう。




……


……



劉豹が部民をつれて董青に会いに行ったら、山賊に襲われていた。手持ちの矢で追い散らして、河伯教団の本部にいき替矢を求めると無いのだと言う。


見渡すと大きな里なのに、ろくな防備もない。


なんか董青の護衛に兵が数名ついているが、こいつらは何をしてたんだ。文句を言ったら董青が少年兵をかばう。その公明とかいうやつが一騎打ちで山賊を倒したのだとか。


これなら自分が一緒に居て守ったほうがマシだ。そう言ったら長老に怒られた。


となると、防衛を固めさせるしかないか。柵を拡張して、鉄を鍛え、弓矢を多く作らせるように話をした。公明とやらも問題点は把握していたみたいで、防衛準備は順調に進んでいく。



董青とは順調に進まない。

「馬捕まえたのはすごいですけど、大人になるってのは、もっといろんな意味で成長しないとダメだと思いますよ」


……馬を二頭贈って大人だから結婚しようと申し込んだのだが、董青にまた振られてしまった。何かが足りないらしい。なんだろうか……。



 ― ― ― ― ―



劉豹は、武装させた部民を連れて、董青の大行進に参加していた。


董青は「手続きをちゃんとしてもらいます!」と叫んでいた。


なるほど、河伯教団の住民への不当な扱いや間違った政治を正すために安邑の太守の下に押しかけるみたいだ。


いったい何が起こるかわからないので護衛につきたいと言ったら長老が200騎の精鋭を用意してくれた。河東郡の匈奴にも董青は好かれている。とても嬉しい。


みるみるうちに河東郡の各地から民が集まる。気が付けば一度撃退したはずの白波谷の山賊まで参加している。董青は長い間粥やら薬やらを施していて人気があるのに対し、新しい太守は人気がないらしい。さすがは董青だ。


結果的に、董青は何の前触れもなく数千の群衆を安邑城の目の前に登場させた。安邑の太守は油断しきっていて十分な兵を集めていない。奇襲すれば城だって落とせるだろう。



……


……



戦いは少ししかなかった。一騎打ちをするのみで終わった。



むしろ董青は太守に降伏し、降伏することで大勝利を収めた。

官位を得て、教団の領地を公認させ、政治を正すことも約束させた。


あの場で太守軍を攻め潰して首を取ることだって可能だったのに。勝てる状態で負けることでさらに大きな勝利を得る。



……次も董青と一緒に勝ちたい。きっと世界が大きく変わる。



次の戦いについて尋ねたら、董青は苦笑しながら「次は父上とです」と言う。子が親から離れるためには、結婚して独立した家を建てるしかない。


親の了解は得られないので、さらうしかないなと思い、それを提案したら怒られた。「泣き叫ぶ」のだと言う。


仕方がないので一度引くことにした。匈奴は不利な戦いに固執しない。すぐに引き下がる。ただ、それはあきらめるという意味ではない。勝つためだ。



絶対にあきらめない。いつかさらっていいと言わせるんだ。

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