第14話 (閑話)董青伝その1

※後世の歴史家視点


董青トウセイあざな木鈴モクレイといい、隴西郡ロウセイぐん臨洮県リントウけんの人である。

父は董卓トウタクよわい十に満たずして千巻の書を読み、文章をくし、算術にも通じたため、神童と呼ばれていた。


時に奇声をあげて卒倒そっとうするくせがあった。また姪の董白トウハクと親しみ、これと結婚すると称した。


ある時、家人けらいに罪あり董卓が怒った、董青が庇って「死をたまわるべからず」と言ったため董卓は笑ってこれを許した。


また、ある時、匈奴キョウドの里へ行き、官吏の横暴を止め「漢人かんひと匈奴キョウドいずくんぞしゅあらんや」と叫んだ。

その時、漢人はみな匈奴をいやしんでいたため、匈奴は泣いてその人徳をたたえた。


董卓には文をくする部下が少なく、長ずる前からひそかに男装し、李傕リカク郭汜カクシを助け文官として働いた。董卓はこれを知るも止めず、親族の男子として扱った。

均輸きんゆたずさわり、物価が安定したため商家は皆繁栄した。


人の十倍の仕事をこなし、日々命じて人を縦横じゅうおうに走らせ、税を偽る者があれば捕らえ、ほかの吏たちは気の休まる暇が無かった。

賄賂わいろを嫌い、贈ろうとするものを叱り、受け取った者がいれば焼き払うと言った。


光和こうわ六年(西暦183年)、黄巾党コウキントウに邪心あるを父董卓に告発した。河東郡の黄巾党は武器を持ち出して乱を起こし、董卓は軍を発して大いにこれを討った。これにより河東郡は黄巾の害を免れた。


異説にはそのころ巫女として河伯教団を設立し、貧富分け隔てなく人と接し、病死人に臨んでは涙を流し、衆望を得ていたとするが、別人ともいわれる。

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