茜色した思い出へ

増田朋美

茜色した思い出へ

秋が深まり、空も秋の空と言う感じになってきた。昨日は台風が来て、かなり大きな台風だったようであるが、幸い静岡県は何も被害はなく、いつもどおりに過ごしていた。

その日駅員の仕事は休みだったので、由紀子は製鉄所へ行くことにした。というか、行かないと、自分の気がすまない。たとえ台風がどうのとかそういうことであっても、必ず水穂さんに会いに行かないと、なんだか自分の居場所がなくなってしまうよなそんな気がするからだ。

由紀子はその日も、ポンコツの車を走らせて、製鉄所に向かった。由紀子が到着したときには、朝の九時を過ぎていた。水穂さんは、相変わらず布団に横になったままであった。世話をするために製鉄所にいた杉ちゃんが、水穂さん、布団干すぜ、とでかい声でいって、彼の、掛ふとんを一枚とった。もう、布団をとったら、半纏でも着せてやらないと行けない季節になっていた。由紀子は、枕元に置いてあった羽織を、水穂さんにかけてあげた。

「今日は、お客さんが来るんだったよな。10時には来るって言ってたよな。」

と、杉ちゃんが言うと、水穂さんも、そうですね、と頷いた。由紀子は誰が来るのかと聞くと、杉ちゃんは、浩二君と、その生徒さんだよと答えた。由紀子は水穂さんは大丈夫なのかと聞くと、多分大丈夫だろうという返事しか帰ってこなかったので、ちょっと不安にもなった。水穂さんの近くで足の悪いフェレット二匹、正輔君と輝彦くんが、水穂さんを心配そうに眺めていた。

「こんにちは、桂です。右城先生はいらっしゃいますか?今日、そちらにお伺いする予定だったのですが。」

玄関先で、桂浩二君の声がした。同時にもうひとりこさせてもらう言ってたはずなんだけどな、と、杉ちゃんが言うと、

「あの、本当によろしいんでしょうか。あんな偉い先生に、私の演奏を聞いていただくなんて。」

と、一人の女性が浩二に話している声が聞こえてくる。

「偉い先生でも何でもないんだよ。ただ、水穂さんは水穂さんだから、安心しな。」

と、杉ちゃんが言うと、浩二は、ほら入ってくださいと女性に促した。杉ちゃんたちが、誰が来るんだろうなと話していると、

「右城先生、こんにちは。桂浩二です。今日は、ピアノではありません。彼女は、オーボエ奏者です。吹奏楽で、ずっとオーボエを吹いていたそうです。そうですね、野村さん。」

浩二はそう言って女性を紹介した。

「野村美希さんです。どうぞよろしくおねがいします。職業は、」

そう言って、少し言葉に詰まった彼女に、

「いいよ。いわなくても、ここへ連れてくるやつは、だいたいそういうことに、劣等感持ってる奴らだからさ。そういう事は、いわなくていいから。」

と、杉ちゃんが言った。

「野村美希さんね。それじゃあ、今日は、何を吹いてくれるか、教えて貰えないかな。」

と、杉ちゃんが言った。

「ええと、、、曲になるかどうかもわからないんですけど。本当に下手ですから。もしかして、クラシック曲でない曲は、先生のような人は好きじゃないかもしれない。」

と、野村美希さんは、恥ずかしそうに言うのだった。

「そんな事、いわなくていいよ。どんな曲でも、こいつは聞いてくれますから。音楽は、クラシックでもポピュラー音楽も、音楽としてやっていけるよ。」

杉ちゃんがカラカラと笑うと、そうですね、と野村美希さんは、ちょっと恥ずかしそうに言った。

「勿体ぶらないで、大丈夫です。曲を教えてくれませんか?」

と、布団に正座して座りながら、水穂さんが言うと、

「はい。えーと、映画ニューシネマパラダイスのテーマソングです。」

と、彼女は申し訳無さそうに言った。

「そうか。じゃあ、浩二君のピアノ伴奏で吹いてくれるというわけだね。じゃあ、ここでちょっと吹いてみてくれ。」

杉ちゃんがいうと、急いで彼女はカバンの中からオーボエを取り出して組み立て、リードを付けた。オーボエと言っても、クランポンのような高級品ではなく、どこにでもある安物の楽器だったけれど、彼女は大事にしているんだなと思われるところが会った。浩二は、水穂さんにピアノを貸してくれと言って、ピアノの前に座った。彼女は、オーボエを口元へ持っていき、浩二と一緒にニューシネマパラダイスのテーマソングを吹き始めた。ちゃんと音になっているし、息遣いもしっかりしている。決して練習を十分にしていないということではないらしい。音楽的にも、しっかりと、滑なに吹いているし、なかなか上手な演奏であると思った。

演奏が終わると、杉ちゃんも水穂さんも、拍手をした。由紀子は、水穂さんが、布団に座って倒れてしまわないように、からだを支えてやった。

「へえ、上手な演奏じゃないか。いい演奏だったよ。音楽学校でも出てるの?」

と、杉ちゃんが言うと、

「いえ、音楽学校は行きませんでした。代わりに、事務関係で働いたんですけど、そこで、上司と相性が合わなくて、それであとはずっと働いてないんです。生活は、親がいてくれるから、なんとかやらせてもらっているんですけど。でも、逆をいえば。」

彼女、野村美希さんは言った。

「逆をいえば?」

と、杉ちゃんがすぐいう。杉ちゃんという人は、なんでもおしまいまで聞いてしまわないと、気がすまない性格だった。話を途中でやめてしまったりすると、直ぐに最後まで聞きたいという人であった。

「逆をいえばなんだよ。お前さん、どう見てもわけありだな。きっと訳ありなのを自分でも受け入れられなくて、オーボエ吹いているときは、それを忘れられるから、中毒みたいに吹いている。違うか?」

杉ちゃんにいわれて、美希さんは、小さいこえではいと言った。

「そうか。じゃあ、逆をいえばどうしようか、話してくれるかな?」

「はい、ごめんなさい。親が死んだら、もう生きる事はできません。だから、そうしたら、死のうかと思っているんです。」

美希さんは、そういった。

「そうか。それでお前さんが楽になるのなら、それしかないよなあ。死のうとしている人間に、生きろと言っても、かえって逆効果になっちまうから、それは、いわないでおくよ。きっとお前さんは、そうしないと、決着つかないんだろうし。まあ、自殺なんて、だいたいそういうもんだけど。」

杉ちゃんが、にこやかに笑った。にこやかに笑っているから、大したことないように言っている様に見えるけど、なにか深刻なことを含んでいるように見えた。

「まあ、そう思っているんだったら、そう思うしかないよなあ。好きなことやれって言っても、きっと罪悪感で、できないだろうからな。そうだろう?きっとお前さんのご両親は、好きなこと一生懸命やって、頑張れって言ってくれるんだろうけど、お前さんは、そうは思えないんだよな。確かに、そうなっちまうもんだよな。家族なんて完璧な味方になれないことは、製鉄所のメンバーさんたちの話聞けばわかるよ。大事なのは、奴らの話と、家族の話を繋げてくれる存在だ。そういうやつがいてくれれば、もっと家族は近づける。」

「杉ちゃん、よく言えますね。そういう事を、言ってくれる人はなかなかいませんよね。普通の人は、そういう事を言いたくても隠してしまいますよね。それか、カッコつけて、自分の道はどうにかしろっていうか。」

と、浩二が杉ちゃんに言った。杉ちゃんはカラカラ笑って、

「まあ、事実そうだから、そういうことで我慢するしかないんだよな。まあ、そういうことだよな。事実がそうならそれに対してどうするかいわなきゃいけないから、そういう話になるんだよ。子供がというか誰かが精神疾患になっちまったら、家族だけで解決しようなんて絶対ムリだもん。皆それを知らないから、障害者殺害とかそういう事になっちまうの。わかる?」

と言った。

「本当は、親が元気なうちに第三者にお願いすることだと思うんです。でも、患者さんに親が尽くしすぎてしまうんですよね。それをかっこいいと思うのではなく、もうできないんだと言ってくれたほうが、よほどかっこいいですよ。」

「浩二君、そういう事にも詳しくなったね。音楽って、そういうやつを助けるための道具になれるんだよね。本当は。もし、症状がもうちょっと落ち着いたら、アマチュアオーケストラとか、そういうところに入らせてもらったらどうだ?どうせ、お前さんは、自分の世界しか生きられないと思うからさ。せめて、そういうことを忘れられる場所を探してみたらどう?」

杉ちゃんがそう発言すると、

「ええ、でも私は、車にも乗れないし、そういうところにも行くこともできません。」

と、彼女は答えた。

「それに彼女は、対人恐怖があるようで、僕達みたいに、信じられる人は怖がらないのですが、見知らぬ人のことを怖がって泣いてしまう事もあるのだそうです。今日も、ここへ連れてくる時、僕も非常に困りました。右城先生なんて、合わせる顔がないって、彼女、ずっと言ってたんです。僕は、それじゃいけないから、一緒に行こうと、さんざん言ったんですけどね。」

「そうですか。僕も、そんなに偉い人間ではありません。もしかしたら、あなたより低い階級になるのかもしれない。そういう人間が、ピアニストとして、人前に立つことなんて、できるわけがないんですよ。だからこそ、こうなってしまったのかもしれないし。」

浩二が説明すると、水穂さんが言った。

「どういうことですか?あれだけピアノを弾いていた先生がなんで、そんな事。」

と、美希さんは、由紀子に支えてもらっている水穂さんを眺めながら、そういうことを言っているが、水穂さんの着物の柄を見て、銘仙、と一言言った。それでは、なにか意味があるということだろうか。

「私、着物の事はあまり詳しくないんですけど、明治時代を描いたテレビドラマとか、そういうものを見て、そういうシーンを見たことあります。だから、銘仙というものは、そういう人のものだと、私、なんとなくわかりますよ。」

美希さんは、水穂さんの着物を見てそういう事を言った。

「私は、もう、そういう事は、もう過去のものだと思っていましたけれど、それはそうじゃないんですよね。今でも、そういう、人種差別っていうんですか?それは、まだ残っているんだなって、そう思っています。」

「そうだねえ。」

と、杉ちゃんは急いで彼女の話に応じた。

「まあ、日本にも、そういう人間は居るってことだな。」

「でも私、私の家族だったら、そういう人を汚いとか、そういう事言うんだろうと思いますけど、私は、そうは思いません。私は、自分のことすら、コントロールできないで生きているんですから、どうしても乗り越えられないことがあるんだって、知ってますから。だから、先生は、いつまでも先生ですよ。」

美希さんにいわれて、由紀子は涙が出そうになった。こんな事、自分だって、水穂さんに言っているつもりなのだ。水穂さんに、良くなってもらいたいという気持ちは、由紀子もあったから。それは、自分が水穂さんのそばにいたいという事でもあったから。

「まあ、時々さ、ここへきて、浩二君と一緒に、オーボエ吹くといいさ。それをしてさ、できるだけ現実なんか忘れちまえよ。まあ、どうせ、逃げようと思ったって逃げることはできやしないし、それにずっと苦しめられながら生きなきゃいけないんだから、それでオーボエに逃げちまってもいいと思う。時々ここで水穂さんなんかに聞いてもらってさ。それで、いい気持ちを味わえや。」

と、杉ちゃんがでかい声でそういう事を言ったため、みんなそうですね、とにこやかに頷いた。

「誰も、あなたの事を、無職で悪いとか、そういう事は言いません。そういう事は、嫌でも聞かなきゃならない言葉でしょうし、聞きたくなくたって、普通の人は、そういうでしょう。」

水穂さんは、彼女に言って、少し咳き込んでしまった。由紀子が水穂さん大丈夫?苦しい?と声掛けをしながら、背中を擦って内容物を出しやすくしてやっているのをみて、野村美希さんは、自分が予測した事は、ちゃんとあっていると確信してくれたようだ。

「先生。ありがとうございます。私の演奏、私の下手な演奏を聞いてくださって嬉しいです。」

美希さんがそういうと、水穂さんは、

「ええ、大丈夫です。それより、ここで手伝ってくれた、浩二くんたちにも感謝してください。管楽器はピアノと違って、一人では生きていかれない。もちろんピアノもそうなのかもしれないですけどね。」

と、細い声で言った。由紀子は、水穂さん、もう喋らないほうがいいわ、と、水穂さんに話しかけると、水穂さんは咳き込みながら頷いた。

「本当に、今日はありがとうございました。先生、早く良くなってというのはおかしいかもしれませんが、私は、先生に早く良くなってほしいと思います。だって、先生は、演奏技術だってすごいんだってことは私も知ってます。だから、先生は、先生でいてほしいと思います。」

美希さんは、にこやかに笑ってそういう事を言った。

「たとえ、先生が人種差別されていたとしても、私は、先生の演奏は本物だって知ってますから。」

「美希さんありがとうな。由紀子さんも泣いてるよ。」

杉ちゃんにいわれて、由紀子は、自分の事をそう言ってくれる人がいて、自分の言うことを、代弁してくれた人が居るということに、感謝というか複雑な気持ちだった。それは、どうしてそう思ってしまうんだろう。なんでそう思ってしまうかわからないけど、自分の思っていることを言いたいのか、言いたくないのか、わからなくなってしまう時がある。

「まあ、美希さん、お前さんは、これからもさ、お前さんの運命を変えることはできないかもしれないが、時々さ、こうして、音楽してさ、つらい気持ちを和らげてくれればそれでいいさ。そういう生き方もあるよ。辛いこともあるかもしれないけど、お前さんは、そういうふうに生きていかなきゃいけないんだから。それを和らげるために、音楽があるんだと思えよ。それで、いいじゃないか。な。」

と、杉ちゃんは、にこやかに笑って、美希さんの肩を叩いた。

「まあ、これからも、お前さんは、精神疾患ということと、親に甘えて居る悪いやつだってことはとれないと思うけど、、、。まあ、オーボエ吹いて、明るく生きて行けや。」

「杉ちゃんすごいですね。そうやってなんでも、言いたいことが言えちゃうんですから。そんな事、僕達にはできやしません。僕達は、そういう事を言う前に、彼女がどんな事思うかとか、そういう事を考えてしまうし。そういう事、考慮してしまうとね。何も言えなくなっちゃうんですよ。」

と、浩二が、杉ちゃんに言った。杉ちゃんはでかい声でカラカラと笑って、

「ああ、大丈夫だよ。だって、事実は事実だもんな、それをどうするかを考えるしか、人間はできやしないんだ。お前さんだって、生きていくためには、今の現状を刈ることは絶対できないって、知っているんだろうが。それでは、お前さんは、大丈夫だよ。そこさえわかってれば、犯罪者とかそういうものにはならないでいられるよ。」

と言った。浩二も、水穂さんも杉ちゃんの明るさには感動してしまったようだ。でも、感動とは感じて動くと描くという。でも、感動だけしても、できないことが多すぎる事がほとんどである。感じる事はできるが、動けない人は山程居るのだ。

「まあ、言葉なんてねえ、それを解決するための道具じゃないし、言っても何も変わらない事のほうが多いよ。人間なんてね、言葉ではいくらでも言えるよ。でも、うらっかわでは、茜色した思いっていうか、血の色をした思いがいっぱいあってさ。それを正直に言う事もできないし、それに邪魔されて言うこともできないんだよ。結局、誰でも同じなんだよな。同じ、思いがあって、それをコントロールできることなんてできやしないんだ。僕はそう思ってる。それはね、誰でも同じことでさ、ただ、大か小かの違いだけだよ。それを、みんな同じ様に、なんとかしようとさせちまうから、それで、困ったことが起きちゃうんだわな。それぞれ、感じ方は違うんだって、ちゃんとわからせればいいのにね。」

「杉ちゃん、ほんとに口が上手いわね。なんでもいえちゃってすごいと思うわ。私、そんな事とてもいえなかった。」

と、由紀子は急いで杉ちゃんに言った。もし可能であれば、杉ちゃんに、水穂さんには私が居ると言ってもらいたかったが、、、それは無理のようだから、何もいわないで置いた。

「まあ、いずれにしても、またオーボエを吹きに来いや、僕達は、いつでも聞いてやるからな。」

「ホントですね。」

杉ちゃんがそう言うと、水穂さんもそういった。由紀子は、水穂さんの顔に疲れが出ていることがわかって、もう横になったほうがいいのではないですか、と思った。

「じゃあ、僕達、帰りましょうか。先生、今日はお疲れになったと思うので、よく休んでください。」

と、浩二が言うと、美希さんは急いでオーボエをケースに仕舞った。オーボエという楽器は小さくて、持ち運びが楽であることはよく分かる。美希さんがカバンにオーボエを入れられるということも、ある意味音楽をする上で、必要なことかもしれない。

「本当に、今日はありがとうございました。先生も、お体を大事に、ゆっくり静養されてくださいね。」

美希さんは、水穂さんに座礼して、カバンを持って立ち上がった。浩二も楽譜をしまって、ありがとうございましたと言って、部屋を出ていった。杉ちゃんが、玄関先まで送るからと言って彼らについていく。由紀子はその間に、水穂さんに布団をかけてやろうと思って、布団を中庭に設置してある、物干し竿から外して、水穂さんのからだにかけてやった。水穂さんが、ああ、どうもすみませんといった言葉が忘れられなかった。由紀子はそれをいわなくていいと言っても、水穂さんはそれをいわなければならないのだ。





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茜色した思い出へ 増田朋美 @masubuchi4996

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