混沌の邪神のしもべ(中編)

「なんだてめえは?!」


 ジョルダンが怒声を上げ、すばやく大剣をつかむ。


「オマエ、どこから……あらわれた?!」


 そうつぶやく暗殺者アサシンの顔には、驚愕の表情が浮かんでいた。

 どうやら、この若い男の接近を、感知できなかったようだ。


「こいつ、油断、ならぬ」


 緊張した声でつぶやき、暗殺者は闇に溶けこんだ。

 魔導師ギルマンも、杖をかまえ、警戒をしている。

 若い男は、「新月の影」のそんな様子を気にするふうでもなく


「ハアア………」


 大きなため息をつくのだった。


「あなたは………?」


 わたしが思わず声をかけると


「あ?」


 若い男は、わたしに目をやり、


「ああ、おれか……おれの名はネクトー」


 そういって、にこりと笑った。

 目尻がさがり、なんだかひとなつっこい笑い顔だ。

 しかし、その目の奥にはなにか、ひどく悲しげな——何かがあるようでもあった。

 そのとき、わたしの手が、ぎゅっとつかまれた。


「えっ?」


 見ると、リチアが、わたしにしがみつくようにして、ふるえているのだった。


「どうしたのですか、リチア?」


 ジョルダンに脅されても、落ち着いた顔をしていたリチアが、今はひどく怯え、


「……こわい………こわいよ」


 そう言うのだ。

 いったい?

 リチアはなにをおそれているのか?

 わたしにはさっぱりわからない。


「おい、ネクトーとやら」


 と魔導師ギルマンが冷たい声で言う。


「おぬし、どこから来た?」

「ん……おれか? レバンドから、だな」

「ああ、だあ?」


 ジョルダンが大声をあげた。


「そうそう、昨日の夜はレバンドの酒場で、うまい酒を飲んだよ」


 レバンドといえば、ここから何百キラメイグも離れた港町だ。

 昨日の今日で、来られるはずもなかった。


「なめてんのか、てめえ?」


 興奮するジョルダンを制し、ギルマンは


「それで、ネクトー、おぬしは、ここに、なにをしにきたのだ?」


 ネクトーは、首を傾けて、考えた。

 本当に、考えこんでいた。


「……さあ? たぶん、あんたたちの顔をおがみにきたのかなあ」

「はあああ?」


 ジョルダンがますます激高し


「てめえ、おれたちが、ハーオスさまのしもべと知ってのことか? ふざけた野郎だが、ここからは生きては帰れないと思えよ」


 ジョルダンのその言葉をきいて、ネクトーという男は、驚いたように目を見開いた。


、だって?」


 その様子を、おびえたのだと思ったのだろう、ジョルダンは、にやりと笑い


「そうだ。ハーオスさまと聞いて、震え上がったか? おれたちは、邪神ハーオスさまの……」


 ジョルダンはそのセリフを最後まで言うことはできなかった。


「なんだって? ハーオスのしもべ? こりゃ可笑しい、ハ、ハハハハ」


 ネクトーが、突然、高笑いを始めたからだ。

 あっけにとらえるジョルダン。


「ハ、ハハハ……のしもべってか」


 何が可笑しいのか、ネクトーのその笑いは、異常なものを感じさせるほどだった。

 さんざん笑ったあと、ネクトーは顔をあげ、ジョルダンをみつめて、言った。


「ばかなやつだ……」


 そのネクトーの目はまったく笑っておらず、そして深い穴のような昏さをたたえていたのだった。


「こわいっ!」


 リチアがわたしにしがみつく。


「があああああっ!!」


 ジョルダンが、雄叫びをあげて、ネクトーに突進した。

 ネクトーは、その場にただ立っている。


「くたばれっ!」

「ぐうっ!」


 ジョルダンの大剣が、凄まじい速さで振り下ろされ、ネクトーを左肩から袈裟斬りに断ち割った。

 ネクトーの顔に、激しい苦痛の表情が浮かんで、飛び散った鮮血が、立ちすくむわたしたちに、ざあっと降り注ぐ。


「ひいっ!」


 わたしはネクトーの血を浴びて、悲鳴を上げた。

 ジョルダンの大剣に斬られたネクトーは、前のめりに、たき火に倒れ込んだ。

 どうっと火の粉がまいあがり、ネクトーの身体が炎に焼かるバチバチという音と、肉の焦げる嫌な臭いがあたりに漂う。

 凄惨な光景に、わたしは顔を背けた。


「なんだ、口ほどにもない」


 大剣を手にしたまま、ジョルダンが倒れたネクトーを見下ろしている。


「けっ、じゃまだ」


 ジョルダンはたき火の中のネクトーを蹴りつけ、ネクトーの命を失ったからだが、ごろりと、たき火から蹴り出された。

 焼けただれ、あちこちがまだくすぶっている。


「なんだ、こいつ」


 隠れていた闇の中から、暗殺者がもどってきた。


「おかしなことをいっていたな、レバントに昨日居たとか……」

「フカシか?」

「………まあ、こうなっては、どうでもいいがな。さて」


 ジョルダンは、わたしたちをねめつける。


「話の続きだ」


 あんなことがあったというのに!

 わたしは、ジョルダンの執念深さに唖然とした。

 これが、邪神のしもべということか?


「おい、巫女!」


 リチアに


「ああなりたくなかったら、こっちにこい。そして、おれの前にひざまずけ」


 恫喝するジョルダン。


「おらっ、さっさとしないか!」


 リチアはしかし、その場から動こうとせずに、大きな目でジョルダンを見て、静かに言った。


「そのひとを、斬ってしまった……あなたたちは、もう……」


 その姿はまさに、神託を告げる巫女である。


「ああ? 何を言ってるんだ? こいつ、とうとうおかしくなったのか?」

「ジョルダン、気をつけろ!」


 と、急に叫んだのは、暗殺者だった。


「なにか、おかしい」

「どうした?」

「わからない……だが、嫌な予感がする」


 魔導師ギルマンも、顔に緊張を浮かべて


「ジョルダン、魔力が——魔力の流れが変だ」

「なんだと?」

「どこからか、魔力がどんどん流れこんでいる。このあたりの魔力の濃度が、尋常ではないことになっているぞ。このままでは……」

「このままでは、なんだ?」

「この場の、ことわりが狂う……」

「どういうことだ! もっと分かりやすく言えねえのか?!」


 たしかに、おかしな事が起こっていたのだ。

 霧か?

 いつの間にか、あたりは白い細かい粒子に満たされて、視界がさえぎられつつあった。

 森の木も、いまは白い霧の中にぼんやり浮かぶ暗い影にすぎなくなっている。

 その白い空間に、わたしたちの顔と身体が、ぼんやりと浮かぶばかりだった。


「おいっ、ギルマン、お前の魔法でなんとかしろっ!」


 いらだった声でジョルダンが怒鳴った。


「さっきからやっているんだ、だが……」


 魔導師ギルマンは、必死で詠唱を重ねていた。

 しかし、風の魔法も、土の魔法も、火の魔法も、水の魔法も、さらには闇の魔法も……。すべての魔法が、発動しないのだった。あたかも、魔法より大きな力が、魔力の発動を妨げているかのようだった。


「なぜだ! なぜこんなことが?!」


 ギルマンは焦って叫んだ。

 彼は邪悪ではあるが、魔法の技術は高い。

 それなのに、高位の神官さえ、抵抗できずに焼死体と化したギルマンの、卓越した魔法がなにひとつ使えない。

 魔力は、それこそ液体となって滴り落ちるばかりに、この地を満たし続けているのだが——。


 ガッ!


 何者かが、ギルマンの足首を強い力でつかんだ。


「むうっ?」


 目をこらすと、足下に浮かび上がったのは、


「きさまっ!」


 ところどころ焼け焦げた神官のローブが見え、そしてぬうっと突き出されたのは、焼けただれたパリャードの神官の顔だった。


「死んだはずだ!」


 神官は、顔の肉が焼けてむき出しになった歯茎で、にやりと笑い


「——ことわりが狂うといったのは、貴殿であろう」


 そう言った。


「うわあああっ」


 ギルマンの手足が、また別のものにつかみひしがれる。

 なすすべもなく、ギルマンは地面に引き倒されていった。


「たっ助けてくれ!」


 なにをされたのか、ギルマンの苦痛にみちた絶叫が、霧のそこから響き渡る。


「いかんっ!」


 暗殺者は、その様子に、きびすをかえして、脱兎の如く逃げ出した。

 暗殺者はすばやい身のこなしが身上だ。

 本気で逃走をはかる暗殺者に追いつけるものはない。

 そのはずだったのだが。


「うわっ」


 なにかに躓いて、転倒した。

 いや、つまずいたのではなく、足をかけられて倒れたのだ。

 前のめりに転がった、こがらな暗殺者の首に、後ろから手を回し、ぐいっともちあげたそのものは


「エ、エステバン!」


 わたしは声を上げた。


「エステバン、生きてたのか?」


 じたばたする暗殺者を、後ろから抱くようにしたエステバンは、わたしに、首を横に振った。


「ライドンさま、残念ですが、わたくしはもう——」

「そうなのか、そうなのかエステバン?」


 わたしの忠実な使用人エステバンは、そのまま、暗殺者ごと霧の中に沈みこんでいく。


「くそっ、なんだよこれは!」


 ジョルダンが叫ぶ。


「うおおおおお!」


 そして、闇雲に大剣を振り回して暴れる。


「おいハーオス、ハーオスさまよ、聞こえているなら、おれを助けろ! こいつの首を贄に捧げるっ!」


 絶叫しながら、わたしたちに向かって突進してくる。

 リチアだ!

 こいつの狙いは、リチアの命を邪神ハーオスの生け贄に捧げることだ。

 わたしは思わずリチアをかばう。

 大剣を振りあげるジョルダン。

 血まみれの剣が、高く持ち上げられた。

 その時だ。

 ジョルダンの前に、すっと立つ一つの影。


「てめえ?!」


 驚愕するジョルダン。

 それはさきほどジョルダンに斬られた、ネクトーという男。

 濁った目には生気はなく、身体にはジョルダンに袈裟斬りにされた傷がそのままだ。


「はっ、ふざけやがって! なんどでも殺してやるよ!!」


 ジョルダンの剣が振り下ろされる。

 だが、その剣はネクトーにはとどかない。

 ネクトーの腕が伸ばされ、刃を片手でつかんだ。


「ぬううっ」


 ジョルダンが顔を真っ赤にして力をこめるが、剣はそのままぴくりともうごかない。

 そして、ネクトーの口が開いた。

 さっきまで聞いていたネクトーの声とはまったく違う、深く重い声がそこから発せられ、わたしたち全員の耳を打った。


 ——卑しきもの、


「うえっ?」


 圧倒的な御稜威みいつを示す、その声。

 その声に含まれる威厳に耐えられるものは、地上には、だれもいないだろう。

 リチアが震えている。

 声が、静かに続けた。


 ——


「うえぇえええっ!」


 ジョルダンが腰を抜かした。

 ネクトーの姿が、わたしたちの目の前でみるみると変貌を遂げていく……。



(完結編に続く)

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