混沌の邪神のしもべ

かつエッグ

混沌の邪神のしもべ(前編)

 みめぐみ深き、善なる神<パリャード>と、その名を口にすることもはばかられる邪しまなる神。

 ここにおられる皆さまも、よおーくごぞんじの通り、わたしたちの生きる世界は、この二神の御手のうちに存在します。二神の御心によって紡がれ、この世に生起する、不可思議、玄妙なあれやこれやの事ども。

 商人であるこのわたし、ライドンが、この身を以て体験することになった、ある出来事を、今から皆さまにお聞かせしましょう。



*********************************************



 ——真っ暗な夜だった。

 街道から外れた、森の奥の空き地。

 人がいるはずのない、その場所。

 そこでは、たき火が焚かれていた。

 たき火の周りには、六人の人間がいた。

 正確には、生きている人間は六人、というべきだろう。

 たき火から少し離れた場所には、数人の死体が、まるで薪か何かのように、無造作に積み重ねられていた。その中には、これまでわたしに、忠実に使えてくれていた、優秀な使用人エステバンの無残な骸もあったのだ………。


 たき火の前に、ふんぞり返ってすわっている大柄な男。

 男は、戦士ジョルダンと名乗っていた。

 男は、旅芸人の見目麗しい女性、サーシャを、太い左の腕で抱きかかえ、その指は、彼女のふくよかな胸を乱暴にもてあそんでいた。サーシャの衣服ははだけ、白く、形の良い乳房がむき出しとなっている。

 サーシャは、その顔に嫌悪と苦痛を表しながらも、なすがままになっていた。

 無理もない、迫る男に思わず抵抗してしまった、サーシャの連れの吟遊詩人バードは、怒ったジョルダンになんの躊躇もなく斬りすてられ、積み重ねられた骸のひとつとなっているのだから。

 男は、サーシャを抱えながら、右手で、今焼けたばかりの魔鹿肉のかたまりに剣を突き刺し、大口を開けてかぶりついた。

 肉汁がしたたり、男の大きな喉仏が、噛みちぎった肉をのみこんで、ごくりと動く。


「うまいな……さすが、いい肉を運んでいるな、おい」


 ジョルダンがわたしに言った。

 わたしはあいまいにうなずくだけだ。

 戦士ジョルダンの右側にいるのは、黒いローブをまとった細身の男、酷薄そうな目をした中年の魔導師ギルマン。

 そして、ジョルダンの左には、小柄な、卑しげな表情をうかべた男。男の属性は、暗殺者アサシンということだ。男はその属性の故に、その名を名乗ることはない。

 この連中を挟んで、たき火の反対側には、このわたし、商人ライドン。

 そして、わたしがかばうように手を回している少女、リチア。

 まだ幼い彼女は、善神<パリャード>の巫女。

 いや、これから巫女になる予定の少女だった。

 巫女になるために、パリャードの神殿に召喚されたのだ。

 彼女には、巫女にふさわしい、静かで神秘的な佇まいが、この歳にして、すでにあった。

 しかし、この清純な雰囲気をもつリチアが巫女になることは、悲しい事に実現しそうもなかった。

 わたしたちを手中に収めたとき、ジョルダンは、リチアを奴隷に売る、と公言していたのだった。



 ——どうしてこんなことになってしまったのか。


 今更悔やんでもしかたのないことだったが、そのとき、わたしはかなり焦っていたのだ。

 商売上の理由で、わたしは、どうしても州都に、数日以内に着かなければならなかった。もし間に合わなければ、わたしの店は、莫大な損失を被って、あるいは破産してしまうかもしれない、そんな状況に追い込まれていたのだ。

 焦ったわたしは、急遽、馬車を雇い、州都までかけつけることにした。

 経路も行程も短縮し、可能な限り最短の時間でたどりつくように計らった。

 もちろん、そうして無理をする以上、盗賊や魔物からの襲撃など、旅のリスクが高まることが十分に予想されたので、かなりお金をはずんで、募集をかけ、護衛を雇っていた。

 戦士ジョルダン、魔導師ギルマン、そして無名の暗殺者からなる三人組のパーティ「新月の影」も、わたしがそうして雇った護衛だ。いかにも実力のありそうな、不敵な様子の彼らを、わたしはたのもしく思ったのだが、それが間違いだったのだ。時間さえあれば、もうすこし身元調べをきちんと行うことができたのに………。


 わたしが馬車を手配し、急ぎ州都まで向かうという話を聞きつけて、同乗を依頼してきたのが、パリャードの神官だった。


「このリチアは、ようやく見つけた、巫女になる力をもった娘なのだ。州都で行われる、あたらしい巫女をえらぶ儀式に、なんとか間に合わせたい。お願いできないだろうか、この娘には優れた素質があるのだよ」


 位の高そうな、その神官に、真剣な顔で頼みこまれ、わたしは同行を了承した。

 その神官も、リチアを護ろうとして、魔導師ギルマンの炎熱魔法に焼かれ、いまは黒焦げの、物言わぬ骸となってしまっている。

 ああ、このようなことがあっていいものか。

 善神パリャードさまは何をなさっておられるのか?


 わたしたちの馬車が出発するまさにそのとき、


「ねえ! あたしたちも乗せてよ!」


 そういって、駆けよってきたのが、旅芸人サーシャと、その連れである女性吟遊詩人バードだった。


「いや、それはちょっと」


 わたしは断ろうとしたのだが、


「いいじゃねえか、席は空いてるんだろう、乗せてやれよ」


 ジョルダンが、ドスの利いた声でいい、出発を急いでいたこともあり、わたしは、しぶしぶ彼女らも馬車に乗せることになってしまった。

 今思うと、二人を見るジョルダンの目は好色に光っており、最初からこの二人を慰み者するつもりだったに違いないのだ。



 さて、馬車が出発し、二日目。

 人気のない道にさしかかったところで、「新月の影」が、その本性をむき出しにした。


「ちょっと待て」


 ジョルダンが、厳しい顔で、みなに声をかける。


「なんですか?」

「うちの暗殺者が、敵を察知した」

「えっ、なんですって?!」

「盗賊だろう、この先で、大人数で待ち伏せをしているようだ」


 大人数の待ち伏せと聞いて、わたしたちは真っ青になった。


「迂回して、かわす。こっちだ」


 ジョルダンが指示を出し、馬車は道を外れて、森の中に。

 そして空き地にたどり着くと


「ギャアッ!!」


 ジョルダンの大剣が一閃、護衛の一人が血まみれになり倒れた。


「な、なぜだ?!」


 一同がうろたえている間にも「新月の影」は、他の護衛たちに次々と襲いかかり、その命を奪っていく。

 まさか身内に攻撃されるとは思っていない護衛たちはひとたまりもなく、全員が手もなく始末されてしまった。

 そして、リチアを護ろうとした神官は、魔導師ギルマンの魔法で焼かれ。

 わたしを逃がそうとした、わたしの使用人エステバンも、暗殺者のダガーのひと突きで。

 みな容赦なく殺されてしまったのだった。

 命を奪われたものたちの骸は、空き地の隅に、まるで棒きれか何かのように積み重ねられた。


「さて、残ったお前らだが——」


 震えるわたしに、ジョルダンは言った。


「ライドン、金持ちのお前からは、身代金をたんまりとれそうだからな。しばらく生かしといてやる」


 リチアには


「お前はなかなかの上物じょうものだ。高く売れる。なるべく傷はつけたくないな……死にたくなかったら、逃げるなよ」


 そして、真っ青な顔をして抱き合っている二人の旅芸人には、


「お前らには、いろいろと楽しませてもらうぜ」


 そう言って、卑しげに笑うのだった。



 すまない、エステバン………。

 わたしは、自分の命もかえりみず、わたしを逃がそうとして殺されてしまった、忠実な使用人エステバンを思い、胸ふたがれる思いだった。こんなことになってしまったのは、わたしの責任だ。わたしが焦って、うかつだったから。

 そして、わたしの心の底には、この連中に対する怒りもふつふつと湧いてくるのだった。

 いや、だからといって、わたしには現状をなにも変えることができない。わたしのこの怒りは、無力な怒りでしかないのだが。


「あなたたちは、いったい………?」


 わたしは思わず、たき火の向こうにいる男たちに問いかけていた。

 そんなことをしても、自分が危険なだけだとはわかっていたのだが、口をついて出てしまったのだ。


「はあ?」


 ジョルダンが、わたしの声を聞きつけ、眉をピクリとあげた。

 剣呑な雰囲気が漂い、わたしは首をすくめる。

 しかし、ジョルダンは、サーシャを猥褻にもてあそぶ手を止めると、


「教えてやろう、おれたちはな」


 にやっと笑い、言った。


「おれたちは、実は、のしもべよ」


 ハーオス!


 わたしは慄然とした。


 <ハーオス>、それこそが、口に出すこともはばかられるという、あの邪神の名にほかならない。


 それでか!


 この男たちの、残虐さ。人を人とも思わない、酷薄さ、卑しさ。

 それは、この男たちが、邪神ハーオスの僕しもべであるからこそ。


「われわれは、ハーオスさまのしもべをもって自任しておるのだ」


 と魔導師が言った。


「ハーオスさまの意志をこの世に具現するのが、我らの使命」


 表情をかえずに続ける。


「苦痛、悲嘆、絶望、地上にこれらをもたらすことが、つまりハーオスさまの喜びとなる………」


「おっと、そういや、お前は、パリャードの巫女になるはずだったってな」


 ジョルダンが、リチアに目を向けて


「残念だったな。お前も、ハーオスさまに鞍替えするか?」


 唇をゆがめて、馬鹿にするように笑い


「そのほうが、これから、よっぽどいい思いができるぞ、なあ、みんな?」


 三人は、目を見合わせて、卑しげに笑う。

 リチアはと見ると、驚いたことに、怯える様子もなく、怒る様子もなく、その大きな目で、ジョルダンを見つめ


「愚かな……あなたたちは、なにも、わかっていないのですね……」


 そうつぶやいた。


「ああっ?」


 一瞬あっけにとられたジョルダンだったが、その顔にさっと赤みが差すと、怒りの表情を浮かべ、脅すように大声を出しました。


「なんだって? お前、少しくらい傷がついていようが、売り物にはなるんだぞ!」

「まあ、まあ、そんな小娘のいうことなんか、相手にするもんじゃないですよ」


 あわてて、サーシャが言いながら、ジョルダンにしなだれかかる。彼女が、なんとか、リチアをまもろうとしたのが分かる。

 だが、


「どけっ!」

「きゃっ!」


 ジョルダンは、サーシャを手荒く突き飛ばした。

 放り出され、地面に転がるサーシャ。

 ジョルダンは、ゆっくり立ち上がると、


「今から、身体で、わからせてやるよ」


 まずいっ!

 なにもできないわたしだが、このままむざむざとリチアを蹂躙させていいのか。

 それはだめだ。

 たとえ無駄でも、わたしにできることを。

 わたしは死を覚悟しながら、リチアを後ろにかばった。

 ジョルダンは、たき火をまわり、こちらへ近づいてくる。

 後の二人は、にやにや笑いながら、追いつめられるわたしたちを見ていた。


 そのとき——。


 ガサリ、と木立がゆれた。

 そして


「ん…? ええと?」


 なにか戸惑うような顔をした、見知らぬ男が一人、木の陰からいきなり現れたのだった。


 男は、その視線を、わたしたちに順番に向け、そして、積み重ねられている骸をみて


「あちゃー…」


 と、緊張感のない声をだした。

 ひょろりとした若い男だった。

 革の袋をせおっている。

 武器になるようなものは、なにも身につけていない。

 わたしは、男を一瞥し、失望した。

 とても強そうには見えず。

 これでは、この危機に、何の助けにもなりそうにない。

 そんなわたしの気持ちをよそに、男は、片手を額に持っていくと、うつむいて、ぼやいた。


「またかよ………勘弁してくれよ、もう」


(中編に続く)

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