リファクタリングは修羅の道
シスイ:こんちわー! みんなげんきー? 今日も配信始めるよー!
そんな陽気な声がスマホから流れてきます。明るい悩みの無さそうな声を聞きながら私は最悪の気分で作業を進めていました。
「めんどくさい……」
それが今やっていることの正直な感想でした。現在行っているのはリファクタリング、ようはアプリの動きを変えずにコードを読みやすくしたり、動作を速くしたりする作業です。
どーにもモチベーションが上がりません、何しろこれをやったところで新しい機能は何一つ実装されず、コードを読んでくれる人がほとんど居ないのでただの自己満足に過ぎないのです。
となればやる気も起きないのはしょうがないでしょう。やる気が起きない物は起きないんですよ。
気を紛らわすためにシスイの配信を見ます。壺に入った男が山を登っていました、この前は人狼ゲームでしたね。コミュ障には壺の方が合っていますね。
さっきから上っては落ちてを繰り返していますが、なんだかそれが私が現在やっている作業のメタファのような気がして親近感を覚えます。もっとも、あちらにはファンがたくさんいるので私とは比べようもないのですが……
「孤独な作業……ですね」
嫌いではないです、決して嫌いではないのですがやはり羨ましくはあります。こちらには応援の言葉もあてるためのパッチの一つも送られてこないのですからね。
そんな現実に向き合っていると気が滅入りそうです。さっさと自分の作業に戻りましょう。しかし燐火ちゃんのファンは随分と多いようですね。
持つ者と持たざる者、そんな不公平感を抱きながらも私はPCに向き直りました。少しは真面目にやりますかね……
このメソッドはクラスの外に出せますね……しかし、かなりの力技にはなりますが……
分割を繰り返して多くのメソッドをクラスの外へ追い出すことに成功しました。しかしやっていることは問題の解決ではなくただ単に分割しただけのような気がしてなりません。
一通り分割は終わったので配信の方に目を向けてみます。壺男が山の半分くらいまで上っていました。私の方は終わりの目処すら立ちません。
動作確認でもしてみますかね……
文字を入力したり、コマンドを使ったりして動かなくなっているものが無いことを確認します。問題無く動いていることを一通り確認できました。
「さて、マージしますかね……」
公開用ブランチをチェックアウトしてマージを行います。一応一通りのチェックはしましたが、個人制作の悲しいところで商用アプリのような人海戦術を使ったテストはできません。自分で全てやるしかないのです。そのせいで時々バグがあったと報告が来ることもあるのですが……
シスイ:やった! もうすぐ頂上だよ!
なんだかそんな死亡フラグのようなことを言っています。大丈夫でしょうか?
シスイ:びゃあああああああああああああ!!!!!!! なんでえええええええええええええ!!!!!!
あの子、あんな声が出せたんですね……
そんな悲鳴と共に壺は最下部まで落っこちていました、お気の毒様です。
そして私の書いたコードを見てみます。
「あっちの方が大分マシかもしれませんね……」
あまりにも汚いコードに呆れながらこれが動いていることを不思議に思います。できればもっとエレガントなコードを書くべきなのでしょう、しかし私にはそれは出来ません。何しろ凡人ですからね。あるいは私が天才であったなら誰でも読める保守性の高いコードが書けたのかもしれません。しかし実際に私が作ったのは汚く私以外に読めないダメなコードでした。
才能は眩しくて妬ましいですが、いくらそう思ったところで私が凡人なのにはなんにも変わりありません。愚痴ってないでタイピングを続けましょう。
makeコマンドを打ち込んでビルドを終えます。一通りのスクリプトを走らせ終わったらgithubへ送信しておきました。本来はバイナリを送るところではないのですが多少は大目に見てくれるでしょう。
ブル
そんなことをしているとスマホが震えました。
燐火:凪ちゃん、私の配信見てくれたかな?
凪:見たよー、大変みたいだねー
燐火:そうなの! 続きは今晩って言っちゃってさあ、もう一回配信しないといけないんだよねえ……
凪:まあ頑張ってください
燐火:凪ちゃんは見ててくれるよね? あなたが見ててくれるとものすごくモチベが違うんだよ?
凪:あんまり大きな期待をを押しつけないで欲しいんですが……まあ見てますよ
燐火:できればコメントとかも欲しいなあ……
凪:申し訳ないですが垢バレはしたくないのでやめておきます
燐火:えー(´・ω・`)、捨て垢を作ってくれてもいいんですよ?
凪:嫌ですよ、今でさえ管理が大変なのにこれ以上アカウントを増やしたくないです
燐火:そっかー……しょうがないなあ……じゃあまた今晩ね!
そう言ってやりとりを打ち切りました。現在午前四時、こんな時間までコードを書いている私も大概ですが、四時まで配信をやってその晩もう一度配信をやると言うのは正気の沙汰とは思えませんでした。
「あんまり人のことは言えないですねえ……」
私は苦笑しました。ロクにユーザのいないアプリを必死に作っている人が人気配信者を笑う資格など無いでしょう。問題はこれから登校しなければならないということです。
私は一時間くらいなら眠れると思いましたが、一度寝たらしばらく起きることが出来そうにないのでコーヒーを一杯淹れました。
カフェインが脳を覚醒させてくれます。
鞄を用意して朝食に向かいました。ぼんやりしていたせいか時間が結構経っており、家族のみんなが家を出た後でした、時計は八時を指しています。
大急ぎでパンとゆで卵を口に放り込み水で流し込みます。
鞄を持って退屈な授業を受けるために学校に向かいました。
その日、燐火ちゃんはお休みでした、先生が言うには風邪だそうですが明らかにあの配信のせいでしょう。まったく……私はくそ真面目に登校したというのに……
そんな当てのない愚痴が心の中で渦巻きます。私はその日、ノートを全てあますことなくとり、燐火ちゃんにメッセージを送ります。
凪:今日の授業のノート見る?
燐火:見る見る! 見せて!
凪:じゃあ今からあなたの家に行きますね、住所を教えてくれますか?
燐火:いいよー
そうして完全な住所と目印になる建物までしっかりと案内してくれました。
そこはアパートの一室でした。意外と貧乏なのでしょうか? そう思って表札を見ると『Vtuberシスイ事務所』と書かれていました。
どうやら事務所として専用の部屋を借りられる程度には裕福なのでしょう。
ピンポーンガチャ
私がドアベルを鳴らすと即玄関が開きました。押して一秒くらいなんですけど……
「凪ちゃん! ありがと! 助かるよ!」
彼女が私に抱きついてきて感謝を述べます。
「暑苦しいので離してください、ノートを見るんでしょう?」
「そんなの凪ちゃんに会うための口実に決まってるじゃない!」
「言い切りましたねあなた……」
「ささ、上がって上がって、紅茶くらいなら出せるからさ」
私はノートを渡して帰る予定だったのですが思わぬ歓待を受けることになりました。念のためスマホは生体認証をオフにするため電源ボタンを連打してロック画面にしておきました。
部屋に上がるとそこは実況用のマイクや表情トラッキング用のカメラなど、一通りの配信装備が揃っていました。
「はえー、ホントにここで配信やってるんですね」
「そだよー、できれば今晩の配信に出て欲しいなって思ってるけどダメかな」
「私は出ませんよ」
声出し配信など論外です。リスクを考えたら精々合成音声を使うのが精一杯でしょう。
「はい紅茶」
「ああどうも」
とんと置かれたのはペットボトルの紅茶でした。私の方に一本、彼女の方に一本。どうやら生活力はあまりないようですね。
もっとも私も珈琲くらいしか淹れられないのであまりマウントは取れませんが……
「ねえ……ダメ?」
私の腕にその豊満な膨らみを押しつけながらお願いしてきました。男子なら通用するかもしれませんね。しかし私にその気はないのですよ。
「だーめ、ちゃんと今日の分勉強しておきなよ?」
寂しそうにしながら私に微笑んで答えました。
「そうだね……凪ちゃんに甘えっぱなしも良くないよね」
どうやら分かってくれたようです。
「それでは私はこれで……」
「うん、またね!」
さよならではなく『またね』ですか、不思議とその別れのあいさつは快く感じるのでした。
そうして自宅に戻ってから。
M:パッチの一つも送ってこないのにイシューをやたら上げられたらイラつきません?
『オープンソースの全否定』
『ほならね、お前は完璧なコードを書けてるのかって話ですよ』
『何様だよ』
などなど私の発言は大変な影響と好評のうちに終わり、私はそっと夜の配信前にIPアドレスの更新をしておいたのでした。
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