エピローグ
検査入院――その後治療入院をしていた武田さんは、わたしから一週間遅れて退院したのち体調を考慮されて異動となり、本社勤めの内勤となった。
社員は増えないまま八重樫さんまでが知人の仕事に誘われ退職(外資系のマネージャーだそうだ)して、フルーツは人数不足によりまたパートを急募。
そうして新たに入ってきたのが、元介護士で鬱になってやめたという男性、井口さんと、今年大学に入ったばかりの女の子、実川さんだ。
山のように大きな身体で、でっぷりとしたお腹をした井口さんは怪獣を思わせる。~ゴンみたいな、着ぐるみっぽいファンキーな感じの。
一方の実川さんは小柄で声も小さい。「声量がリスの鳴き声くらいしかない」とは田畑さんの言だが……まあ、そう言いたくなる気持ちもわからなくはない。
ともあれ対照的で個性的な二人のキャラクターを新たに加えつつ(うちの職場には個性的な人しかいない気がするが)、季節は初夏、そして梅雨に入ろうとしていた。
「――雫ちゃん、おとなしいけど言うことは聞いてくれますし。まあ三ヵ月も続けばいい感じになるんじゃないですか」
作業場、昼休み明け。
二番休憩に皆が行き、二人きりになった時に緒方ちゃんのお喋りが始まった。〝雫ちゃん〟というのは実川さんの下の名前だ。
「お、先輩風だねぇ」
セロリの値引き品に値札のシールを貼り終え、わたしは緒方ちゃんの背中を見た。振り向き、緒方ちゃんはへへっと笑ってみせる。
最近はなるべく早く水洗いを終え、そのあとは店出しを手伝うようにしている。
大滝さんが辞める前は昼以降、野菜の店出し要員が常時二人はいたのだが、今は橘くんがいない日は社員一人で、売り場全体に手が回らない。
野菜もフルーツも人手不足。それでもギリギリのトコロで保っているから、本社も増員をしようとはしない。頑張れば頑張るほど厳しくなるわけで……まったく、会社というのは世知辛いものだ。
「ま、これでももう入って一年経ちますしねぇ~。先輩っちゃあ先輩ですよぉ」
得意げに言う緒方ちゃんはちょっと天狗な具合である。
まあ多少調子に乗ったからってミスをするような娘でもない。気分よく仕事ができるのならそれでもいい。
「さようですか。じゃあ井口さんは?」
「あ~イグゴン?」
田畑さんがつけたあだ名を、緒方ちゃんはちょっと面倒そうに言った。手元のステンレス台にはリンゴを三個ずつ詰めたパックが山になっている。
「頑張ってはいますけどねぇ~。声でかいから横いられるとうるさいし、唾飛んでくるのが嫌なんですけど」
「辛辣だねぇ……」
さすが最近の女子大生。しかし、思っていても本人の前で態度に表さないのは弁えるようになったからか。井口さんの忙しない質問にも緒方ちゃんは丁寧に答えている。
樋野さんの時のことを思えば、彼女もいくらか成長したのだ。
「きなこさんこそ、どうなんですか~橘さんは?」
絡むような口調で言って、緒方ちゃんは意味深に目を細めた。
……何故そこで橘くんの名前が出てくる。
「ん? まあ最初は不慣れだったケド、手先は器用みたいだし、もう少し早くできるようになれればいいんじゃない」
「へぇ~」
粘っこく、緒方ちゃんは口の端をつり上げる。無視して、わたしはセロリと他の値引き野菜をバッドに詰めこんだ。
「確かにちょっと頼りないですけどぉ、きなこさんってぇ、意外と年下好みじゃないのかなぁ~、って」
「あのねぇ、そんな感情はないです」
「え~ホントかなぁ~?」
パートのオバちゃんたちに影響されたのか、仕事に倦んでくると安っぽいゴシップやドラマを求めるものなのか。
職場の人間関係なんて波風立てず、平和であるのが一番だというのに。
なおも何か言いたそうな緒方ちゃんを振り切って、わたしはキャリーに乗せたバッドを押して売り場へ出た。
いらっしゃいませー、と少し高めに声を張り、店内を観察する。
客数はそこそこ。休日の昼はこんなものだが、夕方以降は少し混んでくるかもしれない。上がる前にも売り場を見なくては。
……子供の頃、大人になれば今とは違う何かになれると思っていた。
毎日毎日楽しくて、新しいことがたくさん起きて、そこにいる自分は素敵な大人になれると思っていた。
……でも、わたしはわたしのままだ。
いいことも悪いこともあったが、世の中はわたしが思っていたよりも辛いことが多くて、それに抗うためには必死に自分を保たなくてはならない。
夢を続けるのは、楽しいよりもしんどいの方が大きい。努力は報われるとは限らない。それでも頑張り続けるかと問われれば、頷ける人ばかりではないだろう。
――だけど、わたしは続けることにした。だって、わたしにはまだ描きたいことがあるから。
この金太郎飴のように繰り返す毎日。その中にも隠れた変化、小さな変化があり、それは時にとてつもない衝撃を渦中の者たちにもたらす。
スケールは小さくてもその日々の中で繰り広げられるやりとりは苛烈で残酷で愉快だ。人を魅せる物語としては、充分なほどに。
わたしが経験してきたこと、関わってくる人々、取り巻く環境――それらは地味で世間の話題に上ることはないけれど、つまらなくはない。いや、面白いものだと胸を張って言える。
だって、それは〝わたしの人生〟を彩る、〝わたしだけの物語〟なのだから。
値引き品売り場の前に来た。バッド中の野菜を取り出して並べる。頭の中では昨日仕上げを終えたばかりの原稿のストーリーが展開していた。
わたしと、わたしの周りの人々の日常を切り取って描いた物語。今のわたしだけが描ける、唯一無二の話。
「すみませーん、ちょっといいですかー?」
目当ての野菜を探しているらしい初老の男性に声をかけられ、わたしは笑顔を向けた。
「はーい、何でしょうか?」
END
きなこ奮闘記 ~その夢続けますか~ なつくもえ @natukumoe
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