第4話 きなこと家族


 土曜日の午後六時半。外がすっかり暗くなった頃に、わたしは自分の家を出た。

 実家は住んでいるアパートから歩いて三〇分ほどのところにある。繁華な駅前から離れた先、一戸建てや、ちょっと家賃高めのアパートが立ち並ぶ住宅街の中だ。

 半年に一度ほど、母に呼ばれて食事をしに戻っていた。父のいない日を狙ってだ。

 弟、祖母とも話し、マルチーズの犬と戯れ、父が帰宅する前に腰を上げる。

 帰り際、母は決まって何か言いたそうな顔をしたが、わたしはそれを見ないようにしていた。話しても、不毛なことだとわかっていたからだ。


「………………」


 街路を歩く足を止める。光が窓から漏れる、小さな庭のついた一戸建て。

 玄関前でわたしは深呼吸をする。それから覚悟を決めて、キーフォルダの中の鍵を取った。


「――あ、姉ちゃん」


 ドアを開けると、頭を拭きながら二階に上がろうとしている弟がいた。風呂上がりらしい。

 実家の玄関は、入ってすぐのところに階段がある構造だ。


「直樹、こんばんわ」


 何でもないように言って、わたしは三和土前に腰をかけて靴を脱ぐ。


「来たんだ。もしかしたら来ないかなぁ、って思ってたけど」


 にやつきながら、直樹はわたしを見下ろしてくる。

 背丈はあるがやせっぽち。スカした顔だが、そこそこ女子にはモテるらしい。自己申告だが。


「お母さんに言われちゃね。こむぎとおばあちゃん、元気?」

「ああ。ばーさん相変わらずよく喋るし、こむぎは聞いてやってるよ」


 リビングの方を目で指し、直樹は気怠い表情で言った。


「そっか。――お父さんは?」


 なるだけ、さりげない素振りで訊く。


「二階。仕事してるよ」


 変わらず、ダルそうな声で直樹は答えた。


                  ※


「そっかぁ、水洗いだと手が荒れるものねェ」


 リビングのソファーに並んで座り、祖母はわたしの話を聞くと、もしゃもしゃと口を動かしながら頷いた。足元にはわたしの指先を枕代わりにして丸くなったマルチーズのこむぎがいる。


「クリームつけないとね、結構ひどくなっちゃうんだ」

「そうなんだねェ。――わたしの若い時は戦争でね、そんなものもなくってねェ、ほったらかしでアカギレひどくなって、何にもなかったからねェ」

「うん、うん」


 もう何度も聞いた話を、祖母は繰り返し話している。聞かせたいというより、喋らずにいられないのだろう。

 オチもヤマもない繰り言だが、毎日聞かされてうんざりしている母や直樹のことを思えば、まだ聞いていられる。


「ホントに何もなかったからねェ。お米もなくて、芋ばっかりでさァ」

「そっかぁ」


 相槌を打ちながら、わたしは足の指先を動かしてみる。こむぎが微かに反応し、ふんっ、と不愉快そうに鼻を鳴らして態勢を変えた。

 リビングの奥にあるキッチンでは母が料理を作り、直樹はその前のテーブルに着いて神妙な顔でニュースを眺めている。

 こいつはいつからニュースなんて見るようになったのだろう――と、ふと考えた。


「できたわ。直樹、運んで」

「ああ、わたしがやるよ」


 立ち上がった拍子にこむぎが態勢を崩した。非難を込めた目をわたしへ向け、祖母の足元に行く。


「そう。じゃあ直樹、お父さん呼んできてくれる?」

「……へーい」


 面倒そうに応えて、直樹は部屋を出ていった。

 その間にわたしはテーブルに料理を並べる。シーザーサラダ、照り焼きチキン、ほうれん草と人参の炒め物、里芋の味噌汁。祖母用に小さな焼き魚もある。

 揃えたところでドアが開き、直樹に続いて父が入ってきた。視線が、一瞬合う。


「……どうも」

「――ああ」

 会釈したわたしに父は低い声でそう返した。顔を逸らし、唇を軽く噛む。

 相変わらず、嫌な目をしているな――と思った。


                  ※


「疎開先から帰ったあともさァ、わたしは長女だからって弟妹の面倒看てねェ。働く先探しつつ、あの頃はお給料も安くてさァ」


 食事が始まっても祖母の話は続いていた。わたしや直樹が相槌を打ち、母はチラチラと新聞を広げたままの父の様子を窺っている。


「水商売だってやろうかってね、貧乏で。あの頃は本当に苦労してねェ」

「ま―今のヤツには今の苦労があるんじゃねぇの? 時代によって、環境も変わるからさ」


 耐えかねた様に直樹がつぶやく。いい加減辟易とした顔で、皿からチキンを箸で一切れ摘まむ。


「そうは言ってもねェ、あんた。昔は遊ぶところもなくてねェ、図書館行っても大人向けの難しい本しか置いてなかったしねェ」


 若干論点がズレたコトを言っているが、それに突っ込む人はいない。直樹も諦めたようだ。

 一通り話し終え、満足した祖母が焼き魚に箸を入れたところで、父が新聞を下げた。


「――まだ八百屋、続けてるのか」


 缶ビールを開け、コップに注ぎながらぶっきらぼうに言う。

 母と直樹の視線がこちらへ向く。わたしは自分の器に盛ったサラダを食べ終えたところだった。


「まぁね」


 感情を波立たせないよう、平坦に答える。


「パートじゃ給料も安いだろ。暮らしていけてるのか」

「一人で生きていく程度には」

「ふん……今の景気じゃ、時給も大して上がらんのだろうな」


 ビールを一息で呑み干し、父はつまらなそうに言った。

 直樹がご飯をお代りしようと立ち上がる。母は不安そうに、わたしと父を交互に見ている。


「そうかもね」

「いい加減、無駄なことはやめたらどうだ」


 室内の空気に、ピリリとしたものが走った。

 箸を茶碗の上に置き、わたしは父を見た。カチャン、という陶器に触れた音がやけに響く。

 眉間に皺を作り、メガネ越し、父はわたしを睨むように見据えていた。


「何? 無駄なことって」

「無駄なことだろう」

「お父さんに言われる筋合いないじゃん、そんなの。だいたい――」

「いいか、きなこ」


 わたしの言葉を遮り、父は続ける。


「大学を卒業して、もう五年だ。五年もあってお前はどうにもならなかった。同い歳で就職した連中を見てみろ、もう一端の社会人になっているんじゃないのか? お前もいい加減、認めたらどうだ。自分が叶わない夢を見てる子供だってことを」

「あなた、そういう言い方はやめてって……」


 顔を近づけ、非難するように言った母には目もくれず、父はわたしから視線を逸らさなかった。

 祖母はこむぎにこっそりと焼き魚をやり、直樹は台所からこちらを見ている。


「……お父さんに、何でそんなこと言われなくちゃならないの?」


 腹に力を込めて、わたしは言った。


「もう二七だ、若いとは言えん。あっという間に三〇だぞ。そうなった時、まともな職に就けると思っているのか? ――いいかきなこ、そうなってからじゃ遅いんだ。せめてちゃんとしたところに就職して、履歴書に書けるような経歴を作っておかないと、社会ってものは認めてくれないんだよ」

「就職するよりも、わたしにはやりたいことがあるの」

「子供じみたことを言うなっ!」


 ビールをもう一杯呑み干し、父は気を鎮めるように息を吐いた。


「まともに働いて、やるべきことをやってるヤツだけが自分のやりたいことをできるんだ。世の中お前が思っているほど甘くはない。それがわかるくらいの時間は、過ごしただろ」


 怒り、焦燥、憎しみ、悔しさ――それらの感情が頭の中で混ざり合い、パンクしそうになる。落ち着け。わたしは今自分の力で生活している。そりゃ落ち込んだりダメだって思うこともあるけど、それでも、誰かに頼ったり縋ったりして生きているわけではない。

 こんなことを言われても、負い目を感じる必要はないのだ。


「パートは、まともに働いてるとは言えないの?」

「所詮非正規だろ。責任を持った社会人の仕事とは言えん」


 少しだけ、笑うことができた。


「――でもさ、そういう人たちが回している世界もあるんだよ。お父さんみたいに、視野の狭い人にはわからないだろうけど」

「なにっ?」


 短く息を吸った。大丈夫。わたしは落ち着いている。


「わたしは今、ちゃんと生活できている。社会保険にも入っているし、税金もちゃんと納めている。その上で好きなことを、夢を追うのがどうしていけないの?」

「そんな生活がいつまでも続くと思うのかっ!?」

「わかんないよ。わかんないけど、お父さんに口出しされる問題じゃない。この生き方は、わたしが決めたものだから」

「知ったような口を叩くなっ!」


 どんっ! と父は拳でテーブルを叩いた。祖母が驚いて箸を止める。直樹は無表情だ。母は口元に手を当て、怯えたように呆然としている。


「きなこ……そういう言い方は」


 母が、今度はわたしを諫めにかかる。

 目は向けなかった。父だけを視界に収め、睨み続ける。


「大学出るまで育ててもらって、お金出してもらったことには感謝している。……でもわたしの生き方はわたしが決めるし、わたしはこういう風にしか生きられない。お父さんが、いくら自分の常識を説いてもね」


 言い切ると、わたしは里芋の味噌汁をご飯にぶっかけ、一気にかっ込んだ。


「ごちそうさまっ」


 皆が呆気に取られてる中、早足で茶碗を流しに運ぶ。


「ねェきなこ。みんなが食べ終わるまで、食器片づけるのは待つもんなんだよ」

「ごめんね、おばあちゃん。でももう帰るからっ」


 祖母に笑顔で告げて、わたしは小走りに玄関へ向かった。

 背後で母が何か叫んだようだったが、足は止めなかった。


                  ※


 家を出て、少しの間走って息を切らせたところで、横に軽自動車が寄せてきた。


「送るよ」


 水色のアルト。直樹だ。

 頷いて、わたしは助手席に乗った。


「言うようになったなぁ、ねーちゃん。前は親父に煽られたら、怒鳴り散らすだけだったのに」

「スーパーにはね、気の強いおばちゃんたちがたくさんいるの。年季の入ったね。そういう人たち相手にへこへこしてるだけじゃあ、どんどん立場弱くなっていくのよ」

「戦うしかないってか。厳しいねぇ、生きるってのは」


 軽薄な口調で直樹は言う。

 でも、その通りだ。生きるってことは、戦い続けるってことなんだ。

 人によって戦いは違うだろうが、避けて通ることはできない。決して。

 ただ――勝てなくてもいい。負けなければ。


「親父、仕方ねぇよな。お袋にさんざん言われて頷いてたんだぜ。ねーちゃんを責めるようなことは言わないって」

「……そう」

「だけど、実際顔を合わすとああいう言い方しかできないんだよなぁ。つくづく昭和だよな、うちの親父」


 直樹の調子は相変わらず軽く、何でもないことのように話している。

 その飄々とした雰囲気が今のわたしには救いだった。胸の内で燃え盛っていた炎が、ゆっくりと鎮まっていく。


「……お父さんの言いたいこともわかるよ。実際、結果出てないからね」


 五年間、いや学生時代を含めればもう一〇年以上描き続けている。プロデビューの糸口が微かに見えても、通すまでには至らない。それは才能の限界といえるかもしれない。

 二七歳――そろそろ、見切りをつけてもいい頃だ。


「だけど、ね。わたし、まだ諦められないの。まだ描けるって気持ちが、消えてしまわない間は」

「うん」


 ハンドルを切りながら、直樹は穏やかに頷いた。


「あんなこと言っちまったけどさ、親父だって、ホントはねーちゃんの描いてる漫画の話、聞きたがってたんだ。今日だって食後に入れるコーヒーの豆、自分で買ってきて挽いて」

「……うん」


 わたしのコーヒー好きは父の影響だった。

 小さな頃、ミルクと砂糖をせがむわたしに無理やりブラックを飲ませて、美味いだろう? と訊いてきた。そしていつ頃からか、わたしはブラックでしか飲まなくなっていた。

 物心着いた時には、すっかりカフェイン中毒だ。


「心配はしてるんだけど、いかんせん優しい言い方ってのを知らないんだよなぁ。今の時代、女子には絶対嫌われるタイプでしょ?」

「別に、好かれる必要もないんじゃない。もういい歳なんだし」

「ま、そっか。もうすぐ還暦だしな」


 言われて気づく。両親は三二の時にわたしを産んだ。来年で六〇歳なのだ。

 家を出た頃に比べて、そういえばいくらか老けたような気もした。


「自分が還暦迎える前に、わたしのことどうにかしなきゃって思ったのかな?」

「さぁねぇ。あんま考えてないんじゃねーの? まだまだ仕事続けるつもりみたいだし」

「そっか。仕事人間だからね、お父さん」


 やっと素直に笑えた。わたしは首に巻いたマフラーを少し上げる。


「――俺はさ、ねーちゃんがやりたいんだったら、漫画家続ければいいと思うよ。俺は特にやりたいことねーし、多分フツーに就職する」

「テコンドーは?」

「マイナースポーツじゃ食えねーよ。学生の間だけだなぁ、痛いのヤだし」

「夢のない若者だなぁ」

「そう言うなって。家は任せろってこと。だからねーちゃんは、売れっ子になって金入れてくれ。映画の原作になったりして、アイドルとか女優を俺に紹介してくれてもいいし」

「期待すんなよ。……ってかあんた、彼女いるんじゃなかったっけ?」

「別れた。やっぱダメだわ、年上は口うるさくて」


 へへっと笑って、直樹は頭をかく。


「あんたねぇ……だいたいそれは、あんたがいい加減だからじゃないの?」

「そうかなぁ~。でもいい加減だとしてもさぁ、良い加減じゃん?」

「うるさいなぁ……」


 悪気なく喋る弟を見つめながら、わたしはため息をつく。

 こいつはこいつで、中々ありがとうって言わせてくれないなぁ……などと思いながら。


                  ※


 部屋に戻ったところで、スマホにメッセージが届いていることに気づいた。母からだ。

 父が言ったことと、止められなかったことへの謝罪……父も言うつもりではないことを言ってしまったということ。

 そして、わたしの夢をいつも応援していると書かれていた。

〝ありがとう。わたしも言い過ぎた〟――そう打ちかけて、わたしは自分がまるでそんなことを思っていないと気づく。

 自分が〝いい人〟でないことはもうわかっている。そして、わたしはもう〝いい子〟でもないのだ。

 それは求めていたことだった。相手のことを考えて、心のどこかでセーブしてしまう気持ち。傷つけないように、悪く思われないようにと努める気持ち。

 それは〝いい人〟で、〝いい子〟である証だった。

 その縛りがある限り、わたしは前に進めないと思った。その引っかかりのせいで、いつまで経っても変われないと思った。

 だから、やめた。やめることができたのだ。

 スマホの画面を消して、机に投げおいた。

 返信はしない。今の気持ちを正直に言葉にして送れば、どうしたって母を傷つけることになる。


 ……そして、わたしはそれを、望んでいる。


 冷蔵庫から炭酸水と氷を出し、バーボンのボトルと大ジョッキを持ってくる。大ジョッキは大学生の頃、あゆ実が誕生日プレゼントにくれたモノだ。

 氷をたっぷりと入れ、バーボンを半分近く注ぎ、最後に炭酸水。

 度数高めのハイボールを、一口で三分の一程呑んだ。かぁーっという熱が炭酸の刺激と一緒に頭に上がり、それからふんわりとした酔いが回ってくる。

 涙は出ない。それでいい。

 公募締め切りまであと三日。今日で仕上げも五割は終えた。残りの日数で充分間に合う。


 ……だから、今夜だけは酔いの中に沈もう。虚しさも悲しさも、ほんのひと時だけ忘れさせてくれる仮初の酔夢に溺れよう。


 明日になればわたしはわたしの現実と、嫌でも向き合わなければならないのだから。


                  ※


「――もー、ダメダメですねぇ! 樋野さんっ!!」


 カットフルーツを作りに樋野さんが下へ行くのを見送ってから、緒方ちゃんは溜めていた憤りを吐くように叫んだ。


「覚える気ないのよ、アレは。繰り返し同じ説明聞かされてるこっちが耳にタコだわ」


 田畑さんも乾いた笑いでそれに同意する。

 向かいで作業を手伝う御手洗さんをチラリと見ると、困ったようなごまかすような、曖昧な笑みを浮かべていた。


「バーコードの貼り間違いは多いし詰め方は歪だし産地も間違ってるしっ。カットフルーツだって、あとから入って来た八重樫さんの方が全然うまいじゃないですかぁ」

「まあ……八重樫さんは、料理教室通ってたってこともあるけどさ……」


 緒方ちゃんの横で作業する武田さんが疲れた声で言った。さっきまで延々と樋野さんを叱っていたので、ずいぶん消耗している。


「にしてもやばいなぁ……あの人、俺の母親と同い歳なんだよ。歳食うと覚え悪くなるのはわかるけどさぁ……」

「覚えらんなきゃ続けられないでしょ。無理なら、辞めるしかないよ」


 厳しいが、事実だ。ぴしゃりと言った田畑さんに、武田さんはまあそうなんだけど、と項垂れながらつぶやいた。


「努力するしかないでしょ。それが続く限り一番しんどいのは、あの人よりも武田くんだろうけどね」


 皮肉気に田畑さんがつぶやいた直後、昼休みの第一休憩を告げるチャイムが鳴った。わたしと田畑さんは包丁を置く。


「いってらっしゃーい」

「いってきまーす」


 御手洗さんらに告げて一階へ向かう。先に行く田畑さんは更衣室へ。そのあとを追おうとしたところで、ふと休憩室隣の調理場前で足が止まった。

 僅かに開いた扉。何となしに覗いてみると、中では樋野さんが一人、まな板に向かっていた。

 横の容器には無様な形に切られたパイナップルが乱雑に詰め込まれている。じっ、とまな板に置いたパイナップルと相対し、それから樋野さんはおもむろに包丁を入れた。

 三対二ぐらいの、歪な割合でパイナップルは両断される。しばしそれを見つめて、樋野さんは小さなため息をつき、また包丁を振り上げた。

 樋野さんは続けていた。何度やってもうまく切れない、パイナップルを切り続けていた。

 それは抜け出せない迷路を進み、間違った道を繰り返し辿り続け、肉体だけは老いさらばえていく――わたしが知りもしない、彼女の人生を表しているようだった。

 不意に、視界が霞む。驚いて目元に指をやると、涙が溢れていた。


 ……何が悪かったのだろうか。何がいけなかったのだろうか。みんながみんな、それぞれに精一杯やってるだけなのに、何でダメなんだろうか――。


 わたしは樋野さんに同情して泣いたのではなかった。

 何度同じことを繰り返してもうまくいかない、成長のない愚かで小さな彼女の背中が、飽きもせず、つまらない漫画を描き続けている自分の背中を見ているようで――それが悲しくて怖くて、涙が止まらなかったのだ。


〝あっという間に三〇だぞ〟。〝世の中、お前が思ってるほど甘くない〟。〝そんな生活がいつまでも続くと思っているのか――〟。

 

 ……いつの日かこの迷路を抜けて、わたしが先へ進める日は来るのだろうか? 

 わたしにはわからなかった。本当に、途方に暮れてしまうほどわからなかった。

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