十年後の自分小説についてたしかに一日考えたようだった
崇期
一 電気小説講座のクラス
「電気小説講座」のクラスで、先生がホワイトボードの前に立って、説明をはじめました。
「一九七四年の五月、私は大阪の病院で生まれました。第二次ベビーブームの終わり頃ですかね。いわゆる親が団塊の世代である、ということで、私の世代は人口が多いのです。就職では苦労しました。生まれたときの体重は三千六百五十グラム。これは大きい方でしょう。現在の体重が五十一キロ。男にしては痩せていますよね。なので、私の母は『大きく産んで、小さく育てた』なんていつも言っておりました」
電子端末の画面に生徒たちの顔がいくつも並んでいます。先生の話に笑った様子がわかりました。これはインターネットを使った遠隔授業。なので、生徒たちは全国のいたるところでこの授業を受けています。皆「小説を書く」ということを必死に学んでいるのです。
先生は話を続けます。「六歳のころ、補助輪が取れて自慢げに乗り回していた自転車ごと排水溝に落ちて、三針縫いました。十歳では合唱コンクールで指揮者役を、出産で休んでいた担任の先生に代わってやったのです。ほかにもいろいろ、思い出せる子どものころの出来事を書きだしてみました。こういうものをなんていうか、皆さん、わかりますよね?」文字がびっしり書かれた電子ホワイトボードがコツン、と叩かれます。
スウキは画面の「手」のマークをタップして、発言の意思を伝えました。電気信号が東京にいる先生の下へ高速で飛んでいきます。先生が「スウキさん、どうぞ」と許可を出しました。
スウキはマイクをオンにします。「はい。自慢話です」
また
先生はオホン、と
「今度はノロケですね? ノロケがはじまりますね?」スウキは我慢できずにそう言いました。
「スウキさん、お静かに!」先生の表情が少し厳しいものに変わりました。「発言が終わったらマイクをオフにしましょう。……私が年譜をわざわざ書きだしたのは、皆さんに与えた課題『十年後の自分を描いた小説』を皆さんが『嫌だぁ』『難しい』と言ったからですよ。未来についての想像が難しいと思うとき、過去を洗いだしてみてはいかがでしょう? そこから視えるものもあるはずです。現在、四十七歳である私ですが、私自身も過去のすべてを克明に憶えているわけではないのだ、ということがわかりました。もしかすると、自分で創りだした主人公の人生でさえ、作者はなにひとつわかっていないのかもしれない。これはすごい事実なのです。そしてそれがある意味、小説です。自分の頭の中の虚空をじっと見つめて、もやもやと浮かんできた像を皆さんの力で手元に引き寄せ、それをなんとか形にして描く。そしてうまく描けたとしても、それがすべてじゃないのです。すべての謎が解き明かされるわけではない。皆さんがなにを引き寄せたのか、それが大事なのかもしれません。私はそれを知りたいのです。……見えない未来も同じでしょう。記憶の中の過去を材料にして、参考にして、未来を描く。皆さんならできるはずです。
まずは手始めに、計算サイトをご紹介しますから、自分が過ごしてきた人生の時間を確認してみるのもいいでしょう。
https://keisan.casio.jp/exec/system/1202449487
私はもう、一万七千日以上生きていることになります。この一日一日をすべて小説とすることができるならば、一万七千編できるわけです。残念ながらほとんどが記憶から抜け落ちていますがね。時間では約四十二万四千時間を過ごしてきたことになります。そして『人生時計』という、人の一生を二十四時間で表したものでいうと、四十七歳とは午後三時に相当するそうです。もう三時半ですね。おやつの時間は終わりました。だんだん、体がだるくなってくるころですね。でも夕方じゃない。まだまだ余裕がありそうです。そんな時間ですね、四十代とは。年齢を3で割った数字が自分の人生時間だそうです。皆さんは何時ぐらいでしょうか?」
スウキは女で、年齢は四十代。先生とそれほど違いはありません。一万五千日以上を生きて、人生時間は午後に差しかかっています。そして、この講習が行われている時刻が三時でしたので、ちょうどこれくらい、という感覚が容易に掴めそうな気がしました。
講習が終わると、スウキは仲の良い講習生のZさんとQさんと連絡を取り合い、再びインターネットのサービスでコミュニケーション広場を一時的に作り、課題についておしゃべりをしました。インターネットでは、そういった仮想空間を一瞬のうちに作ることができますし、また消したいときにはボタンひとつで跡形もなく消し去ることができます。
その目に見えない広場──端末から、Zさんの声が聴こえてきます。Zさんは関東に住んでいる人で、スウキは福岡県に住んでいます。
「わし、十年後にはなんらかの賞を獲って、どこかしらの出版社から何冊かの本を出版してることにして、そういう作家生活を送っているって小説を書こうと思う。とりあえずは明るい未来にしとく。今度こそ先生からA評価をもらいたいね」
「えー、桐澤先生、いつもA評価くれない?」Qさんが言います。
「いや、わしは結構雑に書いちゃうから、Bをもらっちゃうのよ」
「そうなんだ」とQさんは笑いました。「私はどうしよう……十年後っていったら、子どもが中学生かぁ。全然想像できないわ。反抗期とかが厄介至極ではあるよね。まだ私、小説書いてるかな? そのときにもまだ『カキュヨム』はあるのかしら?」
カキュヨムというのは、インターネット上に展開されている小説投稿広場のことでありました。たいていの講習生はこういったサービスの中から作品ジャンルに合ったもの、気に入ったものを
課題にまるで関係しない話なども飛び交いまして、やがてQさんが「では、そろそろ『お開き』にしましょう。私、子どもを迎えにいかないといけないので」と言いました。
「では、さいなら。小説ができたら『カキュヨム』にアップするから」
「さようなら、また」
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