第12話:全快


「——ん……、私、あのまま眠っちゃってたのか」


 窓から差す朝陽に顔をくすぐられたミモリは、鼻を啜りながら瞳を開いた。


「……色んな事、有ったなぁ」


 独り言ちたミモリはノソノソと立ち上がり、手を上に、身体を伸ばした。

 その際自分の目尻がカサカサしている事に気付き、触ってみると、泣いた跡の様になっていた。


「私、元気!」


 自らを奮い立たせる為に態と大声を上げてみるが、それでも気分は晴れない。

 新築の木材の匂いが、この地に住み始めた自分を拒絶している様にも思わせた。


「今度こそ、私……」


 目前の窓の向こうに広がる晴れ渡った青空を見上げて、独り言ちる。

 最後まで言えなかったのは、これ迄の想いからか。


「お茶でも飲もうかな」


 トン、トン、トン。

 そう言ってミモリが台所に向かった時、丁度その横の玄関の扉をノックする音がした。


「はぁい?」


 声を掛けながら扉を開けると、そこに立っていたのは、マジルだった。

 鼻息荒く、落ち着かない様子で。


「どうしたの、マジルく——」

「母さんが、母さんが!」

「小母さんが、どうかしたの?」


 マジルの言葉に瞬間的に不安を覚えたミモリではあったが、続くマジルのその様子に良い知らせであろう事が直ぐに察せられ、安堵の息を漏らす。


「良いから、うちに来てくれよ。実際に確認して欲しいんだ」

「え、でも私、今からお茶を淹れようかと……」

「それなら、うちで飲めば良いから! 早く!」

「待って!」


 マジルに手を引っ張られて家から連れ出されそうになったミモリは、済んでのところで踏み止まった。


「……私、未だ寝起きなんだけど……」

「あ、……悪い! 外に居るから、準備が出来たら声を掛けてくれ!」

「うん、ありがと」


 慌ててミモリの手を離したマジルは、慌てて木製の扉を閉めた。

 ミモリはその扉に向けて口許を緩めながら一息吐くと、急いで顔を洗って、外着に替えた。


「お待たせ!」


 扉を開けて声を掛けると、ミモリは自分の姿をマジルが上から下まで一瞥したのを感じた。


「……変、かな?」


 ミモリはそんなマジルに、オドオドしながら訊ねた。

 外着とは言え、今までの人生からミモリはオシャレをする事を諦めていたので、可愛げの無い質素な物だったから。


「いや、良いと思うよ。さ、うちに来てくれ」


 照れながらマジルが差し出したその手は見なかった事にして、ミモリは逸る気持ちを抑えながら、マミの待つマジルの家へと向かった。


 ——今の自分には、その手を取る資格も勇気も無いと。


「小母さーん! どうなったのー?!」


 玄関の扉を開けながら家の中に呼び掛けたミモリに返って来たのは、鼻をくすぐる、お茶を沸かしている香ばしい匂いだった。

 それは小さい頃、ミモリが好きなマジルの家のお茶の香り。


「あれ? マジル君、用意してくれていたの?」

「いや、これは——」


 マジルが言い掛けた時、自分でそれに思い至ったミモリは、家の中、台所へと急いだ。


「小母さん?!」

「だから、マミって。……おはよう、ミモリちゃん」


 声を掛けたミモリに、振り返ったマミは、笑って挨拶をした。


「ちょっと待ってね、もう直ぐお茶も具合が良く出るから」

「動いて大丈夫なんですか?!」


 出て来そうな涙を押し留めながら、ミモリは訊ねる。


「うん、起きたら身体が軽くなっていてね」

「母さんが起きるのなんて、いつ振りか分かんないよ」


 ミモリの背後、台所の入り口に凭れたマジルは、母親の言葉に付け加えた。

 ミモリへの、感謝を込めて。


「ありがとう、ミモリ。これからも、ずっとこの村に——」

「ダメ!」


 喋り続けようとしたマジルの言葉を、ミモリは手で物理的に口を塞いで遮った。


「私は、居たいから。……それ以上は、言わないで……」


 突然示されたミモリのその空気に、マジルもマミも、黙って頷いた。

 ——今まで、色々大変な思いをして来た事は、この短い間だけでも充分に思わされていたから。


「じゃあ、お茶も入った事だし、飲もうかね。ミモリちゃんも飲んで行くんでしょう?」

「はい、頂きます!」


 皆でダイニングのテーブルに就いて、お茶を啜った。

 その味と香りが、ミモリの心を落ち着けた。


「……マミさん、念の為、確認させて貰っても良いですか?」

「ああ、そう云う約束だったね。昨日と同じ様に、手を握れば分かるのかい?」


 隣に座るマミにミモリが声を掛けると、マミは優しく笑って手を出した。


「ありがとうございます!」


 それを握って、意識を集中させるミモリ。



 ……マミさんの身体からださん、どんな塩梅?


 ……うん、おかしくなっているのが、問題無かった時位に減った? あ、元々有った物ではあるんだね。


 ……ありがとう、身体さん。



「もう、何とも無いって。以前と同じように生活して大丈夫ですよ」

「本当かい?! ありがとう、ミモリちゃん!」


 顔中に喜びを表したマミはミモリを強く抱き締め、ミモリもまた、その身体を抱き返した。

 テーブルの向かいのマジルはそして、涙を流しながら抱き締め合うその2人を、自らもまた涙を流しながら微笑んで見ていた。

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