勿忘草

午前3時

勿忘草

『お忘れ物がございませんよう、ご注意ください』

 というアナウンスが聞こえ、音声は途切れた。

 このアナウンスに効果はあるのだろうか、と、自分が以前、新幹線に忘れ物をしたことを思い出す。

 こんな優しい語気のアナウンスなど耳に入らずにお土産を放置したな、と、当時を思い出し、自分の手荷物を持ち直した。

 そこで、あぁ、効果はあるんだな、と実感し、感心する。


 待ち合わせは、改札の先としか指定していない。

 日常生活ですっかり見なくなった、裏が黒いチケットを2枚、重ねて改札に流し込む。

 新幹線も停まる、県庁所在地の大型駅とはいえ田舎のため、平日はほとんど人がいない。改札の先はひらけて、見晴らしがいい。

 リュックの右肩を背負いなおしたところで、

「髪、伸びたね」

 と、声をかけられた。

「……そっちは失恋でもしたの?」

「3年ぶりの対面で、のっけからよくそんな失礼なことが言えるね」

「失恋だけに?」

 彼女ははぁ、とため息をつき、

「変わってなくて安心した」

 と、言って髪を耳に掛けた。

 高校時代、ストレートなロングヘアの黒髪を靡かせていた彼女、高山霞たかやまかすみは、今は前下がりに切り揃えられたショートヘアを、風に揺らしている。少しつり目で顔も小さい彼女に、良く似合っていると思う。少し装飾の入った紺のブラウスに黒スキニーを合わせ、シンプルなレザーのトートバッグを肩にかける彼女は、以前よりずっと大人びて見えた。

 この駅は風の通りがいい。もう暦の上では秋と言われる季節で、気温はほどよく、吹き抜ける風は心地がいい。都心の駅では感じることのない爽やかな空気に、懐かしさを覚える。その気分に浸りたいような気もするが、時刻は正午を回り、朝食を抜いた自分は、そろそろ空腹を感じる。そもそも、わざわざ駅で待ち合わせたというのも、ついでに昼食を摂るためだ。

 まるでその心を察したように、霞が続ける。

「何食べたい?」

「パムの以外」

「その返し方、ほんと私以外にはしない方がいいと思うよ」

 できないよ、という言葉が出かかって、引っ込めて、変な間が生まれてしまったのを、頭を搔いて誤魔化す。なぜ、無神経を貫けないんだろうという気になる。

「まぁ、取り合えず探そう」

 そう言って、多少強引に、駅から直結しているショッピングモールへ促した。


 モール内のレストランゾーンを少し歩くと、どことなく緩い書体で「パムの樹」と書かれた看板が目に入る。

 地元とはいえ、モールにどんなお店が入っているかなんてほとんど知らないが、この店の名前だけは憶えている。僕と霞が、初めて2人で出かけた日、昼食をとった店だ。

 僕らは、高校生であった期間の半分以上、恋人関係だったのに、おおよそデートと呼べるようなことを、あまりしなかった。田舎というのもあったし、僕らは、ただ共に過ごすだけで満足していた。思い返せば、満足と勘違いしていただけで、それが別れる原因のひとつだったのだろうとも思うが。

 そして、何の感慨もなく、看板を横切り、その先をいくつか見た。

「気になるのある?」

「お腹が空いてるから、なんでも美味そうに見える」

「じゃあ、あそこにしよう」

 といい、霞が指さしたのは、窯ご飯が売りの、和食の店だった。和食は好きだ。嫌がる理由もなく、店へと歩みを進めたが、店の雰囲気や食事の価格を見て、大人になってしまったような感覚がした。3年前から、はっきりと乖離したような感覚が、少し寂しかった。


「ちょっと、意外だった。来るの」

 席に案内されてから注文を終え、先に口を開いたのは霞だった。少し考える。

「…ましろの漫画、借りっぱだったんだ。」

「…そう」

 霞はそれ以上、聞いてこなかった。

 望月白もちづきましろ。僕たちの同級生の名前だ。半年前、告別式が行われた。

 同級生が亡くなった。死因は交通事故だったらしい。そのことを、もう一度頭の中で読み上げても、彼がこの世にいないということの実感は湧かない。彼との記憶は、3年前、卒業する高校の校門前で共に写真を撮ったのが、最後だ。その記憶はまだ、あまりにも鮮明過ぎる。

 だから、墓が建てられたから、線香くらいあげにいこうと、霞に言われてやっと、白が亡くなったことを頭で理解できたように思う。感情は、お墓を前にしても追いつくかどうか分からない。

 お冷に口をつけ、一息つく。

「まだ完結してないのに、無念だな」

 半ば、独り言だったけれど、霞は答えた。

「望月の代わりに、最後まで読んであげな」

 残された側、という形容が正しいか分からないけれど、残された僕たちが出来るのはそれくらいだな、と、無難ながら納得する。霞の、真っ先にそういう言葉を返せる優しさが好きだった。言えはしないけど。

 白は、無念なんて思う暇さえ与えてもらえなかっただろう。この世にいくつ忘れ物があるか分からない。だから、無念なんて簡単に片づけられるものじゃないな、と、発言の軽率さを省みる。

 一息ついて、また、霞が呟く。

「ねぇ、ただの雑談で、それ以上の意味はないから、軽く流してくれていいんだけど。もし、高校3年生の夏にさ」

 その先は、言わずとも分かった。

 高校3年の夏、僕たちは別れた。僕もそうだが霞も、それを後悔しているわけではないだろう。

 3年の夏といえば、受験勉強に本腰を入れるタイミングだった。そこでお互い、どこかやり切った気持ちで別れた。お互い特に険悪になったわけではない。共に過ごす時間が減った、というよりほぼ無くなっただけだ。けれど、僕らを交えて、共に過ごすことも多かった白が、明らかに気を遣っていたのも確かで、誰よりも彼に、影響を与えてしまったのではないかと思う。

 白はあの期間、誰よりも辛かったのではないかと、そう言いたいのだろう。もしも僕らが別れていなければ、白はそんな思いをしなかったのではないかと。

 それは結果論で、お互いに言葉が足りなかった僕らはどの道あそこまでだったと思うし、言葉が足りているのなら、その言葉で、白を楽にさせることが出来たと思う。結局僕らには、余裕が足りなかっただけの話だ。

 ただ、霞もそれを分かっていても、もし、と言いたくなる気持ちは、分からなくもない。

 結局、言葉の先は、思ったよりも早く運ばれてきた料理で、遮られた。料理が揃った後に、話の先を促しても、やっぱりいいと、話そうとはしなかった。

 僕はもう一度お冷に口をつけ、色々な感情を飲み下した。その後は、食事を終えるまで、同級生の誰々はもう結婚してるだの、担任だったあの先生は転勤で遠くまで行ってしまっただの、地元では台風の被害がとんでもなかっただの、何でもない話を続けた。


 僕らは、言葉が足りなかったのが全てだと思う。言葉を返すことはできるのに、欲しがることはしなかった。

 適当に聞き流してしまう、新幹線のアナウンスを聞いている時とは違う、言葉をしっかり受け取れる体勢だった。けれど求めなければ、その先はなく、不満もないまま、満足もなくなるのだろう。

 今更言っても仕方がなく、考えても仕方ないので、これまで考えたこともなかった。地元に居るから、つい、考えてしまったのだろう。それとも、もう言葉すら届かない存在を知ったからなのだろうか。

「そろそろ行くか」

 伝票に手を伸ばす。霞も頷いた。

 会計は分けなかった。店を出ながら、会計の100以下の位はうやむやにして、1000円札を1枚だけ受け取った。今日は墓地までの道案内もしてもらう予定なので、数百円くらいは払おう。

 以前なら、気持ちという理由だけで払えていた数百円に、理由を付けないといけない気になるのは、不思議な感覚ではあった。ついでに、お代分、気持ち悪いことでも言っておこうか。

「離れても、その数百円と僕のことを、忘れないでいてくれ」

「し……」

 ね、とは言えなかったのだろう。僕がいくら気持ち悪かろうと。考えて、

「生きろ。どこか遠くで」

 と、言い直す。

 この返事が心地よくもあった。多分、こんなやり取りなら一生続けられる気もする。するだけだが。

 そうだ、忘れる前に…と、霞へのお土産はかさばらないものを選んだから、先に渡しておこうと思い立つ。手元を見る。


「あ」


 お土産、店に置いてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

勿忘草 午前3時 @RyAsumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ