第2話 to find

 ダイブ用のヘッドセットをつけながら、私は夫を振り返った。

「高月さんと会ってくるけど、来る?」

「いや、僕はいいかな」

 その間に買い物に行ってくるよ、と彼は小さな鞄を背負う。ネットショップでいいんじゃない?と言ったことがあるのだが、彼曰く人間が現実世界で生活しているのを観察するのが楽しいらしい。ネットワーク上で会うのは、『なんか違う』とのこと。

「高月さん、苦手?」

 ちなみに高月さんとは、先日サラダ油の場所を教えてくれた、料理の上手い友人のことである。現実世界で会ったことはまだないが、彼はそれらしい人を見かけたことがあると言っていた。

「まあ、そうかな……」

 言葉を濁しつつ、彼は視線を逸らす。私からすると高月さんは普通の人間にしか見えないが、彼の感性は時々私の理解を超える。これがロボットと人間の差なのかなと思いつつ、なら仕方ないね、と答えた。

「じゃあ、行ってくるね。買い物気をつけて。変なヒューマノイドに着いてっちゃだめだよ」

「うん」

 私は、PCの画面からログインボタンを押した。ふわ、と浮くような感覚があって、視界の制御を奪われたのがわかる。この感覚が苦手な人も多いらしいが、私はいかにもそれらしくて好きだ。

 ターミナルの中にはちらほら同じように待ち合わせをしている人の姿が見える。私は適当なベンチに腰を下ろすと、『手を水平に払う展開』ジェスチャーをした。コンソールを開く動作としてはごく一般的なものだが、もっといいものがないかは模索中だ。なにか時間を潰すものが入っていないかと思ったのだが、どれもピンと来なくてすぐに閉じる。ちなみに閉じる時のジェスチャーは『雲を払う』動作である。これは数百年前の漫画の描写として、妄想を雲に見立てて頭の上に浮かべているものがあったのだが、それをやめたり、やめさせたりする時の動作と同じだ。こちらはあまり一般的ではないが、かなり気に入っている。

「祥子さん!」

 楽しそうな声に、私は振り返った。茶色い髪を揺らして高月さんが走ってくる。

「ごめん、遅くなっちゃった」

「全然大丈夫」

 今日は新しくできたパンケーキ屋に行くのが目的だ。ネットワーク上でも味覚の再現ができるようになったのはここ百年ほどの話。

「いやー、こっちだと食べても食べても太らないのがいいね」

 テラス席で海を臨みつつのおやつ。現実世界ならとんでもない贅沢だな、と一口大に切ったパンを口に運んだ。ふわふわで甘くて美味しい。海なんて、生まれてこの方現実世界のものは見たことがない。自分の家からは遠すぎるのだ。

「現実よりこっちの方が綺麗だよ」

 とは高月さんの談である。かく言う彼女のは、パンケーキよりもそれを運んでくるペンギンウェイターに心を奪われていた。通りがかる度に可愛い、と声にならない叫びをあげたり顔を覆ったりしている。

「本当にペンギン好きだよね」

「そりゃあもう!家を水族館にしちゃうくらいですから」

 もちろんホログラムの話なのだが、一度お邪魔した時は本当にそこに水があるんじゃないかとびっくりしたほどだ。高かったんじゃないのと思わず聞いてしまった私は悪くない、と思う。それなりにしたらしいが、他に趣味がないから、と彼女は笑っていた。

「最近仕事どう?」

「悪くはないんだけど……」

 私は眉根を寄せつつ、先日の仕事を振り返った。Webサイトの修正依頼だったのだが、壊れ方がちょっと不思議だったのだ。

「なんか、記号だけ消えてるんだよね……」

 依頼自体はよくある、『突然サイトが表示されなくなったのでなんとかして』というものだ。コンソールに入り作業空間に潜って、吐いたエラーを確認して、私は首を傾げた。自動修復機能がOFFになっているのだ。ONにしようとしたが動作しない。そして、どんな壊れ方をしているのか興味が湧いた私は、そのままソースコードを読んでみた、のだが。

「え、ソース読んだの?物好きだねぇ」

「いや、気になっちゃってさ。自動修復で充分だったから、結局はONにするだけの作業だったんだけど……」

 最近こういった依頼が多いのだ。こちらとしては作業時間が短く、かつ難しくもないのでありがたいのだが、ちょっと腑に落ちない。

「ファイアウォールが働いてないのかな……」

 虚空を見つめていると、小さなペンギンが目の前に出現した。高月さんのアクセサリーである。妖精のようにふわふわ浮いて私の鼻先にヒレを乗せると消えた。

「ごめん、ちょっと思考が飛んじゃってたわ……」

「ううん、仕事に真面目なのはいいことだと私は思うよ!」

 ねー、と、彼女は自らの手元に表示させたペンギンと指先でハイタッチをする。私も猫のアクセサリーを買おうかなと、微笑ましく彼女を眺めた。

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