第3話
ざわざわ……と。
教室が瞬時にしてざわつき始めた。この場にいる誰もが、俺たちに驚愕と羨望の目線を向けてくる。
「な、なにこれ……」
さしもの由美も不愉快なのか、周囲に目配せする。
肩身が狭いというのは、こういう様子を指すのだろう。
「そ、そっか……。みんな私に嫉妬してるんだね」
そしてまた、意味不明なことを言い出す。
「は? おまえに嫉妬?」
「うん! だって私、あの良也とご飯食べてるんだよ!」
ガクッ。
思わずずっこけそうになる俺。
「いやいや。逆だろ。俺が嫉妬されてんだよ」
「へ? そうなの?」
「お、おまえって奴は……」
こいつ、自分の美貌に気づいていないのか。真偽はさておいて、学校で一番可愛いと噂されているレベルだぞ。
対する俺は根暗も根暗。
存在しているかどうかすら認知されないゴミ虫だ。
スクールカーストにおいて対極に位置する男女が向かい合って飯を食うなんて、学生さんにゃさぞ珍しいんだろうよ。
精神年齢三十の俺にゃ、カースト自体くだらないけどな。
「むー」
納得しかねる様子で、由美が弁当箱の包みを開ける。
「……こんな状況なのに、良也は落ち着いてるね」
「ん? ああ……」
そりゃ伊達に歳取ってないしな。
「これしきで動揺なんかしねえよ。ガキじゃあるまいし」
「ほぉあ。なんか大人って感じ……!」
「…………」
大人。
まあ、こいつからしたら大人か。
たしかに俺の精神年齢が高校生のままだったら、心臓がバクバクに高鳴っていることだろう。
実際には、ただ感性が枯れただけなんだがな。
「でも、私は嬉しいんだよ」
「は?」
「だって、あの良也とご飯を……って、うわああああ!」
「!?」
いきなり恥ずかしくなったのか、顔を真っ赤にして大暴れする由美。足をジタバタさせるもんだから、うるさいことこの上ない。
この騒がしさ。
破天荒さ。
本当に突き抜けてるよな……
人生三十年、ここまでぶっ飛んでる奴は見たことねえよ。
だが。
――由美も不器用だったからねー。そうするしか飯塚くんを振り向かせられなかったんだと思うよ――
須賀の言葉が思い出される。
この奇妙な言動も、不器用さの裏返しなのだろうか。だとしたら、下手に突き返すわけにはいかないな。
「おい」
「わああああ! って、え?」
暴れながら俺の呼びかけにはしっかり返答した。
「その……俺も嬉しいよ。お、お、おまえと飯を食えて」
「あ……」
由美はしばらく目を瞬かせ。
「うわああああああああ!!」
さらに暴れ出した。
うん、やらかしたね。
逆効果だった。
その後も由美が落ち着くには時間を要したが、平和(?)なお弁当タイムはなんとか終了した。
余談だが、俺のとは違って、由美の弁当はかなり豪勢だった。色とりどりのおかずが、綺麗に揃えられている。俺のものとは大違いだな。
「…………」
そんな弁当を食べながら、俺はひとつの思考に至っていた。
いまの俺はおそらく高校三年生。
季節は春。
大学に通うため、そろそろ受験勉強を意識し始めた時期である。
けれど……
「そうか、ここが俺の人生の別れ目……」
ぽつりと、俺はそう呟く。
――大学受験。
俺にとって人生の節目となるこの時期に、父がリストラに遭ったのだ。日頃から仕事がうまくいっていなかったらしく、いつも安酒で鬱憤を晴らしていたのを覚えている。そしてまた、ストレスから母に手を上げていたことまで――
そんな父が嫌いだった。
大嫌いで大嫌いで、死ねばいいと思っていた。
これのせいで俺は大学を受験できなくなった。そもそも金がないからな。
でも。
「親父……」
悲しいかな、いまなら気持ちが強くわかる。
親とて人間だ。
子にすべてを尽くせるわけではない。
それでも当時の俺はガキだったからな。父をただみっともない存在としてしか見なしていなかった。
だから俺は腐った。
自分の道を見いだすこともなく、ただダラダラとフリーターを続け、いまでは工場の派遣社員……
現在でも思い起こせる。
親に向けて、決して言ってはならぬ言葉の数々を。
それでも――腐った俺を見放すことなく、しばらく養ってくれた両親を。
俺は、やり直せるんだろうか。
由美も。
親父も。
お袋も。
みんな救えるんだろうか……
「すっ」
ふいに、由美の手が俺の額にかざされた。
「……ふむふむ。体調に異常なし。もしかして悩み事ですかー? 良也」
俺の目前には、にんまりと悪戯っぽく笑う由美。
「なんかわかんないけどさ、悩み事があったら私がぶっ飛ばすから! なんでも話してよ!」
「はは……ぶっ飛ばす、か」
この天真爛漫さに、過去の俺も何度か救われた覚えがある。
ずっと鬱陶(うっとう)しいと思っていた奴だけど。
それでも大事な人が、こんなにも身近に。
かつての俺は……ただただ、それに気づいていなかったんだ。
「はは……馬鹿野郎……。なに今更気づいてんだよ……」
俺は両目を片手で覆い、乾いた笑みを浮かべる。
これは単なる夢物語かもしれない。
もしかすれば、いつか目覚めてしまうのかもしれない。
けれど――もう投げ出したくはないから。
「俺の人生……もう一度、頑張ってみるかな」
拝啓、僕を殺したあなたへ。 〜高校生にタイムスリップした三十路の派遣社員は、もう二度と幼馴染を死なせたくない〜 どまどま @domadoma
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