第2話

 周囲でチャイムが鳴り響く。

 ざわざわとした喧噪が俺の耳を打つ。


 その声のどれもが、びっくりするほど若々しくて。長らくおっさんとしか接していない俺には、ある意味で新鮮な声だった。


「あー、やっと終わったぁー」

「次の授業なんだっけ?」

「日本史」

「げっ、あの石頭の授業かよ」


 会話の内容も相当に若い。

 たしかに学生だった頃の俺は、次の授業が楽かどうかで一喜一憂していたもんだ。


 ……って、ん?

 じゃあなんで俺はここにいるんだ?


 オンボロアパートと工場。

 そこを往復するだけの人生だったはずなのに。


「……っぷ!」


 慌てて顔をあげる。

 どうやら机に突っ伏していたようだ。学生時代はこうやってよく寝ていた。


 ……いやいや。

 だからそうじゃない。


 俺はさっきまで同窓会に出席していたはずじゃないのか? 慣れないスーツに身を固めて、できる限りのお洒落をして……


 それがなんだこれは。


 この風景。

 まわりの人々。

 考えるまでもない。


 ここは学校の教室だし、周囲にいるのも学生だ。


 しかも驚いたことに、さっきまで話していたはずの田端や須賀でさえ、あの頃のごとく若返っている。


 そして俺も……漏れなくブレザーを着てしまっている。こんなもん、卒業以来着たことないぞ。


 そう。

 まるで――十二年前に戻ってしまったかのように。


 そして。


「うおりゃああああああっ!」


 背後から嵐のごとく突進してくるあいつも、まさに十二年前と同じだった。


「先手必勝! 鳳凰拳(ほうおうけん)!」

 という名の跳び蹴りをしてくる幼馴染み。

 鳳凰拳なのに蹴り技なのはなにか意味でもあるんだろうか。


 ――桜庭由美。

 昔ならこいつの暴力をまともに喰らっていたところだ。


 だが。

 こちとら派遣社員として、クソみてえな上司からパワハラを受け続けた身。危険察知能力は人一倍、身についている。


「っと」

 だから、由美の足を右腕で受け止めるくらいは容易だった。

「ぐっ! なんと、私の炸裂キックを受け止めるとは!」


 技名変わってるな。

 どうでもいいけど。


「…………」


 さて。


 死んだはずの桜庭由美だが、こいつの姿も昔のまま。

 やや茶色がかかった髪が腰のあたりまで伸びており、栗色の瞳がなんとも可愛らしい。どういうわけかいつも強気な表情を浮かべていて、今回のようによく俺に突っかかってくる。


 まさに嵐のような女だ。

 だが高校生にして出ているところは出ているし、黙っていれば可愛いんだがなぁ。実際にも、男子生徒からかなり人気みたいだし。


 この風景。

 周囲の人々。

 俺の状況。


 さまざまな事由を鑑みても、俺がひとつの結論に到達するまでにそう時間はかからなかった。


 ――どうやら、十二年前にタイムスリップしてしまったようだ。


 理由まではわからないが。


 念のため、俺は自分の頬をつねってみる。

「いてっ」

 が、当然のごとく目が覚めることはない。


「……なにやってんの、良也」


「いや。なんでもないさ」


 俺は頬をさすりながら、壁面の時計を見上げる。


 正午前。

 たぶん……昼休みだろうか。クラスメイトたちが続々と弁当箱を広げ始めている。


 そう考えると腹が減ったな。

 同窓会にてある程度の飯は食ったはずだが、こっちの俺には関係ないのか。


「……で、なにしにきたんだ、おまえは」


 俺は改めて由美に視線を送る。

 ……まさか蹴るためだけに来たわけじゃないよな。そこまで頭おかしい奴じゃないよな。


「えっ……? あの、その」

 由美はふいにドギマギし始めた。気づけば、後ろ手になにかを持っている。

「よければ……その、おべ……」


「おべ……?」


 あー。

 わかった。

 弁当か。


 このとき過去の俺は、本気で意味がわからず、昼寝を再開してしまったんだよな。


 ここで意志が汲み取れるようになってるってことは、三十年もの歳月も無駄じゃなかったのだろうか。


 ――由美ね。亡くなったのよ。交通事故で……――


 須賀の言葉が思い出される。

 この台風のような女が、いつ、どこで最期を迎えるのか。

 そこまでは聞いてない。その必要も感じなかったからな。


 おこがましいかもしれない。

 けれど、もし、こいつの未来を変えてやることができるのなら――


「わかった。由美。一緒にメシ食べよう」


「え……」

 大きく目を見開く由美。

「い、いいの……?」


「当たり前だ。断るわけないだろうよ」


「や、や……」

 由美はそこで、見たことのない笑顔を浮かべた。

「やったーー!」

 


 

 

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