第12話 友の想い(二)

ともかく、戸板の補強加工ができる算段はつきました。二人は、宿屋にはもう二泊ほどすることにし、その夜、キミとおばあさんを、大事な話があると言って呼び出し、宿屋へ招き入れて、計画を話しました。

キミは驚き、行きずりの人たちにそこまでしてもらうのは憚られる、と言いました。なにせ、知り合ってまだ数日の間柄なのです。しかもセンタは、単なる店の客に過ぎません。しかしここでも、センタの饒舌が光ります。このままここにいたら犯罪の一味にされてしまう、おばあさんもこれまでの人生頑張ってきて最後にそれでは救われない、キミ自身も新しい土地に行きさえすれば自由に生きていける、ということを、熱を込めて語りました。

もっとも、横で聞いているワクには、

「俺は君のことが好きなんだ。好きなんだ! 好きなんだ‼」

と言っているように聞こえました。キミにもそう聞こえていたのかも知れません。キミはしまいに、

「ありがとう。」

と言いました。目が潤んでいました。

一方、おばあさんはとても上品で、思慮深げな老婦人でした。黙ってセンタの話を聞いた後、静かに微笑んで、

「分かりました。あなたたち、よろしくお願いしますね。」

とだけ言いました。普通に考えるととんでもない提案ですが、若い真っすぐな熱意にほだされたのかもしれません。いや、おばあさんはおばあさんで、今の状況にうんざりしていたのかもしれません。もうそれほど先の長くない人生。どんな方法であれ、最後に状況の打開を試みてみたかったのでしょう。

翌日、ワクとセンタは、雑貨屋の主人の目を盗んでお目当ての戸板をこっそり運び出し、例の材木屋で作業をしました。材木屋の主人も二人にはごく好意的でした。なんなら自分も何か手伝おうか、とでも言いたげな風情でした。

そして、その次の夜、いよいよ決行の時を迎えます。

真夜中。

ワクとセンタは、宿の前に姿を現しました。満月に近い月が、思いがけず明るい光を投げかけています。ほぼ同時に、キミと祖母が、最少限の身の回りの品だけを手荷物にして、こっそりと店を出てきます。

やることはとても単純です。お祖母さんが自分の荷物をキミにあずけ、静かに戸板の上に寝そべると、ワクが前、センタが後ろを持って、物音を立てぬように持ち上げます。そのままそろそろと一歩ずつ、歩き出しました。キミは二人分の手荷物を持って、後ろをついて来ます。あたりは寝静まっていて、三人の草履の音だけがひたひたと耳に届きます。月明りが、一行の影を道にくっきりと映していました。

ワクは全身緊張していましたが、同時にワクワクしていました。今まさに、静かに冒険の航海へ漕ぎ出す気分です。後ろを振り向くと、センタが懇願するようにワクを見つめ返します。ワクは小さくうなずきました。

町並の外れまで来ると、少し緊張が緩み、会話を始めましたが、足は止めず、そのまま歩き続けました。


一行はそれから三日間、町中を避けて移動しました。昼は森の中などに隠れ、夜に移動するという形で。宿にはあえて泊まらず、野宿をしました。

ワクは今さらながら、夏に向かう季節で本当に良かった、と思いました。もしこれが秋や冬だったら――今になって、自分たちの考えの至らなさに気づいたのでした。

「そろそろ休憩しましょ。」

キミは適当な間隔で、二人にそう言いました。そうでもしないと、二人とも意地を張って、疲れたと言い出さないからです。そのくせ、キミがそう言うと、

「まだ大丈夫だけどな。キミちゃんがそう言うなら。」

必ずそう口を揃えるのでした。その顔には疲労と安堵の色をありありと浮かべながら。

真夜中、板の上に横たわった人を乗せ、静々と歩く一行。その影は小道や田んぼに長く長く伸び、揺らめきます。その姿はやはり異様だったでしょう。まるで小さな葬列のように見えたのかも知れません。一度、すれ違った男性に声を掛けられました。

「何だ、お前たち? 何しているだ? 死体でも運んでいるだか?」

「ううん、違うの。お祖母ちゃんが月を見たいというから、連れてきたの。家はすぐそこなんだけど、足が悪くて歩けないから。」

キミが咄嗟に答えると、お祖母さんはにっこり笑います。

「なあんだ、そうかい。こいつぁ失礼したな。気を付けて行けよ。」

一同は胸を撫で下ろしました。こういう時にはやはり女性の方が信用されるのでしょう。キミの機転に、ワクは感心しました。

キミはそれだけでなく、戸板を担ぐ二人に水を飲ませたり、汗を拭いたり、お祖母さんに話しかけたりと、細かな気遣いで皆を助けました。そんな調子で、この逃避行にはキミこそが最も貢献していることは間違いありませんでした。

追っ手らしきものの姿は、案に反してついぞ見えませんでした。幸運にも遭遇せずにすんだのかも知れませんし、ひょっとすると、そもそも追いかけて来ていなかったのかも知れません――それはそれで少々淋しいですが。


三日目の夜が明けました。

前方に、次の集落らしきものが見えてきました。

四人は茶店で一息つき、久しぶりに人間らしい気分になりました。それからその晩の宿を決めました。久しぶりに屋根の下で眠れます。

宿屋で、四人は今後のことを相談し、この近辺にキミとお祖母さんが住む集落を探そう、ということになりました。

そして、それから三つ目の村で、ちょうど働き手を探している花屋を見つけました。キミはそこで働くことに決まり、近くにほどよい空き家も見つけ、そこにお祖母さんと二人、住めることになりました。

その一連の段取りにも、センタが活躍しました。センタは花屋の女主人からも気に入られ、引っ越し祝いと称して大きな花束が贈られたほどです。それは持って生まれた才能なのだ、とワクはついに観念しました。


さて、ワクとセンタは、それから一週間ほど、キミたちの新居にぐずぐずと留まっていました。

一週間を過ぎた頃、とうとう意を決して、旅立つことにしました。

その朝、センタはソワソワして落ち着きがありません。いよいよ別れるときにも、キミの顔をまともに見ようとしません。

「じゃあ、センちゃん、ワクくん、本当にありがとう。道中気をつけてね。」

「キミちゃんもお祖母さんと仲良く、お幸せに。」

とワク。

「そして、いずれいい人が見つかるといいね。」

センタの顔をちらりと見ながら、そんなことを言ってみます。センタは、ぶすっとした顔で下を向いています。ワクが「いい人」と言った瞬間だけ、はっとして顔を上げました。今にも泣き出しそうな顔でした。

ワクは昨晩、センタに気持ちを確認したのでした。キミのことが本気で好きなようだから、いっそ、このままここに留まったらどうか、と。センタは拒否しました。

「親父との約束なんだ。住みやすい、理想の場所を見つける、って。ここで旅を辞める訳には行かねえ。」

ワクはそれ以上何も言いませんでした。

「じゃあ、キミちゃん、お祖母さん。お元気で。」

「お元気でね。」

「本当にありがとうね、あなたたち。お元気で。」

「センちゃん…。」

「げ、元気で…。」

キミは、センタから何かを言って欲しい様子でしたが、センタはとうとう何も意味のある言葉を発することなく、彼らはキミとお祖母さんの家を後にしました。

歩きながら、空を見上げて、ワクは言いました。

「今ならまだ引き返せるけどな。」

「何のことだ?」

「とぼけやがって。」

「…きゃっほーっ!」

突然大きな奇声を上げて、センタは走り始めました。地面を蹴って舞い上げた砂ぼこりが、ワクの顔にかかります。

「ブヘッ、ゴホッ。ちくしょう、あのバカやろう! 待ちやがれ!」

ワクも、センタを追って駆け出しました。そのまま二人は、速さを競うように、力が尽きるまで走り続けました。

ワクは少々複雑な心境でした。センタの気持ちを大事にするなら、あのままキミのところへ残った方が良かったのかも知れない。が、センタが自分の前からいなくならずに良かったという思いもありました。ワクはもうすっかり一人前の大人になったつもりでいました。いや、実際にずいぶん大人になったものですが、それでもまだ、萌え出たばかりの青葉のようにしなやかな、そして繊細な感受性が、彼の胸には溢れていました。

(俺たち、これからの人生も、色んなことがあるだろう。でも、それらをひとつひとつ、乗り越えて行こうな。いや、ひとつひとつを楽しもう。そうしたらきっと、いつか俺たちは、夢の楽園にたどり着ける。なあ、センタ…。)

夏本番を迎えようとしている太陽が、頭上にカッカと照っています。ムッとするような暑い大気と眩しすぎる日差しの中、これから人生の夏を迎えようとしている二人の若者の汗は、この上なく輝いています。

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