第9話 相棒(二)
それから一週間ほど後、ワクはひとり、トボトボと歩いていました。ここ三日ほど、ほとんど誰とも口をきいていません。
初夏の日差しは、カラッとしながらもムンムンと熱く、夏の真っ盛りがすぐそこに来ていることを感じさせます。右手には小川、左手にはさっきからずっと、森を背景にして畑が続いています。歩を進めるにつれて、色んな作物が次々に姿を現します。刻々と変わって行くその光景を、ワクはずっと眺めながら歩いています。
朝からずっと歩きどおしだったため、少し休憩しようと、道端に腰を下ろしました。目の前には、赤いトマト畑。麦わら帽子をかぶった男性がひとり、作業をしています。
周囲は本当に
夕暮れ近くになって、風が少し冷たくなりました。ワクはようやく立ち上がり、歩き始めました。
ほどなく町並みが見えてきました。往来を行き来する人たちを見ると、なんだかホッとします。誰でもいいから話しかけてみたい。今度は急に、人恋しい気持ちが高まります。
すると、ある雑貨屋風の店の前。一人の男が、他の男たち数名に囲まれ、何やら責め立てられています。
「お前に違いねぇんだ。さっさと白状しろ!」
「やってねぇもんをどうやって白状しろっていうんだよ、このジジイ!」
「なんだと、くそガキめ!」
「しかも、俺ひとりで、どうやってそんなにたくさん盗めるってんだ。少しは頭を使って考えろよな。」
「仲間がいるんだろう、どうせ。」
囲まれている男は、声の感じから、若者のようです。どこかで聞いたような声でした。
周りの人だかりで、若者のことはよく見えません。誰も止めに入ろうとはせず、事のなりゆきを面白そうに眺めている様子です。ワクはしばらく、やりとりの内容に耳を傾けていました。
どうやらこの若者は、畑から野菜を盗んだ疑いをかけられているようです。その畑というのは、ワクが今まで延々と見続けてきた、あの畑のどこかでしょうか。
好奇心に駆られ、人だかりをかき分けて、若者の姿を見たとき、ワクは思わず、あっと声を出しました。
(あいつだ。)
隣に立っている見物人に声をかけてみます。
「盗みがあったのかい?」
「ああ。」
「いつ?」
「今日の午後らしいぞ。」
「へえ。何が盗まれたんだい?」
「畑のトマトだよ。」
(え? トマト畑なら今日の午後ずっと、俺、見てたじゃないか。でもこいつは見てねえな。)
もちろん、自分の見ていない時間帯があったかもしれないし、確たる証拠はないのですが、それでも彼が犯人でないことには、確信がありました。そもそも、この若者が盗みを働くなどとは、到底思えませんから。
ワクは人だかりの中心に踏み出して、
「ちょっと待ってくれよ!」
「なんだお前は? おっと、仲間が出てきやがった。やっぱりな。」
「いや、そうじゃなくて…。」
ワクは説明しました。自分は今日の午後ずっと、トマト畑を見ていた。が、この若者の姿は見ていない。こいつは犯人じゃない、と。
少し緊張しました。正直、絶対とは言い切れません。が、ワクは堂々と主張しました。こんなときにとても押しが強いワクです。
ワクの自信ありげな態度に
「じゃあ、おまえさんよ、他に怪しいヤツを見ただろう。なあ、見たにちげえねえ。どうなんだ?」
「ああ。いや。」
「どっちなんだ。」
「見た…かな。」
「どんなヤツだ?」
「お、男だった。遠目ではっきり分からなかったが。」
「いくつくれえのヤツだ?」
「よ、四十くらい…かな?」
「四十歳くらいの男だ?」
「…。」
「眉毛が太くて、鼻の横にでっけえホクロがあるヤツだろう?」
「あ、ああ、そうだったかもしれねえ…。」
遠目に見ただけで、しかも麦藁帽をかぶっていましたので、細かい顔の特徴なんて知りません。そもそも、四十歳くらいかどうかも、本当は分かりません。ワクが曖昧に答えると、相手は勝手に納得してくれました。
「そうか、あいつにちげえねぇ。くそっ。涼し気な顔して、タチが悪い! おい、行くぞ!」
そういうと、男たちの集団は、向こうへ走り去りました。
ワクはホッとして、全身の力が抜けました。その「眉毛が太くてホクロがある」男には悪いことをしましたが――。
「やあ、すまねえな。助かったぜ! …あ、お前!」
「おう、良かったな。疑いが晴れて。」
ワクはなぜか、この若者に再会したことに、さほど驚きを感じていませんでした。それは、大げさに言えば、なるべくしてこうなった、とでもいうような感覚でした。
「何てこった。二度も助けられるなんて。」
顔をクシャっとさせて、若者は言います。
「何か礼をしないとな。」
「そんなの、いらねえよ。」
が、ワクは、この若者とこのまま別れるのが淋しい気がして、
「礼はいらねえが…俺、今日の宿が決まっていないんだが、どっか知らねえか?」
「ああ、知ってるぜ。俺もまだこれからだが、もうこの時間だから、昨日泊まったところに今日も行こうかと思ってる。一緒に行こうぜ。」
「ああ。」
二人は連れ立って歩き出しました。ワクはすでに、この若者に対して一種の懐かしさのようなものを感じていました。
「これから行く宿には、とってもかわいい娘がいるんだぜ。」
「へー。その娘も泊っているのか?」
「いや、その宿の親父の娘だ。」
「そうか。それじゃ、下手に手出ししたらひどいめにあうじゃねえか。」
「手出しなんぞするもんか。俺はこっそり見ているだけでいいんだ。奥ゆかしいんだぜ、俺。」
可笑しみと共感、そしてなんだか温かいものが、胸に湧き上がってきます。
「あ、そうそう、おれ、センタ。」
「おれはワク。よろしくな。」
二人はそのまましばらく無言で肩を並べて歩きますが、センタはあちらこちらをきょろきょろ見回し、あまり落ち着きがあるようには見えません。
ワクはセンタに尋ねてみました。
「お前、歳はいくつなんだ? なんだか子供っぽいが?」
「ついこないだ、この四月で二十歳になった。」
「やっぱり。ガキだな。」
「いや、もう大人だって。二十歳だぞ。」
「ふん。」
「じゃあ、お前いくつだ?」
「二十一。」
「なんだ、変わらねえじゃねえかよ!」
いたずらっぽい表情で見つめてくる瞳は、やはりキラキラと輝いていました。
宿に着くと、センタが中へ向かって大きな声で呼びかけました。
「おーい、誰かいるかーい?」
「はーい。」
中から出てきたのは、若い娘でした。
「あら、昨日の! 何か忘れもの?」
「違うんだ。今日も泊めてもらいたいと思って。」
「あら、そうでしたか。そりゃ、ありがたいけれど、そちらの方はお連れさま?」
「ああ。今日は二人なんだ。」
「あいにく今日はあと一部屋しか空いてないの。お二人一緒の部屋なら大丈夫だけれど…。」
「ああ、いいよ。な?」
「ああ。」
部屋に荷物を置いて一息。
「な、かわいい子だっただろう?」
「うん、まあまあだな。」
「なんだと、こら!」
「まあ、俺は見る目が肥えているからな。お前とは経験が違う。」
「はは! 嘘つきやがれ。お前だって見るからにガキじゃねえか。」
それから二人は、お互いの境遇やこれまでのことを話し合いました。
センタは十八のときに家を出て、旅をしているという点ではワクと似た状況でした。が、彼の場合は目的地をはっきりと決めているわけではなく、どこか住みやすい場所を探しているところだということでした。
彼らは今の境遇が似ているだけでなく、生まれ育った環境も似ていました。父ひとり子ひとり。近所の大人たちみんなに育てられたようなもので、母親は知らないけれど、父には愛情いっぱいに育てられた。ある日、父親から、人生を考えるように言われ、旅に出ることにした。まるで、ワク自身の身の上話を聞いているようでした。
その夜、二人は酒屋で急きょ仕入れた酒を酌み交わしながら興に乗って話すうち、すっかり意気投合して、しばらくは道行を共にしよう、ということになりました。二人は慣れない酒を調子に乗って飲み続け、ようやく床に就いた――というより意識を失ったのは、夜半を大きく回った頃でした。
翌朝、二日酔いの頭で、遅めの時間に起きた二人。部屋に運んでもらった朝食を、仲良く並んでいただきます。
「うひょー、里芋の味噌汁! 俺、好きなんだよなー。」
センタはそう言って、一口飲むと、
「しかも、今朝はいつもより胃の腑に染みるぜ。やっぱり二日酔いには味噌汁だな。」
そんなセンタに、
「なんだ、二日酔いかよ。あの程度で。」
ワクが胸を反らします。
「いやいや、お前、人のことよく言うよ、その顔で。」
「?」
「青白い顔に、目がうつろで、髪はボサボサ。どうみても二日酔いだろうがよ!」
「くっ。」
センタは自分も青白い顔をしながら、ワクを馬鹿にしたように笑いました。
最初は食欲が今ひとつだった二人は、しかしながら食べ始めると、意外と箸が進みました。がつがつと食べながら、同時に声をそろえて叫ぶ二人。
「うめぇー!」
ワクは、口いっぱいに頬張ったセンタの顔を見て、
「やれやれ、こいつ。頬っぺたに飯粒付けて、本当、ガキだなあ、お前。」
自分も口の中をいっぱいにして、モゴモゴとした発音でそう偉ぶります。
センタも負けずに、
「いやいや、お前のほっぺにもついているから。飯粒。」
二人で顔を見合わせて、苦笑。
「くそっ。」
その言葉も、二人の声が重なりました。
そんな小競り合いを演じながらも、ワクはやはり、心がほんのりと温まっていくのを感じずにはいられません。
そうして、彼ら二人の同行が始まりました。
二人は時にはライバルのようでもあり、時には兄弟のようでもありました。
どちらか一方が落ち込んでいるときにはもう一方が元気づけたり、笑わせようとしたりしました。
臨時の仕事で、一緒に汗をかいたりもしました。
退屈な野宿の夜には、ワクが「メチャクチャ踊り」を披露し、それにも飽きると、くすぐり合いをしてケタケタと笑いました。
ワクは、この新しい相棒に、まるで旧知の仲であるような気安さと愛着を感じていました。
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