第5話 それぞれの道 (二)
秋の刈り入れが一段落ついた日。
お屋敷の大広間で、近隣の人たちも呼んで、盛大な宴会が開かれました。
「みなさん、今日は本当にご苦労さんじゃった。おかげで今年も何とか無事に収穫が終わったよ。今日は無礼講だ。酒はいくらでもあるからの。浴びるほど飲んでおくれ! では、かんぱーい!」
どっと沸きあがる会場。刈り入れ作業の盛り上がりを通して、ワクは仲間と一体になって働く喜びを満喫しましたが、宴会は宴会でまた別の魅力があります。
楽しい、楽しい、いつまでも続くかのような大騒ぎ。こんなにたくさんの人が話し、笑い合い、飲み食いする賑やかな催しは、ワクにとって初めてのことでした。夢のような一夜だと言ってもいいくらいです。ワクやサブロウはもちろん酒は飲めませんが、雰囲気は十分に味わいました。
宴会は夜遅くまで続き、深夜から明け方にかけて、お客たちは、一部の眠りこけている人たちを除いて、そろそろ家に帰り始めました。
ワクは、便所に用を足しに行った帰り、縁側にひとりぽつんと座っているサブロウを見つけました。満月の明るい光に縁どられて、その背中がいつになく大人びて見えます。
「サブ? どうしたんだ。」
「ああ、月がきれいだな、と思って。」
「へー! 詩的なことを言うじゃねえか。」
「はは、そんなんじゃないけどよぉ。」
ワクは自然に、サブロウの横に腰を下ろしました。
「宴の後って、ちょっと寂しいよなぁ。そんでこんなに月がきれいだと、なんだかしんみりしちまう。この先、俺はずっとこの家の仕事をして暮らしていくのかなぁ、なんて考えたりして。」
「うん?」
「俺たち、来年は十八だもんな。今年はまだオヤジも手加減してくれているけど…ほら、今は週に一日は休みをくれたりして、言ってみれば子供扱いだ…けど、来年からはいよいよ大人の仲間入りさ。俺がこの家を継ぐ覚悟を決めなきゃいかんだよ。」
「…。」
「おめえはほら、家を出て独り立ちをした。旅をするという人生を選んだじゃねえか。俺は農家の長男だから、やっぱり農業で生きていくことになるんだなあ、と。」
「いやなのか?」
「ううん、決していやではないんだけど。」
「うん。」
「なんだか、人生、もう決まっちまったような気がして。他にも道はいくらでもあるのに、もう決まっちまった、というか。うまく言えねえけど。可能性っていうのかなぁ。ひとところに留まってないで、もっと、あっちこっちでいろんな体験をしたい、というか…。そういう意味では、おめえのことがちょっと羨ましい。」
「へえ。でも、こんな大きな農家を継ぐって、とても立派じゃねえか。将来はお偉い旦那様だぞ。」
「だよな。分かってはいるんだ。」
「うん。羨ましがるやつ、たくさんいるぜ。それに、俺だって、いつまでもその辺をフラフラしているわけではないんだ。俺には行くところがあるから、こうして旅をしているんだ。」
「行くところって?」
「山。」
「山って、あの、山のことか?」
「ああ、あの山だ。」
ワクは少々誇らしげに答えました。
「なんで?」
「なんで、って、あの山の向こうには楽園があるというじゃないか。」
「ないよ、そんなもの!」
サブロウの顔色が変わったように見えました。
「山のことなら、聞いたことがある。けど、山を目指したやつはたくさんいるが、無事に着いたやつはひとりもいない、という噂だ。この村にもひとり、山を目指して出て行った人がいる。俺たちよりも七つ八つほど年上の兄ちゃんだ。けど、山に着いたという話は聞こえねえ。どうなったかなんて分かんねぇんだ。途中で死んじまってるかもしんねえし。また別の噂だと、山を目指すヤツはみんな、結局同じところをぐるぐる回って、ちっとも前に進まずに、しまいに力尽きるんだという話だぞ。」
「そんなもの、ただの噂話じゃねぇか。実際にはみんな山に着いて、楽園で幸せに暮らしているに違いない。誰も帰って来ねえのは、楽園が楽しいからだ。幸せだからだ。そりゃあ、中には途中で野垂れ死ぬヤツがいるかもしんない。でも、俺は大丈夫だ。」
「なんで分かる?」
「俺はそんなヘマはしねえ。」
「なんでそんなことが言える? おめえはいつだってそうだ。出来もしねえことを自信満々に言いやがって。ここに来たときだってそうだったぞ。新しい作業を習っているときもいつもそうだ。」
「うるせえや!」
「できもしねえことを夢見るのはやめろ。俺と同じように、地道に農業で食っていくことを考えろよ。」
「さっきはその農業のことで悩んでいたんじゃねえのか。」
「くっ…。とにかく、おまえは能天気なんだよ。夢を見すぎなんだよ!」
「なんだと!」
ワクは、頭でよく考えるよりも先に、サブロウを殴っていました。怒りというよりも、どうしようもない頼りなさのようなものを感じて、力に任せて暴れずにはいられない気持ちになったのでした。それは、何に対する頼りなさであったのか。サブロウのことを情けなく思ったのではありません。情けないのは、自分の不甲斐なさだったのかもしれません。
二人はしばらく、取っ組み合いの喧嘩をしていました。
通りがかったサブロウの父親は、二人の喧嘩をしばらく黙って見ていました。そして、そろそろ二人とも疲れてきたな、と思ったところで、二人を引き離しました。
「もうそれくらいにしておけ。」
二人とも、はぁはぁと息を弾ませながら、大人しく制止に従いました。いっとき暴れることで、ある程度不安が紛れて、気が済んだ様子でした。
小父さんは、二人ともが自分の息子であるかのように自分の両脇に座らせ、ぽつぽつと話し始めました。
「おめえたちの年頃は、自分の将来を考えるもんだ。いろいろ考えちまって、不安になることもあるだろうて。だがな、わしらはみんな、ひとりひとり生き方が違うんだ。まったく同じ生き方をする人間は、二人とおらん。おめえらも、それぞれの生き方をする。それは、どっちが正しくてどっちが間違っているか、ということではないんだぞ。どちらも
ワクはなぜか胸がいっぱいになって、涙が溢れてきました。悲しいのではありません。高揚感と侘しさが入り混じったような、不思議な感覚でした。泣いているのをサブロウに見られたくなくて、ワクはそっぽを向きました。そのため、おじさんの向こうに座っているサブロウもまた涙を流していることに、ワクは気づきませんでした。
「そしてなぁ、それは…結局は同じなんだよ。おめえたちにはまだ難しいかもしれねえが。どんな生き方をしても、何をしても、生きるということにおいては、それは
ワクには、小父さんの言うことがはっきりとは分かりませんでした。が、その言葉には、どこか勇気づけられるものがありました。別々の道を進んでいても、離れて暮らしていても、つながっている。そんな風に感じられました。
秋の夜明け前の月が、冷たく清んでいました。ワクは、月には自分の気持ちが分かってもらえているような気がしました。
次の朝、ワクは小父さんに、そろそろおいとまして旅を再開したい、と申し出ました。小父さんは、それを予期していた様子で、大きくうなずきました。そして、遠くの山を見ながら、淋しくなるなぁ、と一言だけつぶやきました。
数日後、いよいよ出発の日を迎えたワクは、サブロウ一家の人たちと、門の前で向かい合っていました。
「ワクちゃん、元気でね。」
と母親がおにぎりを持たせてくれます。
二人の妹たちは、
「ワク兄ちゃん、ワク兄ちゃん。」
と、まとわりついてきます。
サブロウは黙って、じっとワクを見ていました。そして最後に言いました。
「ワク。俺はおめえが羨ましかった。自分で選んだ自由な道を進んで行けるおめえが。でも今は、俺も自由だと思っている。農家を継ぐことを選んだ自由人だ。俺のやり方で農業を極めるよ。」
サブロウの隣で、小父さんは目を細めて息子を見ています。
「サブ。すごいよサブ! お前ならできるよ。絶対に!」
「おめえはきっと、楽園にたどり着けよな。その後、おめえの父ちゃんを迎えに来た時は、またここにも寄ってくれ。俺はここで頑張るから。俺はいつでもここにいるからなぁ。」
「サブ!」
ワクは思わず、サブロウに抱きつきました。二人は固く抱き合って、そして別れたのでした。
小父さんがくれた、
秋はたけなわです。
見渡す限り、あちらこちらに、刈った稲の束が積み上がり、秋の陽光に輝いています。それは、この半年弱のワクとサブロウの成長を誇っているようにも、また、二人の希望にあふれた将来を垣間見せているようにも見えました。
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