44・夜の裏庭
久しぶりの夜の庭。空には少し欠けている丸い月。以前によく使っていたベンチにムスタファとふたりで並んで座る。以前とちがうのは、私たちの間にお酒やおつまみが置かれていないこと。それはムスタファの向こう側にある。私は間隔をとって座ろうと思ったのだけど、ムスタファは距離を詰めてきた。
──ちょっとばかり鼓動が激しい。悟られたくないから、全力で普通の顔を保っている。
近いうちに王になるだろう王子はいそいそとふたつのタンブラーにワインを注ぎ、片方を私に差し出した。
ありがとうと受け取り、
「お疲れ様」
とだけ言って口に運ぶ。
ワインをビールかのようにごくごくと飲んだムスタファは、
「怒濤の一週間だった」
と言う。
「そうだね」と答えて目をつむった。
事件からちょうど一週間の昨日は《ひと区切りの日》とするため、バルナバスの幽閉、パウリーネの氷漬け、カールハインツの処刑が順次行われた。
そんな中でムスタファはカルラに、《異国に旅立つシュヴァルツ隊長》に会わせてあげた。立ち会った専属侍女によるとカルラは大号泣で、シュヴァが帰ってくるまで良い子にしていると約束したらしい。
彼女にはパウリーネも病で面会謝絶ということにしてある。彼が落ち着きカルラとの時間を取れるようになったら、病没したと伝えるらしい。ムスタファは王子としてだけでなく兄としての重責も背負っているのだ。
恥ずかしがっている場合じゃない。勇気を出して、ムスタファの手を握る。
「一週間……」
ご苦労様と言おうとしたのだけど、それより先に
「キスでもしてほしいのか?」
とニヤニヤ顔で言われた。腹が立つ!
「木崎はフェリクスを見習ったほうがいいんじゃないかな」
「つまり公衆の面前でいちゃつきたいんだな」
そうじゃないと分かっているくせに、性格が悪い。
フェリクスは私たちの前以外では、リーゼルとの距離感をわりと適切に保っている。従者としての彼女を尊重しているらしい。だけど私たちの前では、下にも置かぬもてなしというか。完全なるお姫様扱いというか。
……別に姫扱いされたい訳ではないけど。ロマンチックな恋愛に憧れていたから乙女ゲームが好きだったのだ。ムスタファとの今の関係は好きだけど、こんな星空の下でふたりきりなんだから、もう少し、なんというか。いつものやり取りは面白くないというか。
誘ってきたのも距離を詰めてきたのもそっちなのに。
私が贅沢なのかな。
ムスタファは怒濤の一週間で疲れている。気持ちを切り替えよう。
「フェリクスとリーゼルは丸く収まって良かったね」
リーゼルの呪いが解けた原因はパウリーネで、深い意図があったものではなかった。フェリクスが本国にそう説明すると、リーゼルの解雇は取り消しになった。
そしてフェリクスは『魔王の捕囚場所を発見したが、何百年も昔に逃亡したようである』との報告をし、あちらはそれを受け入れたのだ。彼の父親がそれを信じたのか、真実に気がついているのかは分からない。どちらにしろフェリクスの調査は終了となり、留学期間の終了までは我が国に滞在するという。
『その先は未定』と彼は嬉しそうに話していた。
ムスタファは親友がこの国に残れるよう、フェリクスの父親に交渉するつもりだ。
「そうだな」とムスタファ。「駆け落ちする費用を出さずに済んだ」
「嬉しいくせに」
「あいつ、リーゼルの話ばかりなんだよ」
ムスタファは口調とは裏腹に楽しそうな表情をしている。
リーゼルさんは実家が取り潰されて貴族ではなくなった。だからムスタファが第一王子を救った功績を讃える名目で、エルノー公爵家との養子縁組を整えた。バルバーリッシュにも伝えたが、異論は出なかったそうだ。
フェリクスへの褒美は、いずれ国に返される予定だったベルジュロン公爵の爵位とその地領だ。現在の公爵家は夫人が当主となっている。跡取りがいないため彼女は自分の死をもってベルジュロン家をおしまいにするつもりだったらしいが、ムスタファが打診すると快く了承してくれたのだ。
レオンに関しても褒美を検討はしているのだけど、本人が固辞している。王族を守る近衛として職務を果たしただけなのだそうだ。
多分、隊長を討ったことを功績と捉えたくないのだと思う。
ヨナスさんはムスタファの従者だから特に何もないのだそうだ。あんなに大変な目にあったのに。だからムスタファはこっそり、城内に新しい部屋を用意中だ。忙しくて恋人と過ごす時間が取れない彼のために、夫婦用の広さのものを。さりげなく私にリサーチさせて、クローエさん好みの家具やファブリックを揃えている。
私は褒美ではないけど、先代国王の孫として正式に認められそうだ。エルノー公爵が集めた証拠や証言をフーラウムに見せたら、あっさり信用してくれた。姪の葬儀はフェイクで、実際は駆け落ちしたということを知っていたのだそうだ。
正直なところ私は王族なんて柄ではないけど急激に忙しくなってしまったムスタファを助けたいから、まずは身分を得てしっかりと学びたい。
フェリクスの惚気がいかに鬱陶しいか、延々と話しているムスタファ。
迷惑しているとは思えないけど、今日は他に話題はないのだろうか。
いいけどさ、別に。
ポケットをそっと押さえる。
明日はムスタファの誕生日だ。何をプレゼントしていいのか分からなくて、結局ミサンガにした。以前あげたものは、バルナバスに捕まったときに取られてしまったのだ。
あれに何の願掛けをしたのか、ムスタファは教えてくれない。『実は本当に私に好かれるようにだった?』と尋ねたら、『お前は教えてくれるのか』と尋ね返された。
私が足首にしているミサンガのことだ。見せたことはないけど、そこに付けている話はしたことがある。
別に言えないことじゃない。だけど改まっては恥ずかしい。
ムスタファの話に相槌を打ちながら、お酒を口に運ぶ。
明日もまた忙しいだろうから、のんびりできる今、ミサンガを渡したかったのだけど。そんな雰囲気ではない。
──でも、いいか。そんなたいそうな品ではないし、雰囲気ってなんだ。ミサンガ程度に雰囲気もへったくれもない。
「木崎、これ」
話の切れ目に、ミサンガを差し出す。
「一日早いけど誕生日おめでとう。今の私に用意できるのはこれが精一杯。腕を出して。願掛けをし直さなくちゃね」
だけどムスタファは動かない。目をみはっていたかと思うと、不満そうな表情になった。どうしてだ。
「……お前、足首のは外したのか」
声も不機嫌そうだ。
「なんで。外さないよ」
ムスタファはますます不愉快そうな顔になる。
「俺に失礼じゃないか?」
「どうして」
「お前と付き合っているのは俺だろ」
んん?
何かがおかしい。
「木崎、もしかして変な誤解をしていない?」尋ねながら顔が熱くなる。ああやだ、恥ずかしい。だけど誤解されているのなら、はっきり伝えなくては。足首を指差す。「これの願掛けは、私もムスタファもそれぞれが幸せになれますように、というものだよ」
「カールハインツじゃないのか!」
やっぱりそう誤解していたのか。それで不機嫌になるなんて。
「最初はそのつもりだったけど」
ミサンガを編んだ日は媚薬入りチョコを食べてひどい目にあった。そんな私に至れり尽くせりの対応をしてくれたムスタファ。だから願掛けの内容を変えたのだ。
「なんだ、俺か」
嬉しそうなムスタファ。なんて現金なのだ。
「私と木崎ね。別々だからね!」
ムスタファが利き腕を出す。
「巻いてくれ」
前回のミサンガの色は薄紫と銀だった。今回はそれに青も入れ三色にした。──ちょっと、いや、結構恥ずかしい。まるで中学生みたいな発想だ。三十路のすることではない。
だけどムスタファはそれを満足そうに見ている。
「前のやつな」とムスタファ。「願いは叶ったから、外されても問題なかったんだよ」
そうなんだ、と返す。ちっとも教えてくれないくせに、いつも中途半端に触れてくるから腹が立つ。
「願ったのはな、『宮本が俺に惚れるように』だ」
ムスタファが月明かりでも分かるくらいに真っ赤になっていた。
「笑うなよ!」
「笑ってないよ」
「……この俺が、藁にすがりたいほど必死だった」
なんだそれは。ムスタファ、可愛いが過ぎる。
「ありがとう」
「ん」
ムスタファが私の手を取った。と思ったら掌にころりと何か置かれる。見るとそれはアメシストの指輪だった。
「防犯ブザーは壊されただろ」
そう、私がもらった慰謝料では代金が払えないほど高価なブルーサファイアのブローチと、彼の指輪はバルナバスが跡形もなく粉砕してしまったらしいのだ。
「代わりに、これ」とムスタファ。
「ありがとう。同じ魔法が掛かっているの?」
でも指輪の形なんて。喪女は深読みをしてドキドキしてしまうじゃないか。
冷静を装いつつ右手の指に嵌めようとしたら、止められた。
「いや、防犯用じゃない」
ムスタファはそう言って指輪を取り上げると、私の左手の薬指に嵌めた。
「……断るのはなしだぞ」
見れば月の王と讃えられる美貌の王子の顔が強張っていて、私の手を握りしめている彼の手は汗ばんでいる。
「もしかして緊張して、ずっとフェリクスの話をしていたの?」
「そんな訳があるか」
いやもう、『その通りです』と顔が言っているよ。
というか私の心臓も爆発しそうな勢いだ。
「お前はまだ十七で、早すぎるとは思う」と、ムスタファが言う。「でもお前が俺の愛人扱いされるのは嫌なんだ。正式で対等な仲になりたい」
『対等』。この言葉をムスタファから聞くのは何度目だろう。
「私は他人になんて言われても気にしない。ムスタファが私をそう思ってくれているのは、よく分かっているから」
握りしめらるている手を持ち上げ、ムスタファの手にキスをする。
「だけどこれからもっと激務になるだろうムスタファを、公私ともにサポートしたい」
ムスタファが満面の笑みを浮かべる。
「マリエット、結婚しよう」
「悔しいけど賛成よ、ムスタファ」
抱き寄せられて唇が重なる。
──それから真夜中近くまでゆっくりと、約束の美味しいチーズを肴にワインを楽しんだ。以前によく使っていたベンチにて、少し欠けた丸い月に見下ろされ。
以前とはちがうのはムスタファと私が恋人同士ということ。王宮に上がったときに予定していたのとは異なるハッピーエンドだけど、こちらのほうがずっといい。
悔しいから教えないけどね。
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