エピローグ
到着した馬車の扉が開き、旅行鞄を手にしたルーチェがうつむき加減で降りてくる。
彼女が顔を上げ私と目が合う。
「お帰りなさい」と私。
「マリエット!」
げっそりとやつれたルーチェが鞄を落とし、目に涙を浮かべて駆けてきた。
ひしと抱き合う。
ひとしきり泣いたルーチェは、傍らでおとなしく待っていたレオンを見た。
「戻ってくれて良かった。僕の愚痴を聞いてくれる人がいなくてね。ひどいんだ。マリエットと殿下は僕の前でいちゃついてばかりなんだよ」
「そんなことはないもの」
ふふと笑うルーチェ。
「やっぱり殿下はあなたが好きだったじゃない」
「ベタ惚れ。溺愛。ああ、イヤだ」
レオンの言い種にルーチェが吹き出す。
「愚痴くらい幾らでも聞くわ。レオンさん。お手紙、とても嬉しかったわ。ありがとう」
「ああ」とレオンが頭をかく。
「『力になれることはあるか』って尋ねてくれたの」
「ふうん。レオンたら、いいとこがあるわね」
ヘルマンに無難なことだけ書いたほうがいいと忠告されていたのに。やっぱりルーチェとレオンはお似合いなのではないだろうか。
レオンはルーチェが先ほど落とした鞄を拾い上げた。
「行こうか」
「ありがとうございます。鞄は自分で持てますから」とルーチェが手を出す。
「僕が持ちたいんだよ」
「近衛にそんなことをさせる訳にはいかないわ」
レオンが笑みを深くする。
ほらほら良い雰囲気じゃない。
レオンを断った私にはふたりを煽ることはできないけど、クローエさんやリーゼルなら……。
いや、あのふたりは他人の恋路に首を突っ込むタイプではないな。ここはフェリクスの活躍しどころだろう。ふたりは結構仲が良い。
オーギュストは他人の恋を応援する余裕はないからきっとダメ。近頃の口ぐせは『私も素敵な伴侶が欲しい……』なのだ。レオンとふたりでさみしい者コンビを気取っているから、協力どころかしょんぼりしてしまうかもしれない。
「マリエット」
ふと気づくとルーチェが心配そうに私を見つめていた。
「ぼんやりしているわ。大丈夫? 色々と大変なのでしょう?」
「大丈夫。ルーチェさんが戻ってくれたから楽しくなるなと考えていたの。レオンがまた買い物に連れて行ってくれるそうよ」
「あなたは行けるの? 近い将来に王子妃になるって彼からの手紙に書いてあったわ」
「しっ!」とレオン。「まだ公表されてない情報だ。でもみんな知っているけどね」
「その指輪じゃね」
とルーチェの視線が私の左手にいく。
薬指には例のアメシストの指輪がある。仕事の邪魔なのだけど、ムスタファが絶対に外したら嫌だというのだ。ダメではなくて『嫌』というところが木崎らしからぬ可愛さで、つけたままにしている。
来週末、私は侍女見習いを退職する。事件から一ヶ月を迎えるし、恐らくゲームも終了しているはずだ。そのあとは先代国王の孫と認定されて王族の一員になる。おまけで、というか、本命というか、ムスタファと婚約をする。
だから見習いのうちに買い物に行けばオッケーだと思うのだ。
「私、王子妃の友達か」とルーチェ。「いつか私にも素敵な相手がみつかるかしら」
「協力する」とレオンが言う。「実は君が辞める前に近衛の友人の幾人かに、仲を取り持ってほしいと頼まれていた。君の父親が望むような身分ではないけど、それでも構わなければ」
「本当に? 嬉しい」
にこりと笑みを浮かべるルーチェ。だけどそれを見たとたんに、ビビっときた。これは愛想笑いだ。きっと喜んでいない。だってさっきまでの笑顔とちがうもの。
「……マリエット。なにをニヤニヤしているのですか?」
レオンが怪訝な顔をしている。
「ルーチェを応援したいなと思って」
「あら、嬉しいわ」
私の意図に気づいていないらしいルーチェ。
「さ、早く行きましょう」
と、ふたりを促す。まずは到着を侍従長と侍女頭に報告だ。
◇◇
報告を終えたルーチェは魔法府で魔術師と面談となった。私とレオンとで一室でお茶とお菓子をいただきながら、終わるのを待っている。
と、フェリクスとリーゼルがやって来た。ふたりは呪いの研究と珠を浄化する研究チームに加わっている。上級魔術師たちも彼らの知識に一目置いているようだ。
このことをバルバーリッシュ側は良く思っていないみたいだけど、黙認状態になっている。あちらは、自由気儘すぎるフェリクスを密偵として選んだのは誰かという、責任のなすり合いに忙しいらしい。
大使には、このままだとフェリクスの王子としての財産が取り上げられるぞと脅されているそうだけど、彼にはベルジュロン家がある。元軽薄王子は持ち前の社交力で、公爵夫人にリーゼル共々気に入られてしまった。近頃夫人は、王宮に遊びに来るようになり見違えるようだ。
「ルーチェは元気そうかい?」とフェリクスが尋ねる。
「やつれ具合が痛々しかったですけど」とレオンが答えた。「思っていたより、元気です。マリエットの恋バナを聞きたくて根掘り葉掘り。次の標的はきっとリーゼルだ」
「仕方ない、私が微に入り細を穿って語って聞かせよう」
フェリクスが話したくてたまらないという顔をしている。
「却下です」すかさずリーゼル。
「却下の却下だ」とフェリクス。「私が女の子に近づくと、君はすぐに焼きもちを焼く。拗ねた君の可愛さは宝石よりも価値があるからな」
レオンが冷めた目で私を見る。
「ほんと、マリエットが先輩を選んでくれて良かった。もしあれだったなら、僕はいたたまれず憤死したでしょう」
「失礼だな、レオン」とフェリクス。
「ムスタファ殿下とマリエットだって大概です」とリーゼル。
「確かに、死にかけている恋人に『アホ、マヌケ、バカ喪女』なんて詰る男を選ぶマリエットも、趣味が悪いとは思います」レオンが言う。
「何それ?」
「あれ、忘れてますか? あなたが魔法を使いきって死にかけたとき、先輩があなたにそう叫んでいたって。クローエさんが話していましたけど」
覚えていないけど、木崎なら言いそうだ。
「オーギュストによると、こっちの殿下は歯の浮くセリフのオンパレードだったらしいのに」
リーゼルの顔が赤くなる。
「そういえばその話は詳しく聞いてないわ!」
「マリエット、君には必要ない」にっこりとするフェリクス。さすが攻略対象といった色気だ。「聞かれて困るものではないが、私の愛の言葉はリーゼルだけのものだ」
「……ごちそうさまです」と私。
「……腹一杯を通り越して胸焼けがする」とレオン。
「何のことだ」フェリクスはきょとんとしている。が、一転。「マリエットはムスタファに愛を囁かれてくれ」
「却下!」素早くレオン。「なんてね。どうせあの人はあなたがときめきそうなセリフなんて言えないでしょうから」
ぐっ。否定できない。でもいいのだ。木崎に言われても……
「『木崎に言われても』」とレオン。「今、そう答えるつもりだったでしょう」
「……ソンナコトナイ」
リーゼルが顔をそらして笑いをこらえている。
「先輩のことが大好きなくせに、あなたも意地っ張りだから」
レオンがそう言うとフェリクスとリーゼルがうなずく。
もう一度そんなことはないと言おうとして、やめにした。
「乙女ゲーム的なことは好きだけど、木崎にはらしくないことをされるよりも、頼りにされるほうが嬉しい」
レオンがうっとうめく。「こっちにも惚気られた」
「墓穴を掘ったな」とフェリクスが笑う。
レオンも笑う。
ルーチェが部屋に入ってきた。笑顔だ。
フェリクスに挨拶をする。と、彼は
「聞いているだろうが」とフェリクスがリーゼルを示す。「こちらが私の最愛のリーゼル・アイヒホルンだ」
「改めて、よろしくお願いします」とリーゼル。
ルーチェも挨拶し返す。ちょっと困惑気味だけどそれはきっと、フェリクスたちのラブラブな雰囲気に驚いているのだろう。
「どうでした?」と私が尋ねる。
「呪いは解けそうと言われたわ」とルーチェは嬉しそうな笑顔になった。
「良かった!」
私たちは手を取り合う。
「解除方法は書物に載っているそうなの。ただちょっと難しいから、失敗しないように研究を重ねてからにするって」
「よし、ではそちらチームの様子を見てくるか」
フェリクスがそう言って立ち上がる。続いてリーゼルも。ふたりは連れだって部屋を出て行く。
それを見送ったルーチェが
「あの軽薄王子が本気の表情で『最愛』ですって。世界は驚きに満ちているわ!」
と呟く。その言い様にレオンとふたりで吹き出し笑う。
◇◇
城に戻りルーチェと別れてレオンと共に廊下を歩いていると、ロッテンブルクさんに出くわした。彼女はちょっとこちらにと人のいない部屋に私たちを呼ぶ。それから
「ルーチェはどうでしたか」
と尋ねた。魔術府で聞いた言葉をそのまま伝える。
真面目な侍女頭は心からほっとした表情になった。彼女はパウリーネの被害者たちに対しての罪悪感が大きいのだ。だけどロッテンブルクさんが知り合った時点でパウリーネは普通ではなかったのだから、どうしようもないことだったと思う。
「あなたに会えてちょうど良かったわ」
ロッテンブルクさんはそう言って、手にしていた書類の束から一枚抜いてを差し出した。
「これは退職後の授業スケジュール決定版。ムスタファ殿下の承認は得ています。マナー教師はベルジュロン公爵夫人に変更になりましたからね」
書かれているのは前世の学校の時間割りそっくりのものだ。その紙を覗き込んだレオンが
「うわぁ」と引き気味の声を出す。
「当然のスケジュールです。マリエットは賢いですけど足りないことが山ほどあります」とロッテンブルクさん。
私がこれらを全て身につけたら、ムスタファと結婚となる。というか、私がそうでないと結婚できないと言ったのだ。
「違います」とレオン。「勉学やダンスレッスンに混ざって、何ですかこれ」彼は紙を指差す。「朝、晩にムスタファ殿下の髪の手入れって。しかもこれだけ筆跡が違う。後付けですよね」
珍しいことにロッテンブルクさんの目が泳いでいる。
「……殿下が絶対に書いておくように、と」
「マリエットは侍女見習いを辞めるのに」とレオンは肩をすくめる。
ムスタファってば。それは引き続き私がやるってふたりで話して決めたのに。なぜわざわざ書きこむのだ。
「このアスタリスクは何ですか」とレオンが尋ねる。
侍女頭は短い間、私を見ていた。それからレオンを見る。何か考えてから、質問に答えると決めたらしい。
「それは男性教師の印です。必ず女性の同席者をつけるようにとのお達しですからね」
レオンがぶふっと吹き出す。「当然のことでしょうに」
「それでも書いておくように、と。マリエットは『無自覚で距離感がおかしい』からと心配なさっています。そうなのですか」
ロッテンブルクさんはその質問をレオンにしたくて、正直に答えるか考えていたのかも!
「そうですね。ガードも緩いですし」
レオンは真顔で答える。
「もう気をつけています!」
「ならもう一層、気を引き締めましょう。殿下はあなたが大切で仕方ないようですからね」
「盲目的溺愛」とレオンが呟く。
「言い過ぎよ」と抗議する。
「マリエットも殿下しか眼中にないのだからお似合いです。自覚するのに時間がかかりましたけどね」
ロッテンブルクさんがとんでもないことを言い、レオンはうんうんうなずく。
侍女頭は、では、と踵を返そうとする。その腕を思わず掴んだ。
「私、そんな風に見えますか」
「見えますよ」とふたりが声を揃える。
「まさか!」
「まだ気づいていなかったのですか」ロッテンブルクさんが呆れたように言えば
「彼女は腹が立つほど鈍いんですよ」とレオンが言う。「殿下もですけどね」
「どういうこと?」
「あなたはね」とレオン。「いつでもムスタファ殿下しか見ていませんよ」
「そんなことないわ」
「あります。訓練の見学に来たときなんて、ムスタファ殿下が加わったら、もう彼ばかり」とレオンが言えば
「それまではミーハーに騒いでいたのに殿下が来たとたんに真剣な顔で一心不乱に見つめているのですから」ロッテンブルクさんまでそう言う。
訓練の見学?
鍛練場にカルラたちと行ったときだ。私はそんなにムスタファばかりを見ていただろうか。そんなつもりはないけど。
「だめだ、自覚なし」とレオン。「もっとも殿下のほうもあれだけ見られていてマリエットの好意に気づかないのだから。常に注目を浴びている人生だと鈍くなるのですかね」
「そういえばマリエットは王宮に上がったばかりのときに、そばに来たムスタファ殿下に気づかなかったことがありましたね。隔世の感があります」
「へえ。それはあの人はさぞかし悔しかったでしょうね。」
ふたりは揃って
「まったく、マリエットは!」と笑った。
◇◇
ムスタファの美しい銀の髪を丁寧にくしけずる。相手の顔が見えないことに不安を感じることもあるけれど、私はこの時間が好きだ。月光のような美髪を保つことに誇りを持っているから──と思っていたけど、恋心を認めた今となっては、ムスタファとの距離感も好きなのかもしれないと思う。
それにヨナスさんが言うには、ムスタファもこの時間が好きらしい。悔しいけど、嬉しいと思ってしまう。
銀の髪をみつめながら、そういえば、と思いだす。
ロッテンブルクさんとレオンが訓練の見学がどうのと言っていた。私がムスタファばかりを見ていたとしたら、きっとこの髪が目につくからだ。うん、絶対にそう。だって訓練を見たのは結構前だし、そんな頃からムスタファを意識していたなんてことはないはずだ。
「……何をひとりで『うんうん』頷いているんだ?」
ムスタファの不審そうな声にはっとする。
「声に出ていた?」
「出てたぞ、アホめ」
「『アホ』か」
──フェリクスよ、私がムスタファに愛を囁かれるというのは不可能だと思うよ。
心の中で元軽薄王子に語り掛ける。あの時私は木崎らしくない言葉はいらないと言ったけど、やっぱりちょっとは欲しい。
だけど欲しいのなら私の努力も必要だろう。想像だけど木崎の元カノ間宮さんなら、可愛いく『言ってほしいな(ハート)』とお願いをするのじゃないかと思う。私もそんな感じにおねだりを……。
って、私はそんなキャラではないし、確実に似合わない。木崎には熱でもあるのかとドン引きされそうだ。
手入れは終わり片付けをする。
もやもやするけど、貴重なふたりきりの時間を無駄にしたくないから気持ちは切り替えないと。
私だって相手が木崎でなければ可愛くおねだりをできると思うのだ。だけど木崎では。よほどのことがないと羞恥が勝ってしまう。
道具を寝室のチェストにしまいムスタファの元に戻る。以前は向かい合って飲んでいたけど、今は隣り合って。十分、恋人同士っぽい。それに──
「ん」と言って自分の足を叩く王子。
犬でも呼んでいるみたいだと、いつも思うのだけど素直に膝に横座りする。とたんにぎゅっと抱きしめられる。
言葉はなくても態度は甘い。特にこの頃は、毎晩こう。さすがの木崎も激務に心身ともに疲れ果てているらしくて、甘えてくるのだ。私はとかしたばかりの頭をよしよしする。
たいていしばらくすればムスタファは満足をして私を解放し、飲みの時間となる。
──のだけど、今日はいつもより長い。しかもムスタファは顔を私の首筋に押し当てたまま動かない。
「木崎、どうかした?」
「別に」
「そう」
ここで可愛いセリフでも言えればいいのだろうけど何も思い浮かばないし、いまだにこの態勢に慣れることができなくて鼓動は早めだ。いっそのことフェリクスに、男性諸君が女の子に言われて嬉しい言葉をレクチャーしてもらえばいいのだろうか。
どうしようかなと考えていると。
「宮本を可愛いと思うなんて、終わってるよな」
ムスタファがそう言った。
なんだそれは。褒められているのか貶されているのか分からないけど、可愛いとは思っているんだ。そこは嬉しい。でも『終わってる』とはなんだ。
「ほんと、どうかした?」
「……別に」
「そういえば、私が魔力を使いすぎて倒れたときだけど」
「うん?」
「ムスタファ、『アホ、マヌケ、バカ、喪女』って叫んでいたの? 私はよく覚えていないのだけど、レオンがそう言っていたの」
「……」
返事はない。ならば事実なのかな。
「木崎らしいけどね」
首筋にふにっとしたものが押し当てられた。と思ったら、ちぅっと吸われる。
「木崎!? 何してるの!」
「おしおき。なんでこのタイミングで他の男の名前を出すんだよ」
「え、どんなタイミングよ」
意味が分からない。
「明日一日、キスマークつけとけ。隠すなよ」
「隠す」
ムスタファがはあっとため息をつく。
私が悪いの? 別にレオンを素敵と褒めたわけでもないのに。
「……だから、俺はお前を可愛いと思ってるし」
「なんでそれで『終わる』となるのか、抗議したい。『可愛い』は嬉しい。ありがとう。でも今日のムスタファはおかしいよ。本当に何もないの?」
「……」
しばらくの沈黙。
「……だってお前、歯の浮くような、乙女ゲームのセリフを言われたいんだろ?」
ムスタファが拗ねたような口調で言った。
『歯の浮くような乙女ゲームのセリフ』? 昼間にレオンたちとそんな話をしていたけど、そのことだろうか。
「そんなことを言われても分からん」とムスタファ。「なんだよ、ときめくセリフって。そんなもの、日常使いしたことないから全く思い浮かばない」
「さっきの可愛い云々は、私を喜ばせようと思っての言葉だったの?」
「……いけないかよ」
「『終わってる』は余計じゃない?」
「……照れが入った」
なんだそれは。木崎のくせに、可愛い。
「顔を見せて」
「嫌だね」
「照れてるムスタファをみたい」
「足腰立たなくなる濃厚なキスするぞ」
「それは結婚まで遠慮しておく」
小さく悪態をつく声。
ムスタファは、私が後ろ指を指されないよう、結婚までは清い交際でいると自ら約束をした。私とロッテンブルクさん、そしてエルノー公爵に。
「俺は何であんな約束をしたんだ。カッコつけすぎた」
ぶつぶつとムスタファ。
「カッコつけだったんだ」
「もちろん、お前のことを考えた上でだぞ」
「木崎」
「なんだよ」
「今のは、歯の浮くようなセリフではないけどキュンとしたよ」
ムスタファの頭が動き、ようやく目が合った。
「お前のツボが分からん」
「無理にときめく言葉なんて言わなくていいよ」
「……お前はリーゼルを羨ましがっているから、俺が言わないなら綾瀬が言うって」
またも拗ねた口調だ。
「嫉妬したんだ」
「嫉妬はしてない。先を越されたくないだけ。お前は俺の恋人だ」
「……十分ときめいているよ」
ムスタファの額にキスをする。
私をじっと見つめていたムスタファは、おもむろに首をかしげたと思ったら、鎖骨にキスをした。またもちぅっとされる。
「何をしてるの!」
「可愛いことを言ってくれるから。あと、綾瀬の牽制」
結局嫉妬じゃないか! 木崎のくせに可愛いがすぎる。でも。
「隠すからね」
「ダメ」
「確実に後ろ指を指される」
実際には興味津々な侍女たちに囲まれると思うけど、ムスタファには分からないだろう。
「分かった。どうせ隠すなら」
ムスタファがそう言って、また首もとにキスをしようとする。
「ダメ! 私がいたたまれない! 恥ずかしい!」
「……さっきから煽ってんのか?」ムスタファは大きく息を吐く。「喪女はタチが悪い」
「そっちこそ。ゲームの『月の王』なら絶対にそんなにガツガツしてない」
「ゲームの俺より今の俺のほうが百万倍、魅力的だぞ」
「どこからその自信が来るのよ」
「事実を言っているんだ」
ムスタファが私をぎゅっと抱きしめなおした。
「ひねりのあるセリフは言えないが」と耳に囁かれる。
「好きだ」
胸がキュンとする。顔が熱い。
酔ってもいないのに直球すぎるよと思ったとき、突如としてファンファーレのような音楽が鳴った。ひらひらと花びらが舞っている。
もしやこれは──
《Congratulation!!!》
空中にその文字が浮き出る。やっぱり! ゲームが終わったのだ。
「どうかしたか」
「終わった! ゲーム!」
「なに!」
「ハピエンだよ! すごく祝われてる」
「当然だろ」ムスタファが自信満々の顔をしている。「俺がお前を幸せにしないはずがない」
「……すごいパワーワード」
リーゼルを羨む気持ちなんて吹き飛ぶ。切ない声で『俺に惚れろよ。後悔させないから』とすがってきた人と同一人物とは思えないよ。
「こんな自信過剰なヤツを好きなんて、私も終わっているな」
負けじとドヤ顔をしてやる。
さあ木崎よ、どう返してくる。
そう楽しみに思ったけど、ムスタファは真顔で私を見ているだけで何も言わない。
「どうしたの?」
「『溺愛ルート』って呼ばれるのも当然だよな」とムスタファ。
唐突に何なのだ。急にゲームの真理に気づいたのだろうか。
「お前、バカ可愛いすぎ」
「バカは余計じゃない?」
ムスタファは何度目になるのかため息をついて私を抱きしめなおした。
「悟れよ。俺は余裕がないの。あんまり煽るとリミッターが外れるぞ」
「外しちゃダメ!」
「嫌だね」
「約束は守ろう。……私も楽しみにしてるからさ」
ムスタファだけを我慢をさせてるのではないよと、恥ずかしさを押し殺してそう告げる。
それなのに。
「……アホ、マヌケ、バカ喪女」
ムスタファから貶すことばが返ってきた。
「何でよ」
「これだから喪女は嫌なんだよっ」叫ぶムスタファ。「少しは男心を学んでこいっ! この際フェリクスでも構わないから。お前のはただ俺を煽っているだけだ、バカっ」
「木崎が限界値が低すぎるんじゃないのかな!」
「くそ、なんで俺はこんなアホ喪女に惚れたんだ」
「何それ。さっきの」
『幸せ云々セリフはどうしたんだ』と言い返そうとしたが、できなかった。
ムスタファ曰く、足腰が立たなくなるなんとかというもので攻撃されたのだ……。
悔しかったからいつかやり返してやると思ったけど、口には出さなかった。さすがにそれはマズイと私でも分かる。
それに
「ああ、くそ、可愛い」
とムスタファがひとりでぶつぶつと呟いているので、実質的には私の勝ちと言えるはず。この人ってば、むちゃくちゃ私を好きみたい。
どういう訳かいまだ止まない花吹雪と消えない《Congratulation!!!》に、ばっちり溺愛ルートだったなと思う。
今日くらいはごまかさず素直に。
私をぎゅうぎゅう抱きしめてくるムスタファの耳に
「好き」
と一言囁いた。
溺愛ルートを回避せよ!《コンパクト版》 新 星緒 @nbtv
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