39・囚われの場所

 一夜が明けて。空にはどんよりとした重い雲がかかり、今にも雨が降りそうな暗い朝だった。そんな中で届いた知らせは、令嬢たちの刑が軽減されたというものだった。バルナバスが夜を徹してパウリーネを説得しきったらしい。

 原因たる私も気が楽だ。これで地下探検に集中することもできる。


 知らせに安堵して私たちは三々五々、礼拝堂に集まった。いつものメンバーだけではない。ヨナスさんが連れてきたクローエさんと、急遽呼び出されたオーギュストもいる。ふたりは私たちが地下に潜っている間、リーゼルさんと共に待つ要員として来てもらった。


 ◇◇


 前回と同じメンバー同じ並びで地下を進み、結界が張られている場所に着く。フェリクスが暗闇に向かって呪文を唱えると空間がきらりと瞬き、こちら側の光が届くようになった。彼が別の呪文を発すると、あちら側の魔石が一斉に灯った。

 進んでみると先程までいた場所と同じような作りの部屋で、ただひとつ違うことに正面に両開きの青銅の扉がある。


「開くか」とムスタファ。

 フェリクスが近寄ったり、口の中で何かを唱えたりして様子を見ている。

「魔法の鍵が掛かっている。だがパウリーネ妃の温室と同じタイプだから問題ない」

 そう言った元軽薄王子は更に別の呪文を唱えた。

 ガチャリと解錠したような重い音がする。レオンが、ここは僕がと言って扉の取っ手に手を掛け引く。見た通りの重量があるようで腰を落とす。すぐにヨナスさんも加わり、ムスタファ、フェリクスと結局四人がかりとなった。


 開いた向こうはまた暗闇で、だけどこちらの灯りが入り口付近には届いている。

 ふむと呟いたフェリクスが、魔石を一斉に灯す呪文を唱えると、暗闇は払われまぶしいほどの光が溢れた。


  今まで通ってきた場所とは全く違う。何より室内の中央、一段高くなった所に巨大な鳥かごのような物があった。その扉は開いている。

 ムスタファは無言でそれに向かった。近くで見ると鉄製で直径は1メートルほど、高さは異様にある。床には檻を中心として、色褪せた魔方陣。


「ここだな」とムスタファ。

「間違いないだろう」フェリクスが静かに同意する。

 ムスタファのお母様が囚われていた場所。狭く威圧感のあるそれに、胸が潰れそうに痛む。ムスタファの手を握ると、彼は私を見た。

「怖いか?」

 こんな時までこの人は私の心配をするのか。

「大丈夫。ムスタファは?」

「俺は別に。可哀想にと思うくらいだ。それより」彼はぐるりと見渡した。「何か魔族に関するものがないかと期待していたんだが、これは──」


 この部屋も今まで通ってきた場所と同じくらいの広さがある。だけど六角形で出入口は青銅の扉一ヶ所のみ。そこ以外の壁は全て棚で、おびただしい数の書物で埋められていた。

 そして扉近くにある、巨大な──


「何だ、それ」とムスタファ。

 ちょうど覗いていたレオンが困惑の表情でこちらを見る。

 それは巨大な水晶のように見える。腰の高さの台座に乗っている。これも直径1メートルほどだろうか。こんな大きな水晶なんて見たことがないし、何より中に何か入っていて、更には黒いモヤのようなものが動いている。


 みんなが集まり、それを見る。入っているのものは中央にかたまって浮かんでいるけど、ひとつのものではない。いくつもある。モヤのせいでよく見えないが、しばらく見つめていてそれが何か分かったとき、息をのんだ。


 ファデイーラ様の額飾りと、無数の角だった。


「……何だよ、これ」

 ムスタファが手を伸ばす。と、パシリとその手をフェリクスが掴んだ。

「触るな。禍々しい力を感じる」

 どことなく胸がざわついているのだけど、これのせいなのだろうか。


「これ」とムスタファ。「ファデイーラの額飾りだよな」

「オリジナルのほうですね」ヨナスさんが応える。

「角は……一体、何人分なんだよ」

 大きなものが一組、その半分ほどのものは数えられないほどある。


『王子は魔族を皆殺しにした』

 そうヨナスさんが話していたことを思い出す。殺し、そうして角を奪ったということなのか。


「あの。ここに」とレオンが声を上げた。

 彼は水晶のすぐ下の床を指さしている。見ると文字の書かれた紙が置いてある。それには──



『これには決して触れてはならない。滅ぼされた者たちの憎悪が、魔力の宿ったこれらを変質させてしまったと考えられる。必ずや人間に災いをもたらすことだろう。絶対に割ろうなどと考えるな!

 フーラウム・バルシュミーデ』



 読み終え、見間違いかと思いまばたきをしてから再度見る。

 だけれど確かにそこにはムスタファの父にして現国王、フーラウムの名前が書いてあった。



「……どういうことだ」



「先輩の魔王化って、これによるものじゃないですか?」

 おずおずと発せられたレオンの言葉に我に返った。

「僕は一般的な魔力しかないけど、それでもこの珠から嫌な圧を感じます」

「ああ、これには相当な力が溜まっている。魔力なのか憎悪なのかは分からないが、良くない性質のものであるのは確かだ。あまりそばにいたくない」

 フェリクスのその一言で私たちは珠から離れた。


「宮本は何か分かるか?」

 ムスタファが珠を見ながら尋ねる。顔が強ばっている。

「あの大きな角は、魔王化したムスタファについていたものに似ている気がする。でも確かではないよ。他には何も」

「ならばやはり、あれが原因なのか」とヨナスさん。

「だがゲームの俺はどうやってここに来る」

 確かに。多分、フェリクスの助けはないだろう。

「状況から、結界を張ったのは陛下でしょう。ですから陛下なら、ここへ来れます」

「俺とろくに目も合わせない奴だぞ。共に来るなどあり得ない」

 ヨナスさんの仮説を否定して、ムスタファがフェリクスを見る。

「うちの上級魔術師は結界を解けると思うか」

「不可能ではないだろう。私同様に時間はかかるだろうが」

「可能か。となると原因はあれと考えていいな」

「厳重な結界は珠を隠すためのものに違いない」とフェリクス。「あれ自身には、危険すぎて魔法は掛けられないのだと思う」

 なるほど、とムスタファ。「過程は不明だがゲームの俺はあれで魔力を手に入れ魔王になり、世界を滅ぼす、と。フェリクス、さっきは止めてくれて助かった」

「なに、友として当然のことだ」にこやかなフェリクス。「この機会に伝えておくが、君は私に対しても一人称が『俺』となった。より深く仲間に入れてもらえたようで嬉しいのだよ」


 言われてみればそうだ。ムスタファはヨナスさんに対しても木崎の口調で話している。ムスタファも気づいていなかったらしい。間抜けた顔でまばたいた。

「いいのですよ、口調なんて何でも」とヨナスさん。「何が変わろうとも、あなたがムスタファ様であることに変わりはありません。

 ただ、今のあなたは自力で魔力を手に入れた。以前のあなたなら、そんな考えを思い付くこともなかったでしょう。私は今のあなたを尊敬しているし」と彼は私を見た。「マリエットに感謝もしている」

「前のままのムスタファだったなら、私は君に興味を抱かなかった」とフェリクス。

「まずはあなた方のハッピーエンドに向かって、突き進みましょう」とヨナスさん。「それには近づかないようにして、この部屋を調べましょう。これだけの書物です、魔族に関するものがあるかもしれません」


「僕は横取りエンドを望みますけどね」とレオンが明るい声で言う。

「そんなのねえよ」とムスタファ。「俺にしがみついて号泣していたくせに」

「そうそう、僕の本命は実はムスタファ殿下説も出ているらしいですよ」

「どこもかしこも噂好きだ」と笑うヨナスさん。「だけど派手な泣きっぷりだったもんな」


 綾瀬の話によって広間に入って以来の緊張感がようやく解け、室内を探索することになった。それぞれが別の方向に別れる。

 ムスタファの手を握る。こちらを振り向いた魔族の血を引く彼は

「俺は大丈夫」

 と私の問いかけに先んじて答えた。


「僕の前でキスは禁止ですー」と離れたところからレオンが言う。

「まだしてない」とムスタファ。

「君は意外にも手が遅い」とはフェリクスで。

「前世とやらではどうだか知りませんが、ムスタファ様はマリエットに出会うまで女性に興味がなかったですからね」ヨナスさんがそんなことを隣国の王子に教える。

「女性にというより人間全般にだろう。成長したものだ」とフェリクス。


「深刻になりたくても、そんなヒマもない」

 ムスタファはそう言って苦笑したのだった。


 ◇◇


 結局ファデイーラ様や魔族に関するものは、檻と珠を除けば、何も見つからなかった。


 膨大な書物はどれも古い言葉で書かれた魔術書で、フェリクスによればいずれもかなり高度な内容だという。恐らくかつてこの部屋は、王族専用の秘密の図書室だったのだろう。


 探せば魔力を封じる術を記した本があるかもしれない。そうなるとムスタファの魔力は誰かに封じられた説は有力になるし、だとしたらその犯人はフーラウムだ。

 ファデイーラ様が囚われていただろうここにフーラウムの署名の入った警告文があるのだ。彼がここに来たことがあるのは間違いない。

 彼女を連れ出したのはフーラウムで、警告文の内容から彼女が魔族であること、その一族のむごい過去も知っているということになる。


 一体フーラウムは何を考えファデイーラ様を連れ出し、この場所を封印し、ムスタファの魔力を奪ったのか。


 一通りの探索を終えると、ムスタファは

「本人に訊かないと、なにひとつ解決しないな」と言った。「その署名を見せれば、さすがに記憶がないととぼけられないだろう」

「上手くいくかな。今までも逆ギレのような反応だったのでしょう?」

「賛成できかねます」とヨナスさん。「あなたが母方の血筋を知ったことを陛下が認識することは、危険ではないでしょうか」彼は不安そうだ。

「他の攻略対象のルートとはいえ、討伐エンドもあるのですよね?」と綾瀬のレオンも反対の立場のようだ。

「解決しないと駄目なのか」とフェリクス。「理由は分からなくとも経緯の予測はついた。君は国王やバルナバスに匹敵する魔力も得た。ヨナスの言う通りにマリエットとの幸せを目指して、危険なことは避けたほうがいい」


 みんなに否定的なことを言われたムスタファが私を見る。読めない表情をしている。


「結界魔法を君に教える。まずはこの部屋をしっかり調べるのはどうかな」

「……そうだな」とムスタファはフェリクスに答えた。

 絶対にそんなの、本意じゃない。


「私はムスタファがまずい状況になるのがイヤなだけだよ」

 ムスタファの紫色の瞳が私を見る。

「ファデイーラ様のこと、自分のこと、知りたいんだよね。彼女を殺したのが本当に陛下なのか別に犯人がいるのか、目的は不死だったのか違うのか。

 手掛かりは陛下だけ。私は尋ねるなとは思わない。慎重にやってもらいたいだけ。

 ムスタファの『王子』としての役割に期待しているところはあったけど、まずは自分でしょう? 状況が悪くなったら、私たちも城を出ていけばいい」


「人でないものとして狩られる可能性があるのではないのか」珍しく真顔のフェリクスが強い口調で言う。

「木崎はそんなヘマをしない! 絶対に!」

 ムスタファの腕を掴む。

「そうだよな」ムスタファが破顔する。「俺としたことが一瞬弱気になった」

「うん」


「ああ、もう、バカップルがいる!」レオンが苛立たしげに頭をもしゃもしゃする。「宮本先輩っ。こういう時は普通、恋人を止めるものですよっ。何を煽っているんですか!」

「煽ってはいない」

「討伐エンドがあるのですよね?」レオンが無視して続ける。「いくら先輩が魔力を得たからといって、まだ使いこなせないじゃないですか。陛下はかなりの魔力持ちだって話だし、バルナバス殿下の攻撃魔法は最上級レベルですよ。剣術だって本職の僕らに囲まれたらなす術もない。宮本先輩なんて剣も魔法もできない。危険は避けるべきなのに!」

 レオンは、もうっ、もうっ、と牛かというぐらいに叫んで地団駄を踏む。

「なんで悠長に構えているんですかっ」

「悠長じゃない。知りたいだけだ」

 ムスタファがそう答えるとレオンはうぅっと唸る。

「ちゃんと策は練るって」とムスタファ。

「どんな」

「これから考える」

「……分かりました」とヨナスさん。「ムスタファ様がそう望むなら、私は止めません」

「愚かだが、ますます君を面白いと思う」とはフェリクス。


 レオンが泣きそうな顔をしている。

「……最悪のときに僕は、あなたの味方に付くことができないんです」

「それでいいと前に言ったぞ。お前には家族がいる。仲間と対峙することも出来ないだろ」

「先輩!」とレオンがムスタファに抱きついた。「本当に本当、ちゃんと策を練って下さいよ。僕を泣かしてもタコ殴りですからね。約束ですよ」


「もう泣いてるじゃないか」

 ムスタファが自分よりも大きいレオンをよしよしする。私も一緒に頭を撫でてみた。

「大丈夫。みんなでハッピーエンドになるんだから。そうでしょ、木崎」

「当然だ」

 ムスタファの力強い声が広間に響き渡った。


 ◇◇


 私だけいったん礼拝堂に戻り、ムスタファは結界魔法の練習をすることになった。

 残った私たちはとりとめのないことを話していたのだけど、話題が切れると、オーギュストが誠実そうな顔に笑みを浮かべ、

「君はムスタファを選んだそうだな。心からお祝いを言うよ」と言った。


 今このタイミングでとか、どうして知っているとか、木崎はそんなに惚気まくっているのかとかいくつもの質問が沸き上がる。


「安堵したよ。君は彼に恋慕の気持ちはないのかと心配していたんだ」

「二言目には思い人はシュヴァルツ隊長と言っていたものね」とクローエさんが苦笑する。

「本当、マリエットは全然ムスタファ殿下の好意に気づいていないから、殿下が不憫でなりませんでした」リーゼルまでそんなことを言う。


「顔が赤いわよ。可愛いわね、マリエット」

 クローエさんが大人びた笑みを向けてくる。

「ムスタファは良い伴侶を見つけて羨ましいよ」とオーギュスト。

 伴侶!?

「いえ、伴侶では。ええと、交際を始めただけで……」

 なぜかリーゼルとクローエさんが吹き出し、オーギュストはおかしな表情になった。

「あのムスタファの溺愛ぶりで、結婚を考えていないはずがないではないか」

「彼女は少々ズレているのです」とリーゼル。


 でも求婚されてはいない。昨日はレオンも何か言っていたけどムスタファは無視していたし。

 というか木崎と結婚なんて段階が飛びすぎていて、実感がない。交際というだけでむず痒い、ヘンな気持ちになるのに。


「彼にはきちんと言葉にするようにと話しておこう」とオーギュスト。

「結構です。殿下がそのようなお気持ちになったときにお言葉にしていただければ」

「だからとうにそのつもりだよ。いや、これは私が伝えることではなかったな。だけどこれだけは言っておこう。エルノー家は君がムスタファと結婚するための協力は惜しまない。父はもうそのつもりで動いている。生い立ちなどを気にする必要はないからな」

 協力態勢が整いすぎだ! とはいえ、

「ありがとうございます」と侍女なのでおとなしく礼を言う。


「何の話だい」

 フェリクスの声がしたかと思うと、入り口から彼が出てきた。続いてムスタファも。

「何かあったの?」

 私が戻ってきてからそれほど時間が経っていない。結界は上手くできなかったのだろうか。立ち上がりムスタファの元へ行く。だけど彼はドヤ顔だった。


「まさかもう習得したの?」

「当然。俺を誰だと思っている。完璧だ」

「ああ、彼は凄いよ。魔力が強いからといってすぐにできる術ではないのに」

 フェリクスが手放しで褒める。

「ヒュッポネンに基礎をひたすら学んでいたのが効いているのだと思う」とムスタファ。「あの時間は無駄じゃなかった」

「あなたの努力の賜物ですよ」とヨナスさん。

「先輩のど根性は筋金入りですから」何故か誇らしげなレオン。

「宮本に負けてられないからな」ムスタファはそう言ってフンと鼻を鳴らした。

「そうでなくちゃ!」とレオン。

「『ミヤモト』とは誰だ」不思議そうなオーギュスト。

 一方でフェリクスはもうリーゼルの腰を抱いて、ただいまと言いながら額にキスをしている。


 なんだかみんな楽しそうだ。

 ──できることならこの先もずっと、このメンバーでいたい。

 強くそう思った。

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