38・目覚め

 ムスタファが意識を失ってから、もう丸三日。一向に目を覚ます気配がない。


 今回の事件は、一部が唱える第一王子暗殺未遂ではなかったと結論づいたようだ。それでも念のためにと厳しい警護は続けられているし、フェリクスの見舞いは許可が下りない。レオンとヴォイトへの疑いは晴れた。レオンはムスタファの警護から外されているようだけど、ヴォイトは朝晩様子を見に来てくれている。


 彼はムスタファに魔法を教授していた関係から、他の上級魔術師より親身になってくれている。ムスタファの状態をつぶさに観察し、私から詳細な聞き取りをし、魔術書を調べまくっているようだ。そうして──。




「ムスタファ殿下は自らの魔力に馴染めていない可能性がある。それがその光の明滅だ。解決方法として、殿下の体内に外部から魔力を流し込む」

「どうやって」と尋ねたのは医師だ。「そんなことは聞いたことがない」

「以前、殿下にやってみてほしいと頼まれたことがある。その時は私の知識が乏しかったからお断りしたのだが、文献を当たってはおいた」

「方法は。危険はないのかね。臨床試験は何度した。副作用は」医師が畳み掛ける。

「順に話す。──そもそも魔力というものは、人それぞれ微妙に違うものだ」


 ヴォイトの説明によると、瞳や髪が各人で異なるように、魔力にも差があるのだそうだ。だから他人の魔力をそのまま体内に入れる行為は場合によっては危険を伴う。

 ゆえに廃れたらしい。

 ただ、危険なケースとは魔力の相性が悪い場合だけだという。波長が合う魔力ならば何の問題もない。


「それはどうやって調べる」と、また医師がすぐさま尋ねる。

「分からん」とヴォイト。

 医師の頭が揺れる。「分からないのでは許可はできん! 殿下のお命は風前の灯火なのだぞ!」

「だから順に話すと言っている!」

 睨みあうヴォイトと医師。

 と、

「あ、こら」と声がした。

 続き部屋側にいる近衛からだった。彼の足元を潜り抜けて、パウリーネのお猫様が悠然とやって来る。


「部屋の主が見当たらなくて淋しいのかな」とヨナスさんが言う。

 お猫様は私たちを無視して医師の椅子の下で丸くなった。

「良いのでしょうか」と近衛。

「構わない。よく来るのだ」ヨナスさんが答える。「ここ三日、扉は閉まりきりだから、猫なりにムスタファ様を案じてくれているのだろう」

「で、どういうことなんだ」と医師が話を戻す。

「作業小屋の消滅。あの状況やマリエットからの聞き取りなどを複合的に考えて、消したのはムスタファ殿下で間違いない。では魔力がないはずの殿下がどうしてあんな凄まじいことが出来たのか」

 ヴォイトは再び私を見た。

「天井が落ちてくる瞬間、ムスタファ殿下は君に覆い被さった。君は殿下がケガをしてしまうと思った。その次に身体に痺れが走った。そうだな?」

「はい」

 うなずくヴォイト。

「君はシールド魔法を習っている。殿下にケガをさせたくないと思った君は、無意識にシールド魔法を使うときの魔力を解き放った。無論、術として成立するものではない。無意識、というより本能のほうが合っているかもしれない。とにかくも、その魔力が身体が密接していたムスタファ殿下の魔力を生み出す呼び水になった」

「呼び水……」

「あくまで私の考察で、これが正しいとは限らない。ムスタファ殿下がひとりで成し遂げた可能性も、もちろんある。五分五分というところだ」


「つまり」と医師。「その考察が正しかった場合はマリエットと殿下は魔力の相性が大変良好だろうから、彼女に体内へ魔力を流させる役目をさせる、ということだな」

「その通り」

「国王夫妻の許可は取ったのか」

「陛下は好きに試せ、と仰った」

「だがあくまで予想にしか過ぎず、相性が最悪の可能性もある」医師はそう言った。「ヒュッポネン殿はその時、ムスタファ殿下をお助けできるのか。出来なければ、彼女は更に苦しむことになる」


「マリエット」

 とヨナスさんが私を見る。だけどそれ以上は何も言わない。

「やります。大丈夫、波長が合わないなんてことがあるはずありません」

 だって私はヒロインだ。そしてムスタファはヒーロー。……ほんの少し、怖い気持ちはあるけれど。

「私もそうしてほしい」と、ヨナスさんが力強く言った。「何もしないまま、弱っていくムスタファ様を見ているよりずっといい。心配ない。ムスタファ様と君はハッピーエンドを迎えるのだろう? 彼は私にそう教えてくれたよ」


 ◇◇


 古い魔術書を見ながら、魔力を他人の体内へ送る方法を教わった。といっても、ほとんど精神論。呪文や魔方陣はなく、ただイメージをするだけ。しかも練習はできない。

 それでも何故か、成功する気がした。ヨナスさんの言葉通り、ムスタファと私のハピエンは必定だから。木崎がそう言ったのだ。


 ムスタファの眠るベッドの上で正座になり身をかがめ、彼の両手を取った。パチリと痺れが走る。イメージは循環。私の魔力がムスタファに流れ、そして戻ってくる様子を考えるらしい。

 戻ってきたら意味がないのではと医師が尋ねたが、そのそばから、いや血液の循環と一緒かとぶつぶつ言い始めた。

 だけどおかげで良いイメージが浮かんだ。私は心臓。新しい魔力を送ってムスタファの体を活性化させるのだ。


「始めます」

 誰にともなく声を掛けて深呼吸をひとつ。それからムスタファの閉じられた目を見ながら、脳裡にイメージを浮かべた。

 循環。ムスタファと私。魔力で繋がる輪。


 すっ、と。

 自分の中からそれが流れ出るのが分かった。

 その瞬間、強烈な眩暈がした。体の内が激しく揺れている。まるで乗り物酔いのような気持ち悪さが込み上げてくる。

 波長が合わないのだろうか。


「マリエット、静かなイメージを。凪だ。無風。静寂」

 静かなイメージ。上げられた言葉を思い浮かべる。だけれど状況は変わらない。バチバチと静電気のような痺れが続く中、必死に気持ちを落ち着ける。


 魔力が巡り戻ってくるイメージを。

 ムスタファの体に魔力が馴染むように。

 それから静謐も。

 落ち着いて、安定を──。


 お願いだからその目を開いて美しい紫色の瞳を見せて。私を見て。



 すっと伸びてきた手が一瞬ムスタファの顔を隠した。ヨナスさんだ。その手が退くと、ムスタファの額に一粒のアメシストが載っていた。

 なぜ、宝石を。だけどムスタファの瞳のようだ。私はそれを見たい。




 緩やかに、めまいと気持ち悪さが引いていく。揺れているような感覚も徐々に消え

 魔力が穏やかに流れているのが感じられる。

 木崎起きて、と呼び掛ける。起きて私にドヤ顔を決めなよ。魔王化なしで魔力を得るなんて、さすが俺だと自慢しなよ。反論しないであげるから。


「明滅が止んでいる」

 本当だ。いつの間にか、静電気のような痺れも起こらなくなっている。

 ムスタファの瞼が震えた。ゆっくりと開く。紫色の瞳が私を見た。


「……お前、」

 掠れているけど、確かにムスタファの声だ。

「……ケガは、ないか」


 それが最初のセリフなのか!

 バカ、木崎!

「あるはずないでしょ! 守ると言ったのは自分じゃない!」

 ボロボロこぼれ落ちる涙。ムスタファは驚いて目をみはっている。


「めちゃくちゃ完璧にかっこよく守ってくれて。バカじゃないの、私は生きた心地がしなかったよ!」

「……こっちこい、ほら」

 引っ張られて、軽い力だったのにムスタファの上に倒れこんだ。わんわん声を上げて泣く私の頭をムスタファは優しく撫でる。


 そういえばムスタファが目覚めたときに心配しないよう、私は気をしっかり保っておくのだったなと頭の片隅で思い出したけど、涙を止めることはできなかった。


 ◇◇


 三日間の眠りから目覚めたムスタファは、周囲の予想に反して元気だった。一晩寝て起きました、という感じ。本人も三日も意識がなかったと知って仰天したくらいだ。一瞬気を失っていた程度だと思っていたらしい。


 ムスタファは、近衛たちを早々に部屋から引き上がらせた。どうしても警備が必要ならばレオン・トイファーがよい、彼が一番信頼できると言って。

 すぐにレオンは隊の副隊長と共にやって来たけど、ムスタファを見るなり抱きついて男泣きに泣くものだから、『こいつだけでは警備にならないのでは』と副隊長に言われていた。そして木崎は綾瀬に、『そんな風ではエリート近衛にはなれないぞ』と嬉しそうに言ったのだった。


 カルラの喜びを激しく表した襲来と、バルナバスの静かなお見舞いのあと、フェリクスもやって来た。チャラ王子は、

「遅すぎる。待ちくたびれてしまったよ」

 なんて言いながら、山のようなお見舞いの品を持ってきたのだった。

 オーギュストやエルノー侯爵、その他貴族や最近知り合ったばかりの実業家や学者などからも、『お目覚めのお祝い』がひっきりなしに届いた。


 医師や上級魔術師の診察や近衛の聞き取り調査などもあり、ムスタファの周りがいつものメンバーだけになったのは、夜も更けてからだった。長椅子にムスタファと私、向かいにフェリクスとリーゼル、一人掛けにヨナスさんとレオンが座る。


「ムスタファの目覚めを祝って」

 と勝手に乾杯の音頭を取るフェリクス。

 みな何も言わずに従ったけど、全員の目はフェリクスとリーゼルに釘付けだった。あからさまに密着している。頬を赤らめたリーゼルが距離をとろうとしても、フェリクスがその腰をがっしり掴んで離さない。


 ワインを飲み干したムスタファは、

「もう一度、酒を注げ。祝ってほしそうな奴がいる」

 と言った。とたんにフェリクスが破顔する。

「私は生涯の伴侶をついに見つけたのだ。マリエット、すまない。君の伴侶にはなれなくなってしまった。嫉妬で幼稚な振る舞いを繰り返すムスタファでは不安もあろうが、彼と末永く幸せにな」

「一言余計だ」とムスタファが言えば

「事実ではないか」とフェリクスが返す。それから私を見た。「一昨々日のムスタファは酷かったのだぞ。鼻の下を伸ばした情けない顔で、惚気話を延々と聞かせてきたのだ」

「先輩の話は今は必要ないです。ここに傷心の僕がいるんですよ」

 レオンが不満げな顔で言う。

「レオンよ、私が見舞いを許可されなかったのは他国の王族だからだけではない。マリエットを取られた腹いせにやったと疑われてもいたからだ」

「あ、それは僕も」とレオン。


 リーゼルとついに両思いになったフェリクスはともかく、レオンには申し訳ない。

「なんだかごめんなさい」

 これはこれで失礼だろうか。

「恨みは先輩で晴らしますから、大丈夫です」にこりとレオン。

「思い切りどうぞ。惚気には私もうんざりだった」ヨナスさんまでそんなことを言う。


 木崎め、どれだけ浮かれていたのだ。

 それを知って嬉しくなってしまう、私も私だけど。

 でも問題はそこだ。今回の事件の犯人。目覚めたムスタファからの聞き取りを終えてすぐ、この騒動に関しての沙汰が下った。それは──


 犯人はふたりの令嬢たちのみ。事件は行き過ぎたいたずら行為の結果であり、第一王子が被害者になったのは偶然だった。

 だが王宮内での放火はテロ行為である。よってふたりは斬首刑。その家の当主は爵位の一等降下と罰金、更に消失した作業小屋の再建費用の負担──


 なんとも重い刑罰だ。火事の原因はいたずらだとしながらも、結果的にはテロだからと極刑に処す。裁判もなしのスピード決着。あまりのことにムスタファは抗議をしたけど、聞き入れてもらえなかった。彼だけでなくバルナバスや大臣たちからも反対の声は上がったらしい。だけど明日の午後には、城下の広場で処刑が行われるそうだ。


 バルナバスがムスタファに語ったことによると、処罰を決定したのはパウリーネだという。消失した作業小屋には、彼女の温室で使うために遠方から取り寄せた貴重な苗や肥料があったそうだ。それゆえパウリーネの怒り様は大変なものらしい。つまり重罰は王妃の私怨によるものなのだ。

 バルナバスは一晩かけて母を説得するそうだ。彼に良識があって良かった。パウリーネに、愛する息子の言葉に耳を傾けられる度量があることを願うばかりだ。


 そんな話題をひとしきりしたあとに、レオンが

「刑罰を課す理由がそれということは、マリエットへの暴力はまた咎めなしなんだ」と不満げに言った。

「すまん。俺の力不足だ」とムスタファ。

「だからパウリーネは君たちが思っているよりずっと性根が悪いのだよ。表向きは慈愛ある王妃でも、腹の中では侍女なんて使い捨てだと思っている」フェリクスが言う。


「ところでフェリクス、教えてもらいたいのだが」

 ムスタファがフェリクスを見る。

「ふむ。なんだね」

「宝石と魔力は関係があるだろうか」

 それから彼は目覚めたときのことを説明し始めた。


 私がムスタファに魔力を送っていたとき、ヨナスさんが彼の額にアメシストを置いた。彼は自分でも何故そんなことをしたのか分からないそうだ。

 そもそものきっかけは、苦しそうな顔をしている私を見て自分にも何かできないかと考えたことらしい。ヨナスさんは祈ることにしたけれど、神にではなくムスタファの母であるファディーラ様にだった。懸命に祈りを捧げていた彼は、自然と見慣れた肖像画の彼女を思い浮かべた。


 ファディーラ様の紫のふたつの瞳。額にある三つめの紫──。


 ヨナスさんの中にファディーラ様と同じにすればムスタファが助かるという思いが強烈に沸き上がり、急いで宝石箱から取り出してアメシストを置いたのだそうだ。


 前世ではパワーストーンなんて言葉はあったけど、こちらの世界でもそのような概念はあるのだろうか。果たしてフェリクスは、

「私の知る限りない。だが魔法で媒介に使うことはある。それぞれにまじない的な意味もあるが私は信じていない」と答えた。

「偶然タイミングが合ったのか? 額は? 魔 術的に何かあるか」

「額? いいや」とフェリクス。

「前世では第三の目とかありましたよね」レオンが言う。

 と、ヨナスさんが立ち上がり、額縁などを手にして戻ってきた。卓の中央に置く。

「こちらがシュリンゲンジーフに伝わるファディーラ様の肖像画。で、こちらが陛下がお描きになったと言われているデッサンです」

 ムスタファがフーラウムの絵を手に入れたいきさつを説明する。


「この装身具は珍しい形だな」とフェリクス。「確かに三つめの目のように見える」

「これを身につけたら、先輩は最強になるんじゃないですかね。莫大な魔力を得たのでしょう?」

 わくわくを隠さない顔でレオンが尋ねる。


「これ」じっと肖像画などを見ていたリーゼルが顔を上げた。「油彩画とデッサンで額飾りが微妙に違いますね」

 彼女が地金部分や細かい宝石を示す。

「……ということは、ふたつあるのか?」ヨナスさんが呟く。「では明日にでもベネガス商会を呼んで三つ目を作らせますか」

 とヨナスさんがムスタファを見たが、ムスタファは

「必要ない」と言った。「これは魔族の王の印なのだろう。俺はそんなものにはならない。民がひとりもいないのに王とはおかしいではないか」

「そうですね」

「存外真面目だな」とフェリクスが微笑む。

「それに俺は俺自身の力で最強になる。下手にアイテムに頼っていては、失くしたときに困る」

「確かに」

「そこのアホは前世でアイテムを大事にし過ぎて死んだしな」と綾瀬のレオンを示すムスタファ。

「だって先輩がくれたお守りだったから!」


 ヨナスさんが立ち上がり肖像画に手を伸ばす。ならば私はスケッチを取り、ふたりで隣室に片付けた。人目にふれるとまずいので鍵付きの櫃に厳重にしまってある。いつか壁に飾れるようになるといいのだけど。


 席に戻ると何の話をしていたのかレオンが私をちらりと見てから、ムスタファに向き直った。

「マリエットを助けてくれて、先輩には感謝してます。でも僕、言いましたよね。彼女を泣かせたらタコ殴りだって」

「今回のもカウントされるのか」

「当然。あと、僕を泣かせてもタコ殴りを追加します。──だから二度と僕たちを泣かせないよう、しっかり魔力を制御して下さいね」

 ムスタファの木崎は「なんだそれは」と言い、フェリクスは「おやおや大変だ」と笑う。リーゼルさんも静かに笑みを浮かべている。


「それから先輩、人前でいちゃつき過ぎ」

 レオンの言葉にヨナスさんが吹き出す。

「近衛では大騒ぎですよ。マリエットをベッドに引きずり込んだって」

「なに、そうなのか!」嬉しそうにフェリクスが割って入る。

「違う。このアホが間抜けヅラで泣いてたからだ。それにあんなに近衛たちがいるなんて思わなかった。こっちはちょっと意識が飛んでたつもりだったんだからな」


 そうなのだ。目覚めたムスタファは私とヨナスさんしか見えていなかったらしい。泣きじゃくる私によしよししていて何か気配が……と周りを見渡し初めて近衛やヴォイトたちに気づいたという。


「もっと僕に配慮をして下さいよね。隊での僕の扱いが、どんどん『可哀想なヤツ』になっていくんです」

「対策は、一刻も早く新しい思い人を見つけることだな」とフェリクス。「勿論、リーゼルは駄目だぞ」

「分かってますよ。──それにマリエットは大丈夫ですか? 侍女たちの態度は」


 レオンの質問に思わず苦笑してしまった。夕飯時、三日ぶりに侍女用食堂に行ったのだが、声をかけてきた侍女はみな、

『大変だったわね』

『殿下が目覚めて良かった』

『で、殿下の愛を受け入れるんでしょうね?』

『これで受け入れなかったら人でなしよ?』

 と四段活用で脅してきた。

 私がはいと答えると彼女たちは沸きに沸いて、助けられた瞬間を詳しく語れと迫ってきたのだった。


 もちろん私を面白く思っていない人たちもいる。でもその人たちは何も言ってはこなかった。


「侍女や令嬢はもう、マリエットには手出ししない、というか出来ないよ」とヨナスさん。

「そう。ムスタファは彼女のためには命も掛けるほど惚れていると知れ渡った。彼女を苛めたら自分の立場が危ない。それが分からないほど彼女たちも馬鹿ではないはずだ」とフェリクス。

「そう。良かったです」安堵顔のレオン。

「だが」とムスタファが続けた。「俺を排除したい者には好都合だ。ま、フーラウムのことだが」

「本当に」とヨナスさんもうなずく。

「見習いを辞めて結婚しちゃえばいいじゃないですか」レオンが言う。「王子妃になれば護衛を付けられる。そして護衛は先輩が最も信頼できる僕」

「『可哀想なヤツ』認定が強固になるぞ」

「構いません。それでマリエットは先輩との仕事に集中すればいい。今ここにいる全員に必要なのは、安心でしょう。マリエットの身の上だけでなく先輩もリーゼルも」

「レオン、リーゼルのことも案じてくれ礼を言う」すかさずフェリクスが返した。

「いいヤツだな、君は」とヨナスさんも。

 別に、と照れた顔をするレオンが綾瀬に見える。マイペースな変わり者なだけではないなと思う。


「ここにひとつ、朗報がある」フェリクスがムスタファを見て、にやり。「結界が解けた」

「っ!」

 息を飲んだムスタファが前のめりになる。

「成功したのは昨日、念のために新しい結界を張ってある」

「中はどうだった!」

「入っていない。君が一番に入るべきだろう?」

「……お前……」

「おや、ムスタファは私がひとりで先に入ってしまうような人間だと思っていたのか。悲しい」

 言葉とは裏腹にフェリクスは笑顔だ。

「すまん。──結界解除、心から感謝する。ありがとう」

「ああ。明日、皆で行こう」

 ムスタファがレオンを見る。

「明日も護衛は基本、僕です」

「それなら問題ないな。フェリクス、明日もよろしく頼む。俺は魔力をまだ使いこなせない」

「よろしく頼まれてやるが礼が欲しい」

「なんだ」

「リーゼルの父親たちの死には呪いが関係しているとの結論が出た。何者かが力業で解呪し、その影響で死んだようだ。目的などは一切不明。本国は私の安全のために彼女を解雇する方針だ。私の意見は通らない」

「彼女をこちらで雇うか?」

 ムスタファの提案にフェリクスは、いいやと答えた。


「解雇が決まったら、彼女とふたりで出奔する。手助けしてほしい」

 穏やかな表情だった。リーゼルもだ。ふたりで話し合った結果のことなのだろう。

「王子の身分なしで生きていく覚悟はあるのか」とムスタファが尋ねる。

「そんなもの。ムスタファの秘密を本国に隠すと決めたときにあらゆる覚悟を決めている」

「すまん。愚問だったな」

「いや、私たちを心配してくれているのだろう?」どこまでも穏やかな顔でフェリクスが言う。「本国とは決裂して、今日は連絡を取っていない」

「あまり時間はないのですね」とレオンが言ってムスタファを見る。


「私の母国が優秀な魔術師を募集しております」ヨナスさんがにこりとする。

「俺にできるのは護衛を雇う金を出すことぐらいだ」

 ムスタファがレオンを見る。

「ならば僕は信頼できる民間の護衛を紹介します」

「助かる」

 フェリクスはそう言い、リーゼルさんは頭を下げる。



 ルーチェに続き、彼らもいなくなってしまうのかもしれないのか。ふたりが幸せなことは嬉しいけれど私もムスタファも、淋しくなってしまう。


 ◇◇


 会がお開きになり、扉口で帰るひとたちを見送る。綾瀬のレオンはムスタファにしがみつきながら帰らないと駄々をこね、フェリクスに引きずられて去った。ヨナスさんは澄まし顔で「野暮は言いません」と言いながら。

 そしてリーゼルは

「全てあの時マリエットが私を助けてくれたおかげです」と嬉しそうに私の手を握りしめた。

「自分から告白したのですか」

 そう尋ねたら彼女の頬が赤くなった。

「殿下からです」


『今度詳しく教えて』『マリエットのほうこそ』なんて会話を交わし、彼女も部屋を出て行った。

 扉を閉めて振り返るといつの間にか真後ろにムスタファが立っていて、思わず小さな悲鳴を上げる。


「びっくりした!」

 ムスタファが私に腕をまわして抱きしめた。「ようやくふたりきりだ」

 カッと顔が熱くなる。木崎、そういうキャラではないでしょうに!

 いや、やっぱり私が知らなかっただけで彼女の前ではそういう感じだったのだろうかと考え、もやもやした。私も大概だなと思い、負けずに抱き返してやる。


「改めて。助けに来てくれてありがとう」

 もし後少しでも遅かったら、私はきっと天井に押し潰されて死んでいただろう。

「ああ。今度は長生きするんだからな。お前も、俺も。……ついでに綾瀬も」

 今度という言葉に胸が痛い。

「うん。本当にありがとう。木崎、めちゃくちゃカッコ良かった」

「当然。俺はいつでもカッコいいの」

「今日だけは、『そうだね』と言ってあげるよ」

「今日だけかよ」

 恥ずかしさをガマンして、ムスタファの頬にキスをする。

「生意気」

 と、し返される。頬に額に唇に……。


 雨あられとキスをされ、そろそろ私の心臓がいたたまれなさに爆発するぞという頃合いで、再び強く抱きしめられた。私の肩に顔をうずめたムスタファが深いため息をつく。

「帰したくない」

「っいや、あの」

 それはまだ、早いというか何というか。

「お前、危険な目に遭いすぎ。見えるところにいてくれないと不安で仕方ない」

「……あ、うん。ごめん 」

 ああ、そっちかと自分の早とちりが恥ずかしくなる。

「ちゃんと鍵を掛けるし、しばらくは廊下に立哨がいるのでしょう?」


 普段はこの辺りに立哨はいない。巡回があるだけだ。だけど今回の騒動が一時的とはいえムスタファ暗殺を疑われたから、しばらく警備を厳重にしてくれるらしい。


「でも見えないことには変わりないだろ」またため息をつくムスタファ。「ゲームの溺愛って、心配が高じてのことなんじゃないのか?」

「そうなのかな」

 三度、ムスタファがため息をつく。「正直に言うけどな」

「うん」

「心配だわ煩悩まみれだわで、お前を帰したくない」

 煩悩……。

「でもゲームも身辺も落ち着くまでは、地雷になりそうなことは我慢すべきだと俺の理性が言っている。──理性を捨てていいか?」

「いやいやダメでしょ!」

「……だよな。お前が窓から突き落とされるときのセリフも気になるし、我慢だ」


 そういえばそんな危険もあったか。火事のショックが大きくて、すっかり忘れていた。

 ムスタファが魔王化なしで魔力を得たことを知ったとき、予想に反してドヤ顔はしなかったし、さすが俺だなとも言わなかった。それは一拍置いてからだった。最初の反応は心からの安堵の顔と、

「これで少しは守れるか」との言葉。

 彼はいつでも私の身を案じてくれているのだ。


「ブルーサファイアは絶対に身に付けていろ。寝ているときもだぞ」

「木崎に付けてもらってから、一度も外していないよ」そして少しだけ迷ってから「ムスタファは私だけの騎士だね。誰よりも頼りになる」と言った。

 騎士という言葉をどう受け取るかの不安はあるけど私としては、今の私は誰よりムスタファが一番だよ、との気持ちを込めたつもりだ。気恥ずかしいけど。

「……当たり前。俺よりいい男なんていないからな」

 かすれた声でささやかれ、ちゅっと耳にキスをされる。

 耳!

「……やっぱり泊まれ」

「いや、ごめん、遠慮する」

 きっぱり断ると、はあああぁっと、何度目になるのか分からないため息が聞こえた。

「覚悟しておけよ。全てのかたがついたときは、喪女だろうが手加減はしないからな」


 何だそれはっ!

 上手い返しをと思うのに、爆発寸前の心臓とぐるぐるの思考のせいで言葉が出てこない。


「……そ、そっちこそ覚悟しなさいよ。ヒロインパワーでメロメロにしてあげるから」

 よし、これでどうだっ。

 ずっと私の肩にくっついていたムスタファの顔が離れた。すごく意地悪な顔をしている。

「へえ。何をしてくれるのか、楽しみだ」

 しまった、墓穴を掘ったかと思ってももう遅い。

 だけどいつもの腹立つ顔に、この三日に渡る辛さが終わってくれたことを実感して、深く安堵したのだった。

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