36・告白

 心臓が破裂しそう。

 ムスタファにキスをされている。

 多分。勘違いではない、と思う。

 何で?


 唇が離れた、と思ったら抱き寄せられた。

 ムスタファは私の肩に顔を埋めている。


「俺に惚れろよ。絶対に後悔させないから」

 切羽詰まったような声。何これ。胸が苦しい。泣きそうだ。

「木崎、どうしちゃったの!」声が上ずる。「ゲームの影響を受けているよ、しっかりして」

「受けてない」

「いやいや受けてるよ、正気に戻って」

「俺はいつでも正気だ」

「しっかりしてってば!」

「ゲームの影響なんてものは最初からない。──誤判定もバグも」

「え?」


 ゲームの影響がない?

 誤判定もバグも?


 心臓は激しく動いているし頭もうまく回らない。

 影響も誤判定もないのなら、今までのは何だったんだ。


「数値は全部正しい。俺は俺の意思で動いている。今も」

 体にまわされた腕に力が入る。


「た、だしい?」

 数値って好感度と親密度のことかな。何か他にあっただろうか。だってあれが正しいって、そんなの──。


「好きだ」

「……また、悪ふざけ?」

「違う。悪ふざけなんてしたことない」

「だってこの前、」

「そう言う他ないだろう! シュヴァルツしか眼中にないお前に言えるかよ、惚れてるとか、他の男に嫉妬しまくってお前に八つ当たったり訳が分からない行動とっちまうとか」

 ますます強く抱きしめられる。

「この俺が全然余裕ないなんて、そんなカッコ悪いことお前に知られたくねえじゃん」


 それはつまり。

 心臓がドクドクと鳴っている。自分の音なのか、ムスタファの音なのか。


「……ルート選択のときに『絶対溺愛なんてしない』、『ハピエン回避する』と言ったよね?」

「『俺とハピエンしてくれ』って言ったら、お前はオーケーしたか? しないだろ?」

「……」

「それにゲームのハピエンは回避する。俺のハピエンは必定!」

「『必定』」

 急な木崎み。

「お前を溺愛なんてしたくないし」

 何だそれは。

「溺愛って一方的で対等っぽくない言葉だろ」


 その言葉に胸を突かれた。

「そうだね」とだけ答えて声が詰まる。

 私も木崎と対等でいたいと思っている。


「なのにずぶずぶにお前を溺愛してるし、バカみたいに過保護になるし、こんなのは俺じゃないんだ」

「うん」

 思いきってムスタファの背に手をまわした。

「宮本?」

 顔がこちらを向く気配。

「見ないで、大事なことを言うから」

「うん?」

「私だってこんなの、絶対に絶対に認めたくないんだけど」


 ずっと気づきたくなくて、目を反らしていたことがある。


「あなたが好きみたい」

 ムスタファが私の顔を見ようともぞもぞ動く。

「見ないでってば」

「──本気か? ゲームの影響?」

「なんで急に弱気なのよ!」

「いや、だって。信じられないだろ」

「私も信じたくない」


 ハハッと笑い声。ムスタファはまたぎゅっと抱きしめてきた。

「いいんだな。訂正は聞かないぞ」

 嬉しそうな声だ。

「そのまま返すよ」

 私もぎゅっと抱き返す。

「……ひとつ確認していいかな」

「何だ」

「これ、現実? 都合が良すぎる展開な気がする」

「それは俺も思ってた」

「やめてよ、木崎と意見が合うなんて」

「そのセリフが返ってくるなら、現実だな」

「そうか」


 そうか。現実か。

 どうしよう。めちゃくちゃ嬉しい。もう何日もムスタファのことで頭いっぱいで泣きたい気分だったのに。今は嬉しすぎて泣きそう。


「宮本。こっち向け」

「イヤ。絶対今、変な顔になっている」

「キスしたい」

 何だそれは何だそれは何だそれは!

 迷ったものの、目をムスタファの肩にぐしぐしとこすりつけて見苦しいものを落とし、顔を向けた。

「可愛いな、お前」

「うるさい、もういい」

 再び顔を背ける。

「はっきりさせておくが、今の俺はさっきのがファーストキスだからな」

「……何のアピール?」

「言っただろ、悔しいけど俺は余裕がないんだよ」

「素直な木崎なんて気持ち悪い」


 ドキドキしながらムスタファを見る。

 目が合うと、すかさずキスされた。


 ◇◇


 医師に診察をしてもらったけど打ち身だけでやはりケガはなかった。魔力暴発で吹き飛んだのに骨折すらなしというのは奇跡的らしい。本日は念のために安静にするべきだが心配はいらない、強運の持ち主だと言われた。


 本当に運が良かったのだと思う。

 ただ。小部屋から医師の元までまたムスタファによるお姫様抱っこで何人にもすれ違い、噂話が加速すること間違いなしだ。木崎はすっかりいつも通り。


 対フーラウムのためにも適切な距離を保つのではなかったのかと訊いたら、

「あれは半分嘘。フーラウムは心配だが今さら控えたところで意味はない。お前の不安を軽くしたかっただけ」との答えが帰って来た。


 実は、警護で王の近くに控えることもあるレオンと、密偵ゆえに情報通のフェリクスに、フーラウムの動向におかしなことがあれば教えてくれるよう頼んであるらしい。

 きっと私はそれをよしとしないだろうから黙っていたのだそうだ。


「あとの半分は?」

「……ここのところずっと、抑えが効かなくなるのと、そんな自分のカッコ悪さにうんざりして理性を保とうとするのとの繰り返しなんだ。──笑うなよ!」

 ムスタファは耳を赤くしてそう言った。


「笑わないよ。可愛いとは思うけど」

「可愛くない。俺はカッコいいの」


 いやいや。いつも木崎は余裕で私ばかりが動揺していると悔しく思っていたのに、そうではなかったなんて。私と同じように必死に平静を装っていたのかと思うとものすごく可愛い。


 まさか木崎を可愛いと思う日がくるなんて、びっくりだ。


 ◇◇


 診察のあとも抱えられた状態でムスタファの私室に戻ると、待っていたヨナスさんが

「どこに行っていたのですか。夕食は御祝い膳にしますか」

 と満面の笑顔で主に尋ねた。


「医者。祝い膳はいらないが、夕食はここに運ばせろ」とムスタファ。「このアホは安静にしていないといけないらしいからな」

 私の安静とムスタファの晩餐は関係ないでしょと言いたかったけど、主の上機嫌な口調に何かを悟ったような笑みを浮かべたヨナスさんを見て、沈黙を選んだ。なんと言うか、恥ずかしくて居たたまれない。


 私は長椅子の、ムスタファの定位置に下ろされた。ヤツは当然のようにとなりに座る。

「ヨナス。夕食まで休んでいいぞ」

「それはありがたいですね」そう言って、にこにこ顔のヨナスさんは去っていった。

「外出はいいの?」

「事故が起きたのだから仕方ない。明日改める。──これじゃ遠いな」


 そう言ったムスタファは私をさっと膝の上に横向きに乗せた。今度は首の後ろに顔を埋められる。

「ゲームが終わるまで、何も言わないつもりだったんだよ」

「うん」

「決意は一日ももたなかった」

 思わず首を動かすけど、ムスタファの顔は見えない。

「俺は意思の強さには絶対の自信があるのに。お前がフェリクスや綾瀬にほだされるんじゃないかと思うと、黙っていられなかった。酷い言葉で傷つけたのも、嫉妬だ。悪かった」

「そう言えば『ムスタファ殿下はかなり狭量だ』と言われた」

「誰に」

「ヘルマンさん」

「……あいつにまでバレているのか。そうだよ、狭量だよ。悪いか」

「開き直った」

「だから綾瀬やシュヴァルツにほいほい触られるな。我慢ならないんだよ」

「うん」

 ヘルマンには『それは嫉妬』と指摘されたこともあったような。フェリクスにも。本当に嫉妬だったんだ。絶対にそんなことはないと思っていたのに。


「──さっきはさけるつもりだったんだ」

「さっき?」

 うなずく。

「シュヴァルツか?」

 もう一度うなずく。

「どうして」

「聞かないでよ」

「俺が良かったのか」

「ちょっとちがう」

 首筋からムスタファの顔がすっと離れた。

「違うのかよ!」

「悪ふざけだったとしても、木崎はまた不機嫌な顔をするのかなと思ったの。それはイヤだった」

 顔が熱い。木崎に対して素直になるのは、ものすごく恥ずかしい。顔が見えなくて良かった。


「お前が医者に行くからと部屋を出ようとしたとき、ひとりで泣きに行くんだと思った」

「カールハインツのことで泣いたことはないね」

「俺のことならあるのか?」

「ないよ」

「そう」

「……嘘。ミサンガのことでケンカしたときと、男にだらしなく見えるとなじられたとき。それから悪ふざけと言われたとき」

「悪かったよ。最低だった」

「素直だね」

「ヨナスに本気の説教をされたからな」


 ん、と促されて顔を向けると唇が重なる。

 心臓が破裂しそうなくらいにドキドキして──悔しい。次は絶対に私から仕掛けてやる。


 求められるまま、ちゅっちゅと軽いキスを何度も繰り返していたら、突然扉が音を立てて開いた。


「みつかりませんよ。殿下は彼女をどこに連れ込んだのだか──」


 そこまで言ってフリーズしたのはヘルマンだった。

 侍女見習いが王子の膝の上。他も見られたかもしれない。言い訳のしようがない状況に羞恥に襲われ、慌てて顔を背ける。


「ここだよ、ヘルマン」

 地を這うような声をムスタファが出す。

 失礼しましたとヘルマンが脱兎のごとくに逃げ去る。


「わざとか? 絶対わざとだ」

 ムスタファぶつぶつ独り言。

 今こそ反撃するときではないだろうか。やられっぱなしは女がすたる。でも自分からするのは恥ずかしい。

  ムスタファの袖をちょいっと引っ張る。

「続き。待っているけど?」と煽ってみる。


 いや、こっちのほうが恥ずかしいかも!

 言った瞬間に後悔するけど、ムスタファの顔も瞬時に赤くなった。

「へえ。宮本のくせに俺を煽るのか。覚悟しろよ」

「真っ赤な顔で凄まれてもね」

「お前もな」


 再び唇が重なる──というところで、再度扉が激しい音とともに大きく開いた。

「マリエットが吹き飛んだって聞いて!」

 と叫んだのは綾瀬のレオンで、その後ろでは引き留めようとしたらしいヘルマンがおかしなポーズで青ざめていた。


「大丈夫ですか、マリエット」

 レオンがずかずかと部屋に入ってくる。

「邪魔だ、出ていけ」と木崎。

「嫌です。この状況を見たら邪魔するに決まっているでしょう」動じず不遜な顔をするレオン。「散々僕を牽制して邪魔してきたのはあなたですからね。今こそ仕返しのときです」

「牽制なんて本当にしていたの?」

 廊下にいるヘルマンが静かに扉を閉める。

「僕やフェリクス殿下があなたに手出ししたら、先輩が同じことをするって話」

「ああ、ゲームの影響でね」


 ん?

 ムスタファは、影響なんてなかったと言っていなかったっけ?


 ムスタファを見ると、まだ赤い顔で

「頭を使ったもん勝ちだろ」と嘯いた。

「温室デートを利用して、ちゃっかり下心を満足させてるし」

「下心?」

「手を繋いでいたでしょう。僕やフェリクス殿下みたいに、あなたに堂々とさわれないから」

「うるさい、出ていけ」

「嫌です。膝の上に乗っけちゃって、浮かれすぎですよ。隊長はまた失態してしまったと落ち込んでいます。独占欲もほどほどにして下さいね」


「あんな男なぞ知るか」

 ムスタファはそれだけ言って、口を閉じた。パウリーネからの依頼は伝えないらしい。レオンを慮っているのだろう。


 そのレオンは私たちのそばに膝をついて、目線の高さを合わせた。先ほどまでの不遜な表情は消えている。

「残念ではありますけど、くっついてくれて良かったです。僕、ちゃんと祝えますよ。こうなると分かってましたから。ハピエンルートで起こる危険の回避は僕も尽力します」

『ありがとう』と言っていいのか『ごめん』がよいのかわからず、黙ってうなずいた。


「吹き飛んだと聞いて驚いたのは本当です。隊長が今日のマリエットは集中していなかったと話していました。僕のせいでしょう? あなたに意地悪な質問をしたから。

 あなたがなかなか自分の気持ちに気づかないから苛々してしまって。すみませんでした」

「苛ついていたの?」

「そうですよ」とレオンは薄く笑った。「あなたがあれじゃ、僕はいつまで経っても諦められないじゃないですか。だから、謝りに来たんです。少なくとも魔法指導の前にする話ではなかった。

 ──僕の話は以上。質問も抗議も受け付けません」


 レオンはよいしょと立ち上がった。


「マリエットと殿下への謝罪を理由に特別に仕事を抜けさせてもらいました。僕はもう戻りますけど」

 レオンの顔に不遜な表情が戻っている。

「彼女を泣かせたら」と指を折るレオン。「ハピエンルートでケガをさせたら」とまた指を折る。「これ以上の手出しをしたら」彼はムスタファを見た。「タコ殴りしますから。近衛の本気の殴打は死にかねませんよ、先輩。気をつけて下さいね」

「最後のはいらないだろ」

「必要です。可愛い後輩からの仕返しです」

 では失礼しますと近衛らしく挨拶をしたレオンは足早に部屋を出て行った。扉をきっちりと閉めて。


「あいつ『タコ殴り』が好きだな」

「『僕、ちゃんと祝えますよ』って」

 レオンの淋しさを堪えたような顔に胸が詰まる。

「俺の弟分を自称するだけある」

「自画自賛?」

「そう。──言われなくたって二度と泣かせないし、ケガもさせないに決まっている。当然魔王化もしないし世界も破滅させない」

「うん。がんばろう」


 ムスタファは小さくため息をついた。

「せめて魔法を使えるようになるまで、気持ちは口にしないと決めていたんだがな」

「それで必死になっていたの?」

「いけないかよ。──宮本。俺はまだ魔法も剣も駄目だがお前を守らせてくれ。頼りにされたい」

「私に木崎を守らせてくれるなら、いいよ」

「張り合うな、負けず嫌い」

「そのまま返す。そして魔法は私のほうが上」

「今のところだがな」

「今のところでも、勝っているもんね」

「すぐに抜いてやる」


 それからまたついばむようなキスを何度か交わし、ぎゅっと抱き締められた。


 んんっとムスタファが咳払いをする。

「──たまにでいいから、今の名前で呼んでくれないか」

 今の名前。人前以外では呼んだことがない。

「『木崎』はイヤなの?」

「嫌じゃない。お前しか呼ばない名前だ、特別感がある」

 そう言うムスタファの目はよそを見ているし、耳が赤い。

「だけど今の名前でも呼ばれたい。綾瀬が呼ばれているのを聞くとムカつく」

 そのくらいのことで? 本当に狭量じゃないか。

「第一、木崎は姓だし。お前、俺の下の名前を知っているか?」

「え」


 木崎のフルネーム……って何だっけ。確実に見たことも聞いたこともあるはずなんだけど、記憶にない。名前を視界に入れるのですらイヤだったからなあ。


「あれ?」

 笑ってごまかそうとしたら、思い切り不満な顔をされた。

「宮本莉音。俺はちゃんと知っているぞ」

「……ありがと。ごめん」

「俺の一勝だな」


 月の王と謳われる美貌の王子がドヤ顔をしている。

 私もんんっと咳払いをすると羞恥を押し殺し王子の目のまっすぐに見て、

「好きよ、ムスタファ」と言った。


 ムスタファは目を見張ったあと破顔して、またまた私を抱き締めた。

「最高だな、可愛い」

「私!? 名前呼びに感動するところじゃないの」

「感動したけど勝負を仕掛けててくるところが、さすが宮本」


 勝負を仕掛けた訳ではないと言おうとしたけど、目に入ったムスタファの耳から首まで真っ赤だった。

 それほどまでに嬉しかったらしい。

 負けず嫌いはどっちだと思い、可愛いすぎるムスタファを抱き締め返した。

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