34・悪ふざけ

 ツェルナー改めてリーゼルさんとフェリクスはしっかり話し合って、元通りの信頼し合っている主従に戻った。


 本国は一連のことに激昂しているもののフェリクスの強い希望と、大使の『第五王子の側仕えができる者など他にいません』という口添えのおかげで、リーゼルさんをこのまま雇うことにしたそうだ。ただし彼女への処分が決定するまでの間の暫定措置らしい。


 とはいえフェリクスが言うには密偵としての教育が済んでおり、魔法に優れ、なおかつ自由人の自分をしっかり操縦できる従者などそうそう用意できるはずがないから、こちらの国にいる間は心配ないだろうとのことだ。


 一方でアイヒホルン家は厳罰が下されるらしい。王家を騙したのだから当然だ。だけど大司教は罪を逃れるのではないかとフェリクスは考えているそうだ。司教と駆け落ちしたのはリーゼルだと思っていたと主張すれば、教会と揉めたくない王は追及をしない。


 納得はいかないけれど、遠く離れた他国のことだからどうにもならない。

 フェリクスもアイヒホルン当主や大司教には憤懣やるかたないらしいのだが、でも彼らのおかげで素晴らしい従者に出会えたとも言えるから、複雑な思いらしい。


 ──そう、しっかり話し合ったふたりは変わらず主従なのだ。しかも──。


 木崎と私がムスタファの私室に戻ると、実にすっきりした笑顔のフェリクスが、

「彼女はこれからも『従者』として私に仕えるから、マリエットは仲良くしてやってくれ」

 と言ってきた。リーゼルさんも嬉しそうな顔をしていたから、それでいいらしい。

 私と木崎は思わず顔を見合わせたけれど、フェリクスは

「急いで彼女に合う服を仕立てなければ」

 とほくほく顔でリーゼルさんを連れて帰って行った。彼女はこの先も『従者』であるため男装するそうだ。


 それから王宮内は困惑とゴシップの嵐が巻き起こったけれど、リーゼル・イコール・ツェルナーは割合簡単に受け入れられた。彼女に幾つか質問をしたバルナバスが、これは間違いないとお墨付きを与えたからだ。


 リーゼルさんは一躍時の人となり、駆け落ちについて詳しく聞きたいご夫人や令嬢たちが彼女を捕まえようと躍起になっているらしい。それを腹を立てたフェリクスが一蹴しているとかなんとか。


 ふたりについてのそんな話を、私はヨナスさんとムスタファから教えてもらった。

 というのは私も今日は渦中の人だったからだ。アホ木崎のせいで。


 廊下での『溺愛されてろ』発言。

 更に、『ムスタファ王子がカールハインツに嫉妬して不機嫌になり、私の手を掴んで彼の前から連れ去った』という出来事。

 このふたつが王宮内を駆け巡ったらしく、久しぶりに背中をどつかれた。やったのは貴族のご令嬢たちだった。


 食事時には侍女たちに囲まれ質問責め。

 私が、本当の本当に王子の気まぐれで、何でもないのだと釈明すればするほど、何故か周りの表情は険しくなり、いい加減にしないと王子が可哀想だとお説教をされた。以前とは180度違う反応だ。やっぱりゲームがハピエンに持ち込もうとしているのかもしれない。


 とにかくもそういう状況で今日の私は大注目の的で、リーゼルさんの話題を直接聞く機会はなかったのだ。




「木崎のせいだ」

 寝酒セットをいつもの卓に並べながら文句を言うと、

「何度めだよ、しつこい」とムスタファに反論された。

「だって頼んだよね。噂になるようなことをしないで、って。ゲームの影響には抗ってとも。そもそも誤判定されないよう気合いを入れると言ったのは木崎だよ。気合いはどこに行った。有言実行の看板は伊達か」

「うるさいな。誤判定は起こらねえよ。自分の過失を棚に上げて言いたい放題するな」


 ムスタファは酒瓶を手に取りふたつのグラスに注ぐ。


「リーゼルさんのこととこれは別問題でしょ。どうするのよ、侍女たちまでムスタファ・マリエットを応援し始めているんだよ」

「いいじゃん、苛められるより」

「そうだけど。強制的にハピエンになったら大変だよ」

 ムスタファの向かいに座るとグラスが差し出された。

「心配するな。強制はない」

 きっぱりとして自信に満ちた声。

「どうして言いきれるの」

「俺はそんな間抜けじゃないから」


 だけどムスタファは、私ではなくどこかあらぬ方を見ていた。誰に向かって話しているのだ。またゲームに対してだろうか。

 口元のグラスを優雅に傾けるムスタファの表情は、部屋が薄暗いため分からない。黙っていると木崎みはゼロだ。


 近衛広場で見せた月の王の感情を露にした顔は、ムスタファ王子と親しくない近衛たちに大きな衝撃を与えたようで、昼間偶然に会ったオイゲンさんには陳謝された。

 彼曰く、そもそもあの場にいるべきではなかった、ふたりの時間を邪魔してしまいすまなかった、だそうだ。


 この分だと、聞き付けた綾瀬がうるさそうだと思ったけれど、今日は会わなかった。珍しい。


「宮本」と木崎がよそを向いたまま呼ぶ。

「何?」

「あのな、」


 ムスタファの声が強ばっている気がする、と思うのと同時に扉を叩く音がした。

 昨日、一昨日と同じパターンだ。まさかと扉を見るとそれは開き、予想通りにフェリクスが入ってきた。


「何の用だ」ムスタファが刺々しい声を出す。

「邪魔者なのは承知の上だ」こちらはやけに張りのない声。「すまぬ、ムスタファ。相談に乗ってくれ」

 盛大なため息をつく木崎。「宮本。このバカにグラス。お前はこっちに座れ」

 うん、と立ち上がるとフェリクスが、

「本当にすまん。ムスタファ、二人きりがいい」と言った。

「はあ?」とムスタファ。

「じゃあ、私は遠慮するね」


 キャビネットから新しいグラスをひとつ出してムスタファの前に置き、代わりにまだほとんど飲んでいない自分のグラスを取る。

「これを貰っていくね。おやすみ」

「フェリクス、待っていろ。彼女を送ってくる」

 そう言ってムスタファが立ち上がる。

「いいよ」

「ダメだ。全ての侍女がお前の味方って訳じゃないだろ。警戒を怠るな」

「その通りだ、マリエット」フェリクスがムスタファに賛同する。「彼が人目もはばからずに君を溺愛しているとの噂が席巻中なのだろう。万が一君に何かあったら、ムスタファが辛いのだよ」


 いやいや自分が撒いた種でしょと思ったものの、口にはしなかった。今日はツッコミどころが多すぎる。

 おとなしく送られることにして、ふたりで部屋を出る。いつもなら扉の元で見ているだけなのに木崎は私の部屋までついてきた。なんとなく腑に落ちないけど、

「ありがとう」と礼を言う。

「施錠を忘れるなよ」

「忘れたことなんてないから大丈夫」

「アホなお前は信用できないね」


 ムスタファはいつもの木崎口調なのに、真顔だ。じっと私を見下ろしている。居心地が悪い。


「宮本」

「なに?」

「……ツェルナー、じゃなかった、リーゼルがあいつを好きなのは間違いないんだよな」

「うん。でも木崎が伝えたらダメだよ」

「分かってる。ただの確認。あいつの相談はどうせ彼女のことだろうから」

「むしろそれじゃなかったら怒る」


 それじゃおやすみ、と部屋に入り扉を閉める。鍵を掛け、木崎が言いたかったことはリーゼルさんのことではなかったのではないだろうかと思った。


 ◇◇


「いやあ、驚きました。まさかツェルナーさんが女性だったなんて」

 近衛広場の中心で、綾瀬のレオンが言う。

 私の魔法指導、今日の付き添いは彼だった。ムスタファ、フェリクス、バルナバスの三王子は従者や侍従を連れてエルノー家の昼餐会に出かけた。そこで木崎が選んだのが綾瀬。彼とて勤務中なのに、こんなことをさせてよいのかと思ったけれど、いいらしい。


「ああ。確かに男らしからぬ歩き方をするとは思っていたが」と、カールハインツ。

 指導を終えて雑談タイムになった。こんなことは初めてだ。いつもはすぐに仕事に戻る。彼もこの時間にツェルナーさんとよく話していたから、驚きが大きいのだろう。


 ひととおりリーゼルさんの話をしたところでカールハインツが、

「その後、殿下はどうだった」と私に向かって尋ねた。

「『その後』とは、何でしょう」

 意図が分からず聞き返すと堅物隊長は困惑顔で頬を掻いた。

「昨日の失態でしょう」とレオン。「マリエットの頭をうっかり撫でて、ムスタファ殿下の不興を買った」

 うなずくカールハインツ。


 なるほど、昨日のアレか。木崎は呆れてはいたけど不興というほどではない。

「特には何も仰っていません」

「まさか」間髪入れずにレオンが反論する。「先ほど呼ばれたとき、『絶対に彼女をさわらせるな』と厳命されました」

「まさか」と私も同じ言葉を言ってしまう。

 だけどカールハインツは部下を信じたらしく大きくうなずき、

「申し訳ないことをした」と言う。

「そうですよ、隊長。殿下を煽ってはいけません」

 うむ、とカールハインツ。「結婚話に落ち着かないだろうに、余計な心労をかけてしまった。近衛として失格だ」


 え、と堅物隊長を見る。『結婚話』という言葉が聞こえた。誰の?

 カールハインツがはっとした顔をする。

「聞いていないのか」

「……何をですか」

 彼は明らかに目を泳がせている。レオンを見ると彼は小さく息をついた。


「隊長。そろそろお戻り下さい。私は彼女を部屋に送ります」

「そうだな、頼む」

 カールハインツはほっとした顔をすると、ではと足早に去って行った。

 その背を見送りながら、

「どういうこと?」と綾瀬に尋ねる。

「隊長はどこから聞いたのだろう。まだトップシークレットの筈だけど」

「綾瀬!」

 レオンが私を見る。「気になりますか」

「なるよ。木崎にそんな話が上がっているということなのでしょう。私は何も聞いていない」


 そういえば昨晩、何かを言おうとしているような素振りがあった。もしかしてあれがこの話だったのだろうか。


「ご心配なく。先輩にその気はありません」

 綾瀬が言うには、他国からムスタファとバルナバスに、次期国王になることを約束するからどちらかが王女の婿に来てほしいとの声が掛かったらしい。

 これにフーラウムが喜んだ。彼はバルナバスを後継にしたいのだ。ムスタファが婿に出てくれれば都合がいい。そこで王は長男を推し、あちら側も彼を欲しがり思惑は一致。それがつい二日前のことだそうだ。


 だけど実はムスタファには婚約者候補の王女がいるという。そちらを蔑ろにしてはまずいので、承諾を得てから話を進めることになったらしい。ムスタファ自身は結婚も国を離れる意思もないので、今日、エルノー公爵に相談する予定。


「僕もさっき本人から聞いたばかりです。あなたにはまだ伝えていないから内密でと頼まれたのですけどね。隊長も昨日の失態をカバーしようとして逆に重ねてしまいましたね。珍しい。余程、まずいと思っていたのでしょう」


 ムスタファに結婚話か……。


「もしかしてバッドエンド用のフラグかな。私、ハピエンルートしか知らないの」

「どうでしょうね」

 ちょっと隅に行きましょうと綾瀬が私を誘う。城側にある露台のような場所に上がる石段に、ふたりで腰かけた。


「宮本先輩」

 レオンを見る。彼にその名前で呼ばれるのはずいぶん久しぶりだ。ひどく真面目な顔で私を見ている。

「木崎先輩の数値も《5:5》だったというのは嘘でしょう」


 ルート選択をするときの数値のことだ。綾瀬にしつこく聞かれ、本当のことを教えたら面倒になると考えて嘘をついた。


「フェリクス殿下やテオと同じはずがない」

 と綾瀬。本当だよと答えようとしたところを、手で制される。

「嘘はいりません。僕は真剣に尋ねているのです。それともあなたは僕には嘘で十分と考えているのですか」


 レオンが手を伸ばしてきたのでさっと距離を取ろうとした。なのに手首を捕まれてしまった。いつもなら避けられるのに。


「僕は近衛ですよ。あなたがどんなに素早く動こうが、僕のほうが上回るんです。だけどあなたを怖がらせたくないから控えているんです」レオンがそう言って手を離す。「僕はあなたが考えているよりずっと真剣にあなたを思っている」

「……ごめんなさい」

「分かっています。ただ、僕だって簡単に気持ちにケリをつけることはできない。

昨日どうして僕に会わなかったと思いますか。あなた方の魔法練習に居合わせた同僚たちに、もう諦めたほうがいいと説得されていたからです」

「……昨日の木崎はちょっと怒っていたの。私がリーゼルさんを匿っていたことを黙っていたから。そのせいで誤解を生む行動が多かっただけ」

「そうですか。で、本当の数値は?」


 レオンを見る。いつもの大型犬の様子はない。目を伏せ、

「《10:7》」と正直に答えた。

「つまり先輩はめちゃくちゃあなたが好きってことですね。ゲーム半ばにして好感度がマックスだなんて」とレオンが言う。

「ちがうよ、誤判定」

「誤判定?」

「そう。前世の繋がりで飲んだりしてるでしょ。それが間違って好感度と捉えられているの」

「……そんなことがありますかね?」

「そうとしか考えられないじゃない。木崎と私だよ?」

「そうですかね」

「木崎もそう言ってるし」

「誤判定って?」

「そう。でなければバグだと思う。ゲーム開始前に知り合ってしまったから、何かが誤作動を起こしているの」

「……」


 返事がないので視線を上げたら、レオンは微妙な表情で私を見ていた。

「……木崎先輩が自分を好きかもと、あなたは考えないのですか」

「あり得ないって綾瀬も知っているでしょ。木崎の好みは間宮さんみたいな人だし、それに、私のようなタイプは見ていて腹が立つとはっきり言っていた」

「……へえ。腹が立つ、ですか」


 先日礼拝堂の地下で『ほら』と差し出された手を思い出した。今の木崎は優しいときも多い。元同僚として、転生仲間として、でなければ母がいない者同士として。


「だけど最近の先輩はおかしいです」

「ゲームの影響を受けているの。木崎も頑張って抗っているけど、たまにダメみたい」

「そうですか。だけど、」

「だけども何もないってば」しつこい綾瀬に段々と苛々してきた。「ムスタファルートに入ったせいで、周りがやけに煽ったり勘違いをしてくるの。綾瀬も考えすぎだよ。木崎は『俺とお前でハピエンなんてあり得ないから』と言って、自分のルートで構わないと言ってくれたんだよ。このまま強制的にハピエンにされたら、困るの」


 何も言わずにレオンが私を見ている。居心地が悪くて目を反らす。

「もうこの話はおしまい」

「分かりました。最後にひとつだけ。マリエット。『木崎』と呼ぶのをやめたらどうですか。僕たちは前世の記憶はあるけど、それだけのことです。本当の僕はレオンであなたはマリエット。あの人は木崎先輩ではなく、『ムスタファ殿下』です」

「……そんなの分かっているけど、木崎は木崎だし」

「そうですか」


 レオンが立ち上がる。

「行きましょうか」

 うんと答えて立ち上がる。「送らなくていいよ」

「ダメです。ムスタファ殿下からのご下命ですから」

「だってレオンに護衛じみたことをさせたら、私を嫌っている一派を余計に怒らせるもの」

「だとしても、ですよ。先輩が恋敵である僕を指名するというのは、それだけ心配なんです。人前でいちゃつく先輩が諸悪の根元ですけどね。でも彼の理性をぶち切るほど嫉妬させているマリエットも、十分に悪い。──はいはい、勘違いですよね。分かっています。世間はそう思っているっていうことですよ」


 私の反論より先にそう言ったレオンは、

「僕って健気」

 と自画自賛をして、盛大なため息をついたのだった。


 ◇◇


 やるべき仕事がすべて終わったので、ムスタファが帰ってくるまで自由時間だ。自室で我が国の法律についての書物を読むことにした。だけど、全く頭に入って来ない。雑念ばかりが浮かんでしまう。


 しおりを挟み本を閉じ、卓の隅に置いた小瓶に手を伸ばした。フェリクスから昼前に届いたお礼のクッキーだ。

 リーゼルさんとはまだしっかり話しができていないのだけど、女性の姿でも心が折れないよう無心になってフェリクスに仕えるとは聞いた。気持ちを伝えるつもりはないらしい。


 それにしてもフェリクスルートを選ばなくて良かった。もし選んでいたら今みたいに謎のゲームパワーで、強制的にハピエンの雰囲気にされて、リーゼルさんにはツラい日々になったにちがいない。あの木崎だって抗いきれなくて時々おかしくなるのだから、フェリクスだってそうなっただろう。




『木崎先輩が自分を好きかもと、あなたは考えないのですか』

 ふとレオンに言われた言葉が甦る。

 そんなの──。


 ◇◇


 晩餐が始まる直前に帰ってきたムスタファは着替えもせずに、

「良くない状況かもしれない」と苛立たしげに言って、私をいつもの席に座らせた。

 ヨナスさんが扉を閉め、お茶を入れ始める。

「何が良くないの?」

 レオン情報によればムスタファの結婚話かもしれない。他にリーゼルさんのことも気にかかる。


「順を追って話す。まず俺に結婚話がでている」

「聞いた」

「は? 綾瀬か?」

 ムスタファの目が怒りを帯びる。

「ちがう、カールハインツ。うっかり口が滑ったみたいで、居合わせた綾瀬が仕方なしに詳しく教えてくれたの。綾瀬を怒らないで」

「シュヴァルツ?」ムスタファがヨナスさんを見る。「あいつはそんなに中枢に食い込んでいるのか? まだ大臣連中しか知らないレベルの話だろう?」

「陛下たちの警護中に耳にしたのではないでしょうか」

「それで失言? あいつはそこまで間抜けか?」

「いえ……」


 まあいい、とムスタファ。

「それなら話は早いな。俺の婿入りをフーラウムと宰相ベーデガー侯爵は諸手を挙げて大賛成、今すぐ俺を連れていって構わないとの姿勢だったらしい」

 国王に対しての怒りが湧くけど、今はその話ではないのでうんとうなずく。

「一方でパウリーネが、俺の内定婚約者に失礼で外交問題になるから了解を得てからにすべきだと主張した」

「常識的な判断です」とヨナスさんが言う。

「フーラウム・ベーデガーとパウリーネで意見が対立して、昨日は俺に話を持ってくる前にかなり激しい口論になったようだ。特に父娘間は下劣な言葉を使うほど酷かったらしい。──これは全部、フェリクスの密偵情報だ」


「宰相のことはよく知らないからともかくとして。おしどり夫婦のふたりがケンカというのは意外だね」

 しかもパウリーネはムスタファを婿に出すことに反対しているのではない。順番を守ろうと言っているだけだ。激しい口論というのはいまいち想像できない。


「陛下はここのところ体調がすぐれず、機嫌も悪いみたいでね。そのせいも多少はあるかもしれない」とヨナスさん。

「病気ですか」

 いや、でももしフーラウムが不死なら、病気になんてなるのだろうか。


「知るか」ムスタファはケッという顔をした。「で。問題は何故フーラウムとベーデガーが、そんなに早く俺を追い出したいかだ」

 そう言ったムスタファは珍しく前のめりになって足の上で手を組んだ。

「結論から言うと、ふたりは国費を横領している」

「横領!」

 予想外の言葉に思わずすっとんきょうな声が出た。だけど木崎は笑うことなく、そうだと答えた。


「王様なのに国費を横領するの?」

 自分で好き勝手に使えそうなのに。

「実際に使っているのはベーデガーだ。エルノーの話では侯爵家に以前あった借金は小国家の年間予算並みの額だったらしい。フーラウムが即位したときに王妃の実家がそれでは体裁が悪いと、輿入れ準備金の名目でかなりの資金と、敏腕経営コンサルタントを送った。それで侯爵家は僅か十年で借金を全て返済した」

「でも実際は横領金を使っていたってこと?」

「エルノーの推測ではな」


 公爵には銀行家の知人も多く、前々からそのような噂があったらしい。現在もベーデガーは領地収入以上と思われる派手なお金の遣い方をしているそうだ。


「俺は最近王子としての責務を果たすため、国費について学び始めた。何しろ今まで無関心すぎたからな。そうしたら支出に関して引っ掛かるところが幾つか出てきた。といっても書類は複雑で俺はまだ理解しきれない。担当者に質問をしてどれも返答はもらっているのだが、やはりどうもおかしい。それがどうやら横領の跡だったみたいだ」

 そう言ったムスタファは、珍しく顔を曇らせた。


「つまりフーラウムたちは不正に気づいた木崎を早く国外に放り出したいということか。婿入りなら不穏さはないから、周りに怪しまれることもない。パウリーネのほうは何も知らないから常識的に進めようとしていたんだね」

「そういうこと」とムスタファ。「今日のエルノーの様子だと、もしかしたら最初から俺はフーラウム・ベーデガーの対抗馬と目されていたのかもしれない」

「そうか。公爵は人の良さだけじゃなかったか」

「だけど国を憂いてのことだ。それは間違いない」

 ムスタファの言葉にヨナスさんも微妙な表情ながら、うなずいた。


「問題はお前」と木崎は痛みを堪えているような表情をした。

「私」と答えて、木崎が言いたいことがなんとなく分かった。

 世間はムスタファはマリエットを好きと誤解している。それはつまり私が彼の弱点になるということだ。不正に気づいたムスタファを排除したいフーラウムたちにとって、私は利用するのにちょうどいい。


「一旦、避難するのもありだぞ」

 木崎は私が理解したと考えたのだろう、そんな提案をしてきた。

「見習いを辞めて、ヨナスの実家で貴族としての教養を修める。元々計画していたことだから、明日にでも行ける」

「避難なんてしない。木崎の足を引っ張らないよう、用心するよ」

「今までの苛めより危険なんだよ」と、ヨナスさん。

「分かってます。でも必ずしも何かあると決まったわけではないですよね。そういうことも考えられる、という話なだけ」

 ヨナスさんに答えてから、再びムスタファを見る。

「それで木崎はどう対応するの?」


 木崎のムスタファは何も答えずに、じっと私を見ていた。もしかしたらまた私を心配してくれているのかもしれない。頭から熱湯をかけられそうになった時のように。


 あまりに沈黙が長いので居心地が悪くなってきたころ、ようやく木崎は

「……まあ、そう答えると思っていた」と言った。「お前程度にこの俺が足を引っ張られるなんてことがあるはずないだろ。自分の身は自分で守れよ。誰が相手でも常に警戒しろ」

「了解」

「シュヴァルツにもだぞ」

「え? どうして」

 ムスタファの顔が険しくなった。

「……そうか、王家至上主義だものね。陛下に命じられたら、どんな内容でも聞いてしまうかもしれないか」

「隊長は堅物だから、おかしな命令でも疑問を持たないかもしれないし」ヨナスさんが言う。

「確かに」

「対策はエルノーと考え中。その辺はまた後で話す」と言ってムスタファは立ち上がった。「着替えて晩餐に行かないと」

「そうだね。教えてくれてありがと」

「ん」と答えながらムスタファとヨナスさんは隣室に行く。

 晩餐用の服は私が出しておいたけど、着替えの手伝いはしない。

 ヨナスさんが淹れてくれたお茶のカップを片付ける。


「そうだ、宮本!」

 となりの部屋から木崎が叫ぶ。

「なあに!」とこちらも叫び返す。

「リーゼルの父親と大司教、死んだそうだ」

「ええっ」

 思わずカップを落としそうになった。

「向こうの役人が呼び出そうとして分かったらしい。どうやらふたり同時刻に心臓発作を起こしたとか」

「それ、怪しくない?」

 心臓発作なんて、理由の分からない突然死ってことだ。


「呪いと関係あるのか、調査中だそうだ。それが済み次第アイヒホルン家は取り潰しで、領地を含めた全財産は国家が接収」

「厳しすぎない?」

「いや、フェリクスが言うには投獄がないから、これでも穏便な措置らしいぞ。リーゼルも納得しているそうだ」

「彼女はどうなるの?」

「まだ決まってない」


 そうか。リーゼルさん、大丈夫だろうか。


「心配ねえよ。何かあったらフェリクスが奮起するだろ。──いつもうさんくさいあいつの本気、見てみたいな」

 ふはっと吹き出す声がした。ヨナスさんだ。

「──お二人とも魔法レベルがかなり高い」とそのヨナスさん。「フェリクス殿下がもし王族でなければ、シュリンゲンジーフの上級魔術師にスカウトします」


 なるほど、身分を捨てることになっても落ち着く先はあるらしい。


「ん? 場合によってはシュリンゲンジーフの王宮で三人揃うの? だったらルーチェも」

 私はここを出るつもりはないけど、また彼女と一緒にいられたら楽しい。それもいいなと考えていると、着替え終わったムスタファが出てきた。ん、と髪留めを差し出される。

「これに付けかえろ」


 ヨナスさんにやってもらえば早いのにと思いながら受けとる。私では背が低いから、ムスタファはいちいち椅子に座らなければならない。だからいつも急ぎのときはヨナスさんなのだけど。

 ヨナスさんから櫛も受け取り、手早くハーフアップを直して服に合わせた髪飾りをつける。


「できたよ」

「どうも」

 立ち上がったムスタファは私をちらりと見た。

「……昨日は、ちょっと悪ふざけが過ぎた」

 悪ふざけ。『罰』のことかな。

「身辺には気を付けろよ」

「分かっているって。大丈夫」


 じゃ、と部屋を出ていくムスタファとヨナスさんを見送って扉をしめる。





『木崎先輩が自分を好きかもと、あなたは考えないのですか』


 ──そんなの、考えるに決まっている。ルート選択してからの木崎はものすごくおかしい。

 でもそんなのはゲームの影響だし、本人もそう言っている。でなければ、からかいとか悪ふざけで私をいじっているだけだ。

 やけに親切なのだって、私が本当の木崎を知らなかっただけで、仲間内に対しては珍しいことじゃないのだ、きっと。だってフェリクスに対しても優しかった。


 いくら私がリアルな恋愛経験が少ないからって、勘違いなんてしない。ちゃんと分かっている。


 だいたい好かれても困るし。ムスタファが美しい王子でも中身は木崎。あんなヤツを好きになることなんてないから。

 前世でのあいつを思い出すのだ。どんなにイヤなヤツで、性格が合わず、いがみ合ってきたことか。ちょっと優しくされたぐらいで、前世でのことがなしになることなんてない。


 ──さすがに大嫌いではなくなったけど。だからって絆されたりはしない。私はチョロくないもの。


 ムスタファといると居心地が悪かったりドキドキしてしまうのは、ヤツの外見があまりに美しいからだし。他に理由なんてないし。






 悪ふざけで『溺愛されとけ』なんて、悪趣味だよ。

 木崎は本当にイヤなヤツだ。






 ポタリと雫が扉の前に落ちた。

 ──ちがう、これは鼻水だ。そう、鼻水──。


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