30・レオンからの情報

 今朝は久しぶりの曇り空だ。薄暗く湿気が多い。

「雨のときはどこで魔法指導を受けるんだ」

 と目前に座るムスタファが尋ねる。普段通りの髪の手入れ時間。完璧王子はこんな天気でも髪がボワボワにならないらしい。いつも通りに絹糸のよう。

 櫛を通しながら、

「決めていないけど、騎士に雨とか風とか関係あるかな。普通に外なんじゃない?」と答える。

「不可」

 即答だ。なぜ木崎が決める。

「どうして?」

「風邪をひかれると面倒」

 なんだその理由は。ワガママ王子め。

「雨に濡れたマリエットはきっと色っぽいからでしょう」

 そんな声と共に、ヨナスさんが部屋に入って来た。いつもなら手入れが終わる頃まで戻ってこないので珍しいことだけど、その手には銀の盆があり一通の手紙がのっているから、それが急ぎのものなのだろう。


「……ヨナスまで溺愛ルート路線だ」と木崎。

「本当に。強敵だね」

「レオン・トイファー様からです」

 ヨナスさんは何もツッコまずにかしこまって言う。

「帰って来たか」


 綾瀬のレオンは一週間ほど前から有給休暇を取っている。お母様のお供兼護衛で地方の親戚の元を尋ねているのだ。お見舞いという名目だけど、こっそり見合いが仕組まれているという話だった。


「旅立ってええと、……今日で八日目か。向こうでゆっくりしなかったのかな」

「見合いを断るなら居ずらいだろう」

 そうか。ギクシャクして早く帰ってきたというのは十分ありえる。


「……昨晩遅くに帰着したって」とムスタファ。「至急、話したいことがあるそうだ」

「マリエットがあなたの専属になったことを聞いたのでしょうか」とヨナスさん。「彼なら大至急案件でしょうから」

「いや、違うようだ」とムスタファは便箋をヨナスさんに見せ、なにやら指さしている。


 ふふっと笑うヨナスさん。


「どうかしたの?」

「『追伸。僕のマリエットに手出ししていませんよね? 少しでも関係が進展していたら怒りますからね』だってさ」呆れ口調の木崎。「何が『僕のマリエット』だ」

「騒がしくなるね」


 憤慨しているレオンを想像したらありありと光景が浮かんできて、顔が弛んだ。また賑やかな日々が始まることが嫌ではない。綾瀬の口説きは困るけど、いれば楽しい。


「急ぎとなりますと、短時間にはなりますが午前に面会を入れましょう」

 うむと頷くムスタファ。ヨナスさんが代筆で返事を出すため、部屋を出て行く。


 それからはとりとめのない会話になった。

 やがて髪の手入れが終わり寝室で片付けをしていると、昨日と同じように木崎がやって来た。が、今日は入り口付近でダンベルを手にしている。ちなみにこのダンベル、手作りのようだ。


「そういえば、宮本」

「何?」

 櫛に絡まった髪を取り除きながら返事をする。

「結局、綾瀬にミサンガは渡したのか」


 ミサンガ。それはもう随分前のように感じる。四人で城下に行ったり、媚薬チョコに翻弄されたり、木崎と口論をしたり。


「あげてない。そもそも会ってないしね」

「……あの時も言いすぎた。悪かったな」

『悪かった』!? あの木崎がまた謝った。

 驚いて振り向くと、ムスタファはこちはに背を向けてまだダンベルをいじっていた。


「綾瀬にやりたいなら、やれば。ちゃんと『礼』だって釘をさせよ」

「いや、品がないから」

 櫛の手入れに戻る。

 完成したふたつはルーチェと私の分になり、木崎に文句をつけられたときに作成中だったものは腹が立ったのでほどいてしまった。


「ねえの?」とムスタファ。

「ないよ」

「あぁ。そう」


 櫛を湯を張った洗面器につけて揺する。元々それほど汚れてはいないから、軽く。


「……俺にひとつ作ってくれ」

 驚いて再び振り向く。が、やはりムスタファは向こうを見てダンベルの調整らしきことをしている。

「願掛けしたいことがあるんだよ」

「木崎が?」

「他人の願掛けなんかするかよ」


 そりゃそうだ。

 櫛を引き上げ、タオルで水分を丁寧に取る。


「願掛けって何なのか聞いてもいいのかな?」

 やっぱりファディーラ様関連だろうか。それとも魔力が備わるようにとか。でなければ、ゲームがハピエン以外で終わりますようにとか。



「宮本が俺に惚れるようにだよ」



 ……三たび振り返る。やはりムスタファは背を向けている。


「溺愛ルートっぽいセリフだろ?」

 普段のからかいを含んだ口調。

「やめてよ。ゲームに誤判定されちゃうじゃない」


 きっと。本当の願いを私に言いたくないのだろう。だからってわざわざ危ういことを言わなくても。






 いつもの軽口だとは分かっているのに、心臓が口から飛び出そうなぐらいにバクバクとしていた。


 ◇◇


 今日の魔法指導ではなんと、初歩のシールド魔法を成功させることができた。地面の複雑な魔方陣を描き、長すぎる呪文を唱えなければならないという、非実用的なものだけど、成功は成功。ただ、途中から雨が降ってきて私も、立ち会いのツェルナーさんもびしょ濡れになってしまった。


「すみません、ツェルナーさん。すっかり濡れてしまって」

「ではお詫び代わりに、次回の魔道具在庫チェックを頑張ってもらいましょうか」

「あれは勉強になるから詫びになりません」

「おや、マリエットはそんなこともしているのか。ムスタファ殿下はご存知か」

 そう尋ねたのはヘルマン。ムスタファに言われて、タオルを持って来てくれたのだ。


 魔法指導を終えて三人で城内の廊下を歩いている。と、前から綾瀬のレオンがやって来た。私に気づいて満面の笑みを浮かべる。

「彼はわんこ系ですよね」とツェルナーさんが小声で言う。

「やっぱりそう思いますか。私もよく耳としっぽが見えるんです」

 ふふっと笑うツェルナーさんは、人懐っこい雰囲気だ。フェリクスと一緒のときは厳しそうな印象だけど、実は話しやすい人なのかもしれない。


 小走りでやって来たレオンに

「お帰りなさい」と言うと

「会いたかった!」と抱きつかれそうになった。

 私がさっと飛び退くのと、ツェルナーさんが手を出してレオンを制するのが同時だった。


 綾瀬が不満そうにツェルナーさんを見る。

「すみません。マリエットが困ると思って、つい」とツェルナーさん。

「……まさかあなたも彼女に恋したとか言いませんよね」

「言いませんよ」

「ちなみに彼女に抱きついたら、私が殿下に報告する」とヘルマン。

「止めて下さい。怒られるのは私なんですから」


 私がそう抗議をすると、三人は押し黙り剣呑な目を向けてきた。なぜだと思いすぐにはっとする。

「怒られるって、気のない相手には毅然とした態度を取れということでですよ。変な意味ではなくて」

「マリエット。それはただの嫉妬。君に責任転嫁することで誤魔化しているだけ」

 とヘルマン。うなずくツェルナーさん。

「ちがいます」


 綾瀬なら嫉妬なんかじゃないと分かると思い彼を見たが、口をへの字にして不機嫌な顔をしていた。

「聞きましたよ。ムスタファ殿下の専属になったって」とレオン。「それから彼のルートだとも。僕があなたに手出ししたら、彼も強制力で同じ事をしてしまうって」

「そうなの。だから気を付けてね」

「酷い話だ。──まあ、いい。びしょ濡れですね。話したいことは山ほどあるのですが、風邪を引いたらいけないから我慢します。昼食のあとに時間は取れますか?」

「少しなら取れる。けど、」自分が言おうとしていることに、胸の奥がきゅっと痛くなる。「ルーチェさんがもういない。一週間前に退職して故郷に帰ってしまったの」


 レオンが目をまばたく。

「……どうして」

「分からないの。のっぴきならない事情があるみたいだけど、教えてもらっていない。ロッテンブルクさんも知らないそうよ」

「そう。残念だな」レオンが目を伏せる。

 レオンは本当に残念そうで、その姿はルーチェがいなくなって淋しい私の無聊を慰めてくれた。


「ありがとう。彼女への手紙に、あなたがすごく残念がっていると書くわ」

「ええ。待っているから、いつでも戻ってきてと書いて下さい」

「それは余計に悲しませてしまうと思う。辞めたくなくて号泣していたの。きっと相当深刻な理由があるのよ」

「……号泣」と呟いたレオンは「僕が力になれることはあるだろうか」と言う。


「噂だけどな」とヘルマンが周りを見回し声を潜めた。「急な退職はパウリーネ妃殿下の侍女に多い」

「彼女は違うわ」

「でもお気に入りでよくそばに呼んでいたとか」

 そういえば彼女は王妃の代わりにお針子仕事をしていた。


 ヘルマンは再び周りを見て、更に声量を下げた。

「陛下が少しでも興味を持つと妃殿下が辞めさせるという噂だ」

 だけど国王夫妻はあんなに相思相愛ではないか。

「それは私も耳にしましたが、あくまで根拠のない噂です」とツェルナーさんが言った。

「ああ、噂だ」とヘルマン。「だけどもしそれが真実の理由ならば、彼女は絶対に戻れない。気の毒だが、近衛兵としては当たり障りのない手紙を書くにとどめておいたほうがいい」


 そうか。ヘルマンの話はレオンの立場を考えてのものだったのだ。レオンは剣術稽古をしたりとムスタファと親しくしているから、ヘルマンは気遣って教えてくれたのだろう。

 レオンは無言で頭を下げる。


「じゃあマリエット。昼食のあとに会いに行くよ」

 綾瀬は笑みを浮かべていつも通りの声で言った。

「分かった。お土産を楽しみにしているわね」

 彼は私たちが来たほうに去っていった。近衛府に向かうのかもしれない。


「それで」とヘルマン。「どうして彼は君に敬語を使うのだい?」

「ええと。そういう癖だって聞いてます」

「へえ。変わった癖だ。噂にたがわず、彼は君にぞっこんって感じだな」

 ツェルナーさんがうなずく。

「なんとか諦めてもらいたいのですけど」

「ムスタファ殿下と本当に交際すれば問題解決だ」と真顔のヘルマン。

 大きく首を縦に振るツェルナーさん。


 それは木崎と私ではありえない。しかも万が一そんなことになったら世界が滅びるのだ。

 そう説明しても、信じてはもらえないのだろう。

「他の案でお願いします」とだけ言う。


 それにしても、どうしてゲームはこんなにムスタファと私をくっつけようとするのだろう。もしかして世界の破滅を望んでいるのだろうか。


 ◇◇


 ムスタファの髪の手入れを終えると寝酒セットをテーブルに移す。昨晩より時間は早い。レオンについて話したいと言われている。 


 彼の旅の本当の目的はかつて王宮の侍女をしていた叔母に会うことだったそうだ。彼女からファディーラ様について聞いてきたものの、あまり気分が良くない内容らしい。

 ムスタファは話の内容について何も言ってないけれどヨナスさんに下がる前に『ムスタファ様を頼みます』といつもより丁寧な口調で頼まれた。


 当のムスタファは普段通りの顔をし身を乗り出して、ふたつのグラスにワインを注いでいる。ただ、おつまみが常より一層豪華になっている。暗い気分を晴らす景気付けというところだろうか。今日一日沈んでいるような素振りはなかったけれど、また平気なフリをしていただけかもしれない。


 私が向かいの席に座ると、片手にグラスを持った中身木崎の王子は

「シールド魔法成功、おめでとな」

 と言ってワインを飲んだ。

 あれ、と豊富なおつまみを見る。チーズにクラッカー、フルーツ。どれも種類が多い。もしかしてこれは私へのお祝いなのだろうか。

「ありがと」

 むずがゆくなりながらも、素直に礼を言う。


「ツェルナーが褒めるのは珍しいと、フェリクスが悔しがっていた」

「そうなんだ」

 彼には、安定したきれいな術だったと褒められた。私は昨日のようなビギナーズラックかもしれないと思ったけど、それを差し引いても良かったらしい。

「というかツェルナーさんはフェリクスだけに当たりが強いんじゃないかな。私には終始優しいよ」

「……あいつまでオトしたのか」

「どうしてみんなその発想になるわけ? 綾瀬にも言われたよ。ちがうし、ツェルナーさんに失礼だよ」


 ムスタファは顔を反らしてグラスに口をつける。

「……ヒロインパワー的な」ぼそりと木崎。

「魔法が上手く進んでいるのはそうだろうけど」

「それは努力だろ。いや、意地か。フェリクスに謝っておいたぞ。ツェルナーを雨の中、付き合わせたこと」

「ありがとう」

 本当なら私が詫びるべきなのだけど、今日はタイミングが悪かったようで一度も顔を合わせていない。


「付き添いなんて必要ないと思っていたけど、ツェルナーさんには助かるよ。カールハインツは自分でも言っていたけど、魔法を教えることに慣れていないもんね。できればツェルナーさんに、他国の人がダメだというならオイゲンさんに代わってもらいたい」

「いいのか?」

「そりゃ気持ち的にはカールハインツだけど、私は一刻も早く術を使えるようになりたいからね」


 ムスタファが、ううんと唸る。

「俺が嫉妬に駆られたフリをしたら、パウリーネは変更してくれるか?」

「ゲーム的にはアウトでしかないよね。どっちを優先すべきか難しい」

「決まってる、魔法だ。ま、今日の本題はレオンが聞いてきた話だ。母親のことだが、基本情報は今までに聞いたものと同じ。裏付けが取れたと言えるな」

「そっか。良かった」

「で、新しい情報だ」と言って、ムスタファはいったんワインを飲む。

 私も心構えをする。

「まずファディーラが城に現れたとき、著しく衰弱していたそうだ」

「衰弱?」

 そうとムスタファ。


 彼女は歩けないほど弱っていて、食事も重湯のようなものしか受け付けなかったという。だから重病人なのではと城の人々は怖がった。それをフーラウムが献身的に世話をして回復させたのだそうだ。


「それから」とムスタファが続ける。「ベルジュロン公爵夫人の話によるとファディーラは侍女たちに敬遠されていたとのこととだったが、その理由は気味が悪かったからだそうだ」

 気味が悪いとは嫌な表現だ。綾瀬やヨナスさんが気にしていたのはこのことだろうか。ムスタファはいつも通りの様子だけど。


「美貌と佇まいがどこか人間離れをしていたうえに、何故か昼間は寝てばかり。無理に起きていると必ず体調を崩す。しかも異様に他人を敬遠して、侍女たちには絶対に身体にさわらせなかったそうだ」

「……気味悪がるほどのことではないと思うけど」

 ムスタファが首を横に振る。

「綾瀬の叔母も、決定的な何かがあった訳ではない、雰囲気だと話していたそうだ。王宮に現れた当初は、他人を敬遠というよりは怖がっているような様相だったし、フーラウムも神経質に彼女を守っていたらしい。そういうことが相まって、もしかしたら人ではないのではと侍女の間では、まことしやかに囁かれていたそうだ」


 もっとも妬みによる根も葉もない噂と捉える向きも多かったそうだ。


「城の生活に慣れたファディーラは侍女たちにも優しくて、上手くやっていたらしい。この辺りが彼女の最盛期だな。パウリーネが専属になって、父との仲も良い。妊娠も皆に喜ばれていた」

 うんとうなずきながら、最後の一言にほっとする。


「問題は彼女が死んだときだ。綾瀬はまるで怪談だと言った」

「怪談?」

「そう。お前は怖い話は平気か。ダメなら抱き締めながら話してやる」

 木崎がにやにやとしているのが、薄暗い中でもわかる。私だっていつも言い負かされてばかりではないのだ。

「平気だけど木崎がやりたいのならすれば?溺愛ルートごっこがそんなに楽しい?」


 でも、と言った直後に思い直す。ムスタファは軽口を挟まないとやりきれない心情なのかもしれない。

 迷いは一瞬。

 立ち上がると彼のとなりに座り直した。

「……怖がりなのか」

 腹立つことに木崎が若干引いている。

「まさか。木崎が冗談を挟まないとやってられないみたいだから、頼れる私が励ましに来てあげたの」


 言ってて恥ずかしくなってきた。顔を反らして暗い窓の外を見る。まだ雨は降っているのだろうか。


「……お前な。俺のこともちゃんと警戒しろよ。ゲームのせいで何をするか分からないんだぞ」

「だって精神的にキツい話なのでしょう? 綾瀬もヨナスさんも心配していたもの」

 振り向いてムスタファの顔を見る。王子は怜悧な美貌をしかめていた。

「綾瀬は何も知らなかったからショックを受けているだけ。俺は別に。でも、喪女の勇気を買って」ムスタファはそう言って私の手を握った。「これだけ借りてやる」

「高いからね」

 昨日のことを思いだし、ちょっとばかり緊張する。木崎に悟られないようにしなくては。笑われるから。


「俺の母親の遺体な、多分だが心臓と血を盗られてる」

「……え?」

 突如告げられた言葉に凍りつく。

 心臓と血を盗られたっていうのは……。


「怪談というよりホラーだな」とムスタファは言って、「この話、本当に平気か」と尋ねた。

「私は平気だけど」

 平静な声を出して相手の顔を伺う。いつも通りに見えるけども。ムスタファにとっては自分の母親のことだ。ヨナスさんも綾瀬も心配して当然だ。


「なら続けるぞ」とムスタファ。「ファディーラは起こしにきたパウリーネによって死んでいるのを発見された。医師の診断は出産による衰弱死。すぐに死装束を着させ、夏だったこともあって翌日の葬儀が決まった」


 ムスタファは淡々と語る。


「ここで俺の乳母が登場。彼女の故郷の風習だか俗説だかで、出産で母親が死んだときは赤子に乳を吸わせる真似をして、母親を亡くした子が餓死しないことを願うんだそうだ。で、それをしたいと言って、ふたりの侍女とファディーラの服を脱がせた。そうしたらどうも胸元の形がおかしい。触ってみたらべこりとへこんだ。ちょうど心臓がある辺りだ。

 驚いてもう一度押したら力が強かったのか、中から皮膚を破って肋骨が飛び出てきた。最初からバキバキに折れていたらしい。しかもそんな状態なのに血の一滴もこぼれない。恐慌した侍女はフーラウムと診断を下した医師を呼んだ。医師は恐らく心臓と血がないと結論づけた。ちなみに胸に切開したような傷跡はない」


 ムスタファの手が私の頬をなぞる。

「大丈夫か」

 うんと答える。「でも気軽に触れないで」

 手は離れる。


「この異常な事態にフーラウムは『もう死んだ人間のことなぞほうっておけ』と言ったそうだ。そこで彼がいなくなったのちに、侍女のひとりが退職した仲間に聞いた話をした。それがファディーラの頭には髪に隠れて角があるという話だ」


「角。彼女が自ら折ったという角?」

「そう。その根元が残っていたんじゃないかな。話は彼女が城に現れたときにさかのぼる。

 弱っていたファディーラをフーラウムが看護をしていたが、それをひとりの侍女が手伝った。その際頭二ヶ所に硬い突起があるのを見つけて彼女は驚いた。それに気づいたフーラウムが慌てて、ファディーラの頭には触れてはならないと怒ったそうだ。

 その侍女はこのことを別の侍女に話した直後にクビになった。聞いたほうは半信半疑だったしクビを恐れて口をつぐんだ。だけど心臓がないという状況に恐れをなして、打ち明けたわけだ。医師を含め全員がファディーラとフーラウムが怖くなり、追及をやめることにした」


「……その侍女のひとりが綾瀬の叔母様なのね」

「いいや。ごく親しい侍女数人で情報の共有をしたらしい。フーラウムを用心するためだ。葬儀からひと月以内に当事者だった乳母、ふたりの侍女、医師の全員が退職か病死で城からいなくなった。で、情報共有した侍女たちは恐ろしくなってみな退職したんだが、その前にまた何人かの親しい侍女に話した。綾瀬の叔母はこの時聞いた」


「又聞きの又聞きか」

「そう。信憑性は薄れるがファディーラの死、それ自体が唐突すぎて本当に衰弱死なのかと侍女たちは疑っていたらしい。前日までは元気だったそうだ。だから綾瀬の叔母たちも怖がって辞めた。恐れからごく少数の仲間内だけで話をとどめたから、この件を知っているのは数人だそうだ」


 ムスタファはいつも通りの顔をしていて、心情が乱れている様子はない。だけどファディーラ様はあまりにむごたらしいし……。


「そうだ、パウリーネ妃はどうしていたの?」

「ファディーラの突然死にかなりのショックを受けたらしい。死装束の着替えだけして、その後は倒れて臥せっていたそうだ。葬儀は参列したがその後も数日寝込んでいたとか。彼女には親しい侍女がいなくて、この件は伝わっていないはずとのことだ」

「そう……」


 思い浮かぶひとつの仮定。だけどそれを口にするのは憚れる。でも木崎が気づいていないはずがない。


「心臓や血が抜き取られているってことは、ファディーラは不死になりたい人間によって殺されたんだろうな。で、犯人はフーラウム」

 ムスタファが何でもない口調で言う。

「可能性は高いけど」

「フーラウムはファディーラの頭に角の痕跡があるのを知っていた。つまり、彼女が人間でないことを確実に認識している。遺体が異常でも気にしないのは、犯人だからだろ」

「単純に彼女に興味がなかったからだけかもしれない」

「かもな」

 案外優しい声で肯定したムスタファは、「別に平気だって言っただろう。今さらどんなネタが来ても驚かねえよ。あの男が怪しいと思っていたしな。気を使わなくていい。母親を下らない欲望のために父親に殺されたなんて、魔王になる原因におあつらえ向きだ」

「可能性のひとつだよ。何の証拠もない」

「まあな」


 ムスタファは視線を下げ、と思ったら、ひとの手をにぎにぎとし始めた。


「あいつが不死か確かめられればいいんだが」

「試しちゃダメだよ!」

 ムスタファが顔をあげる。笑っている。

「王子としてやるべきことがあるから、地位を失うようなことはしねえよ」

「良かった」

「とにかく、あいつは要注意人物だ。お前も気をつけろよ」

「うん。──綾瀬にはどこまで話したの?」


 レオンから報告を受けた際に、ある程度は打ち明けたと聞いている。


「俺の母親が魔王で、俺が魔王になるルートとバルナバスに討伐されるルートがあること。それと魔王の何かが人間を不死にすることだ。万が一近衛兵と敵対することになっても綾瀬のことは恨まないとも言っておいた」

「後輩思いだね」

「だろ? 褒美をくれ」

「何それ」

 ふふっと笑ってムスタファを見たら、やけに真剣な顔で見下ろされていた。木崎みのない顔は、どうしても慣れない。思わず目を反らす。


「あ。あるよ、ご褒美。手を離してくれるかな」

「……」

 なんだか微妙な間のあとに、手が自由になった。ポケットからできたてミサンガを出す。


「はい、ご褒美」

「もう作ってくれたのか」

「すぐできるから」

 薄紫と銀色を基調にしたミサンガ。

「ん」とムスタファが右手を出す。受け取るためじゃない。甲が上だ。

「まさか手首につけろと言ってるんじゃないよね?」

「そうだが?」

「こんなもの!」

 私もルーチェも足首につけている。仕事の邪魔ということもあるけど、刺繍糸を編んだだけの輪っかをつけていたら、貧相なアクセサリーだと絶対に鼻で笑われる。私が笑われるのは構わないけど、王子がバカにされるのは良くない。


「足首にしなよ」

「見えないだろ」

「そうだけど。笑われるよ」

「笑わせておけばいい。俺には大事な願掛けなんだよ」


 ──それが何か、教えてくれないくせに。

 もやっとする。だけど余程叶えたいことなのだろう。

「せめて左にしたら」

「こっちがいいんだよ」

 木崎は右手を更に出す。きっと利き手は恋愛系だと知らないのだろう。まあいいか。私も位置の意味を気にしないでつけている。

 ミサンガをムスタファの右手首に巻き、結んだ。


「サンキュ。ゲームなら、礼にキスをするな」

「ゲームじゃないから」

「知ってる。だが強制力でしちまうかも」

「平手打ちされたくなかったら、全力で抗ったほうがいいよ」

「綾瀬は何か言っていたか」

 脈絡もなく話が飛んだ。

「綾瀬? 木崎を心配していたよ」

「違う。お前が俺の専属になった件、とか」

「そっちか。騒いではいたけど想定内通りだったよ。『先輩ずるい』って」

『本当に隊長を好きなのかきちんと考えたか』、『本腰入れて口説くから覚悟して』とも言われた。危うく手を握られそうになったけど、ちゃんとよけた。


 ……よけたのにムスタファには手を握られたな。でもこれは励ましだし。変な意味はないし。


「のどが乾いたな」

 私のグラスは向かいの席の近くに置いたままだ。立ち上がり元の場所に戻る。

 そうだ、今夜帰るときはムスタファより前を歩くのはよそう。いやむしろ距離をとろう。昨日みたいのは遠慮したい。


「宮本」

「なに?」

「やっぱり、ショックだよ。あの男が最初から不死目当てだったのか、途中から変わったのか分からないけど」

 また突然話が戻ったらしい。

「でも当初は深く愛しあっていたって」

「演技。まあ何にしろ疑問点だらけで仮定の話なのは分かっているけど」

「うん」

「気持ちが落ち着かない。もう少し、こっちにいてくれないか」

「……分かった」


 木崎が弱っているのを正直に言うなんて珍しい。というか天変地異の前触れではないだろうか。普段通りに見えたけど、やっぱりそういうフリをしていただけだったのだろう。


 ゲーム判定は心配だけど、もう一度王子のとなりに座る。と、再び手を握られたうえ、もたれかかられた。銀の髪が頬に触れる。

 このシチュエーション、絶対にまずいと思う。どこからどう見ても溺愛ルートだ。だけど頼りにされるのはやぶさかじゃない。


 ムスタファは

「……参ったな」

 と力なくつぶやく。見れば、目をとじているようだ。


 ゲームのエンドはまだ先。優先すべきは誤判定より傷ついている元同僚だ。これであの木崎が落ち着けるというのなら、手と肩くらい貸してあげよう。

 私は全く落ち着かないけど……。

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