31・礼拝堂探検
「作戦会議が必要だと思うんだよね」
ファディーラ様についての新情報を聞いた翌日の夜のこと。いつもの飲みの席。おつまみには綾瀬のお土産である珍しいチーズがあって、これが大変に美味しい。
だけど、これだけははっきりしておかなければならないと、ムスタファの様子を見てそう切り出した私への彼の返答は、
「何の? 対フーラウム? ファディーラ関連 ?シュヴァルツなら協力しねえぞ」だった。
「ちがう。溺愛ルート回避」
「は?」
口に運びかけていたグラスを止めて、心底不思議そうなムスタファ。
「だってどう見たって溺愛ルートを爆走中でしょ。まずいって」
「エンドまでまだ二ヶ月もあるだろ。心配ねえよ」
「木崎は有言実行だって分かってる。だけど不安要素はないにこしたことはない。困ってるとき、弱っているときは協力しあう。……一応、元同僚だし。でもそれ以外はもうちょっと何とかしようよ」
「『何とか』」
おうむ返しするムスタファ。あまり乗り気ではなさそうな声だ。恥ずかしいセリフをがんばって口にしたのに。
「溺愛っぽいセリフを言わないとか。気軽に私にさわらないとか。私優先の行動をしないとか。ルート選択してから木崎、ちょっとおかしいじゃない。ゲームの影響なのは仕方ないけど、木崎なら抗えるでしょ」
ムスタファは答えずにグラスに口をつけた。
「無責任な噂が出るのは仕方ない。でもその原因を作るのはなしにしたい」
「……分かった」ムスタファはグラスを置くと息を吐いた。「確かに振り回されているかもな」
「そう。ゲーム的にもムスタファ王子の評判的にも良くない」
「別に俺は問題ないと思うが、お前がそんなに不安だって言うなら抗うようにする」
「ありがとう。何か不具合が出るようなら対策を練ろう」
「……とっくに出まくりだけどな」と木崎のムスタファが呟く。
「え、どんな?」
それなら対処しないと。本人の勧めがあったとはいえ、ムスタファルート選択の責任は私にあるのだ。余計な迷惑をかけたくはない。だけど。
「喪女のお前には難しい話」
木崎はそう言って煙に巻くと、無理やり他の話題に移ったのだった。
◇◇
ムスタファの専属となって十日ほどが過ぎた。予想に反して平和な日々だ。ゲームだとルート選択後は苛烈な苛めがあるはずなのに、特にない。私をよく思わない侍女たちが遠巻きに悪口を言っているくらい。
ムスタファにあげたミサンガはすぐに侍女や令嬢たちの間で話題になり、私が刺繍糸で作ったことも知れ渡った。てっきりバカにされると身構えていたのに願掛けグッズということとお手軽さがウケたらしい。何人もに作り方を教えてほしいと請われ、流行のきざしがある。
そのおかげなのか、私は侍女の一員として認められつつあるようだ。もしかしたらムスタファ専属になっても、みんなが嫌がるパウリーネのお猫様の下の世話を続けているからかもしれない。
ルート選択後に様子のおかしかった木崎も作戦会議以降、普通の態度になった。溺愛っぽいセリフは言わないし、手を握ってきたりもしない。私的エリアでは適度な距離、公的エリアでは王子らしい振る舞いと、しっかりゲームに抗ってくれている。悔しいけどさすが木崎だ。
平凡な日が続いていて今のところ、何がゲーム展開で何がちがうのか分からない。だけど今日はちょっとしたイベントがある。礼拝堂の調査をみんなでするのだ。
みんなとはムスタファ、私、ヨナス、フェリクス、ツェルナー、そしてレオンの六人。目的はファディーラ様が囚われていた場所の発見だ。
礼拝堂はフェリクスたち、隣国の魔王捜索隊が魔王捕囚場所の最有力候補と考えているところだ。そうとは知らない綾瀬が木崎にあそこが気になると告げたために、今回このメンバーで赴くことになった。
礼拝堂の扉前。六人の中で一番体格が良いレオンが当然のように進み出て、扉に手をかける。ヨナスさんが、
「ひとりでは重いでしょう」と後に続く。
「悪いがツェルナーは手伝えない」とフェリクス。「腕力がからきしでな」
「お役に立てず」と謝るツェルナーさん。
「それぞれが得意分野で活躍すればいいだろ」とムスタファが言えば、
「そうですよ。彼の魔法は見事だった」とヨナスさんが扉を引きながら言う。
「そうそう。パワー系は僕の仕事ですしね。──開きました」とレオン。
重い扉の片方がきっちり開いて止まっている。
フェリクスが辺りを見回す。
「そもそもこの扉がおかしい」潜めた声だ。「何故、内側だけに青銅を貼っているのか。このような様式は他では確認できない」
「そうなのか」とムスタファ。
「うちの歴代の調査によるとな。それに閂かすがいも扉に対して大きすぎる。しかも後付けだ。侵入を防いでいるのか、脱出を妨げたいのか」フェリクスは扉に近寄ると、青銅のレリーフを指先で叩いた。「歴代は後者だと考えている」
「よそ者のお前のほうが詳しいのは腹に立つが、良い情報だ」
そう言うムスタファは木崎的な、わずかにからかいを含んだ表情をしている。
「腹が立つと言うのなら、情報料をもらおうか。マリエットを一日借りる。私もデートをする」
「断る」とムスタファ。
「全く懲りない人だ。すみません」
とツェルナーさんがヨナスさんに言えば、ヨナスさんも
「いえ、こちらこそ大人げがなくて」
と、従者たちはボヤキなのか謝罪なのか分からない会話をしている。
レオンの綾瀬が私を見て、
「緊張感がないですね」と笑う。
「本当」うなずく私。
「ほら、中に入りましょう」とレオンが私の背に手を回す。
よけないとと思った瞬間、
「綾瀬!」と鋭い声が飛んできた。フェリクスと言い合いをしながらも、すでに中に入ったムスタファだ。「扉を閉めろ」
「はいはい」と答えたレオンは肩をすくめた。「関心ないふりをして、しっかり見ているんだから。油断も隙もない」
「それは私のセリフだよ、近衛君」
と、今度はフェリクスが近づいてきたので急いでツェルナーさんの背に隠れた。
「ずるいぞツェルナー」
「今日の目的を忘れないで下さい」
ツェルナーさんの言葉に、レオンを手伝っているヨナスさんが、
「ムスタファ様もですよ」と声をあげる。
こんな状況、まるで逆ハーだ。木崎も今日は気が散っているのか、ゲームの影響を受けている感がある。一番の安全地帯はやはりツェルナーさんそばだろう。離れないようにしておこう。
扉が閉まる。礼拝堂は以前来たときと変わらず、静謐な雰囲気だ。その中をフェリクスがつかつかと進んで奥の壁に触れた。
「ここに隠し扉がある」
「知っている」とムスタファ。「偶然発見して、昔はそこを使ってよく入り浸っていた」
「そうか。この扉はかなりあとの年代に作られている。理由は不明だ。ちなみに我々は図面も確認している」
ムスタファが眉を寄せる。
「……うちの国の情報は筒抜けなのか」
「まあな」
「よく攻め込んでこないな。密偵なんてまどろっこしいことをしないで、国ごと魔王を手に入れようとは考えないのか」
「お前の国と違ってうちは、緊張関係が続く不仲な国があるからな。余計な戦力は割けない」
「成る程」
そううなずいたムスタファは、隠し扉のそばにある竜と人が対峙している石像を軽く叩いた。
「綾瀬が気になるのはこれだな」
「そうです」と答えるレオン。
「お前の話を聞いて思い出したよ」
そうだ。私も見たら記憶がよみがえった。前回ここに来たときに綾瀬から受け説明を。モデルは聖人か英雄か。英雄は竜退治をした際にその血を浴びて、不死身になった。
それを綾瀬がフェリクスとふたりの従者に説明をする。
「槍」と呟くムスタファ。私を見る。
「お前が腹を貫かれることは関係があるのか」
「ないでしょう。多分。ただの苛めの延長だと思う」
「何ですか、その話!」レオンが血相を変えて振り向く。「聞いていませんよ!」
「俺のハピエンルートの最後にあるらしい」とムスタファ。
「それなのにあなたは自分のルートを選択させたのですか!」
レオンが王子の胸ぐらを掴みそうな勢いで詰め寄る。
「絶対ケガなんてさせないから心配すんな」
「だけどっ」更に前のめりになるレオン。「危険があるのを知っていながら我を通すなんて、いくら先輩でも許せません」
「軽い気持ちで選ばせてなんかいねえよ!」
ムスタファの声が礼拝堂に響く。
しんとした間。
「大丈夫だよ、綾瀬。ハピエンルートでしか起こらないことだから」顔を歪めている綾瀬に、心配するなという気持ちを込めて笑みを向ける。「それにね、」
「綾瀬じゃありません。レオンです」
「ごめん、レオン。それにね、」
「ハピエンになったらどうするのですか 」
レオンが歪めた顔のまま、今度は私に迫る。
「なるはずないでしょう。木崎と私だよ」
「説得力ゼロです」
「ちょっとよいか」
との言葉と共にレオンと私の間に手が差し出された。レオンの目が隠れる。絶妙な助けを出してくれたのは、フェリクスだった。
「話はよく分からないが、マリエットと槍がどうのというのは庭園の彫刻が関係するか」
「そうです」「そうだ」私と木崎の声が重なる。
「それなら心配はないぞ、近衛君。原因たる彫刻を、ムスタファに泣きつかれて私が処分した。もう存在しない。騒ぎになったから知っているだろう?」
「……偽物にすり変わっていた彫刻のことですか」
「その通り。あれは私の華麗な魔法だ」
おどけたような声音のフェリクス。きっとわざとだ。
「すぐに騒ぎなった結果は、華麗にはほど遠いです」と澄まし顔のツェルナーさん。
綾瀬は視線だけで私たちの顔を見比べていたけど、やがて息を吐いた。
「……ハピエンルートのせいで彼女がケガをしたら、先輩を殴りますからね」
「好きにしろ」
「タコ殴りです」
そう言うレオンは、冗談で済ますつもりではなさそうだ。
「綾瀬、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」と、私は再び笑顔を向ける。
「どういたしまして。でも、レオンです。次に間違えたらキスしますから」
「やめろ。俺に影響が出ると話しただろ」
「……卑怯者。でもいいです。気にせずしますから」
「気にしてよ!」
レオンに抗議を入れつつ、距離を確認する。うん、大丈夫。
「マリエット。距離を測らないで下さい。傷つきます」
「そこまでにしたまえ、レオン・トイファー」
助け舟を出してくれたのは、またもフェリクスだった。
「上手く口説くには、引き際も重要なのだぞ」
「あなたがそれを言いますか」
すかさず入るツェルナーさんのツッコミ。
「今はこちらを見にきたのだろう」とフェリクスはドラゴンの胴を軽く叩いた。
「……ええ。すみません」レオンはふうと息を吐いて、礼拝堂の中を見渡した。「どうもこの像だけ異質な気がするんです」
「我々も散々調査したが、今のところ不審な点はない」とフェリクス。「だが違う世界の視点で見たら新しい発見があるかもしれないからな」
「自信はないですよ。聖人と英雄、どちらの像なのかすら僕には判断がつかないですし」
「でも英雄ならば不死に関係する」
とヨナスさんが言うと、レオンがうなずく。
「先輩の話で、僕はそこがちょっと引っかかるんですよね。こういうのって不老とセットのイメージがあって。なんで不死だけなんだろう」
「さあな」とムスタファ。
「とてつもなく昔のことですし」とヨナスさん。
「正しく伝わっていない可能性はありますよね」とツェルナーさんが主を見る。
「意図的に隠しているかもしれない。不死をもたらすものが何なのか、も含めて」フェリクスはそう言って、ムスタファを見た。「でなければ密偵がそれを自分のものにしてしまう」
「成る程」とムスタファ。「だが議論はあとだ」
そうだそうだと皆がうなずいて、像や台座を触り始める。
「図面だと建て増し部分には地下や半地下があるのだが、元からある古い部分にはない」とフェリクスが言う。
「ちなみに魔法での調査もしていますが、反応はありません」
「だが、どこかに隠された地下があるのではというのが、歴代の見解だ」
「前世的なら、台座が動いて地下への階段が現れるってとこですよね」レオンがしゃがんで床と台座の隙間を見ている。
二十歳オーバーの青年五人もが彫刻を囲んでいるので、かなり密集している。私はやや下がって観察することにした。
ドラゴンは岩の上から首を下げて相手を睨み、威嚇なのか見えない火でも吐いているのか口を開いている。人のほうは槍を構えて、今まさに刺そうとしているようだ。
どこに刺すのだろうと思いつつ、私の場合はお腹だけどと槍の先端を見る。向き的に、お腹ではなさそうだ。頭っぽい。
なんとはなしに人差し指をドラゴンの小さな口に差し込んだ。尖った牙があり狭いけれどギリギリ入る。思いの外奥行きがある。無理やり推し進めると──。
「なにか指先に当たる」
え、と幾重にも重なる叫び声。
「でも、もうちょっと」
明らかに動く小さな突起が指先をかすめるのだけど、狭くて届かない。
「何か細いもの。ないかな」
「これを使って下さい」
ツェルナーさんが細い棒を差し出す。先端が細くなっていて箸のようだ。
「魔法用の指示棒です」
「ありがとうございます。お借りしますね」
受け取り奥まで差し込む。すると、何かを押す手応えがあった。
ガチャン、と床のほうから音がする。
「やったんじゃないか!」
木崎が興奮気味の声を上げる。
「何かが外れる音ですよ、きっと」とヨナスさんも、珍しく声が上ずっている。
「よし、皆さんちょっと離れて」そう言ったレオンが中腰になって肩を使って台座を押す。方向を変えて三度目。台座がすっと横に動いた。
床に現れる四角い穴と下に降りる階段。
私たちは顔を見合せた。
穴は像が載った台座より幾分か小さい。体格の良いレオンがギリギリ通れるぐらいのサイズだ。
「竜の口の中は以前見たのだがな。分からなかった」
フェリクスがそう言ったかと思うとツェルナーさん越しに手を伸ばしてきて、私の手を掴んだ。
「さすがマリエット。魔法の手だ」
「あなたのは節操のない手です」とツェルナーさんが主の手をはたく。それから私を見て「細い指の勝利ですね」と笑顔になる。
「小柄痩せぎすがこんなところで役に立つとは!」
もしや侍女見習いになっても食事に苦労したのは、このときのためだろうか。今では満腹になるまで食べてしまっているけど。
「でかしたぞ宮本」木崎が珍しく嬉しそうな顔をしている。「あとで酒をたらふく出してやる」
「やった!」
「私もお相伴に預かろう」とフェリクス。
「僕も」と綾瀬のレオン。「ご馳走様です」
ツェルナーさんが手を穴にかざして、呪文らしき言葉を唱える。と、暗い穴の表面が一瞬キラリと輝いた。
「うん。やっぱりです」とツェルナーさん。
「目隠し魔法だな」フェリクスが確認する。
「はい。かなり高度ですね」
「通れないのか」とムスタファ
「いえ、通れます。この魔法は入り口と地下の存在を隠しているだけですから」
「では行こう」
ムスタファがそう言って首を巡らす。呼応するかのようにヨナスさんが動き、壁龕(へきがん)に置かれた燭台を三つ取ってきた。
「ツェルナー。お前はここに残れ」とフェリクス。「私たちが中に入ったあとに魔法が発動して閉じ込められたら困る」
「承知しました」
「ヨナス、燭台をひとつくれ。私が先頭を行く」
「他国の王子にそんなことはさせられません」と断るヨナスさん。
「先頭は僕が」と綾瀬のレオンも一歩前に出る。
だけどフェリクスは愚か者たちめと嗜めた。
「魔法がかけられている未知の場所に入るのだぞ。このメンバーの中で一番魔法が使えるのは誰だ。それに」笑みを浮かべる軽薄王子。「幼少期より密偵としてあらゆる教育を受けている。もちろん軍事訓練もだ」
「ならば頼む」とムスタファが応じた。「ただし危険を感じたら退避だからな」
彼はヨナスさんから燭台をひとつ受け取って、フェリクスに渡した。
「綾瀬はしんがりだ」
ヨナスさんが燭台をレオンに渡す。
「後はヨナス、俺、宮本の順だ」
最後の燭台がムスタファに渡る。
「彼女を連れて行くのか」ムスタファの言葉にフェリクスが驚いた顔をして「女性には危険だ。彼女は安全を確認できてから……」と私を見る。「……いや、失礼だったな。マリエット、階段が急だからスカートの裾に気をつけて降りるのだぞ」
「はい。ありがとうございます」
燭台の魔石を灯し、一例に並ぶ。
「ツェルナー、ここを頼んだぞ」とフェリクス。
「かしこまりました。殿下もお気をつけて」
「ああ。では行ってくる」
燭台を低く持って、フェリクスが階段をゆっくり降りて行く。次にヨナスさん。ムスタファ。いよいよ私。
小さな穴に入り幅が狭く急な石の階段を降りていく。途中からそれは緩やかな螺旋状になり段も広くなった。前を降りる木崎が燭台を体の脇で持っている。きっと私の足元が照らされるようにしているのだ。
階段を降りきったところは広間のような空間だった。上よりひんやりとしているけれど、空気が埃っぽい。フェリクスが燭台を掲げて様子を見ている。がらんとして何もない。太い柱が並び、アーチが重なる低い天井を支えている。石造りの壁はむき出しで、上の豪奢さと比べるといかにも時代が古いという感がある。部屋は正方形で、どの面にも開口部がある。
「……すごい」と後ろからレオンの呟きが聞こえる。
「どれに行くか」とムスタファ。
フェリクスが何事か唱える。するとスイッチを入れたかのように幾つもの明かりが一斉に点いた。広間とひとつの開口部の向こう側に点っている。
「明かりのある、この方向だ」とフェリクス。
壁に魔石を使った照明があったらしい。広間から一直線に延びている。
「お前が仲間で良かった」とムスタファ。
「だろう」と得意げな軽薄王子。
と、足元を何かが駆け抜け、思わず小さな悲鳴をあげる。
「ネズミですね」と燭台を掲げたレオン。
「ごめん。急だったから驚いちゃった」
「きっと他にもいますよ」
「大丈夫」
「ほら、宮本」そう言った木崎が左手を私に伸ばす。
なんだそれは。手を繋げということか。またゲームの影響が出ているのか。
……でもこの場所と、これから見るものに怖さが全くないと言ったら嘘になる。今は『困っているとき』に当たる。きっと。
ムスタファの手を握る。フェリクスやレオンが文句を言うかと思ったけど、何もなかった。
「では行くぞ」と、頼もしいリーダーに変貌したチャラ王子が言って壁の明かりが続く方向に進む。
この先に何があるのかと鼓動が高まっている。期待だけではない。ファディーラ様を捕えていた場所なら、もしかしたら悲しくなるようなものが残っているかもしれないのだ。ムスタファは今、どんな気持ちでいるのだろう。その横顔からは何も感情が読み取れない。繋いだ手だけが、温かい。──こんなのは綾瀬が報告に来た日以来だ。
『軽い気持ちで選ばせてなんかいねえよ』
ふと礼拝堂での彼のセリフがよみがえった。
前世の木崎といえば、自分にも他人にも厳しくて、完全に成果主義。ダメと判断を下した相手は先輩でも切り捨てる。結果を得るためには手段も選ばない。
他人に優しくしているところなんて見たことがなかった。だけれど、もしかしたらオンオフの差が激しかったのかもしれない。プライベートでは親しい相手に優しくて責任感もあって頼もしいヤツだったのかもしれない。
あんなセリフは考えようによってはものすごく溺愛っぽい。軽い気持ちでなくて、重く考えた結果だというのは。
──こんなこと、今考えることじゃない。
目の前のことに集中だ。
最初の広間から開口部を通るとそちらも同じような広間だった。そこも同じように四面それぞれに入り口があり、明かりはまだ真っ直ぐに続いている。再び開口部をくぐり抜ける。
こちらも同じような広間だったけれど、開口部はくぐり抜けてきたところと正面だけで、そちらに明かりは点いていなかった。
「あちらには魔石がないのか」とムスタファが尋ねる。
フェリクスは暗い開口部の前で燭台を高く掲げたり左右に動かしていたが、
「ヨナス。持っていてくれ」
と差し出した。そして両手があくと重ね合わせて呪文を唱えた。
開口部の下から上に七色の光が走る。
また魔法がかけられているらしい。
「……残念だが、今日はここまでだ」フェリクスはそう言って私たちに向き直った。
「結界が張ってある。解かなければ入れない。私ならできるが、術の解析に時間がかかる」
「結界?」とヨナスさんが呟く。
「何のために?」とレオン。
「目隠し魔法といい、結界といい、ムスタファの母君以外にも隠すべき重要なものがあるということになるな」とフェリクスが言う。
「無関係のお宝、ってことはさすがにないですよね」と尋ねるレオン。
「あり得なくはないがな。場所を再利用している可能性は捨てきれない。ただ、砂塵の積もり具合からして長らく人が入っていないのは確かだ」
ムスタファは表情のない顔で暗闇に目を向けている。
「ちょっとばかりお預けだね」
そう声をかけると、繋いだ手を握りかえされた。
「『時間』とはどのくらいだ」 とムスタファ。
「難しい質問だ」
「ひと月以内は」
「そこまでかからない」
「頼む」
「頼まれよう」そう答えたフェリクスは私を見てにこりとする。「どうだ、私は有能かつ良い男だろう。素晴らしい恋人になるぞ」
「あなたもほとほと懲りない人なのですね」
ツェルナーさんが不在のせいか、レオンがぼやいた。
「一旦、礼拝堂に戻る」とフェリクス。
「『一旦』?」とヨナスさんが繰り返す。
「ツェルナーにも結界を確認させたい」
「そうか。手間をかけさせて悪いな」
「いや。結界は予想外だったからな。何かあるなら物理的な古い罠だと考えていた」
「そうですね。僕も落とし穴とか、転がる大岩、飛んでくる大量の矢なんかを考えていました」と綾瀬。
「何だい、それは」とヨナスさん。
「前世では、こういうシチュエーションだとそういった危険に見舞われるのがお約束なんですよ」
綾瀬はのんきな声だ。普段からそんな風ではあるけど、今日ばかりは失望している木崎を気遣って、雰囲気が暗くならないようにわざとのんきに振る舞っている気がする。
来た道を引き返す。ムスタファとはまだ手を繋いでいる。階段をあがるときには離すだろう。
◇◇
礼拝堂に戻ると穴の傍らに立ったツェルナーさんが笑顔で
「皆さん、何事もなくお帰りになられて良かったです」
と迎えてくれた。主に向ける表情から、待っている間にだいぶ心配をしていたのだろうなと思った。普段は厳しい発言ばかりをしているけど、フェリクスを大切に思っているのだ。
それからフェリクス、ツェルナーさん、残りのメンバーで最も魔法の素養があるヨナスさんの三人が再び地下に入り、転生組三人はなんとはなしに参列席に座った。木崎が真ん中だ。
「……フェリクス殿下を信用して大丈夫でしょうか」声を潜めて綾瀬が言う。「魔王奪取が目的の密偵なのですよね。本当は今すぐ結界を解除できるけど、嘘をついているなんてことはないでしょうか」
「ねえよ」木崎は即答した。「告白してきたときのあいつに嘘はなかった」
「私もそう思う」と言い添える。
「もし嘘があったなら、俺の目が腐っていたってことだ」自信に満ち溢れた声。
「すみません。余計なことを言いました」
「いや、あの時お前はいなかったからな。ありがとな」
木崎は手を伸ばして、自分よりも高い位置にあるレオンの頭をぽんとした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます