28・専属決定
第一王子とのデートの噂は、侍女界隈にはすっかり行き渡ったようで、今朝は久しぶりにあからさまな意地悪を受けた。オーソドックスな突飛ばし。
朝食に向かうために階段を下りていたら、後ろから来た侍女がぶつかってきたのだ。結構な勢いだったけど数段を落ちただけで済んだ。
最近にはなかったことだから、すっかり気を抜いていた。本来このゲームでは、かなりひどい目に遭うのだった。
それから間もなくして青ざめたヨナスさんがやって来て、奇しくも防犯グッズの性能の良さが証明された。それから、危険が去ると光がおさまることも分かった。
丁度良いテストになりましたねと笑ったら、笑えないと返されてしまったけど。
◇◇
二日に一度のカルラと遊ぶ仕事は、私にとっても楽しい時間だ。浮かれ気分で彼女の部屋に向かっていたら、その手前の角でカールハインツに出くわした。
「これからカルラ姫との時間だそうだな」
「はい。楽しみです」
と、堅物騎士の顔にわずかだが笑みが浮かんだ。
「姫もワクワクしていた。乳母が話していたがな、お前が姫の相手をするようになってから、彼女が癇癪を起こすことが減ったそうだ」
それは嬉しい。
「我が儘は変わらないがな。俺は昼食に付き合わされたところだ」
五歳児の姫君と、畏まった騎士の食事。カールハインツが王家第一なのだとしても、本質は優しい人なのだとほっこりする。この世界の上流階級では、幼児と大人が共に食事をすることはないのだ。
「お喜びになったでしょう。ですが姫様と一緒では人参を残せませんね」
「何のことだ」
素知らぬ顔をする堅物騎士。存外可愛いところがある。
と、彼は思い付いたような表情になった。
「記章は姫の誕生日に間に合いそうか」
「はい。その節はありがとうございました」
「そうか。俺もプレゼントを期待されているようだ。何が良いのか、とんと分からん」
「『一緒に遊ぶ券』などはいかがですか。絶対に喜びます」
「一緒に遊ぶ……?」と戸惑いを見せるカールハインツ。「そんなものがプレゼントと言えるのか」
「カルラ様は隊長のことがだ……大好きですから」
カルラの話なのに、『好き』という言葉に緊張をして、噛んでしまった。
「そういえば、お前は騎士のお守りを持っているか?」
「は、はい。肌身離さず」
失くしたとは言いづらく、咄嗟に嘘を言ってしまった。実際に持っているのは、ヨナスさんが用意してくれた別物だ。
「そう、姫の誕生日が楽しみだ」と言って、カールハインツは去って行った。
カルラの部屋に入る。
すると彼女は私を待ち構えていたらしくて、わっと叫んで物陰から飛び出してきた。
「驚いた?」と頬を上気させたカルラ。
「ええ、びっくりしてしまいました」
笑って答えて、彼女が手にしているものに気づいた。
「これ、マリーにあげる!」
差し出されたのは、スズランの鉢植え。
「外にたくさん植えたかったの。でもベレノがダメと言うの」眉を下げるカルラ。「ええと、シュヴァのおじいさまが悲しくなっちゃうからみたい。だから、これね」
と鉢植えを一生懸命に高く掲げるカルラは可愛くて、頭を撫でなでしたい衝動に駆られる。ぐっとこらえて片膝を床についてスカートをつまみ、頭を低く下げる。
「光栄でございます、姫様」 鉢を受け取り、「大切に育てます」
と言うと、カルラは嬉しそうな満面の笑みを浮かべたのだった。
◇◇
カルラの癒しタイムが終わり、もらったスズランを両手で抱えて彼女の部屋を出た。
まずはこれを頂いたことを、ロッテンブルクさんに報告しなければ。
階段に差し掛かる。数段降りたところで、背後から
「そこの見習い!」
と声がかかった。聞き慣れない、若い女性の声。高圧的で、どこか侮蔑感がある。この呼び止めはきっと良くない理由でだ。
一瞬の間にそれだけ考えて、突き飛ばされても、水を掛けられても、物を投げつけられても大丈夫なように心構えをして鉢をしっかり持ち直し、足場を確認してから、振り返った。
とたんに水が浴びせられ……
と思ったら、目の前で水が霧散した。
「ひぃっ!!」
「熱っ!!」
階段の上にいたふたりの令嬢が、叫びくずおれる。
何が起こったのだ?
「大丈夫か」
今度は階段下から声がした。振り向くと、オイゲンさんが上ってきた。
「み、見習いにやられましたわ!」
令嬢のひとりが顔を押さえながら、叫ぶ。
「何を言う。下からだが、ちゃんと見えていた。水を掛けたのは君たちだ。花瓶が足元で割れているではないか」
彼はそう言って私の脇で止まった。
「しかも水を熱湯に変えたな。自業自得としか言い様がない」
パタパタと走る音がして、近衛や侍従侍女が集まって来た。階段を上り、オイゲンさんが状況を説明する。
オイゲンさんは数秒だけ防御魔法が使えるそうだ。私に掛けられた水が霧散したように見えたのは、彼がシールドを張ってくれたためらしい。
それにはね返った水の一部が令嬢たちにかかったのだが、彼の言うとおり、熱湯だったようで顔が斑点状に赤く腫れ始めていた。魔法で花瓶の水を沸騰させたらしい。
もし私が水を頭から被っていたら、頭部すべてが火傷をするところだった。
まさか熱湯が来るとは思わず、水なら乾くから被っていいやと考えていた。考えが甘過ぎたのだ。
今朝受けた意地悪でも、木崎のムスタファはデートが原因と考えてかなりのショックを受けていた。髪の手入れに行ったとき顔を強ばらせた彼に、考えが足りなかったと謝られた。
日に二回も被害を受けたと知ったら、ますます気にするだろう。知られたくないけれど、そうも言えないほどの騒ぎになっている。
参ったなと、オイゲンさんの傍らで考えを巡らせていると、硬い表情をしたフェリクスとツェルナーさんまでやって来た。
開口一番、
「ケガは?」
と尋ねてきたから、何が起こったか分かった上で来たらしい。相変わらず情報が早い。
オイゲンさんに助けられたおかげでないと答える。
「マリエットは私の部屋に来い」
珍しくツェルナーさんもうなずいている。
「ムスタファが外出先から帰って来るまで、保護をする」と真顔のチャラ王子。
ツッコミどころしかないセリフですけど!
「いえ、仕事がありますから、お気持ちだ……」
「今朝も階段で突き落とされたのだろう。怪我がなかったのは、たまたまだったと聞いている」
フェリクスが珍しくひとの話を遮り、口調も強い。
「ムスタファは迂闊だったと後悔している。それなのに、今朝からまだ数時間でこれだ。する仕事が必要ならば、ツェルナーの手伝いをすればいい」
「そうなさい」と集まった侍女の中からも声が上がった。「ロッテンブルクさんには私が伝えます」
「どのみち君にも聴取しなければならないから、終わるまでは仕事はできない」とオイゲンさんまで言う。
それから彼は私のそばに来て耳に口を寄せた。
「あちらは貴族だ。王族のバックアップが目に見える形であったほうがいい」
忸怩たるものがあったけれど、素直にうなずいた。みな、私を思って勧めてくれているのだ。すっかり大事になっている。
それにまた防犯宝石が光っていたら。木崎は心配していることだろう。これ以上、光ることのないようにしておいたほうが良いのかもしれない。
◇◇
聴取が始まるまでツェルナーさんの仕事を手伝うことになった。フェリクスの居室のとなりに小さな書斎があり、そこには書物だけでなく魔法に使う様々な道具が収められていた。これを定期的に在庫チェックするのがツェルナーさんの仕事で、騒ぎに駆けつける前はこれをしていたという。
私がリストを読み上げ、ツェルナーさんが数を確認し、私がチェックを入れる。
次回も手伝ってほしいなと言われ、もちろんと答えた。
「あなたの勉強にもなりますよ」とツェルナーさんは、道具の使い道をや薬草の用途を教えてくれる。
普段はひとりだから今日は新鮮だと、楽しそうな表情だ。
ライティングデスクにはフェリクスが座り、私たちの様子を見ながらお茶を飲み、何をするでもない。どことなく幸せそうな顔に見えるから、ツェルナーさんが楽しそうなことが嬉しいのかもしれない。
「このまま私の専属にならないかな」
なんていうお誘いが聞こえたけれど、それは耳に入らなかったふりをした。
だけど作業がそれほど進まないうちに、オイゲンさんとロッテンブルクさん、侍従長が聴取にやって来た。フェリクスの居室を借りる。
どうやら令嬢たちはあれこれ理由をつけて、私のせいにしようとしているらしい。オイゲンさんが一部始終を見ていたことはラッキーだった。
それにしてもこの状況はまずい。今後も嫌がらせが続く可能性がある。
対策ができないかと真剣に話しているフェリクスやロッテンブルクさんたち。あまり接点のなかったオイゲンさんまでも考えてくれている。
私ひとりの問題ではなくなっている。不愉快な思いもケガも嫌だけど、何より周りの人たちに余計な心配をかけていることが嫌だ。
ひとつ、思いついたことを頼んでみる。多少の議論。
全ての話し合いが終わると、
「そうそう失念していた」とオイゲンさんが明るい調子で「君に用があったのだ」と声を上げた。
「カールに訊いてくるよう頼まれた。『一緒に遊ぶ券』というのは一枚で良いのか、書式はどのようなものか、だそうだ。で、『一緒に遊ぶ券』とは何だ?」
さすが堅物なカールハインツ。生真面目さが可愛らしくて、それまでの心配事が影を潜め顔が弛む。
「カルラ姫への誕生日プレゼントです。先ほど提案したのですけど、採用して下さるのでしょうか。返答は『自由です』だと伝えて下さいね」
なるほどと笑顔になるオイゲンさん。「それは姫も大喜び間違いなしだ」
フェリクスやロッテンブルクさんも良案だと賛同してくれ、お開きとなった。
◇◇
ロッテンブルクさんの配慮で、私は今日は終日ツェルナーさんの手伝いをすると決まった。フェリクスだけでなくツェルナーさんまでほくほく顔だ。
書斎に三人で戻り、魔法道具リストを手にする。
が、それはするりと手の中から抜けた。
「やはり先にお茶にしよう」
何故と尋ねる間もなく、彼は言葉を継いだ。
「話しただろう。私は密偵の訓練を受けた、と。表情を読むのは得意だ。作業は君の気がかりを解決してからにする。令嬢たちのことか? それともムスタファか」
「難儀な特技ですね」
そう言うとフェリクスは目を見張り、ツェルナーさんは
「案外、優しい人なのですよ。放っておけないのですからね」と笑った。
「ムスタファ殿下をまた心配させてしまうなと思って」観念して正直に言った。
「そうだろうな」とフェリクス。「さっさと彼の妃になれば、怪我をさせられることはなくなる」
「それはナシです。お互いに」
そう答えると、主従ため息をついた。
何なんだ。ツェルナーさんもゲームの影響を受けているのだろうか。
「そんなことを言っているうちに、彼が婚約しても知らないぞ。第一王子で即位する可能性もあり、近頃では有能だと評判も高まっている。静観していた層が娘と結婚させようと動き始めている」
「そんな話があるのですか」
全くの初耳だ。
「当然のことだろう? 彼は二十歳だ。婚約者がいないことがおかしいのだよ」
そうか。ここはゲームの世界という頭があったから、攻略対象たちが未婚なのも婚約者もいないのも当然のように受け入れていたけど、既に違うことが多く起きている。ムスタファがエンド前に婚約ということだってあるかもしれない。
「嫌ならそう本人に伝えないと」
何故か親切口調のフェリクスを見上げる。
「嫌ではないですよ」
またしてもため息の二重奏。
「まあ、いいけどな」ひょいと手を取られ、チュッとキスを落とされる。「私はそのほうがチャンスがある」
「ありません」とツェルナーさん。「私が追い出されてしまいます。マリエットへのおさわりは禁止ですよ」
うるさいなあと言いながらもフェリクスは従者に従って、手を離してくれた。
リストを受け取り、作業を再開する。
◇◇
フェリクス主従とおやつまで一緒に取り、在庫チェックがそろそろ終わるという夕方。
廊下に通じる扉がガタンと音を立てた。誰かがノックもせずに開けようとしたらしいが、施錠に阻まれたのだ。
「ムスタファかな」とフェリクス。
ツェルナーさんが手早く木箱を元通りにして扉の元に行く。開けるとそこにはまさしくムスタファがいた。表情が強ばっている。挨拶もなくツカツカと私の元に歩いてきて、じっと見下ろす。
「お帰り。ケガはないよ」
居心地の悪さと気まずさを感じつつ、普通に話しかける。
しばらくの間無言だったムスタファの木崎は深く長い息を吐いた。
「ヒュッポネンに例の魔法をかけさせる」
ようやくの第一声はそれだった。
例の魔法?
「まさか危険に反応して攻撃とかするやつ?」
「そう」
一日毎にかけなければならない面倒なやつだ。それに攻撃は余計にまずいだろう。
「私もそうすべきだと思います」と、後から来たヨナスさんが言う。「今回は光らなかったのです」
「そうなの?」
胸元を見る。服に隠れて見えないが、そこにはサファイアがある。
「光らなかった原因が命の危険ではなかった、あなたが危険を感じなかった、だとしたら」とヨナスさん。
「どのみち離れていたら、光っても意味がない」木崎が硬い表情のまま言う。「こう日に何度も危険な目に遭うのなら、これでは用が足りない」
だから、と急いた口調の木崎に、
「挨拶くらいしたらどうだ、ムスタファ。ここは私の部屋だ」
とフェリクスが声を掛けた。
ムスタファの視線がゆっくり動く。そして。
「……こいつが世話になった。礼を言う」
「マリエットは君のものなのか」苦笑するフェリクス。
「彼女はモノではないと、前にも言ったと思うが」とムスタファ。「この機会に言っておく。こいつと私は対等だ。ただ、王宮の中ではそうもいかない。立場の強弱で言えば私が上で、お前と同じラインに立つのも彼女でなく私だ。それだけのこと」
ムスタファの横顔を見た。さえざえとして美しく、凛としている。
『対等』。木崎はそう思っていたのか。前世を想起させる仕事の能力を認めていてはくれていても、私たちは王子と侍女見習いだ。血筋がどうあれ育ちの違いは大きく一般的に見れば私は弱者で、実際彼の力を山ほど借りている。そこに対等なんて言葉は当てはまらないと感じていた。
「そうか。それは失敬した」
そう言うフェリクスの声にはチャラさも揶揄もなく、優しいものだった。
「君はまだ外出着ではないか。少し落ち着け。ツェルナー、お茶の用意を。隣で話そう」
柔和な表情のフェリクスがした提案を、ムスタファの木崎はにべもなく断った。『すまないが』と前置きはしたものの、『話は私たちでする』と言って。
「仲間に入れてくれたのではなかったのか」
ムスタファにそう告げたチャラ王子は淋しそうに見えた。
さすがの木崎も感じるところがあったのか、
「ではここで話すが、質問には答えられないぞ」と譲歩して、私を見た。
「すぐにヒュッポネンに依頼する」
「断る」
私、即答。ムスタファの目が険しくなる。
「バカなのか? お前は状況を理解していない」
「してるよ」
「していない。今回も今朝も、怪我がなかったのは偶然にすぎないんだぞ」
「分かってるってば」
「もしロッツェがいなくて、もし熱湯でなくて硫酸だったら?」
厳しい口調で告げられた言葉に、衝撃を受けた。硫酸?
「この世界には魔法があるんだよ。俺たちが想定してない使い方で攻撃されたら、防ぎようがないだろうが。そこまでちゃんと考えたのかよ」
「硫酸は考えなかった」
「魔法で離れた場所から突き飛ばされたら? 警戒するヒマもないんだぞ。ゲームになかったからといって、やられないとは限らない」
「……そうだね」
「俺は守ってやることも治してやることもできないんだ。始終側にいる訳にもいかないし、」
「木崎に守ってもらおうなんて思っていないよ。木崎じゃなくても、他の誰でも」
遮ってそう言うと、ムスタファの口が強く引き結ばれた。
「だから私はシールドを張る防御魔法を習う。ロッテンブルクさんにはお願いをした。時間はかかっちゃうかもしれないけど、それが一番の有効策でしょ?」
オイゲンさんが使った瞬間的なシールド出現はかなり難しい魔法だそうで、生活魔法しかやったことのない者が習得できるとは考えられないという。だから私の要望にみな戸惑っていた。
だけどまずはチャレンジということが決まった。今までに二度も理不尽な目に遭い、ケガを負っているからだ。あとは王妃に許可を貰えるかどうか。
ムスタファが目を見張っている。
「有効なのは確かだが、使えるようになるのか」
「いけるよ。ゲームにはなかったけど、私、ヒロインだから」
ぐっとキメ顔をしてやる。
「魔力は一般より強いんだよ。だから、やれば出来るはず。カールハインツ好みの淑やかな娘からは遠ざかっちゃうけど、私だってケガをしたくない」
なにより自分で自分の身を守ることができたら、みんなの心配はなくなるし、ムスタファにあんな顔をさせなくても済む。カールハインツのタイプの侍女でいるより、そちらのほうがいい。
しばらくフリーズしていた木崎は
「……俺より魔法が使えるなんてムカつく」と言った。「さっさと習得して、アホなヤツらを鼻で笑ってやれ」
「もちろん」
「でも」と声がかかる。ヨナスさんだ。「それまでの間は? 一朝一夕に身に付くものではないでしょう?まずはヒュッポネン様に……」
「遠慮します」
「いらん」
ムスタファと私の声が重なった。
「第一、上級魔術師の力なんて借りたら、火に油です」と私。
「こいつがそんなことを良しとするヤツではないのを忘れていた」と木崎。
「忘れんな」ぺしりとツッコミを王子に入れてやる。
「その代わり」とムスタファが綺麗な顔を近づけてきた。「間抜けてケガでもしてみろ。夜伽させるからな」
「冗談じゃない!」
「嫌ならどんな手を使ってでも、暴力から全力で逃げろ。後処理はする」
「……うん」
「俺を後悔させないでくれよ」
もう一度うんと答えて、やっぱり中身は木崎じゃないのではと思った。
「つい先程まで」とヨナスさん。「ムスタファ様はあなたを専属にして、部屋も近くに変えさせるつもりだったんですよ」
「そんなの確実に溺愛ルートじゃない!」
「背に腹は代えられないだろ」
「木崎、ゲームに操られているんじゃないの? 最近変だよ」
ふふっと笑う声がして、フェリクスがいることを思い出した。彼らしくもない静かさだったから、存在を忘れていた。
「『変』ね。それは大変だ」
「うるさいぞ、フェリクス」
「酷いな。口も挟まずおとなしくしていたではないか」
王子ふたりが言い争っていると、となりに続く扉が開いてツェルナーさんが顔を出した。いつの間にか移動していたらしい。
「お話は一段落つきましたか。でしたらお茶のご用意ができております。皆様、どうぞ」
従者の言葉にフェリクスが笑みを浮かべる。
「最近『変』なムスタファよ。冷静になるといい」
それから彼はぷっとわざとらしく吹き出して、ムスタファにお前なあ、と突っかかれていた。
どうやら知らない間に、だいぶ仲良くなったらしい。
◇◇
その晩、ロッテンブルクさんに呼び出されて正式な辞令をいただいた。
マリエット・ダルレは明日より第一王子ムスタファの専属。直属上司はヨナス・シュリンゲンジーフ。ただし二日に一回の第三王女カルラの遊び相手は継続。
部屋は彼の居室のとなりに移動。
防御魔法はシュヴァルツ近衛隊長が直々に指導。
呆然とする私と、困惑顔の侍女頭。
なんとパウリーネ妃の指示だという。
◇◇
どう考えても侍女見習いにふさわしくない豪奢な部屋を見回す。ムスタファやカルラのような広さではないし、与えられたのは寝室のみで、続き部屋はあるけど使えないそうだ。
とはいえこんな部屋はおかしい。
呆然としていると廊下の扉が開き、木崎のムスタファが勝手に入ってきた。
「以前の部屋とは天と地の差だな」
「パウリーネ妃殿下、なんとかならない?」
「無理だった」と木崎。
ということは既に抗議をしてくれたのか。行動が早い。
「聞く耳を持ちやしない。媚薬チョコを山盛り用意するようなヤツだからな。外堀を埋めにかかっているんだろ」
媚薬チョコという言葉にはっとする。
寝台際の卓に蓋つきの器が置かれていた気がする。
そばに寄ると、やはりある。蓋を取る。
「とんでもねえな、パウリーネ」と木崎。
器の中にはチョコが山になっている。以前とは違う種類だけど、怪しさしかない。
「この部屋にあるものは一切、口をつけるなよ」
「もちろん」
そっと蓋を戻す。明日、処分しよう。
「だがな。どうして急に猛攻をかけてきているんだ。ゲームの影響か」
不思議そうな木崎に、ふとフェリクスの話を思い出した。
「ねえ、木崎。社交界では近頃、ムスタファ王子と婚約をなんて動きが活発だと聞いたけど」
「そりゃ、美貌の王子に有能さが加わったんだ。当然だな」
「気に入る人はいないの? 婚約しちゃえばハピエン回避だし、パウリーネ妃もこんなことはしないでしょう?」
「いねえよ」と答えたムスタファはじっと私を見た。
顔が近づいてくる、と思った次の瞬間。
ゴンという音と共に、額に激しい痛みが走る。
「何すんの!」
「頭突き」しれっとムスタファ。「言ったよな、暴力から全力で逃げろって。全然ダメじゃないか」
「意味がわからない」
そこに木崎が含まれると考えるはずがないじゃないか。
「常に警戒しろっていう、優しいアドバイスだろ。次に逃げられなかったら、夜伽だからな」
「ふざけるなっ!って、木崎だってそんなの嬉しくないでしょうに」
「俺の部屋に行くぞ。ここじゃ何もない」
ムスタファはそう言ってずんずん進む。
「頭が痛いんですけど」
「俺のほうがずっと痛い」
「自分で仕掛けたくせに。石頭」
「アホんだら喪女」
廊下に出て、数秒で王子の部屋に到着。便利ではある。お酒を飲むときに。
最初からそのつもりだったのか、卓上には飲みセットがすでに用意されていた。
「ヨナスが出してから下がった」とムスタファ。
座ってさくさくとお酒をふたつのグラスに注ぐ。その向かいに座り、いずれこんな晩もなくなるのかと考える。
ほらと差し出されたグラスを受け取る。
「最終手段は婚約だと考えている」
ムスタファがそう言う。
「一応、昔から婚約者候補はいるんだ。隣国の王女でもちろん、政略だ。ただし七つも年下」
「十三歳!」
「そう。元々、そんな子供と結婚なんてと思っていたけど、前世の記憶がよみがえってからは嫌を通り越して、恐怖レベル」
「完全に犯罪だね」
「この婚約話には色々と理由があるんだがな。パウリーネはずっと熱心に勧めてきていた。それが何で今さらお前に変えたのか。推測はできるが、唐突感はある」
ふむふむ。
「逆にパウリーネ以外、父親や大臣たちはまだこの婚約を推しているから、ハピエン回避ができなさそうならこの婚約をする」
「……木崎はそれでいいの?」
「勿論、エンド後に婚約解消する」
「そんな簡単にはいかないでしょ。国家間の話だもの」
「関係ねえよ」
「相手の姫を巻き込むのも申し訳ないし」
「別に。俺は望む結果のためには手段を選ばない」
「そうだった」
すっかり忘れていた。木崎はそういうヤツだった。
「どのみち最終手段だ。婚約なんてしない」
「そっか」
それなら飲み会は続く。良かった。良質なお酒が飲めるのは、ここだけだもの。
「それにしても」と木崎。「パウリーネは何を考えているんだか」
「木崎の婚約者候補とバルナバスを結婚させたいとかは?」
「ないとは言い切れないが、いまひとつ説得力に欠ける。政治的に必要な結婚ではあっても、旨みはない」
「ひとつ気になることがあるの」
「何だ」
「シールド魔法の指導がカールハインツなの」
聞いてる、とムスタファ。
「ロッテンブルクさんたちと話していたときは、ヒラの近衛兵が妥当だろうということだった。それがどうしてカールハインツになるのかな。嬉しいけど、彼は隊長だよ。おかしいよね」
「そんなの、煽り要員だろ」
「煽り要員?」
「俺を妬かせるため。パウリーネは、お前がカールハインツに騒いでいるのを鍛練場で見て知っている。で、俺のことは奥手で女が苦手だと思っているからな」
「そうか、ムスタファ王子が私に好意があるっていう噂を信じているからか。本当はそんなことはないのにね」
とはいえ温室デートもしちゃったし、そりゃ信じるか。しかし。
「やったね、棚ぼただ」
カールハインツとの直接的な関係ができたのだ。魔法をがんばっていれば、真面目な娘との好印象を与えられるじゃないか。なんて幸運なのだろう。
「あの堅物にとって、お前は見習い侍女から王子の愛人にランクアップだがな」
「うっ」
そこは痛い。
「向こうはパウリーネの意図を知らない。指導がヒラ近衛じゃなくて隊長ってのは、お前が特別だからって解釈になるだろうし」
「うううっ」
木崎の言うとおり、どこまでも外堀を埋められているのだ。頭を抱えたくなる。
「これ、完全に溺愛ルートの路線を引かれているよね。妃殿下、実は何かのキーパーソンかな」
「俺の母親の侍女をしていたからな。完全な白だとは思ってねえけど、世界が破滅して困るのは自分たちだ」
「そうなんだよね」
「無論、用心はするがな」
うんと答えつつ、今晩のところは完全にパウリーネのペースだと考える。
「これがゲームに関係なければ、お前には得が多いだろ。良い面を考えろ。夜中に勉強しないで済むようにしてやる。仕事の割り振りは明日、ヨナスと三人で決めるからな」
「うん、聞いた」
「こき使ってやるから、覚悟しておけ」
いつもいそいそとお酒を注いでくれる木崎なのに、と内心おかしくなる。散々マウントをとっておきながら、対等だと思っていたとか。
「何をにやついているんだ」と木崎。「俺に顎で使われるのが、そんなに嬉しいか」
「そうだね。木崎の天の邪鬼っぷりがつぶさに見られると思うと楽しみ」
「どういう意味だよ」
「そのまんま」
そのまま下らないやり取りを続け、気付いたら気持ちが軽くなっていた。辞令を聞いたときは不安でいっぱいだったのに。
日常生活を変わりなく行うって、大事らしい。それだけで平静を取り戻せる。
お酒がなくなった頃合いでお開きとなった。
歩いて数秒の自室に帰ろうとしたら、王子はわざわざ廊下に出て私が部屋に入るまでを見ていた。
心配をかけなくて済むように、私は絶対にシールド魔法を修得するのだ。
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